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6話


「ん。だいぶ赤みが引いたね。これなら、良く見なければ分からないだろう。」

「ありがとう、ございます。」


 さんざん泣いた両目はまだ赤かったが、アイリスが丁寧に冷やしてくれたので、一見したぐらいでは分からないくらいには赤みが引いている。次の授業が終わるころには、顔を覗き込まれたとしてもおそらく気づかれない。


 アイリスには、たくさん面倒を掛けてしまった。アイリスからすれば、いきなり押しかけられて、泣き出されて、介抱させられてと、本来の優雅な昼休みからほど遠い昼休みとなってしまったことだろう。申し訳なさと、子供のように泣いてしまった恥ずかしさに頬が火照る。それでも、優しく微笑んでくれるアイリスに、リリティアは深く感謝した。


(ちゃんと、お礼しなくちゃ。アイリス先輩は、甘いものがお好きだから、お菓子でも差し入れしよう。)


 菓子を持って来るぐらいでは、感謝の気持ちを伝えきれないことは解っていたが、それでも形のあるお礼がしたかった。


「明日からは、お昼を持っておいで。一緒に食べよう。」

 アイリスの提案に、リリティアは驚いた。食事の時間までお邪魔するのは、さすがに気が引けて、今日は人気のない場所を選んで手早く済ませたのだ。一人で取る食事はやはり味気なくて、寂しかった。アイリスが許してくれるのなら、それはとても嬉しい。


「いいんですか?」

「リリィ君が良ければね。」


 何処か悪戯っぽく微笑むアイリスに、リリティアは頭が上がらない思いだった。こちらの事情を何一つ知らないのに、とても自然に手を差し伸べてくれる。本当に頭が上がらない。こんなにも優しい先輩に出会えて、リリティアは何て幸せ者なのだろうと自分でも思う。嬉しすぎて、また泣きそうになるのを慌てて引っ込める。せっかくアイリスが手を尽くしてくれて赤みが引いたのに、無駄にしてしまうところだった。


「ありがとうございます。アイリス先輩。」


 感謝の思いに引きずられるように、自然と笑うことが出来た。


「うん。やはり、リリィ君には、笑顔の方が似合うね。」


 さらりと気障なセリフを口にするアイリスに、リリティアは失笑する。こんなにもふわふわと穏やかな気持ちになれるのは、どのくらいぶりだろう。心から笑えたのだって、すごく久しぶりのような気がした。





 午後の授業が始まる予鈴の鐘が鳴り響く中、アイリスとは部室の前で別れた。アイリスは3年生で、授業のほとんどが選択科目だ。次の時間の授業は取っていないらしく、まだ部室でゆっくりするらしい。


 別れ際、慰めるというよりは、励ますように頭をぽんぽんと撫でられた。アイリスはリリティアよりも背が低いため、少し不自然な感じだったが、それもなんだかくすぐったくて、嬉しかった。



 気持ちが軽くなり、足取りも軽くなったリリティアは、背後でアイリスが厳しい表情をしていたことに気づくことはなかった。

「やれやれ、ぼくの可愛い後輩に手を出したのは、どこの誰かな?」

 低く呟かれた声は、人気のない廊下に吸い込まれて消えた。





 午後の授業は、午前中が嘘のように穏やかに過ぎて行った。というのも、午後には基本的に基礎科目がない。それぞれ専門科目に別れるため、アルフレートの属する騎士科と同じ教室になることがないのだ。騎士科は午後から訓練に入るため、校舎にすらいない。廊下ですれ違うこともないため、リリティアは心穏やかに過ごすことができた。


「リリティア様!」


 呼び止められて振り返ると、色の薄い金髪をハーフアップにした女生徒が足早に近づいてきた。急いで来たのか、ほんのりと頬が上気して可愛らしい。同じクラスで仲の良い女生徒たちの中の一人だった。


 貴族の出だが、リリティアよりは位が下で、貴族社会の身分を考えてか、いつも丁寧に対応してくれる。学院という身分を重視しない環境にいるのだから、もう少しくだけても良いと思うのだが、彼女を筆頭にリリティアの周囲の人間は、丁寧な態度を崩すことがない。


 いや、身分の事をいうのであれば、リリティアの周りには、リリティアよりも身分の高い人達もいる。しかし、彼女たちもまた、リリティアに対する態度は丁寧だ。身分差を気にするのならば、いささか丁寧すぎるような。そんな違和感を周囲の人々に、それとなく遠回しに指摘すると、にっこりと微笑まれてするりとかわされるので、最近は気にしないようにしていた。諦めたとも言える。


「ユリア様。」


 立ち止まって迎え入れると、彼女は控えめに微笑んだ。本日最後の授業が終わり、教室へと帰る途中だった。ユリアとは選択科目が別だったので、急いで会いに来てくれたらしい。


「リリティア様。今日の文化祭委員会、ご一緒に参りましょう?」

「え?・・ああ、そうでしたわね。」


 ユリアに言われて、初めて思い出した。春の係り決めで、リリティアはユリアとともに文化祭実行委員になったのだ。一月後に行われる文化祭の時期以外、年間を通して活動する委員会ではないが、短期集中型というか、これから先、本番まで忙しくなる。中心となる上級生たちは、もうすでに下準備を始めているらしいが、下級生たちが集められるのは今日が初日だった。


「まぁ!珍しいですわね。責任感の強いリリティア様が会議をお忘れになるなんて・・。」


 水色の瞳を丸くするユリアにリリティアは、苦笑を返した。


(嫌だわ。本気で忘れてた。)


 いくら『占い』のことで頭がいっぱいになっていたのだとしても、自分の役割を忘れてしまっていいわけがない。リリティアは心の中で反省しつつ、会議が始まる前に教えてもらえて良かったと安堵した。


「ありがとうございます。ユリア様。お声をかけてくださって、助かりました。」

「・・・リリティア様。大丈夫ですか?」

「え?」

「昨日は、お休みされていますし、今日は朝から顔色が優れませんでしたでしょう?お昼休憩にもいらっしゃらなかったので、皆様、心配されておられましたよ。もちろん、私もですが・・。」


 心配そうに揺れる水色の瞳を見つめ返して、リリティアは返答に詰まる。アルフレートの前では失態をしてしまったという自覚がある。しかし、他の友人たちの前では、いつも通りに行動していたつもりなのだ。昼休憩も、用があるからと上手く誤魔化したつもりだった。でも、友人達は誤魔化されているとわかっていながら、見逃してくれたらしい。


「・・心配してくださったのですね。ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。」


 微笑んだ顔が引きつらないよう気をつけながら、こう返すのがやっとだった。友人たちが心配してくれるのは、嬉しいけれど相談はできない。申し訳ないと思いながらも、口を閉ざすことしかできないのが、心苦しい。


 ユリアは、リリティアの心情を酌むように小さく頷いた。その顔は少し寂しげな苦笑にも似た表情だったけれど、それ以上は踏み込まないと言ってくれているようだった。


「では、参りましょうか。会議に遅れてしまいます。」


 辛気臭い雰囲気を吹き飛ばすような、朗らかなユリアの声に頷きつつ、心の中で頭を下げた。





会議室にはすでに多くの人が集まっていた。おそらく、全体の8割ほど。とはいえ、文化祭実行委員の人数は、百人に満たないので、定員250名ほどの中規模な会議室では、全員が集まったとしても閑散とした印象になってしまうだろう。会議室は正面中央に置かれた教壇を中心に、緩く弧を描くように机が配置されている。また、机の一列目を基準に階段状になっているため、後ろに行けば行くほど、高い位置になる。どの席に座っても、教壇がよく見えるように設計されているのだ。


 特に座席指定はなかったため、リリティアはユリアとともに、5列目の席に腰掛けた。教壇を少し見下ろすような感じが、普段使う教室とは違い、新鮮な感じがする。


「今日は、ほとんど連絡事項の伝達くらいで、あまり時間はかからないそうですわ。」


 少し声を潜めたユリアに耳打ちされて、リリティアは小さく頷いた。文化祭を主に取り仕切るのは、3年生で構成された生徒会の面々。生徒会は、一般教養学科、騎士科、魔法科からそれぞれ成績上位3名ずつと、学年総合1位の生徒が選ばれる。生徒会長は学年首席、その他の役職は適材適所によって振り分けられることになっている。これは、この学院始まって以来の伝統で、誰もが知る常識と言えた。


 生徒会の方々はすでに一列目の席に着いているようだ。春に全生徒を集めた集会にて、着任の挨拶をされていたので、リリティアも顔は見知っている。そもそも学年の上位にいる人々なので、学院内での知名度は高い。噂に疎いリリティアでさえ、名前くらいは知っていたのだ。


「生徒会長様はまだいらしてないようですね。」

「もうすぐ時間ですし、そろそろいらっしゃると思いますが。」


 何気なく、生徒会の面々に視線を走らせたリリティアは、一番中心となるべき人物の不在に首を傾げた。ユリアの言うように、時間が迫っている。各教室から選出された生徒たちも、ほぼ揃っているのではないだろうか。


 入り口に視線を向けると、ちょうど生徒会長が入室して来るところだった。生徒会長は毎年、華のある人がなることが多いが、今年の生徒会長は普通の方だというのが、一般生徒の中で噂されていた。確かに、容姿は凡庸だとリリティアも思う。しかし、この学院で首席を張れるのだ。その才覚は間違いなく非凡だと言える。


「・・っ!!」


「きゃーー!!」


 会場が大きくどよめいた。リリティアのひゅっと息を吸い込んだ音など、会場の黄色い悲鳴に掻き消される。頬をバラ色に染める周囲の乙女たちとは逆に、蒼白になったリリティアは硬直した。本当の意味での悲鳴を上げなかったのは、不幸中の幸いだったと言える。リリティアの、いや、会場中の視線を釘付けにしているのは、生徒会長ではなく、その後ろから姿を現した青年の方だ。


 さらさらと流れる銀の髪を後ろで括り、無機質なアイスブルーの瞳を宿した彼は、周囲の喧騒など全く意に介さず、歩を進める。他の生徒たちも身に着けている制服姿なのに、彼が着ると別物のように感じた。貴族が身に着けるには、安物の生地で作られているはずなのに、最高級の品のように見えるのだ。


 それは、おそらく彼自身の容姿が恐ろしく整っているから。奇跡のように美しい青年。どんな角度から見ても絵になるような、近寄りがたいほどの美貌。美術品めいた美しさは、彼を人間らしさから遠ざけているように感じた。


 体が震えるのが、止まらない。リリティアが感じるそれは、正しく『恐怖』だった。


「・・あ・・の、方は・・。」


「まぁ!リリティア様!ご存じないのですか!エドルド・フィッシャー様ですよ!魔法学科3年生で学年首席。すでに国家魔術師の資格も取得された天才ですわ!公爵家の跡取りでもいらっしゃいます!女生徒のみならず、学院中の憧れの的!学院で一番、有名な方ですわ!」


 リリティアの小さな呟きを拾い上げたユリアが、大きな瞳を限界まで開いて驚いている。興奮がちに説明されて、リリティアは辛うじて頷いた。


 知っている。ユリアの言う『学院の憧れの的』は、リリティアだって、知っているのだ。だが、知らなかった。名前も華々しい経歴も、女生徒が憧れる美しい容姿をしていることも、そんなことは知っている。だが、実際に見かけることはなかった。だから、知らなかった。




――――彼が、『魔王』だということを。


 





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