再会チョコレート
バレンタイン。チョコ。
それらの単語を耳にするとアイツの顔を思い出す。子供の頃よく遊んでた男子。彼はお母さんの親友の息子で、しょっちゅう私の家に来ていた。小学校では毎年同じクラスだった貝塚里来。
名字の一部を取って皆からカイと呼ばれていたので、私も彼をそう呼んだ。
「俺、バレンタインにチョコ食べないと死んじゃう病なんだよね〜」
カイの口癖だった。
冗談口調と深刻な顔で毎年そんなことを言うので、昔は信じてチョコをあげていた。死なれたら困る。さすがに小学校高学年にもなるとそんなのはウソだと分かり、なかばカイに呆れた。
「凛、チョコちょうだいよ。じゃなきゃホント死ぬからね?」
「はいはい。義理チョコ」
そう言いながら、本当は頑張って手作りしたガトーショコラ。初めてまともにお菓子を作った小学六年のバレンタイン。
「やったー! ありがと! ケーキ屋みたいだな。凛すごい!」
「レシピ見れば誰だって作れるって。おおげさ」
「だって嬉しいもん!」
いつまでも子供みたい。だけど、そんなカイの笑顔を見るのも嬉しかった。作ってよかった。
「そんなにチョコ食べたいなら他の子にもらえばいいのに」
高学年になるとカイはモテた。運動も得意だし、高学年から通い始めた英会話教室で他校の女子に告白されたという噂もある。
何が不満なのか、私のセリフを聞いたカイはムッとした顔で踏ん反り返った。
「凛は分かってないな。チョコ食べないと死んじゃう病には、効くチョコと効かないチョコがあるんだよっ。凛のチョコはちょうどいいから注文してるの!」
「意味分からないっ。私はお菓子屋じゃないし。本気でその病気治したいなら薬剤師とかお医者さんにでも頼んだら?」
「現実的なこと言うのルール違反だぞっ」
「何のルール? って、いつまで続くのこの会話」
ツッコむのも飽き飽きした。ため息もほどほどにカイに背を向ける。
カイ本人の口から聞いたわけじゃないけど、こんな子供みたいな男子に告白した女子に本気で訊きたい。どこが良かったんだろ。まあ、友達としてはいいヤツなんだけどね……。
「俺さーー」
らしくなくしおらしい様子になるカイ。私は彼の言葉を遮った。
「分かってるよ。来年もあげるから。義理チョコ」
「……うん。今年もありがと。大事に食べるから」
「真面目にお礼するとか、らしくない。キモ」
「ヒドっ。年々毒舌がひどくなってる」
「大事に食べるって、変な日本語使うヤツにはこれで充分」
「モノのたとえだろっ。情緒がないな凛は」
「驚き。カイの口からそんな言葉が出るなんて」
「何だと!?」
いつもの悪ふざけ。
生まれては消えるどうでもいい会話。
いつもの私達。
けれど、〝来年〟は訪れなかった。
小学校卒業と同時にカイは遠くの県に引っ越した。お父さんの転勤があったらしい。親友と離れることになって寂しがるお母さんの口から聞いた。
私は後悔した。
ガトーショコラを渡した時、カイはそのことを伝えようとしていたのかもしれない。それを私はいつもの会話だと勝手に判断し一方的に遮ってしまった。
あれがカイとまともに話した最後だった。
小学校卒業前はクラスの文集作りや卒業式の練習などで忙しく、同じクラスとはいえ班の違うカイとはゆっくり話もできなかった。今思えば彼は引っ越しの準備で忙しかったんだろう。いつもみたく私の部屋の扉を軽快にノックしてくることもなかった。
カイと離れてもうすぐ4年になる。
私は高校1年になった。
もうすぐバレンタインデーがやってくる。女子は好きな男子の話題で盛り上がり、男子も男子でもらったチョコの数を競い合うゲーム(?)を計画し興奮気味だ。
休み時間、小学校から一緒のユリが私の席へやって来た。
「ねえ、凛は今年こそ誰かにチョコあげるの?」
「うーん。特に。お父さんにあげるくらい」
「そういうのじゃなくて、好きな男子に!」
カイの顔が浮かんだ。
ん? なぜカイ? あれは義理チョコだ。このシーンで思い出す理由がない。
「いないよ、好きな人なんて。だから一応家族の分だけ用意しとく。おじいちゃんも甘い物好きだし」
「今、カイのこと想像したでしょー?」
鋭い。さすが長年の親友。ユリは私とカイの仲を知ってるので隠しようがなかった。
「それは想像もするよ。アイツ毎年バレンタインになると呪いのごとくチョコほしがってきたしさー。何がチョコ食べないと死んじゃう病だよっ。ホント子供みたい」
「本気でそう思ってる?」
ユリは半分からかい気味に言った。
「今まで何度も言ったし耳タコかもしれないけどさー、カイって絶対凛に気があったよ。じゃなきゃ毎年毎年そんな見え見えなウソ言ってチョコほしがらないって」
「ホント耳タコ。ないない。好きだったら引っ越したって私に会いに来るはずじゃん。だけど今まで全然だし」
「それは凛もでしょ」
「そうだけど、ただの幼なじみにわざわざ会いに行かないって。向こうだって私のこと気楽な男友達くらいに思ってただけだよ」
「男同士でチョコなんか交換しないでしょ、もう。ホントにいいのかなーそれで」
ユリがため息混じりに窓の外を見つめた。
「凛から離れて今頃どうしてるんだろうね、カイは」
「さあ」
ユリの視線を追って窓の方を見やると、はらりはらりと雪が降っていた。
カイの新しい住所はもちろん知ってる。だけど気楽に訪ねられるほど近くじゃないし学校もある。それにこっちから行く理由が見当たらない。
それに、ユリの言う通り本当にカイが私のことを好きならあっちから会いに来てもいいはずだ。私の家はずっと同じ場所にあるんだから。なのに来なかった。それってそういうこと。
「恋とかないよ。私達の間には。ただの友達。以上」
「そうかなー?」
ユリは怪訝な顔。カイの話題になるといつもそうだ。
それは、正直なことを言うと少しは寂しかった。当たり前だ。たくさんいる男子の中で一番仲が良かったし、カイママが私のお母さんに会いに来ない日でもカイは毎日のように家へ来て私を外に連れ出した。
春には桜を見に。夏は水族館や海水浴へ。秋は紅葉の絵を描き、冬は寒空の下でホットチョコレートを飲んだ。
ユリともしょっちゅう遊んでたけど、それと比べものにならないほどカイとは一緒にいた。
カイと会えなくなった時、不思議な感じがした。引っ越しは何かの間違いで、そのうちまたひょっこり会いに来てくれるんじゃないかって。
けれど、そういう日は訪れず、バレンタインデーという行事をもてあまし、こうして感傷的になる始末。
私と同じ、カイだってもう子供じゃなくなってるはずだ。引っ越し先で新しい出会いもあっただろうし、もう高校生。私の知らない女子と恋愛してたっておかしくない。
中学生になってすぐ、念願のスマホを持たせてもらえるようになった。会いに行くのは無理でもメールや電話ならできるかもと期待した。でも、できなかった。
その頃、なぜか恋愛感情だと決めつけられそうで恥ずかしいなと感じ、お母さんに対して素直にカイの情報を訊けなくなってしまったんだ。カイがスマホを持ってるのかどうかも分からずじまい。
数日後、例年通りバレンタインデーは訪れた。
カイと離れて数年、この日はこんなにも無味乾燥だったっけと考える。子供の頃のバレンタインはもっと色鮮やかだった気がする。
ユリは他校の彼氏と約束があると言い、先に学校を出た。彼女の足取りの軽さがなぜかとてもうらやましかった。
一人ぼんやりと昇降口を後にすると、
「1年の凛ちゃんだよねー?」
「はい、そうですけど……」
知らない上級生男子に待ち伏せされていた。ネクタイの色からして3年生? 女の扱いに慣れてそうなチャラい人だった。
「あのさー、俺と付き合ってくれない?」
「はい?」
「今日バレンタインだから、はい。チョコあげる」
「私にですか?」
「モチのロン!」
うわー。こういうノリ苦手ー。ゾワゾワする。
それに、チョコって女子から渡すものなんじゃ……。しかもこれ有名ブランドのチョコ。ガッツリ本命用じゃん。この人これ一人で買いに行ったの?
引き気味な私に気付いているのかいないのか、謎の本命チョコを手にした先輩は私の肩に手を回そうとしてきた。
「前から可愛いと思ってたんだよねー。文化祭の時のメイド喫茶の衣装、可愛かったよー。だから付き合おうよ。退屈させないからさっ」
「ちょっ、何するんですかっ」
寒気フルマックス。先輩の手が肩に触れそうになった時、誰かに強く左腕を引かれた。驚いたけど、おかげで先輩の魔手から逃れられた。
「すいません、ありがとうございますっ」
救ってくれた人を見て、全身の血がワッと沸騰するように熱くなる。
「カイ……?」
記憶の中より成長したけどひと目で分かった。昔よく遊んだカイがそこにいた。この学校の制服ではないけど。
「どうして?」
「来年からここの生徒になるんだ。今日は編入の手続きに来てたんだけど、たまたま凛のこと見つけて。大丈夫?」
「う、うん。とりあえず魔手は退いた」
急な展開に脳処理が追いつかない。
まごまごしている私の目の前で、謎の先輩とカイはバチバチ火花を散らせていた。
「魔手呼ばわりひどくねー? って、それより何だよテメェは。人が真剣に告ってる最中に邪魔してくれちゃって」
「さっきから色々寒いのやめて下さいよ。それに凛には先約があるんで」
改めてカイの声を耳にし不覚にもドキドキした。声変わりしてる。
最後に会った時はまだ声変わりする前の少年ボイスだった。もう高校生だし当然のことなのかもしれないけど、その変化にある意味ショックを受けた。
カイはバカで子供っぽくてバレバレなウソを平気でつくどうしようもないヤツ。そう思ってたのに、先輩の視線から私を隠すように自分の背中をこっちへ向けるカイはとてつもなく大人っぽくて……。
想像を超えて男っぽくなったカイに、うまく声をかけられない。
もう彼女がいるかもしれない昔の男友達にこんな気持ちを抱くなんて間違ってるのに。
寂しいような嬉しいような。驚きと緊張の連続で自分の気持ちがつかめない。
カイは肩越しに私を振り返る。
「ずっと待ってたのに。凛のチョコ。3年間も我慢してひん死状態なんだけど」
「……っ!」
そんな顔するなんてズルい。どうしてそんなねだり方をするの? 昔みたいに子供っぽい言い方は?
カイの瞳はいたずらに揺れ、爽やかな色気が漂う。記憶より背も高くなって、肩幅も広い。胸の奥がキュンとなる。
「は? 先約も何も凛ちゃんは彼氏いないでしょ。そういう情報聞いたから来たんだけど」
先輩は苛立ちをあらわにした。
「その情報間違ってはないでしょうけど今すぐ更新しといて下さい。凛は俺のだから」
「何だよそれっ」
一人ご立腹な先輩を無視し、カイは私の手を取り走り出した。
「ちょっとカイ、どこ行くの?」
「迷惑な先輩から助けてあげたんだから、お礼にチョコちょうだいよ」
「それは別にいいけど、それより訊きたいことがっ」
カイの足は通学路を外れ繁華街へと進んでいく。強く握られた手にカイの体温が伝わってくる。何年ぶりだろう。あたたかくて頼もしくて幸せな感触。
昔もよく手をつないで走ってたのに、その時は感じなかった気持ちがどんどん生まれてくる。ううん、これはもともと知ってた感情。言葉にする方法を知らなかっただけだ。
されるがままカイに従った。
有名ショコラティエの店のチョコはすでに売り切れていたので、コンビニの余り物しか買えなかった。
「こんなのしか買えなくてごめん。でも急だったし」
「何でもいいよ。凛がくれるなら」
大量生産だと分かるチョコ。近場の公園のベンチに並んで腰を下ろすと、カイはさっそく包みを開け満足げにそれを口にした。
日も暮れ、常夜灯の白と木々の緑だけが私達の視界を満たす。時々ランニングや犬の散歩をする人が通りすぎていった。
「どうしてこっちの高校に編入してきたの?」
「最初は父さんに猛反対されたけどねばった。最終的に、1年間今の学校で頑張ったらこっちの高校に編入していいって言ってくれて。来年から一人暮らしする予定。凛に会いたかった。ずっと」
カイの指先がそっと私の頬をかすめる。冬の空気にさらされ冷たい指先。甘くてほろ苦いチョコレートの匂いがした。
「昔言ってたこと訂正する」
「え?」
「チョコ食べないと死ぬってやつ。凛のチョコ食べないと死ぬが正解」
それって、私を好きだという意味?
「だったらどうして一度も会いに来なかったの?」
「行きたかったよ。でも行けるわけないだろ。気持ち悪がられたくなかったし……。それに、好きな子から毎年毎年義理ってハッキリ言われながらバレンタインチョコもらう思春期男子の気持ちなんて絶対凛には分からないだろ」
分かってた。遠い場所から時間をかけて会いに来てほしかったのは私の方だった。引っ越し先まで訪ねていってカイに嫌な顔をされるのがこわかった。そんな気持ちを、ユリには全て見透かされていたんだ。
「分かってたよ」
「なら、もっと分かってよ。凛のことも教えてほしい」
鼓動が速くなる。
カイの唇が柔らかく頬に触れ、冷たい肌に熱が広がる。さっきより強くチョコの香りがした。
《完》