1.買われるまで
『さあ、お次の商品はこちら!!狐族の少女で十五歳!幼さの抜けない顔立ちは可愛らしく、黄金色の耳と尻尾は最高の手触りで、いくら触っても飽きさせない!』
遠くから、そんな声が聞こえてくる。
そして上がる大きな歓声。
あちらはずいぶんと盛り上がっているようだ。
……こちらとは大違いだよ。
首をめぐらせて周囲を見る。首輪につけられた鎖が音を立てた。ジャラジャラという、金属のこすれる音。
その音が鳴るたびに、私に首輪の存在を意識させる。
首輪、それは奴隷の証だ。
私は今、奴隷になっている。
ここは奴隷の保管庫。表でやっている、奴隷オークションの商品を保管する場所であり、全ての人としての権利を奪われ、物として扱われる少女たちの置き場所だ。
周囲にも、首輪と鎖をつけられた沢山の少女がいる。
皆、生気のない抜け殻のような顔をしていた。
無理もない。だって、奴隷なんて物なのだ。人権なんてあるわけもなく、酷い人に買われたら、一ヵ月後に生きているかどうかすらわからない。
そんな状況で生気のある顔なんて出来るはずがない。
……きっと、私も似たような顔をしているんだろうな。
どうして、こんなことになったんだろう。
……なんて、考えるまでもないか。
売られたからだ。誰よりも信じていた、母親のようにすら思っていた人に売られたからこそ、私はここにいる。
「次だ、出ろ」
部屋の反対からそんな声が聞こえてきた。兎族の少女が檻から出されている。
順番からすると、私のところまで来るのはずいぶん後になりそうだ。
そう思うと、まぶたが重くなっていくのを感じた。考えてみたら、一昨日から一睡もしていない。眠くなるのも自然だと思う。
私は眠りに落ちていった。
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覚えている一番古い記憶は、私が僕であったときのものだ。
私には、前世の記憶がある。
頭がおかしいのかと言われるかもしれないが、事実なのだから仕方がない。
前世の私、僕は日本という、異世界にある国で生きていた男だった。
日本では、どこにでもいる普通の男であったように思う。
普通の容姿で、普通の運動神経を持ち、普通の大学に通っていた。
唯一つ普通でなかったのは家族関係だろうか。僕の親は二人とも子供にあまり興味のない人たちで、仕事ばかりしていた。会話も事務的なものばかりで親子の会話など、ほとんど無かったように思う。
まあ、そこまで珍しくも無い話だ。ただ、普通ではないというだけで。
そんな環境で、僕は少しの寂しさを抱えながらも、日々を送っていた。大学の授業を受け、その後はバイトをして小遣い稼ぎをしたり、友達と飲みに行ったり。そんな普通の日々だ。
……あの日までは。
あの日、あの時、僕はバイトからの帰り道だった。
もう夜遅くで、早く家に帰ろうと、道を小走りで進んでいたことを覚えている。
それは突然だった。突然、空が赤く染まった。
驚いて振り向き、空を見ると、そこには大きな岩。
その岩はこちらに近づいてきているように見えた。
どんどん視界の中で大きくなっていき、岩以外のものが見えなくなっていく。
ようやく僕の頭に「隕石」の文字が浮かんだとき、僕の意識は途切れた。
そして、目が覚めると、女の人に抱きかかえられていた。
驚いて暴れたら、上手く体が動かなくて混乱した。
思わず手を見ると、記憶にあるそれより、ずいぶん小さな手。
僕は転生していた。
それから、新しい生活が始まった。
まあ、僕は赤ん坊なので食っては寝る、という日々だったけれど。赤ん坊の体は不自由で、ずいぶんもどかしく、退屈な思いをしたのを覚えている。
……いや、それは最初だけだったか。
あれは、僕の首が据わった頃のことだった。
突然、ドアがすさまじい音を立てて開き、何人もの子供が部屋に流れ込んできたのだ。そして僕が寝ていたベッドを囲み、騒ぎ出した。
突然の出来事に、目を白黒させる僕の頬をつつく子供たち。訳がわからず、混乱していると、いつも世話してくれていた女の人が部屋に入ってきて、子供たちを叱りつけた。
あっという間にたくさんいた子供たちが部屋からいなくなった。後に残ったのは腰に手を当ててため息をつく女の人。
……きっとあの時、僕の目は点になっていただろうと思う。
その日からだ、子供たちが僕の部屋に子供たちが来るようになったのは。それまでは静かな部屋に一人だったのに、ずいぶんと賑やかになって、退屈を感じる暇なんてなくなった。
彼らの相手をするのはとても大変で、……でも、そこまで悪い気はしなかった。
そんなある日のことだ。僕はあることに気付いた。
そもそもの話だが、僕が生きているこの国は日本ではない。部屋のつくりが明らかに日本のものではないし、女の人も子供たちも様々な色の髪をしていた。
なので、もちろん言葉も違う。彼らが話している言葉は僕がそれまでに一度も聞いたことのない言葉だった。
そんな状況で、僕は何とか彼らの言葉を覚えようとしていた。未知の言語の習得なんて、大変なんてものじゃないと思ったけれど、幸い、赤ん坊の頭は優秀だったようで、少しづつ理解できるようになっていった。子供たちが四六時中話しかけてくるのも良かったのかもしれない。
そんな日々の中、あれは、簡単な単語が理解できるようになった頃のことだ。
僕は彼らが自分を呼ぶときの単語がおかしいことに気付いた。最初は、貴方などの二人称を表す言葉か、赤ちゃんを表す言葉だと思っていた。
だが、これまで覚えたことから考えると、どうやら違うように思ったのだ。それらを表す単語は別にある。
と、なると、彼らが僕を呼ぶときに使う単語は、僕の名前だと思うのが自然だ。
しかし、それもまたおかしいと思っていた。だって、彼らが僕を呼ぶときに使う単語は……女性の名前のようだったのだから。
その疑問の答えがわかったのは、疑問を覚えてから数日後のことだった。
結論から言うと、何もおかしくなかった。おかしかったのは僕の認識の方だった。
あれは体を拭いてもらっていた時の事だ。
ふと、それまでに無いほど体を曲げて股間を見ると、何もついてなかった。小さくてわからないのでも、おなかが邪魔で見えないのでもなく、本当に何もついてなかった。
僕は、女になってしまっていた。
それから丸一日の記憶はほとんどない。どうやらほとんど気を失っていたような状態だったらしい。
あのときの衝撃は、とても言葉で言い表せる物ではなかったように思う。足元が根本から崩れ去ってしまった気さえした。
それほどの衝撃から僕が立ち直れたのは、一日後、我を取り戻した僕の眼に映った光景のおかげだった。僕のベッドの周りに女の人と、子供たちが沢山いて、僕を心配そうに見たり、必死で声をかけたりしていた。
そして驚いた僕が反応を返すとそれまでの心配そうな顔が一転して満面の笑みに変わったのだ。一斉に歓声があがった。
ずいぶんと心配させてしまっていたことを知った。無理もない、体を拭いている途中、突然赤ん坊が大声を上げたかと思うと、気を失ったのだ。悪い病気を心配するだろう。
次から次へと僕を覗き込んで良かったね、と声をかける彼ら。涙目になっていた子供さえいた。
そんな彼らを見ていると、あの、世界の終わりかとさえ思った衝撃が別の感情に塗りつぶされていくのを感じた。
その夜、皆が寝静まった頃、僕は現実を受け入れる事を決めた。
彼らを心配させるのは嫌だったから。
僕は、私になる事を決めた。
その後、私は順調に成長していった。
現実を受け入れても、女の子としてやっていけるか、という事や、ちゃんと子供たちに混ざれるか、不安だったが、案外何とかなった。三歳になる頃には、私も立派に子供たちの一員になっていた。
その過程で知った事がいくつもある。赤ん坊の頃私の面倒を見てくれていた女の人の名前がリサであること、皆がリサの事を先生と呼んでいること、私が籠に入れられて門の前に置かれていた事、……そしてその場所が孤児院である事だ。
どうやら生まれ変わっても、私は生みの親に愛されなかったらしい。
でも、前世とは違い、寂しさは感じなかった。感じる必要は、なかった。
それに、孤児院での生活は悪いものではなかった。
確かに食事は貧そうだったが、職員の人たち、特に赤ん坊の時から世話をしてくれていたリサ先生はとても優しくしてくれたし、周りには沢山の兄弟がいて、退屈なんて全くしなかった。
これで女になってさえなければ、とよく思ったものだ。
そんな私にある転機が訪れたのは七歳のときだ。
リサ先生が一つの水晶を持ってきた。そして言ったのだ。これで魔法の適正を見る、と。
あれは本当に驚いた。前世でこの国、オーランド王国の名前は聞いたことすらなかったし、獣人などの異種族の存在すること、そして、貴族や奴隷といった身分制度もあることから、異世界だろうとは思っていた。
しかし、まさか魔法なんてものが本当にあるなんて。
そして検査が始まった。
結論を言うと、私には白魔法の適正があった。しかも魔法を使うための力、魔力の保有量も多いらしい。
リサ先生も凄く驚いていた。魔法、それも白魔法の適性を持っている人は少ないし、魔力量が多い人はさらに少ないらしい。
この孤児院にも魔法の資質を持っている人はいるが、魔力量が少なく、大したことはできないようだ。道理で使っているところを見たことがないはずだと思った。
その日から私の日課に魔法の練習が加わった。
教師役はリサ先生が買ってきた教科書だ。本なんて高いのではないかと思ったが、普通に印刷技術があるのでそうでもないらしかった。
毎日毎日、魔法の練習をした。魔法が使えるようになるのが嬉しかったのもあるし、何より、魔法の使い手は高給取りらしいからだ。将来たくさん稼いで、孤児院に恩を返そうと思っていた。
私はあの孤児院やリサ先生、そして兄弟たちが好きだった。
……好きだったのに。
そして五年の月日が経った。私は十二歳になっていた。
自分で言うのもなんだが、ずいぶんとかわいらしい容姿に育ったと思う。
魔法は随分上手くなった。もう教科書に載っている魔法は全て使うことが出来る。
男との恋愛はまだ抵抗があるけど、女性としての自覚も大分出来てきた。
順調だったと思う。
早朝、兄弟たちと孤児院の仕事をし、その後まだ幼い兄弟の世話をする。午後は魔法の練習をし、夜は魔法の明かりで勉強していた。そんな毎日だ。
私は、これからもこんな風に忙しく、大変だけど、それでも幸せな日々が続くと思っていた。
そして、孤児院を卒業する十五歳になったら、魔法使いとして大成して孤児院に恩を返そう、と。
そう、思っていた。
それが全て崩れ去ったのは今から三日前だ。
リサ先生に行くところがあるから明日付き合ってくれといわれた。
私はそれを快諾した。
次の日、孤児院の前に馬車がやってきた。
ずいぶんいい馬車に見えて驚いた。間違いなのではないかと聞くとリサ先生はやさしい顔で大丈夫よ、といった。
私はそれに乗って運ばれた。
しばらく馬車に揺られ、馬車は随分と大きな建物に吸い込まれていった。
この時、私は漠然とした嫌な予感を覚えていた。
すぐにでも馬車から飛び降りて逃げ出したかった。
でも、隣にリサ先生がいたから、大丈夫だと自分を無理やり納得させていた。
馬車から降ろされ、薄暗い倉庫のようなところに通された。
明かりが点けられる。
そこには壁一面の檻と鎖があった。
突然の状況に呆然としていると、私の首元から金具のはまる音。
首に手をやると首輪がはまっていた。
訳がわからず、リサ先生のほうを見ると、男からジャラジャラと音を立てる袋を受け取っていた。ご利用ありがとうございます、と男が言う。
私は、売られたのだと気付いた。
でも、信じたくなくて、必死に先生と呼ぶ私を背に倉庫から出て行くリサ先生。
先生は一度も振り返らなかった。
呆然としている間に、私は鎖で檻につながれていた。
夢だと思いたかった。でも倉庫に一つだけある窓から入ってくる光がなくなって、また光が入ってきて、そしてその光もなくなった時、私はこれが夢でないことを理解した。してしまった。
私の心が折れる音が聞こえた気がした。
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目が覚める。
どうやら昔の夢を見ていたようだ。
違和感を感じ、頬に手をやると、涙が手につく。
まだ、流れる涙があったらしい。この二日で枯れ果てたと思っていたのだけど。
どれぐらい眠っていたのだろうか。
周囲を見るとあれだけたくさんいた奴隷がほとんどいなくなっていた。
随分長い時間眠っていたようだ。
残っているのは私を含めて二人しかいない。
もうすぐ、か。
みると、隣の人はずいぶん参っているようだ。
さっきからぶつぶつ呟いたり、壊れたような笑い声を上げている。
どうやら、美しい貴族に見初められて、奴隷から奥方になるシンデレラストーリーを夢見ているようだ。
そういえば、この世界にはそんな御伽噺があった。
奴隷の少女と貴族の少年の恋物語。これぞ御伽噺、といった夢物語だった。孤児院で小さい子達によく読んで読んでとねだられたものだ。
そんなことを考えていると隣の人も連れて行かれた。残るは私だけだ。
白魔法を使える私は、今回のオークションの目玉らしいので一番最後らしい。
白魔法の希少さがよくわかる。私はさぞかし高く売れたのだろうな。
……もう怒りすらわいてこない。
ただただ、疲れた。何もする気が起きない。
そのまま、しばらく呆けていると、足音が聞こえた。だんだん近づいてきて、私の檻の前で立ち止まる。
「順番だ。出ろ」
ついに私の番が来た。