変わっていく環境と想い
久しぶりのローザの登場です。
いや、前回までの事件編でも登場はしていましたけれども、夕人との彼氏彼女らしいからみというのはありませんでしたからね。
汗もすっかり引いてしまって肌寒く感じてきた。時間を確認するともうすぐ八時になろうとしていた。あれから三十分位が過ぎている。
「・・・帰るか。」
さすがに一時間も遅れてやってくることはないだろう。いや、三十分近く遅れた俺が言うセリフではないんだけれどさ。それに今日会えなかったからと言って二度と会えないというわけじゃないだろうし。
そんな時、誰かが走ってくるような足音が聞こえてきた。今度こそはローザだろうと確信して足音の方に目を向けた。そして、その確信は裏切られなかった。少し大きめの荷物を持って走ってくる女の子の姿が見えたのだから。
「ごめん・・・すっっごく遅れちゃった。」
ローザは肩で大きく息をしている。きっと本気で走ってきたに違いない。
「いいよ。ローザも忙しかったんでしょう?」
そう言いながら、両手を膝に当てながら激しく息をしているローザにベンチに座るように促した。
「あ、ごめん。ちょっと座らせてもらうね。」
そう言うのとほぼ同時にドカッとベンチに腰を下ろし、背負っていた荷物も地面に放りなげるように置いた。
「何か飲み物、買ってくるよ。」
俺はそんなローザの姿を見て、なぜだか少し安心したような笑顔を浮かべた。一ヶ月前に見たローザとは何も変わっていなかったからだ。
「あ、大丈夫だよ。後輩に買って貰うだなんてカッコ悪いし。」
両手を振りながら必死に拒否をしているけれども、そんな事を気にする必要なんて無いのに。
「イイって。汗かいただろ?俺も何か飲みたいし。ちょっと待っててよ。」
ローザの返事を聞く前に、近くの自販機へ向かって走り出した。
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「はい、これ。」
彼女の正面に立ってスポーツドリンクの缶を手渡しながらその表情を伺ってみる。
俺のよく知っている顔。少し色が白くて、あ、今は走ってきたせいもあって少しだけ赤いけれど。汗をかいていても綺麗な顔つきは変わらない。以前までの彼女と何も変わらないように見えるけれど・・・でも、実際のところはわからない。
「ありがとうっ。早速いただいてもいい?」
「もちろんさ。」
俺のその言葉と同時にローザは一気に缶を空けていく。その素晴らしい飲みっぷりは惚れ惚れするものだった。半分以上飲み干したところで一息ついたようだった。
「いやぁ、生き返るねぇ。」
「生き返りますか。」
「うん、やっと落ち着いたよぉ。」
ローザは俺の顔を笑顔で見上げた。笑顔を見たことで俺はほんの少しだけ安心することができた。そう、今、この時だけは。
「そりゃよかった。」
俺の言葉を聞いてローザが思い出したかのように立ち上がった。
「遅れてごめんなさい。私が時間と場所を指定したのに。ちょっと色々あったんだ、部活もだし、まぁ、いろいろとね。」
いろいろ、か。その言い方にはなんとなく引っかかるところがあるけれど、それを聞いてもいいもんなのかな?もしかしたら誤魔化したいことなんじゃないのか?
「そっか、大変だったんだね。」
だから、俺は笑顔を浮かべてこう答えてみた。
「大変なんだよ。今年はちょっと運もなくってさ、全国とか行けなかったけれど。来年こそはって、先輩たちも燃えてるんだよねぇ。私もさ、レギュラーになれそうってところで、頑張ってたんだけれどね。」
ん?『頑張ってた?』何で急に過去形になるんだ?『頑張ってる』の間違いじゃないのか?
「思った通りにはいかないもんだよね、人生ってさ。」
一瞬だけ間があった後、ローザはこう言葉にした。
そして、大きくて深いため息を吐き、うつむくようにしてうなだれた。
「どうしたの?」
俯くローザにそう声をかけながらも『何かがあったんだろう』と、俺のさして鋭くもない直感でもそう告げていたんだ。
だから、彼女が何かを口にするその時まで、俺達はベンチの前でそのまま暫く立ち尽くすことになった。
「夕人・・・」
唐突に俺の名を呼び抱きついてきた。
ローザがこんなことをしてくるのは初めてだった。今まで腕に絡みついてきたりしたことはあったけれど、抱きついてきたことはなかったんだ。だから、嫌でも彼女にとって辛い何かがあったんだってことを感じ取ってしまった。
「私、悔しいよ。自分の関係ないところで負けるなんて。」
夕人の胸に顔をうずめるような状態のままローザは大きな声を出した。
それは、誰にも言えない彼女の本心だったんだろう。だから、彼女は一気に言葉を続けた。最も話を聞いてもらいたい彼にしっかりと聞こえるように。自分の思いを伝えるために。
「だってさ、私はさ、かなり頑張ったんだよ?試合にも限られた時間だけ出て、それできちんとやれることはやってきた。まだ一年生だけれど、負けるもんかっていう気持ちで頑張ったんだよ?監督だって、先輩たちだって認めてくれてたんだよ?」
そっか、何かの歯車が狂ってきている。そういうことか。
「なのにさ、何人かがこんなこと言うんだ。『犯罪者の娘となんか一緒にプレーできるか』ってさ。私が何をしたって言うの?何もしてないじゃないっ。そりゃ、お父さんは捕まっちゃったよっ。何をしてこんな事になっちゃったのか私にだってはっきりはわからないよっ。警察は毎日のように家にも来ていたし。でも、そのことは私には関係ないじゃないっ。いや、関係ないってことはないよっ?でもさ、私が・・・ううぅ・・・うわぁーん。」
そこまで一気に話してローザは大声で泣き出した。ここまで堪えていた感情が一気に爆発したとしか思えなかった。
こんな弱々しいローザを見たのは初めてだった。俺が知っているローザは優しくてかっこよくて逞しくて。あ、もちろん、体型のことじゃないぞ?体は華奢な方だ・・・と思う。少なくとも、今、それを感じている。運動していても女の子だなって、そう感じる。
そう、そんなことは置いておいて。ローザはいつだってぶれない強さを持っていた。ちょっと強く出過ぎちゃうところもあったけれど、それが彼女のいいところでもあったんだ。
俺なんかに何が言えるんだろう。ローザのお父さんが何をしたのかは俺にもはっきりとはわからない。実を言えば詳しくは報道されていないんだ。いや、俺が聞いていないだけなのかもしれないけれど。ただ、歴然とした冷たい現実だけが彼女に突きつけられているんだ。逮捕された父親を持つ娘という現実が。
俺の行動が原因だったのだろうか。
俺がローザに話を持ちかけなければこんなことにはならなかったんだろうか。いや、あのときの俺達の行動なんて、ほんの少しだけ事態を進展させただけに過ぎない。田中のことも川井のことも。中学生である俺の持つ影響力なんて所詮はそんな程度でしか無いんだ。
こんな言い方はどうかと思うけれども、きっと同じ結果になってしまったんだと思う。少なくともローザのお父さんに関してだけは。もちろん、多少の時期の違いはあったのかもしれない。でも、そのくらいのことだろう。日本の警察は優秀だってよく聞くのだから。
自分の親が逮捕されてしまう。一体どんな気持ちなんだろう。今まで信じていた親が一気に信じられない存在になっていく。そんな感じなのだろうか。
俺はあの時のローザとお父さんが仲良く話しているところを目にしている。確かに少し怖そうな人に見えたけれど、それでもローザにとってはたったひとりのお父さんなんだ。こんな事になって辛くないわけがない。
「ローザ・・・」
何か声をかけないと・・・そう思っていたのに続きの言葉が出てこない。戸惑っている俺の気持ちを察したわけではないのだろうけれど、少しだけ落ち着きを取り戻しつつあったローザが先を続けた。
「私さ、今の高校は部活の特待生っていう枠で入ったんだ。部活を続けて活躍していけば授業料の免除とか、奨学金ももらえるの。奨学金っていっても返済義務がないやつ。だから、実質的には援助金みたいな、そんなやつなの。すごく恵まれてると思う。そして、今は授業料の半免。半分免除って感じなんだ。それでもね、公立高校に比べたらずっと高いの。」
そう話を始めだしたローザの言いたいことがはっきりとは見えてこない。それにまだ俺の胸に顔を押し付けていたからしっかりとは聞こえないところもあるし。
「でもさ、お父さん、捕まっちゃったから・・・お金がね。それに、学校としても援助は難しくなるかもしれないって言われてさ。」
それはおかしいだろう。俺はすぐにそう思った。
だってそうだろう?ローザが何をした?頑張ってバレーをやってチームの、学校の勝利に貢献してたんじゃないのか?それなのに、大人っていうのはそういう事を平気で言うのか?
「でさ、こう言われたんだ。『このままではうちの学校に置いておけなくなるかもしれない』って。どうしたらいいの?ねぇ、夕人、私、どうしたら良いの?もう全然わからないよっ。」
私立高校ゆえのことなんだろうか。学校にとってマイナスになりかねないものは火種にならないうちに放り出す。そういう考えなのか?本人には何一つも非がない少女に対してもこういう仕打ちなのか?信じられない・・・
そう思う。
思うけれど・・・どうしたら良いって聞かれても・・・俺にだってわからないよ。何を言ったらいいのかわからないよ。何を言えばいい?なんて声をかけたらいい?
今ここで泣いているローザに何も掛ける言葉が見つからない。いや、はっきりと言えば、『見つからない』んじゃない。『無い』んだ。言える言葉、そのものが。それを知った時、深い絶望感に襲われた。なんて無力なんだ・・・俺は。かける言葉が無いだなんて。
「夕人、私、まだ頑張れるかな・・・」
ローザは俺から少しだけ離れてそう聞いてきた。俯いたままの彼女はどんな表情を浮かべて俺に言葉を求めているんだろう。そう考えると胸が痛くなる。
「頑張れるさ。ローザなら。」
なんてありきたりな言葉なんだろう。絶望の淵に立っている彼女に向かってこんなことしか言えないなんて。情けなくなってくる。
「・・・ごめんね。こんなこと、夕人にしか言えないから。だって、誰にも言えないもん。お母さんだってショックを受けてて・・・それに窓花にだって・・・言えないもん。」
家庭が抱えてしまうことになった大きな問題。中学生の俺にとやかく言えることなんて何もない。ただ、今のローザにとって頼れるのが俺しかいないということだけはよくわかった。
でも・・・俺には何もできない。その無力感だけが俺の胸にどんどん広がっていく。
「もうちょっとだけ、話を聞いてもらってもいい?」
ローザが小さな声で聞いてきた。
「大丈夫だよ。」
本当は大丈夫かどうかわからない。でも、こんな彼女を放って帰れるわけがない。
「ちょっと座って、話、聞いてくれる?聞いてくれるだけでいいの。私が勝手に話すから。ただ、聞いてくれればそれでいいの。おねがい・・・」
きっと、話をするだけでも気持ちが落ち着くんだろう。ようするにそれくらい今の彼女は追い込まれているってことなんだろう。
そう考えた俺は返事の代わりにベンチに腰を下ろし、ローザに隣りに座るように促す。ローザも無言で俺の隣に腰を下ろし、そして、ゆっくりと話し始めた。
「あのさ、お父さんの会社、潰れちゃったんだ。こんなことになったから。それでね、いろいろと大変なんだ。なんかね、借金があるみたいなんだ。どういう理由の借金なのかはよくわからないんだけれどね。金額は凄い大きいんだって。私がアルバイトをしてどうにかなるとか、当然そんな金額じゃないわけ。だから、家を売ることになるんだって。」
家を売る。それはすなわち引っ越すっていうことだ。
それにしてもそんなに大変なことになっているのか?あの出来事のせいで彼女の身辺が激変していく。何がどういう繋がりでこうなっているのか、それだけはわかっていた。
それにしてもローザの家はいわゆるお金持ちっていう感じに見えていた。借金か・・・住んでいる家を売らなければいけないほどの。それは子供の俺にはわからないいろんなことがあるっていうことなんだろうか。
俺はなんとか表情を変えずに聞き続けるのが精一杯だった。
「だからね、引っ越すことになるんだ、私。引っ越すって言ってもすごく遠いってわけじゃないよ?まぁ、そうは言っても札幌市内じゃないんだけれどね。隣の町にね。だから、今の高校にも通えない距離じゃないんだけれどさ。そう思っていたんだけれどね?そこにさっきの学校の話でしょう?だから私、学校辞めることになるかも。だって私立なんて行けないよ。転校とかもできればいいんだけれど、ほら、私ってバレーしかやってこなかったわけじゃない?だからさ、はっきり言ってバカなんだ。普通に受験しても高校なんて行けなかったかも。いや・・・そこまでバカとは思いたくないけれど。でも、バレーを頑張れるところに行けるかどうかもわからないから・・・」
重たい話だ。それもどうしようもなく。そして、俺にはどうしようもできない話だ。さらに言えば、ローザの将来がかかっていると言っても過言じゃない話なんだ。
ローザのバレーボールの腕前はなかなかのものだって聞いている。きっと将来もバレーボールをずっと続けていたいに違いない。確か、ローザもそんな事を言っていた。けれど、それが今、自分のどうにもできないところで強制終了させられそうになっている。納得はできない。できないけれど・・・
「どうしても転校しないといけないの?」
「んー、どうかなぁ・・・校長は私のことを学校に置いてくれようとしてくれてるんだ。でも、理事長っていう人がね。なかなか首を縦に振ってくれないんだってさ。今日はそんな話があって遅くなっちゃった。」
えへっと言って笑ってみせたけれど、彼女が本心から笑える気分じゃないのは俺にだってわかる。
「そんなの・・・酷いじゃないか。」
「・・・でもさ、仕方がないのかなぁって思うのもあるんだ。だってさ、私は学校側から援助してもらっている立場でしょう?入学の時に提出した誓約書にもなんかそんな感じのことが色々書いてあったしさ。よく考えたらだよ?やっぱり私は犯罪者の娘だよ?嫌だよね、そんなのと一緒にいるのなんてさ。あはは。」
そう言ったローザの目からは涙が流れていた。
悔しくて悲しくて、でも自分ではどうしようもなくて。
「バカなこと言うなよ。」
「夕人も・・・そう思ってるんでしょう?」
ローザはドキッとするようなことを聞いてきた。
もちろん、俺はローザのことをそんな目で見たつもりはない。
でも、ローザじゃなく他の人間に対してだったら?
俺はローザ本人のことを知っているからそう思ったんじゃないのか?
そんな嫌な考えまで浮かんできてしまう。
「どうしてそんなことを聞くんだよ?」
少し強い口調で言った俺の言葉に対して答えようともせず、また話し始めた。
「私ね、夕人が相談に来た時、すごく嬉しかったんだ。私のことを頼ってくれてさ。でも、まさか自分の父親が関わってただなんて夢にも思わなくてさ。今にして思えば、なんか変だなぁって思うところはあったんだ。夕人が家に来て話をしたあと、お父さんが急に慌ただしくなってさ。あちこちに電話をしてみたり、なんだか不機嫌なことも多くなったし。それにあんまり家にも帰ってこなくなって。かと思えば急にあんなビデオを手に入れてきたり。警察に届ける証拠品だって言ってたけれど、きっとさ、そういうことに関わってたんだよ、あの人はさ。自分の娘と同い年くらいの女の子を食い物にして生きてきたんだよ。私、そんなことも知らないでさ、そんなことで手に入れたお金で楽しく過ごしてさ。夕人と一緒になって犯人探ししたりしてさ。もう・・・なにやってんだろね。自分が嫌になってくるよ。」
最後の方は泣き声混じりだったからはっきりとは聞き取れなかった。
「ごめん。ローザ・・・俺が巻き込んだから・・・」
「違うよっ、それは違う。夕人は間違ってない。だから、誤っちゃダメだよ。」
ローザは涙でぐちゃぐちゃになった顔で俺の顔を見てそう言った。
俺は、右手でローザの涙をそっと拭うので精一杯だった。
自責の念?
いや、なんだろう。うまく言葉にできない。
確かにローザが言ったように俺のやったことは間違いじゃないと思う。ローザのお父さんが何をしていたのかわからないけれど、悪いことをしていたのならば、それは因果応報というべきなんだ。
でも、スッキリした気持ちになれないのは確かだった。
「でも・・・」
俺の口をローザが手で抑える。
「言わないでっ。夕人は何も悪くないっ。悪いのはお父さんなのっ。」
そう・・・そうなんだろう。いや、そうなんだ。でも、だからといってローザまで責任が及んでくるのは絶対に納得できない。
「夕人は正しいことをしたの。それで救われた子がいっぱいいたはず。でしょ?」
彼女はそう言いながらも俺と目を合わせようとはしない。
「・・・たぶん。」
小さな声で返事をし、小町の顔を思い浮かべていた。
「青葉さん、小町ちゃんだっけ?あの子、元気になった?」
俯いたままはなしているからローザの表情が見えない。
「あぁ、元気になったよ。」
俺はその事実だけを口にした。
「そう・・・夕人が助けてあげたかった子だよね。」
その通りだけれど、何かが引っかかる言い方だなと思った。
「・・・」
「どうして答えないのかなぁ。」
小さい声だったから俺にはしっかりとは聞こえていなかった。
「え?」
俺の聞き返し方が悪かったのか、ローザは少しだけ会話に間をおき、そして、両手で涙をぐいっと拭った。
「・・・たぶんね、私は近いうちに引っ越すと思うんだ。でも、うん。決めた。私、バレーは辞めない。もう一度学校と交渉してみる。もっと頑張るからここにおいて欲しいって。まぁ・・・部活内での私への風当たりは厳しいだろうけれど、でもさ、好きなことをやれるんだったら我慢だって必要だよね。」
我慢。それはたしかに必要だし、大切なことだとは思う。でも、なんで笑ってそんなことが言えるんだよ。凄すぎるよ、ローザ。
「あのさ、俺、こう思うんだ。いや、俺なんかが言えるような立場じゃないんだけれど・・・」
口にしてから後悔してしまう。生意気に何を言おうとしてるんだって。だから、『ごめん。俺が言えるようなことじゃないや。』と続けた。
「ううん、聞きたい。」
ローザは俺の目をまっすぐに見つめて俺の飲み込んだ言葉を聞かせて欲しいと言う。それは何かの答えを求めているというわけではなく、ただ俺の言葉を聞きたい、ということなんだろうとなんとなくだけれどそう感じた。
「あのさ・・・ローザはなんにも悪くない。その、こんな言い方は良くないかもしれないけれど、親は・・・いや兄弟もそうだけれど、最も近い他人っていう言い方を聞いたことあるんだ。でさ?その、えーっと・・・」
「夕人。ゆっくりでいい。聞かせて、夕人の思い。」
ローザは俺の手を軽く握って俺を落ち着かせようとしてくれる。本当にツライのは彼女なのに。俺は・・・ただ安心させてあげることもできないのか?
「ごめん、うまく言えなくて・・・でも、頑張ってみる。」
「うん、私、聞きたい。」
「えーっと・・・そのさ、我慢しなくちゃいけないっていうのはおかしいと思う。いや、我慢するなってことじゃないよ。何かをするために何かを犠牲に、っていう話。前に誰かと話したことがあるんだけれど、等価交換って話さ。何かを成すために何かを我慢するのは必要だと思うんだ。でも、今回に限って言えば違うと思う。周りの人間の方が絶対に間違っている。だから、ローザは今まで通りにやっていけばいいんだって思うんだ。そして、それでもうまくいかなかったなら・・・そこはローザのいるべき場所じゃないんだ。だったら、こっちから他に行ってやる、って言うくらいの気持ちでいいんじゃないかって。そう思ったんだけれど・・・違うのかな・・・」
話しているうちにだんだん自信がなくなってきた。俺はなんてダメな奴なんだろう。
「夕人。やっぱり夕人はスゴイね。さすがに私が好きになった人だよ。なんか変な言い方だけれど、私、キミに出会えて良かったって、本当にそう思う。キミを好きで良かったって思うよ。」
ローザはフゥッと軽く息を吐いてそう言った。
どうしてだろう、俺は不思議な感覚に襲われていた。自分でもなんだかよくわからない不思議な感覚だった。
「ねぇ、夕人。」
「なに?」
「キスして。」
ローザはそう言って俺の目をジッと見ている。
「え?」
「初めてじゃないよね?去年の学校祭の劇。私、見てたから知ってるもん。」
何でそのことを?小町といいローザといい、なんなんだよ、一体・・・小町?どうして俺は小町のことを思い出すんだろう?さっきローザが小町のことを聞いてきたからか?そうだな、きっとそうだ。
「ごめん、ウソだよ。今のはなんか違うと思った。うん、違うね。」
ローザは一人で何かに納得しているみたいだけれど、俺には何のことを言っているかさっぱりわからない。
「どういうこと?」
「なんでもない・・・よっと。」
そう言ってローザは軽快な仕草でベンチから立ち上がった。
「ねっ、もうすぐ学校祭でしょう?卒業生も見に行けるよね?」
ローザが不自然なくらいに急に話を切り替えてきた。そんな様子に少しだけ違和感を覚えたことを覚えている。
「うん・・・大丈夫だよ。」
「うんっ、見に行くからっ。夕人の晴れ舞台をねっ。」
そう言ってローザは今までに無いくらいの満面の笑みを浮かべたけれど、俺は少しだけ引きつった笑みしか浮かべられなかった。
だって、そうだろう?あんな話を聞いておいて、簡単に笑みは浮かべられないさ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ローザの現状を読んでいただきました。
明るい話になるわけがありませんよね。
彼女の置かれた立場は、ある意味でよくあることなのかも知れません。
もちろん程度の違いはあるでしょう。
けれども、自分とは関わりのない事柄で自分の立場が変わっていってしまう。
辛い話です。
本当に。




