5話
淡々と進められる授業中、リリティアは暴れる心臓を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
(どうしよう。絶対に変に思われたわ。)
先ほどのアルフレートに対する態度は、はっきり言ってかなりの失態だった。彼は身近な人間の変化に敏感だ。しかも、それをほっておけないような優しい人。きっと、リリティアの事も気にかけてしまう。何でもないと言い訳しても、おそらく信じてはもらえないだろう。
(ああ、もう。だから、さりげなく距離を取ろうと思ってたのに。)
今更、後悔しても無駄だと解っていながらも、自身を責めずにいられなかった。
(どうしよう・・。)
泣きそうな顔を誰にも見られないように、下を向く。
(アルフレート様と関わらないようにするにはどうしたら・・。)
誰かに相談できればいいのだが、占いで見た『未来』を恐れているなんてことを相談する勇気はない。
占いは、魔法の中でも『神秘』の部類に入る。とりわけ扱いが難しく、読み間違えれば、最悪、国が亡ぶと言われるほどだ。
しかも、内容が悪い。リリティアの見た『未来』は、リリティア自身の破滅のみならず、国への多大な被害が予測されるような内容だった。『闇落ちした魔法使い』が引き起こす現象は、過去の事例を鑑みれば明らかだ。理性を失いながらも執拗に世界の破壊を望み、目につくもの全てを蹂躙する。まるでそれが、本能であるかのように、命尽きるまで止まることがない。
さらに厄介なことに、『闇落ち』すると本人が元々持っていた能力を、数倍から数十倍に引き上げられる。魔力をほとんど持たない者ならまだしも、高い魔力を持つ者が『闇落ち』してしまうと、一個人相手に軍を動かすほどの大惨事に繋がることもありえない話ではないのだ。実際、過去には『闇落ちした魔法使い』によって、国を滅ぼされた例もある。
リリティアの魔力量は、客観的に見れば、多くはないが、けっして少ないとは言えない。『闇落ちする未来』を見たなどと口にすれば、即刻『危険人物』に認定されてしまう。監視されるだけならまだいいが、拘束され隔離されたり、最悪、国から追放される可能性だってあるのだ。当然、家族にだって多大な迷惑がかかる。簡単に口にする事など、出来るはずもなかった。
(・・とにかく、逃げなくちゃ。)
穏便に、さりげなく、自然にとは言わない。それらは、さきほどのたった数十秒のやり取りで崩れ去っている。学院を卒業してしまえば、彼との接点はほとんどなくなる。せいぜい、新年の王族主催のパーティで顔を合わせるくらいだ。
(卒業まで、あと1年と8か月・・。大丈夫かしら?)
卒業までの期間を思い浮かべ、気持ちが沈む。1年8か月はどう考えても、長い。だが、この期間を乗り越えれば、あの『未来』に繋がる可能性がかなり下がるはず。未来のリリティアが対峙していたのは、『制服を着た』アルフレートとミリアだったから。
(授業と授業の間の短い休憩は、たぶん大丈夫だけど・・。)
そもそも、リリティアとアルフレートは通う学課が違う。リリティアは一般教養学課、アルフレートは騎士課である。基本科目の語学、算術、経済、歴史などは同じ教室で学ぶが、それ以外は別々の教室で授業を受ける。アルフレートは騎士課なので、実戦訓練の授業も多く、2年生の今年からは、遠征実習なども入ってくるらしい。
授業の合間の短い休憩は、ほとんど教室を移動するのに費やされるので、問題はない。しかし。
(・・・お昼休憩、どうしよう。)
この国では、食後にお茶をする慣習がある。そのため、王族から庶民に至るまで、昼休憩は長めに設定されているのだ。勤務時間中は、生真面目なほど仕事に向き合う反面、食後の休憩は絶対に譲らない。仕事と休憩の切り替えがきっちりしていると、外国の人々に驚かれるらしい。
ここセレスティア学院も例外に漏れず、昼休憩は長い。学院の職員も学生も、食後の休憩を思い思いのスタイルで満喫している。リリティアも普段であれば、仲の良い友人たちと他愛もない会話をしながら、お茶を楽しむのだが、最近はその輪の中に度々、アルフレートたち男子生徒たちも混ざるようになっていた。
(どこか隠れられる場所は・・・。)
図書室・・は、駄目だ。何度かアルフレートと遭遇したことがある。テラスや屋上庭園、中庭など目立つ所は、論外。数人の生徒が課題をするために小さな個室を借り切る談話室もあるが、毎日借りるのは、さすがに無理がある。
(・・あっ。)
ふっと、黒髪の女生徒の姿を思い出して、リリティアは安堵の溜息を吐く。
(あの方なら、きっと匿ってくださるわ。)
一番の難関になりそうな昼休憩を乗り切れそうで、少し気分が浮上する。後は、彼に声を掛けられないように、急いで離れること。彼の周りにはたくさんの友人がいるから、きっと逃げ切るのはそう難しくない。
当初の予定とはかなり違うものになってしまったが、仕方がない。しばらく逃げ回っていたら、アルフレートの関心も薄れるだろう。そもそも、リリティアは目立つ生徒ではないし、一対一でアルフレートと話をしたことも、数えるほどしかないのだ。
(・・そうよね。アルフレート様は、男女問わず人気者だもの。少し話したことがある程度の私なんて、すぐに忘れちゃうわ。)
だから大丈夫と自分を納得させながらも、拭い去れない不安と、ほんの少しの寂しさを感じてしまう。あの占いさえなければ、アルフレートの大勢いる『友人』の片隅に置いてもらえたかもしれないのに。
だが、もう占いを知る前の自分には戻れない。アルフレートが優しく誠実で、簡単に誰かを傷つけるような人ではないと知っていても、リリティアに焼け付いた恐怖がアルフレートを拒絶してしまう。
(・・・怖い。)
『未来』を恐れる気持ちと、『未来を変えようと行動する現在』の不安に押しつぶされそうだ。リリティアは、震えそうになる両手をぎゅっと握りしめた。
必死に自分の心を立て直そうとしていたリリティアは、背後からの真剣な眼差しに気づくことは、当然ながらできなかった。
午前中の授業をようやく終えたリリティアは、足早にある場所を目指していた。第2校舎から少し離れた丘の上に建つ、第七校舎。校舎と名付けられているが、現在その建物では授業は行われていない。主に文化系の部活の部室として、使われている。
リリティアは、慣れた足取りで真っ直ぐに3階の左から3番目の扉を目指す。今の時間は昼休憩であり、当たり前ながら部活は開かれていない。そのため、生徒の姿はほとんどなく、閑散としていた。人があまりいないというだけで、リリティアの心が落ち着いてくる。
(・・いつも昼休憩には、こちらにいらっしゃるはず。)
確信に近い期待を胸に、リリティアは扉を叩いた。乾いた木の音が小気味良く廊下に響く。がたがたっと部屋の中から音がして、リリティアはそれだけで安堵してしまう。
「ん?誰?」
扉から顔を出したのは、黒髪の小柄な女性。リリティアの平均的な身長より低く、ほっそりと華奢な身体つきだ。それだけを見れば、儚い印象を抱きそうなものだが、少し釣り目がちの黒い双眸がそういった印象を跳ね除ける。
年齢的にはすでに女性といえるのだが、大きな瞳と小柄な体のせいで、少女にしか見えない。彼女は、リリティアを見ると軽く目を見開いた。
「おや。リリィ君じゃないか。どうした?」
男性口調でさばさばとした物言いに、リリティアは苦笑する。初めて出会った時には、かなり驚いたが、今では女性らしい口調の彼女など想像もできない。しかも、彼女は見た目からして、一般女性からかけ離れていた。この国の女性は基本的に髪を伸ばすのが常識なのだが、彼女は肩口でばっさりとその艶やかな黒髪を切りそろえている。髪を伸ばせば、白い肌に良く映えるだろうと思うのだが、短い髪はそれはそれで、彼女の不思議な魅力を引き出していた。
「あの、アイリス先輩。お邪魔はしませんので、隅に置いていただけませんか?」
「ふむ。もちろん、いいとも。何を遠慮することがある?君は、我が部の一員じゃないか。さぁ、入りたまえ。」
鷹揚に頷いたアイリスは、紳士的な態度で中へと促してくれた。背後で扉が閉まる音にほっと溜息を吐く。ここならば、無条件に安全だと思えた。
ここは、リリティアの所属する手芸部の部室だ。アイリスは3年生の先輩で、手芸部の部長を務めている。商家の娘で貴族ではないが、そのさっぱりとした性格と責任感の強さから皆に慕われている。3年生の部員の中には、貴族の出の者もいるが、位の高さに関係なく、皆がアイリスを部長として認めていた。
(アイリス先輩って、とても不思議。一緒にいると、なんだか落ち着くわ。)
リリティアは、アイリスに促されて席につき、彼女の最近のお気に入りだというハーブティーをご馳走になった。小さな吐息と共に、肩の力が抜けていく。
(良かった・・。アイリス先輩のお話を聞いていて。)
アイリスは、あまり集団の中にいるのは好きじゃないらしく、大抵の昼休憩はここで過ごしている。部室の鍵は部長が管理することになっており、以前、部長特権だと笑っていたのを思い出したのだ。
「さて、リリィ君。話を聞こうか。」
「・・え?」
テーブルを挟んだ正面に腰かけたアイリスが、徐に口を開いた。話が見えず首を傾げると、アイリスは苦笑する。
「何か悩みがあるのだろう?苦しくって仕方がないって顔をしている。」
「・・・そう、でしょうか?」
「自覚がないのかい?さっき扉を開けた時の君の顔は、捨てられた子犬並みに頼りなさそうだったよ。」
リリティアは、思わず俯いてしまう。アイリスを訪ねてきてまだそんなに時間が経っていないというのに、簡単に見抜かれてしまっている。これでも隠していたつもりだったのに、そんなに分かりやすかったのだろうか。思わず頬に触れると、アイリスが小さく笑ったのが聞こえた。そっと目線を上げると、困ったような微笑を浮かべるアイリスと目が合う。
「君は大人しくて、自己主張をあまりしないが、感情は表に出やすいよね。時々、見ていて危なっかしいなと思うことがある。・・・まぁ、君の周りには優秀な者が集まっているから、大事にはならないだろうけどね。」
黒い双眸を細めて、少し可笑しそうに指摘するアイリスにどう答えていいのか、言葉に詰まっていると、アイリスの手がふわりと頭に触れた。その意味に気づくのに、少し時間が掛かった。
「リリィ君が話したくない、あるいは話せないというのなら、無理に聞き出したりはしないよ。でも、苦しいのを苦しいまま溜め込むのは良くないな。泣くなり、喚くなり、罵るなり発散したらいい。そうすれば、問題は解決しないが、少なくとも気持ちはすっきりするだろう。」
ゆっくりと優しく頭を撫でられる感触に、リリティアの中の何かが決壊した。両目からぼろぼろと零れ落ちる涙に、自分はすごく泣きたかったのだと、初めて気が付いた。アイリスから手渡されたハンカチを握りしめて、リリティアは止めどなく涙を零す。今は無理やり泣き止むことをしたくなかった。
ふわりと、優しい感触がリリティアを包む。アイリスがテーブルを回り込んで、リリティアを抱きしめてくれているのだとわかった。心地よい人の体温にますます涙が止まりそうにない。
「ぼくは、リリティアの悩みを解消することは出来ないかもしれない。でも、こうして側にいて胸を貸してあげることぐらいなら出来るよ。まぁ、残念ながら、ぼくの胸はお世辞にも豊満とは言えないからね。柔らかさには欠けてしまうが。」
「・・ふふっ。」
人が泣いているというのに、こんな時にも冗談を交えるのがアイリスらしくて、思わず笑ってしまう。
「あ。笑ったね?結構、深刻なんだぞ?」
「・・・もう。アイリス先輩ったら、男前すぎます。」
「惚れ直したかな?」
「ええ。アイリス先輩、大好きです。」
「むむ。直球だね。照れてしまうじゃないか。」
軽口を交わしながら流す涙は、とても温かくて、渦巻いていた負の感情を押し流していく。問題は何も解決していないのに、今はこの穏やかな時に身を委ねることにしようと素直に思えた。
お読みいただき、ありがとうございます。更新は遅いですが完結を目指しますので、あたたかい目で見守ってくださると助かります。
私は、アイリスを結構気に入っています。なんだろう。もう、ヒーローはアイリスでいいんじゃない?なんて思っちゃいますね。