7話
いつもより長めです。途中で分けようかとも思ったのですが中途半端になるので。
痛いほど脈打つ心臓を持て余しながら、リリティアは『魔王』を凝視する。彼は、生徒会長と短く会話を交わし、空いている最前列の席に腰かけた。後姿であっても、強い存在感がある。
それは、おそらく高貴な身分や能力の高さ、恵まれた容姿などとは別に、人を惹き付ける『何か』があるような気がした。そしてその『何か』とは、表面的なきらきらしさに隠された『得体の知れなさ』ではないのだろうか。
背筋を駆け上がる悪寒に、リリティアは小さく震えた。
「あぁ、やっぱり素敵ですわね。エドルド様。すでに国家魔術師として働かれておられるから、学院にはあまりいらっしゃらないですものね。お姿を拝見できるなんて、幸運ですわ。」
「本来なら、資格を取ったとしても卒業するまでは、国家魔術師として認められないというのに、さすがエドルド様ですわ。」
「学年首席でいらっしゃるのに、生徒会長になられなかったのも、国家魔術師としてお忙しいからですものね。是非、生徒会長として生徒をまとめて頂きたかったのですが、残念ですわ。」
周囲の女生徒たちの熱に浮かされたような感嘆の声を、どこか遠い所で聞きながら、その後姿から目が離せなかった。
リリティアが占いで見た『未来』では、確かにはっきりとはその姿を捉えていない。でも、『未来のリリティア』の脳裏に過った姿は間違いなく『彼』だ。
絶望的なまでに圧倒的な力を持つ『魔王』。『人類の敵』たる『破壊者』。その存在が、同じ部屋にいるということが、たまらなく恐ろしい。
許されることなら、今すぐにでも会議室を飛び出したい。頭と心はそう叫ぶのに、身体は恐怖に縛られて指先一つ動かせなかった。冷気を纏った剣を、ぴたりと背中に突きつけられているような感覚に、危機感と恐怖だけが募ってゆく。
「あ~と、お静かに。まぁ、皆さんも噂でご存知かと思いますが、学院の伝統でいえば、学年首席が生徒会長になるんだけど。今年は例外でね。学年首席のエドルドは国家魔術師としてすでに働いているから、学年2位の僕が選ばれたんだよ。文化祭は生徒会として最初の大きなイベントだから、本来、生徒会長を務めるはずの彼も様子くらい見に来てもいいだろう?ということで、無理矢理ひっぱってきた。手が空いてるときは、あいつにも手伝わせるからそのつもりで。」
少し間延びした口調の生徒会長が淡々と語るのを、遠く聞きながら彼の後姿から目が放せない。気だるげに頬杖をついていても、油断は感じられない。無防備そうに見せつつ、その実、周りをそれとなく監視しているように見えた。
(・・どうして?『魔王』が学院内にいるなんて・・。)
震える両手を握り締めて、何とか『魔王』の背中から視線を引き剥がす。小刻みに震える身体を見下ろしながら、リリティアは会議の間中、一度も顔を上げることができなかった。
自分が目立たない生徒だということは、自分が一番よくわかっている。だが、もし、万が一にでも、『魔王』の興味が自分に向けられたら?そう思うと、彼の後姿に視線を送ることさえ怖くて堪らなかった。
「リリティア様、会議終わりましたよ?」
ユリアにそっと肩を揺すぶられて、我に返る。恐る恐る前方を見ると、すでに銀髪の彼は何処にも見当たらなかった。詰めていた息を吐き出すと、固まっていた身体からゆっくりと力が抜けていった。
「大丈夫ですか?お顔の色が真っ青ですわ。」
「・・・ええ。」
心配そうに覗き込んでくるユリアに、リリティアは無理やり笑顔を作る。残念ながら完璧とはいえない笑顔は、おそらくとても微妙なものだったのだろう。その証拠に、ユリアの表情が一層、険しくなる。
「立てますか?馬車泊まりまで、お送りしますわ。」
「大丈夫です。ユリア様はこれから部活へ行かれるのでしょう?一人でも帰れますわ。」
ユリアは管弦学部に所属している。委員会ですでに遅刻しているというのに、馬車泊まりまで寄り道をしていたら、ユリアの練習時間が短くなってしまう。別に病気というわけでもないのに、そこまで迷惑は掛けられないと固辞しようとしたが、ユリアはにっこり笑顔でリリティアの腕に自らの腕を絡ませた。
「体調の悪そうなご友人を、一人で帰すなんて薄情なことはいたしませんわ。それとも、私がご一緒するのはお嫌ですの?」
にこにこと笑顔で迫られると、それ以上の反論は出来ず、リリティアは大人しくユリアに従うことにした。
「あの・・!」
ユリアに気遣われながら、廊下を進み、あと少しで馬車泊まりというところで、後ろから声を掛けられた。
鈴を転がすような可憐な声。何処かで聞いたことがあるような既視感に眉を顰めて振り返ると、一人の美少女が立っていた。ゆるくウェーブのかかった柔らかそうなピンクブロンドの髪がふわりと揺れる。学院の青い制服にとても映えていて、彼女の魅力を引き出しているようだった。彼女の大きな薄紫色の瞳と視線が合うと、リリティアは不自然なまでに硬直した。
「これ、あなたのハンカチではないですか?そこで見つけて・・さっき通った時にはなかったから。」
急いで追いかけてきたのか、少し頬が上気している。少しの緊張と不安を感じさせる表情で差し出されたハンカチは、確かにリリティアの物だった。いつの間に落としたのだろう。
「・・あ、ありがとう。私のものだわ。」
「良かった!!じゃ、私はこれで!」
差し出されたハンカチを受け取ると、彼女は花が綻ぶような満面の笑顔を見せると、軽く会釈をして去っていった。
(今のは、幻ではないわよね?いいえ、出来たら幻だと言って欲しい。)
嵐のように去っていった美少女が、関わりたくない3人の最後の一人、ミリア・クラインだと認めたくなかった。
「リリティア様!大丈夫ですか!?」
ふらりと立ちくらみを起こしかけた身体を、ユリアが支えてくれる。
(ダメよ。ここで倒れてはダメ。)
全身全霊で現実逃避したくても、ユリアに迷惑をかけてはいけないという思いだけで、何とか堪えた。
馬車泊まりに止まっているカルヴァレート家の馬車にたどり着くと、ユリアに問答無用で押し込められた。ゆっくりお礼を言うことも許されず、礼を言う暇があれば身体を休ませてくださいと何故か叱られた。御者にも容赦なく指示を飛ばすユリアと、はきはきと返答する御者を呆然と見守る。初対面なはずの御者とユリアは、何だかすごく息が合っていた。
呆然としたまま、屋敷に着くと御者から話を聞いたのか、侍女たちにあれよあれよという間に寝支度を整えられ、ベッドに押し込まれた。すぐに医者の手配をすると言うマリアを押しとどめられたのは、僥倖だった。
医者なんか呼んでしまったら、父と兄達が飛んで帰ってきて大騒ぎになってしまう。国の要職とまでは行かないが、それに次ぐ役職や補佐を担当している父たちが仕事を放棄してしまうと、政務が滞ってしまうのだ。
これは誇張でもなんでもなく事実である。実際、数年前に熱を出して寝込んだときは大変だった。リリティアの傍を離れない父達に、色んな人が仕事をしてくれと文字通り泣き付いてきていた。仕事より娘(妹)が大事だと、父たちが突っぱねると、気の毒なくらい真っ青になっていた。
子ども心に、これは本気で拙いと悟った。私は大丈夫だと訴えても聞く耳を持たない父達に、とにかく早く治さなければと必死だった。時間が経つにつれ、屋敷に訪れる人たちの悲壮感が増すのが怖くて、彼らの眼差しに重圧を感じるという何とも胃の痛くなる出来事だった。
あれは、二度と体験したくない。リリティアがその後体調管理に気を使うようになったのは言うまでも無く。
「リリティア様、何かございましたらお呼びください。」
小さく頷くと、音もなくマリアが退室していった。物音一つしない広い自室は、明かりが落とされて薄暗い。
「・・・・。」
大きくため息をつく。今日一日でかなり精神的に疲れている。ふかふかの柔らかいベッドが、リリティアの緊張を解し、癒してくれるのが解った。
(考えたくないし、信じたくもないけど・・会っちゃったのよね、3人に。)
アルフレートは、同じクラスである以上、仕方が無いとは思う。問題はあとの2人だ。今まで全く何の接点もなかった2人に同じ日に遭遇するとか、一体何の嫌がらせだ。これが『運命』だとでも言うのだろうか。
リリティアが占いで見た『未来』が着実に近づいてきているようで、嫌になる。どんなに頑張っても、『未来』は変えられないと言うのか。
「・・・・ふ、ざけんな。」
時々、兄が口にする汚い言葉を声に出して言ってみる。心情的にはぴったりだけれど、令嬢として口にすることは憚られる言葉。口に出してみると、心の何処かの糸が切れたような気がした。
ふつふつと湧き上がってくる怒りに、リリティアは上体を起こし、枕を引き寄せた。怒りのままに、ボスボスと枕を叩き付ける。子供っぽい行動だと頭の隅で冷静な自分が言うが、構わなかった。
「・・なんで?・・なんで!・・・なんで!?・・なんでよ!!」
占いなんて、行かなければ良かった。闇落ちする『未来』なんて、知りたくなかった。『未来』さえ知らなければ、アルフレートを避ける必要もなくて、エドルドを見かけても周りと一緒に憧れることが出来ただろう。ミリアにだって、もっと素直にお礼が言えたはずだ。
「・・・・もう、やだ。」
一粒、涙が零れ落ちると、もう止まらなかった。叩き付けていた枕を膝と一緒に抱き寄せ、顔を埋める。
心に渦巻く複雑な感情は自分自身でさえ持て余し、把握なんて出来ようはずもなかった。解るのは、恐れ、不安、誰にも言えない心細さ、それに理不尽に対する怒り。それ以外にも表わしようのない感情が心の中で吹き荒れている。
どうしようもなく暴れまわる感情は、リリティアの心をじくじくと絶え間なく傷つけ、痛みを与えていく。
どのくらい泣いたのだろう。
涙が止まる頃には、頭と瞼が重くてしばらく何も考えられなかった。体から力が抜けると、自然と体が横たわる。目尻に残っていた涙が零れ落ち、こめかみに流れて行った。
(・・こんなに泣くのは、何年ぶりかしら。)
そういえば小さな頃は泣き虫だったことを思いだす。兄たちが甘やかすものだから、なかなか泣き虫から卒業できなかったような。
リリティアは微苦笑にも似た、自嘲的な笑みを唇に刻む。
(でも、本当に哀しい時は、一人で泣いていたっけ・・・。)
幼い時は、小さなことで兄たちに泣きついていたくせに、本当に傷ついた時や悲しい時には、素直に縋れない子供だったことを思い出す。
一人で泣きたい時はいつも、枕を抱きしめていた。溢れる嗚咽は、枕が吸収して部屋に響くことはないと知っていたから。幼い自分と全く同じ行動をしていることに、成長の無さを感じるが、これはきっと一生変わらないような気がする。
「これから、どうしよう・・。」
ごろりと仰向けになり、暗闇に小さく問う。きっと誰かに相談すべきなのだ。『未来』への流れを自分一人で断ち切るのは、難しいような気がする。
アルフレートを避けても、普段接点のないあの二人に出会ってしまった。それはつまり、アルフレートとの関係性を変えても『未来』には関係ないということなのか。それともたった一日、アルフレートを避けただけでは、関係性が変わっていないということなのか。
(・・・でも、他の二人とは関係性も何も、今まで接点がなかったのだから、変えようがないのよね。ということは、やはりアルフレート様との関係性を変える必要があるってこと、よね?)
この考えが正解なのかどうなのかさえ、判らない。占いで見たのは『未来』のほんの一部分だけ。判らないのは当然だ。
解っているのは、あの『未来』がリリティアにとって望まない『未来』だということだけ。
具体的に何時の段階で、何が原因で、何を思ってその『未来』を引き出したのか。それが解らない以上、リリティアの選べる道は一つしかない。鍵となるだろう人物から、物理的にも精神的にも離れる事。極力、関わらないように逃げ続けるしかないのだ。
それなのに、それが『運命』であるかのように、リリティアはあの三人に出会ってしまう。『避けられない未来』という言葉が、現実味を帯びてリリティアを苛む。
(・・・私に出来ることは、逃げることだけだもの。)
そう自分に言い聞かせても、胸を圧迫する暗く重いものが薄れることは一向になかった。最悪の『未来』を回避するために、全力で逃げると決めた端から、不安と心細さが足元を崩しにかかる。頑張ろうと鼓舞する心を挫こうと、鋭い牙を向けてくる。どうしたら良いのか分からなくて、途方に暮れる迷子のようだ。
彼らから逃げ切ることが出来ればあるいは・・という一縷の望みだけが、リリティアを動かしていた。
お読み頂きありがとうございました。ジャンル「恋愛」のはずなのに、一向にその傾向が出てきませんね。主人公が逃げ回ってるのと、ヒーローがへたれなせいでしょうか。もう少しすると、ヒーローも動き出すはずなんですが・・。