青の青年
どちらにせよ、すでに私は彼のものである。
掌編小説たちの群。少しシュールレアリスム混じる。
シリーズではない作品、短いもの。詩のようなものも。「私」は男性視点。
その日、まるで覚醒をしたかのように、私の意識に流れ込むように気付いたのだった。たまに私の背後に青い髪の青年が現れるのだ。私は怖くて怖くてどうしようもなかったが、彼は絶対に話し掛けようとはしてこないし、それがまた、私も彼に反応をしてはいけないような気にさせていた。彼の存在を無視しなければいけないと強く思い込んでいたのだ。
私は青く光る草花が咲く、薄暗いどこかを歩いていた。大きな屋敷のようだったが、室内にいてもまるで室外にいるかのような肌寒さで、一向に落ち着かない。その中のある部屋が、自分の部屋であることに布団の上に横たわったときに知ったが、そのときまた、青年が障子の向こう側に立っているのに気付いた。その晩はどれだけ眠っても眠った気がしなかった。何度目覚めても夜だったからだ。その日から私は、夜しか知らなくなった。
私が行く先に、彼は必ずといっていいほど現れた。はじめは彼の存在を忘れて愉しんでいる私を、悪夢に引き戻すように突如視界の端に現れたりしたが、そんな毎日を繰り返すうちに、いつ彼が現れるのだろうかと怯える恐怖から、終らぬ恐怖が始まるようになった。
ある日私は友人を招く約束を思い出し、彼女を部屋に迎えた。相変らずの夜だったが、彼女は一向に不思議がる様子もなく、また、彼女には青年が見えないようだった。私と彼女が部屋に入るとき、彼は廊下に立っていた。私の部屋の障子と向かい合うようにして壁に背を凭れていたのだ。そのとき初めて彼と間近で対面した。青白い肌の、青く光る美しい髪を持つ、恐らく二十歳くらいだろうか。右の頬骨の上に、勾玉のような青い紋様が小さく刻まれていた。眸はまるで浅瀬の海を思わせるような、透き通った水色だった。夜の光が溶け込み、それは驚くほどの美しさだった。白いシャツと黒いパンツが酷く彼の痩身を際立たせ、美しかった。恐ろしさの美であった。
彼は何をするわけでもなかったが、しかし私は、彼が安易に私を殺せるほどの力を持ち、何か巨大な、人間が抗えることなど出来ないような力を持っていることを確信していたのだ。私も貧弱ではないし、その程度の男であれば怒鳴りつけ、身の回りから追い出したことだろうに……。しかし私は竦みあがって、その存在を無視することしかできなかったのだ。もしも私が気付いていることを彼に直接知らせたならば、彼は必ず、私に何かを仕掛けるに違いない。今はただ、一定の距離を持ち、じっと見つめられるだけで済んでいるのだ。私は彼と出会い、初めて命が惜しいと思った。
友人と遊んでいる間は彼を忘れることに徹していたが、眠る時間になり、友人が隣の布団でうつ伏せに寝始めたとき、得も知れぬ恐怖が私を襲った。こんな深い夜になっているにも関わらず、彼はまだ、障子の向こう側に立っていた。そのとき確信したのだ。彼が今夜、動くと。私は震えた。どうにかして、横に眠る彼女の柔らかな白い寝顔を見て現実を繋ぎとめようとした。だが次第に意識は遠のき、私は眠りについたのであった。
歪んだ視界の中から、ゆっくりと、粘りつくように現れた光景は、再び柔らかく白い、友人の寝顔だった。緩やかな弧を描く眉、そこから繋がる細い鼻梁。彼女は眠ったときと変わらずにうつ伏せでいたが、安堵を与えるはずの彼女の寝顔は、無機質に見えた。彼女の背は上下していない。まさかと思い、私は起き上がり彼女の背に手を添えた。その途端に、彼女の腹の下から不快に粘つく黒い液体が溢れ出した。私はそれに軽く触れ、その手を障子から注ぐ月明かりに照らして凝視した。赤黒い鮮血だった。彼女は死んでいたのだ。障子の向こうの青い月明かりの下に、青年の影があった。彼の手には、細く長い、ニードルのようなものがあった。
彼女の葬儀が、翌日、月の夜の下で行われた。参列者は号泣していた。私は葬儀の喧騒の外側で、だらしなく口を開き、寝間着姿のまま、石に腰掛けていた。ついに彼は動いたのだ。彼は力を誇示するように、私の横に眠る少女を、突き刺し、殺した。私は彼の恐怖から逃げる一心で、友人や家族、さらには見知らぬ人でも、何にせよ誰かの傍にいることを心がけたが、しかし彼が再び私の近くにいる人を、夜の間に、眠る間に殺してしまうのではなかろうかと考えると、もはや狭い箱に閉じ込められたような心持になった。
眠ることさえ怖い。夜は明けない。何度眠ろうとも何度目覚めようとも、夜なのだ。私は逃げられない。つまり私は彼から逃げられないのだ。私は痩せた。彼よりも痩身になった。彼がまたあそこにいる。また消える。また現れる。彼は私を殺したいのだろうか? それとも脅かしたいのだろうか? どちらにせよ、私はすでに彼のものである。




