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4話

 

 王立セレスティア学院。十五歳から十八歳までの生徒が通う、王都で一番大きな学校である。教育、研究、歴史、名声のどれをとっても王国を代表する学校で、王侯貴族が多く通うことでも知られている。


 教育に身分の上下は関係ないという理念の下、平民でも通うことが許されているが、比率でいえばやはり貴族が多い。それというのも、学院は広く優秀な者を求めているが、その門戸は狭いからだ。入学試験は、貴族平民に関わらず公平に行われるが、王国を代表するだけあって、高い学力を要求される。たとえ、有力貴族の子息令嬢であろうと学力が足りなければ、容赦なく落とされるのだ。


 幼い頃から専属の家庭教師を付ける貴族と、無料とはいえ基本的な読み書き計算しか教えない、庶民向けの学校でしか教育を受けられない平民とでは、どうしても学力に差が出てしまう。もちろん、庶民向けの学校とはいえ、優秀と認められた者には、特別に教育を受ける機会は与えられるのだが。あえて、学問で身を立てようと思う者は少ないらしい。


 そんな王立セレスティア学院であるが、高い教育を受けた王族や高位の貴族にとっては、入れて当たり前、入れなければ恥とされるため、家名を背負う子供たちにはなかなかの重圧である。逆に位の低い貴族にとっては、学院を無事卒業できれば、出世の道が開かれるので、親たちは子供の教育に熱心だ。



 リリティアはどうなのかといえば、そのどちらでもない。リリティアのフルネームは、リリティア・カルヴァレート。カルヴァレート家は建国当時から続く、由緒正しい伯爵家。同じ伯爵家でも身分の上下はあるのだが、貴族階級でいえば、真ん中あたりだ。王国の南側の、決して広くはないが肥沃な土地を領地として与えられていて、領地経営も順調。父も兄たちも優秀な官吏として働いていて、高位貴族に媚を売る必要もなく、出世に関しての欲も薄い。


 となれば、リリティアが王立学院に入ろうとも、別の学校に通おうとも、大した問題ではないのだ。王立学院を卒業する利点といえば、嫁ぎ先の候補が広がって、良縁が転がり落ちてくる可能性があるくらいだろうか。4人兄弟の末っ子で、唯一の女として生まれたリリティアは、父と兄たちから『嫁にはやらん』と幼い時から言われ続けているため、利点と言えるかどうかは微妙だが。


(でも、退学するわけにはいかないのよね。)


 リリティアは、ふぅっと息を吐いた。本音を言えば、転校してしまいたい。だが、理由もなく王立学院を去るのは、かなり難しい。国の最高教育機関を蹴って、他の学校に通うなど、かなりの批判を浴びてしまうのは火を見るより明らかだ。あえて成績を落として放校処分というのも、いくらなんでもカルヴァレート家の名誉に大きな傷がついてしまう。


「リリティア様。やはり、大事を取られては?朝食もあまり召し上がりませんでしたし、顔色も少し悪いようですが。」

「・・大丈夫よ。マリア。昨日しっかり休んだもの。」


 鏡越しにマリアを見返して、リリティアは小さく苦笑した。朝からきっちりと身だしなみを整えた隙のないマリアは、普段なら少し冷たく見える瞳に気遣うような色を浮かべている。平坦な声だって、普段の彼女のことを考えると幾分か柔らかく聞こえた。


 マリアが、というよりも屋敷の者たちは皆、リリティアに甘い。昨日だって、少し悩みすぎて疲れが出ただけなのに、強制的にベッドに押しやられた。少し熱っぽいだけで、学院を休むほどのことではなかったのに。


「出過ぎたことを申しました。ですが、体調に異変がある時は、すぐにお戻りになられますよう。」

「わかっているわ。」


 素直に頷いた事で納得してもらえたようだ。話している間も、テキパキとリリティアの髪を結いあげていた手が止まる。改めて目の前の鏡台を見ると、左側で一つにまとめられていた。綺麗な編み込みを施され、毛先は軽くウェーブが掛かっているため、地味な印象はなく、かといって派手すぎない。いつもながら見事な手腕だ。仕上げに淡いピンクの髪飾りを付けられる。


「できました。」

「ありがとう。マリア。」


 リリティアはゆっくりと立ち上がった。リリティアの髪は、色素の薄い茶色。瞳の色も同じく薄い茶色だ。


 周辺諸国との交流が多いこの国では、金髪や銀髪、赤毛など様々な色彩を身に宿す者が多い。中途入学のミリアのようなピンクブロンドは、確かに珍しいが好奇の目を誘うほどでもないのだ。


 そんな王国の中で一番多いのは、茶系統。もともとこの地に住んでいた者たちが茶系統の色を持つのだから、当然と言えば当然だった。


(・・・とっても、普通だわ。)


 最終確認のために鏡を覗き込んだリリティアは、そう思う。淡いピンクのドレスに身を包み、小首を傾げた少女が鏡に映っている。特別美しくもなく、特筆するような特徴もない。沢山の人たちに囲まれれば、間違いなく埋もれてしまうような何処にでもいる少女だ。学院でももちろん、目立たない部類に入る。


(それなのに、どうして・・。)


 占いで見た『未来』が脳裏をよぎる。現在の自分は、こんなにも平凡なのに何故と、思わずにいられない。あのように悪目立ちするような、大胆不敵なことを自分がしでかすなんて想像もつかない。


 だが、あまりにも『現実味』のある『未来』だった。風に交じる砂ぼこりの匂いや、汗で首筋に張り付いた髪の毛の感覚さえ、はっきりと感じ取れたのだ。ただの占いだと切り捨てることは、どうしても出来なかった。


 この先、何がどうなって、そういう結果になってしまったのかは分からない。でも、例え『避けられない未来』だとしても、可能な限り抗いたいのだ。今の平凡で、ちょっと退屈なくらいの、平和で幸せな『現在』を守りたいと心から願う。だから。


 リリティアはぎゅっと両手を握りしめた。


(ちゃんと、アルフレート様の『友人』の座を返却してみせる!)


「お嬢様。馬車の用意ができております。」

「わかったわ。」

 リリティアは決意を新たに、足を踏み出した。


 マリアに見送られ、馬車に乗り込んだリリティアは、学院が近づいてくると段々と不安になってきた。自分の決断は間違っていないのか。そもそも『関係を変える』だけで、本当に『未来』が変えられるのか。昨日まで『友人』だったアルフレートと上手く距離をとれるのか。考え出したらきりがないと解っているのに、不安が渦巻くのを止められなかった。その間にも、馬車はどんどん学院に近づいていく。


(弱気になっちゃダメ。落ち着いて。大丈夫よ。とにかく、アルフレート様の傍に行かなければいいんだもの。)


「お嬢様、着きましたよ。」

 馬車が止まり、御者に声を掛けられると、リリティアは大きく深呼吸をした。ここまで来たら、もう逃げられない。貴族の令嬢として、無様な姿は晒せない。リリティアはしっかりと背筋を伸ばして、優雅に馬車を降りた。


「行ってらっしゃいませ。」

 丁寧に頭を下げる御者に頷き返して、リリティアは歩き出した。通いなれた道なのに、緊張しているのかどきどきする。

 リリティアと同じように、登校する生徒たちが視界に入る。


(・・あっ。)


 登校する生徒の中に、青のチェック柄の制服に身を包んだ者が混じっている。見慣れた制服のはずなのに、見た途端、大きく心臓が跳ねた。心臓に呼応するかのように、肩が小さく震える。


 リリティアの動揺が周りに気づかれなかったかと、さりげなく確認したが、大丈夫だったようだ。リリティアは、小さく息をついた。



 セレスティア学院で、今の制服が導入されたのは、つい数年前だ。男性の制服は貴族の男性でも身に着けて違和感のないものだったが、女性の制服が大胆すぎると大きな話題になった。ジャンパースカートという今までにないデザインもそうだが、一番注目されたのは、スカートの丈だ。スカートの丈が、膝下までしかないのだ。女性が足を出すなど、はしたないと保護者からの苦情が殺到したらしい。


 近年、新進気鋭の天才デザイナーと名高い、ユーリ・サトウという外国人デザイナーが手掛けたものだ。彼女が作り出す服は、独創的かつ機能性に優れていると注目を浴びていて、高位貴族から庶民のものまで作るという。庶民向けの物の中には、制服と同じように大胆に足を出すスカートがあり、意外にも庶民の娘たちに受けていると聞いた。


 だが、やはり伝統を重んじる貴族には受け入れられず、『制服を強制しない』ことで落ち着いたのだ。そもそも、制服制度というものに馴染みがない。制服制度の導入理由として、見た目での身分差を無くし、学院内の規律を正すということだったらしいが。


今では逆に、制服を着ている者は、庶民か下級貴族しかおらず、見た目の身分差を強調しているように感じる。男性はそれなりに位の高い貴族でも制服を着る者もいるが、貴族の女性が制服を着ることは決してない。


 リリティアは、中途半端に位の高い伯爵令嬢だ。制服に袖を通すことは、卒業するまでないことが確定している。本当のことを言うと、興味がないわけではない。袖を通すのは、やはり抵抗があるが、誰にも見られないところでなら、一度くらい着てみたいとも思うのだ。学友が可愛く着こなしているのを見ると、少し羨ましい。なにより、とっても動きやすそうなのだ。


(やっぱり、ちょっとだけ、着てみたいかも。)


 制服を遠目に見つめながら、益体もないことを考える。


(・・・うん。わかってる。ただの現実逃避よね。)


 リリティアは、遠い目をしながらも、足を動かし続けた。玄関ホールを抜けて、中庭を横切ると第二校舎につく。リリティアの教室は、2階の一番奥だ。





 始業前のざわついた空気の中、リリティアはそっと教室の扉に手を掛けた。


「おはよう。リリィ。」

「・・・!」


 低くどこか甘さを含んだ声に、リリティアの体が大げさなくらい震えあがった。体が硬直する。


(ウソ。やだ!こんなに早々に!出会っちゃうなんて!)


 振り向かなくても、彼だって判る。アルフレート・ダグラス。一昨日までの『友人』であり、今は最も避けたい、ある意味リリティアにとっては『天敵』とも言える人。


「ごめん。急に声を掛けたから、驚いたかな?風邪は大丈夫?」


(・・返事、しないと。でも!)


 優しく労わる声に、リリティアはぎくしゃくと振り返り、彼の顔を見ないまま、辛うじて頷いた。


「リリィ?どうしたの?気分でも悪い?」


 怪訝そうに屈みこんで、顔を覗こうとしているのを気配で感じると、リリティアは無意識の内に後ろに下がる。


「リリィ?」


 アルフレートの声が、戸惑いに揺れるのを聞いた瞬間、リリティアは逃げ出した。全身が逃げることを切望していて、抗いようがなかった。


「何でもありません!大丈夫ですから!」


 なんとかそれだけを早口で告げると、素早く教室に逃げ込む。仲の良い友人達を見つけると、彼女達の輪の中に入り込んだ。友人達には申し訳ないが、アルフレートからの視線を遮る壁になってもらう。友人達は、リリティアの態度に少し怪訝そうにしていたが、引きつりそうになりそうな笑顔で無理やり誤魔化した。



 始業の鐘がなるまで、アルフレートが追いかけて来ないかと、不安で生きた心地がしなかった。


(ムリ!ムリよ!絶対、ムリ!!)


 授業が始まった教室で、リリティアは心の中で叫び声を上げていた。


(さりげなく距離を置く?なにソレ?)


 アルフレートに話しかけられただけで、頭が真っ白になり得体のしれない恐怖に縛られる。


 彼に会うまでは、少なくとも普通の態度を装えると思っていた。一昨日までは、確かに『友人』だったのだから。



 静かな教室の中で、リリティアの心臓の音だけが煩かった。






読んでくださり、ありがとうございました。

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