前章 そうまとう編 第1話
「いい加減に起きなさい!」
突然の怒鳴り声。
それに追い打ちをかけるようにして、頬に鋭い痛みが走った。
「えっ……なに……」
ヒリヒリとする痛みに頬を押さえながら、僕は目を開ける。
そこは暗闇だった。
趣の欠片もない表現だと自分でも思う。
しかし、そう表現するしかないだろう。
家も木も、光も何もない場所。
ただ永遠と果てしなく続いている闇。
それだけが目に見えるもの、全てを支配しているのだ。
そのせいで自分の足はおろか、手でさえもどこにあるのか正確な位置を把握することが出来ない。
平衡感覚が狂っているせいなのか、上手く立ち上がることもままならない状態だ。
しかし そんな状態であるにもかかわらず、目の前にいる人物。
――おそらく、僕の頬に張り手を喰らわした人物だろう。
その人物のことだけは分かる、と言うより視える。
まるで黒の画用紙を、一部分だけ切り抜いた様に、その娘の姿だけははっきりと認識することが出来た。
薄い紫色の髪をした綺麗な少女だった。
真っ白で動きやすそうなドレスを身に纏い、髪には白い花冠をつけている。
サ〇リお嬢様を幼くしたと言えば、ピッタリと当てはまるかもしれない。
デフォルトで「おだまり!!」とか言いそうな高貴さを、その風体から感じ取ることができる。
幼いながらもその顔立ちは美しく、ある種の神聖さも感じる程だ。
僕のロリコンな友人Aが見たら発狂して喜びそうだ。
なにしろロりの超絶美少女だ。
喜びのあまり拝んでしまいそうだ。
もっとも僕はこんな幼児体系の子供に微塵も興味が湧かないけど。
それに――
「……ってぇ」
――それに、これがスタイル抜群の超絶美人だったとしても、見ず知らずの人間をいきなり殴るやつなんて、いろんな意味で論外だ。
というか今、初めて気付いたけど殴られて口内が切れている。
どんだけ強く殴ってんだよ。
なんかムカついてきた。
「……口の中切れてるんだけど」
とりあえずクレーム代わりに、軽いジャブを放ってみた。
平たく言えば謝罪を要求しているのだ。
相手に反省させるよう促す。
これで、謝れば許してあげよう。
僕は寛大なのだ。
「ああ、痛かった?それくらいしないと起きそうに無かったからね。むしろ起こしてもらえたことを感謝しなさい」
――女を、しかも子供を殴りたいと思ったのは初めてだった。
会ったこともない初対面の人間をいきなり引っ叩き、あまつさえ自分はちっとも悪くないというような傍若無人なこの態度。
真面な思考回路をしているとは思えない。
いったいどんな教育を受けて育ったのだろうか?
疑問に思うことは、山の様にある。
ここはどこなのか。
僕はどうして寝ていたのか。
どうしてこんなところにいるのか。
この子は誰なのか。
いろいろな疑問文が頭の中を徘徊している。
しかし、いくら考えても答えは出なかった。
目が覚めたらそこは暗闇でしたって、一体どんな神隠しだ。
そういうアニメでも、もうちょっと段階を踏んでいくぞ。
つまり目の前にあることから対処していく他、無いということだ
そう結論付け、僕は仁王立ちしている暴力的女の子を見上げる。
情報を持っていそうなのが、目の前にいるちびっ子だけなのだから仕方がない。
藁にも縋るとは、このことだ。
どうにかしてこの子から情報を得なけらばなるまい。
そんな風に冷静でいられる自分に対して、正直驚いている。
普段の自分ならば、もっと取り乱しているはずだ。
計画的に物事を進めることは得意としているが、予想外の事態になると取り乱してしまう。
それが僕、坂本希一の長所と短所だ。
しかし、その『予想外の事態』というものがうまく把握できないと話は変わってくる。
先程からこの状況を作ってしまった原因を思い出そうと頑張っているが、喉元まで出てきそうなあたりでブロックがかかってしまう。
だから困ろうにも困りようがないのだ。
原因がわからなければ、結果に対して感情も動かない。
映画とか小説でも、途中経過を省いて起承転結の結だけを観たところで、感動も笑いも全然湧き上がって来ないだろう?
それと同じだ。
つまりだ、この事態を僕は危機と思えないのだろう。
なんか大変なことが起こってるな……けど、まあ何とかなるだろう。
その程度の認識で、この状況を楽観的に捉えているのだ。
閑話休題。
色々と脱線してしまっている気がするのでとっとと本題に入ろう。
考えるべきことは、この女の子に対してどうやってイニシアチブを得るかだ。
見た目は小学校の高学年程度。
基本的に生意気な年頃だ。
威厳を見せなければ、舐められる一方だろう。
舐められてはならぬのだ。
んっ、普通に会話すればいいのにって?
情報を得ることが先決じゃないかって?
それじゃあ殴られたことを有耶無耶にしてしまうではないか。
たかが小学生の張り手と侮るなかれ。
本当に痛かったのだ。
かろうじて泣いてはいない。
――こほん。
それでは僕が高校生としての面目を保つ為に行うこと。
それは、上下関係を明確にすることだ。
故に説得力のある攻め方が望ましい。
このような子供にはどんな攻め方が効果があるのかを考えよう。
とりあえずぱっと頭に浮かんだのを挙げてみよう。
「最近のクソガキは礼儀ってもんがなってない」
「親の顔が見てみたい」
「お尻ペンペン」
この三つだな。
よし、どれにしようか。
ーーどれも駄目だなこれ。
礼儀云々は、言ったら言ったで倍にして返されそうだ。
親を引き合いに出すのも、何となく良くない気がする。今日日の高校生が言ったところで説得力に欠けるだろう。
尻叩きは――正直やってみたい気もするが――変態の烙印を押された後、黒と白のパンダカーが赤いサイレンを鳴らしてやって来てしまう。
――とりあえず深呼吸だ。
スーハー、スーハー、ヒッヒッフー。
――よしっ、冷静になった。
攻め方を変えよう。
ここは、殴られたことを怒るよりも、冷静に大人の余裕を見せてやろう。
やりますともさ。
その方が効果がありそうだしな。
「――君はだれだい?」
努めて穏やかに言った。
満面の笑みで。
まるで仏にでもなったかの様に。
おそらく今この時、僕の額では白毫が光り輝いていることだろう。
すると彼女はへぇと意外そうな反応を示した。
「案外冷静なのね。もっと泣き喚くかと思っていたけど」
「泣く?
何で僕が泣かないといけないんだい?」
もしかして真っ暗闇だからか?
それとも張られた頬が痛いからか?
おいおい、心外だな。
君と違って、子供じゃないぞ、僕は。
もう十六歳だぞ。シックスティーンだぞ。
彼女は考えこんだ。
形の良い顎に手を当てる。
推理する時のポーズだ。
ちびっこ探偵みたいだ。
あ、謎は解けたらしい。
ひらめきの顔が見えた。
「記憶が混濁しているのね。道理で反応が鈍いはずだわ」
記憶が混濁。
頭がブロックされている件だろうか?
うんうんと彼女は一人で納得し、ふわりと距離を詰めてきた。
端正な顔が近づいてきて、不覚にも一瞬ドキッとする。
しかし、次にその口から出てきた言葉は僕の血を一瞬で引かせた。
「あんた死んだのよ」
「――えっ?」
初めは彼女が何を言ってるのか、さっぱり分からなかった。
とりあえずリフレイン開始。
アンタシンダノヨ。
アンたしんだのヨ。
あんたしんだのよ。
――――あんた死んだのよっ!?
その一言の意味を咀嚼し、理解出来たのは数時間経過してからだった。
実際には数秒だったはずだが、体感時間はその何倍もあった。
「ぼ、僕が死んだ?」
彼女はコクンと頷く。
曇りが全くない瞳だった。
「は、はは。面白いマイケルだね」
「……ジョーダンでしょ?
何よ、その古臭いギャグ」
おっと思わず気が動転してしまった。
普段なら絶対言わない様なことを。
……いや待てよ。
分かったぞ!
ギャグ。
これはギャグだ。
彼女はおそらく、今世紀最大のギャグを放つことのできる相手を探していたのだ。
それに確か今日は、三月二十三日。
四月一日まであと一週間ちょいだ。
嘘をつく相手を探していたとしても、別に不思議はない。
だとしたらこの暗闇。
音の反響があまりしないから、そこそこ広い場所だ。
おそらくカーテンか何かで締め切っているのだろう。
陽の光が全く差し込まないのも、今が夜だからだ。
僕が住んでる街に、そのような広い密閉された場所などそんなに無い。
しかも子供が用意できる場所となれば、かなり絞られてくる。
多分……学校の体育館とかだろうな。
何故彼女がそんな暴挙に出たのかは知る由もないが。
わざわざ嘘をつくためだけに見ず知らずの相手をそんな場所に連れてくる理由など、知る訳もない。
――いや、ひょっとしてこの子友達がいないのか。
それでいて親も帰ってくるのが遅く、いつも家に一人。
ご飯はインスタントのカップ麺。
おやすみなさいもおはようもただいまもおかえりも言うことが出来ない。
彼女は健気にも、親に迷惑をかけまいとして文句ひとついうこともなく、日々を過ごしていた。
しかしそんな彼女も寂しさを押しとどめておくことに限界を感じ、こんなことをしでかしてしまった。
――これだ、これに違いない。
生意気なことを言っていても、中身は年相応の女の子。
何だか、この少女が突然可愛らしく思えてきた。
「何を考えているのか知らないけど、的外れなことだけは確かね」
またまた~、強がっちゃって。
よしっ。
ならばここは彼女が一生懸命考えたであろう、この嘘に乗ってやることとしよう。
それが年長者としての、お兄さんとしてのせめてもの贈り物だ。
行くぞ!
今から俺はエンターテイナーだ!!
「ぼ、僕が死んだって!?
一体何があったんだよ」
我ながら今のは中々の演技だった。
主演男優賞ものだろう。
赤い絨毯が見えるぜ!
さてこの子は次にどの様な反応を示してくれるのか。
きっとそろそろ寂しさの限界を感じて、夢見がちな嘘を――。
「死因は刃物で胸をひと突き、出血多量によるショック死って所かしら」
――えらくリアルな死に方でござった。
その上、結構残酷だった。
あれっ、ちょっと待って。
予想してたのと違うんだけど。
もっと、なんかこう、ファンシーなものを想像してたのだけれど。
そろそろ化けの皮が剥がれて、微笑ましいものが来ると思ってたんだけど。
『裸の天使が、貴方を迎えに来たの』とか
この気持ちは何だろう。
ヘナチョコストレートパンチが来ると油断していたら、強烈なフックを喰らったボクサーみたいな気持ちか。
いや、大丈夫だ。
落ち着け、まだ許容範囲だ。
これから軌道修正を図ろう。
「出血多量なんて言葉、よく知ってたねー。
どこで覚えたのかな?」
さぁ、小学生として真面な返答をよこせ。
『先生に教えてもらったのー』や『アニメで見たのー』などそんな感じの、純真無垢な模範解答を寄越すのだ。
頼むからそう答えてくれ!
「別に、珍しいことじゃないわよ?
酷い奴は内臓や腸が飛び出したり、全身バラバラにされるなんてケースに比べれば、出血多量なんて、吐いて捨てるぐらいあるわね」
アッパーを喰らった!
ボディを警戒していたら必殺のアッパーカットが顎に直撃した。
もう無理だ、KO負けだ。
タンカを持ってきてくれ。
「どうしたの?さっきからキモイわよ」
とうとうキモイと言われてしまった。
立ち直れないかもしれない。
「……頼むから、もう少し夢のある事言おうよ。そんなんじゃ友達も出来ないよ?」
ただの懇願になってしまった。
情けなさここに極まる。
昨今の小学生は心に闇を抱えていると聴いたことがあるが、あれは本当だったらしい。
「あんた、夢だと思ってるの?」
「なにが?」
「死んだこと」
ちょっとしつこいな。
この子はどうしても僕に死んでいてほしい様だ。
これでは駄目だ。
やはり、しつけは必要だ。
ほかの誰でもない、僕がやれなければ。
「あのね、お嬢ちゃん。ちょっと真面目な話するけどね」
「スミレよ、お嬢ちゃんなんて馬鹿にした呼び方しないで」
「あ、ああ。ごめんね」
スミレか、ぴったりだな。
僕は彼女の髪の色をを見てそう思った。
多分カツラだろうけど。
「僕は坂本希一って言うんだ」
「あんたの名前なんかどうだっていいわ。
それで真面目になにを話したいの?」
ーーああ、もういいや。
いちいち腹を立ててたら話が進まない。
「あのね。いくらエイプリルフールが近いからってね、ついていい嘘と悪い嘘があるんだよ」
そもそも日にちが近いからって、前倒しをしていい訳がない。
今気づいたわ。
「……エイプリルフール?」
「そうだよ、それが近いから嘘をつく練習をしてたんでしょ?」
お互いの間に深い沈黙が流れた。
「……はぁぁぁぁぁぁ」
長いため息が、スミレの口から出てきた。
彼女はしゃがみ込む。
長い髪が、前に垂れた。
「何でこんな鈍い奴が”適合者”なの?
世も末じゃないのよ」
何かブツブツ言っている。
僕に対する不満とか文句であるのは違いないと思うけど、聞き取れない。
どうした、何があった。
そう聞こうと思った。
しかしその言葉が喉を通っている時に、彼女が予想外の行動に出たため、口から出ることはなく無かった。
「うえっ⁉︎」
代わりに不意打ちで背中に氷を入れられた時の様な、引きつった声が出た。
「なんて声出してんのよ」
彼女は、白く小さな手を僕の額に伸ばしてきた。ヒンヤリした手で、体がビクッとなる。
「もうマジで面倒くさいから、ちょっと手荒な方法でいくわよ」
彼女は一つ息を吸い込み、口を動かす。
「天の導きに従い、彼の者を泉の底へ誘え。覚醒っ!」
静まり帰った。
僕があっけに取られ、彼女も黙ったままだ。
――マジですか?
ただの寂しがり屋だと思っていたら、余計な属性までついていらっしゃっるではないか。
彼女は厨二病だ。
間違いない。
それも末期の。
中学の時にもこんな痛々しい言動で、進んで悪目立ちしていた奴が、クラスに一人はいた。
彼女も、そのお仲間だったという訳だ。
そりゃ真剣にも見えるってもんだ。
厨二患者は、いたって真剣なのだから。
分かったよ。
こうなったら今日はとことん彼女の遊びに付きあってやる。
何しろ俺はエンターテイナー!
とりあえず、ここは目に手を当て、ラ○ュタ王の台詞でも言っておこうかしら。
困った時のム○カ大佐だ。
僕は、両手を目に持っていきーー。
「……!?}
そのまま頭を抑えた。
「ぐ、ぎゃあああああああああああ」
何だこれ、何だこれ、何だこれ⁉︎
頭に強烈な痛みが襲ってきた。
万力で締め上げられてるみたいだ。
それだけではなく身体の方も熱くなってきた
インフルエンザにかかった時の感覚に似ている。
しかし、それの数倍は熱いし痛い。
死ぬ!
冗談抜きでそう思った。
「あんたの今日一日の記憶を思い出させてあげる、自分の目で何があったか確かめてきなさい」
「なに……いっ……て」
そんなことより助けて。
やばいマジで死ぬ。
ほら、痛みのあまり何か幻覚が見え始めてきた。
これが走馬燈だろうか。
その瞬間、痛みは消え、同時に目の前が真っ白になった。