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CuriosiTy

 夜の城下町――。


「――先生! しっかり歩いてくださいよ……」

「……大丈夫よ〜、私、歩くの得意〜!」


 僕の肩に腕を回し、完全にこちらに体重を預けた状態で、先生はそう言った。というか、叫んだ。まるで僕が10メートルも向こうにいるかのように。

 実際には僕の耳は先生の口からすぐのところに位置しているため、その大声は僕の聴覚に必要以上の衝撃と、驚きを与えた。


「うわっ……叫ばないでくださいよ先生。夜中なんですから……」

「大丈夫よ〜」


 全く大丈夫ではない。

 変わらぬ声量で言う先生に辟易しながら、彼女の体を支えて歩く。先生はまた転びそうになった。体勢を崩され、二人してよろめくのも、これで何度目かもわからない。


「しっかり歩いてくださいってば……もう」

 悪態をつきながら、夜の街を歩いて行く。家までの道のりがいつもより遠い。いつもならとっくに家についている距離だというのに。

 そもそも先生と僕は、こんなに夜遅くに出歩くことが殆ど無い。だいたい午後の用事が終わったら、日が落ちる前に家で夕食を取り、あとは先生は研究に勤しむか、家でくつろいでいるかのどちらかだ。


 今日は先生の所属する魔導院の職員や教員、研究員を集めた、大々的な宴会があった。魔導院のトップであった偉い先生が引退するとかで、その送別会だそうだ。

 僕はその先生とも面識がないし、今日の宴会にも参加していない。会場である市内の大きなレストランに先生を送り届け、それから宴会が終わる頃を見計らって彼女を迎えに来ただけだ。

 夕食の用意も片付けも必要なく、今日はいつもより楽だな、などと思っていた矢先、待ち構えていたのがこれだ。


 先生は酒に弱い。以前はたしか、異郷の珍しいお酒を一口味見しただけで、酔っ払って寝てしまったことがあった。

「だからあれほど、飲んじゃダメですよって言ったじゃないですか……」

 呟くように言っても、先生から返事はない。聞こえていないのか、それとも寝てしまったのか。どっちでもいいが、とにかく明日にでももう一度注意しておいたほうがいいだろう。こんなことが何度もあってはたまらない。


 先生を引きずるようにしながら、ようやく市街地を抜ける。夜だけあって人気はそもそもなかったが、こうして建物もそこから漏れる明かりもなくなってくると、やはり物寂しい感じだ。

 不意に、先生が唸るような声を上げた。


「大丈夫ですか。あと少しですから、頑張ってくださいね」

「うーん……」

 それから先生は、モゴモゴと何かを言った。顔がこんなに近くにあっても、なんといったのかはっきりは聞き取れなかったが、どうにも、先生、と聞こえたような気がした。


 先生の、先生。


 一度だけ話を聞いたことがある。僕が先生のもとに来て、すぐの頃だ。

 先生がまだ幼い頃に彼女の才能を見抜き、自分のところに引き取って教育したらしい。その人もまた魔導院きっての天才と呼ばれ、数多くの新魔法を発見したと聞いている。

 その話をしてくれた時、先生は、今から思えば珍しいことに、家でちびちびと酒を飲んでいた。来客に振る舞うために備えてある上等な酒を、大量の水で割ったうえで。


「先生はね、かっこいい人だったのよ」

 先生は言った。手の中に、その日届いたばかりの手紙を握りしめながら。


「なんでも出来たわ。私が手伝うことなんか、一度だってなかった。私はただ、横で見てるだけだった。いつもいつも、私にはわからない難しいことばかりやっていたわ」

 先生は自嘲気味に笑った。その頃の私は、まだなんにもできなかったから、と。


「先生は、いつも私に、やりたいことをやらせてくれた。魔法の研究において一番大事なことはなにか、知っている、タカ?」

 ちょうどグラスに水を注いできた僕に、先生は問いかけた。僕はまだ、何もわからなかったので、首を横に振った。


「ある日先生がね、私に同じことを問いかけたの」

 先生は、水ではなく薄い酒のほうを飲みながら、そう続けた。

「あの時は確か、先生に頼んで、初めて魔法の本を貸してもらった時だったわ。入門用のにしとけばいいのに、私ったら、先生が読み終えたばかりの本を借りたの」

 最後に残った一口を、先生は飲み干した。


「何にもわからなくてね。でも、なんとかして知りたいと思ったの。それで2日くらい、うんうん唸って読んだのだけど、先生が様子を見に来た時は、疲れて寝てたわ」

 そう言って先生は笑った。僕は黙って話を聞きながら、テーブルから開いたグラスを下げた。


「先生は私に、新品の入門書を渡してくれたわ。そして頭を撫でて、私におなじ質問をした。私がわからないと答えると、彼はこう言ったの――」

 僕が戻ってきた時、先生はテーブルに突っ伏して寝ていた。だから僕は、彼女がなんて言われたのか、僕に出した問いの答えが何だったのかを知らない。


 そんなことを思い出しながら、月明かりを頼りにようやく家にたどり着いた。

 先生をベッドに運んで、水を飲ませ、寝かせる。


 それから少し気になって、本棚の一番上の棚を探る。この部屋の片付けはいつも僕がしているが、ここに置かれている数冊の本を先生が使っていたことは、これまで殆ど無い。しかし、ここにどんな本が置かれているかは、僕はちゃんと知っている。

 目当ての本は――あった。ボロボロになっているが、それは保存状態ではなく何度も繰り返し読まれたがためのものだ。


「――先生。これ、借りますね」

 もう寝ているはずの先生に声をかけ、本を持ち出す。

 僕の知らない、先生が先生になる前を、少しだけ知りたくて。時間にして十数年のはずだが、遠く遠く思える、その秘密を知りたくて。

 そして――なにより、僕自身が、先生に近づくために。

 魔法学の初歩を解説したその本を片手に、僕はそっと先生の部屋を出た。


「おやすみなさい、先生」

お題は「遠い秘部」、必須要素はなし、 制限時間は1時間 です。

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