3話
今夜は月が明るいようだ。
カーテンを閉ざしていても、淡い月明かりが室内に差し込んでいる。灯りを落としていても、完全な暗闇にはならず、ほんのりと明るい。
リリティアは、大きく息を吐き出した。意識的に身体から力を抜く。ほんのりと寝具から香るバラの匂いにマリアの心遣いを感じた。
ーーーーーー・・・・・。
目を閉じなくても、占いで見た『未来』は、はっきりと思い出せる。
焼け付くような荒野で自分と対峙していたのは、二人の男女。
藍色の髪と瞳を持つ青年は、リリティアもよく知る学院の有名人だ。
『アルフレート・ダグラス』
ダグラス男爵家の三男で、武芸に関しては天賦の才を持つと、現騎士団長のお墨付きをもらっている。
彼の実家のダグラス家からして武門の家であり、優秀な騎士を多く輩出する家として広く知られていた。
ダグラス家のすごい所は、どれだけ武勇に優れていても、教養を疎かにしない所だ。武芸のみに固執せず、学問の方でも優秀さを見せる。ダグラス家の中には、軍部とは無縁の官吏として働く者もいた。過去には宰相にまで上り詰めた人もいるのだ。『文武両道』がダグラス家の家訓だと聞いている。
アルフレートも、将来を有望視される生徒が集まる学院にあって、学問の成績は上の中あたり。学問だけをとっても、十分優秀な生徒と言える。しかも、性格もとても優しく誠実であり、その上、顔も整っているとなれば、周りが放って置くわけがない。常に人の中心にいるような人だ。
その彼、アルフレート・ダグラスとは、1年生の時から同じ教室で学んでいて、学院の行事などで何度か話をするうちに親しくなった。
リリティアは目立たない生徒ではあるが、彼は誰にでも公平に接してくれる。『友人』と、言えなくもない。
でも、未来の私は、彼に対して『私を裏切った』と言っていた。隠しようもないほどの憎悪を乗せて。
(・・アルフレート様が、私を裏切るって、どういうことかしら?)
彼は、正義感の強い誠実な人だ。『裏切り』という言葉と、リリティアが知っている彼とが、全く結びつかない。
(・・・・でも。)
アルフレートは、リリティアの罵る声を否定しなかった。いや、否定しないどころか、はっきりと肯定していた。悪いのは、自分だと。悪いことは悪いと認める潔さは、確かにリリティアの知るアルフレートらしい。
(未来の私が言う、『裏切り』って、何かしら?)
自分自身が、自ら破滅の道を辿ってしまうほどの『裏切り』など想像もつかない。だが、未来の自分が感じていた、自身を焦がすほどの憎悪は間違いようがなく、同時にあんなにも人を憎むことの出来る自分が恐ろしかった。
(それに、あんなに大きな声で、人を正面から怒鳴りつけるなんて・・。)
未来の自分とはいえ、リリティアには信じられない。幼いころから、貴族の一員として、立派な淑女になるためにと、厳しくしつけられている。大声を出すだけでも、はしたないとされるのに、感情のままに誰かを怒鳴るなど、考えられなかった。
(まるで、私が『私』じゃないみたい。)
そこまで考えて、ふっとある存在が脳裏をよぎる。実際に目にはしていないけれど、未来のリリティアはその存在をはっきりと意識していた。
「・・・魔王。」
肩に置かれた、ぞっとするほど冷たい手を思い出し、リリティアは慌てて上掛けを引き寄せ、丸くなる。
その存在自体が、『忌むべき者』であり、『人類の敵』『恐怖の象徴』とされる。教科書や数々の文献に記されていることは、リリティアも当然知っていた。
――――――― だが、違う。
未来で感じた『魔王』は、人類が敵うことなど有り得ないほど、強大な力を持っていた。その気になれば、いつでも世界を滅ぼせるほどの。『恐怖の象徴』などではない。彼そのものが『恐怖』であり、『破壊者』だ。
リリティアは、強張った体からゆっくりと力を抜きつつ、恐怖心を心の中から追いやる。今現在、この場に『彼』はいないのだ。『魔王』が復活したなんて話も聞かない。大丈夫と自分に言い聞かせる。
そういえば未来の自分は、『魔王』に対して、不思議とそれほどの恐怖を抱いていなかった。
(なぜかしら?)
あの時『魔王』は、未来の私に『これで満足か』と問いかけてきた。
それに、未来の私は、強く『闇』の影響を受けていたみたいだ。
それは、・・・・・つまり。
(・・まさか、未来の私は、『魔王』の眷族?『魔王』の手下ということ?)
ドクリっと大きく心臓が波打つ。
自分自身の突飛な発想に動揺するが、そうでも考えなければ、辻褄が合わない。そもそも『魔王』の司る属性が『闇』なのだ。『闇』に落ちるとは、即ち魔王の元に下るということ。
魔法を習う時、必ず一番初めに教えられる。『闇』に取り込まれることを『闇落ち』と言い、絶対に『忌避すべき現象』であると。
体がぶるりと、大きく震えた。『闇落ち』には、二通りある。自ら望んで『闇』に落ちる場合。あるいは、もともとある強い負の感情を『闇』の力で増幅されて、結果『闇』に落ちる場合だ。
未来のリリティアがどちらだったのかは、知りようがないが、『闇落ち』したのは、おそらく間違いない。
『闇落ち』した人間は、破壊衝動が止まらないと授業で習った。そして『闇』が『闇』を呼び、やがて制御できなくなると、理性を無くし暴走する。破壊だけを目的とした化け物になるのだと。
(そんな!嫌よ!)
リリティアは震える体を抱きしめ、唇を噛んだ。
アルフレートに殺されるという衝撃的な未来を見てしまったせいで、今までその部分ばかり考えていた。何故、殺されなければならないのか。何故、死を受け入れようとしたのかなど、考えもしなかった。
(そんなの、絶対に嫌!『闇落ち』なんて・・怖い!どうしたらいいの?どうしたら・・)
涙が、ボロボロと零れ落ちて、枕を濡らしてゆく。大声で泣き喚きたいのをぐっと我慢して、枕に顔を押し付けた。
『アンタがどんな未来を見たのかは分からないが、人と人との関係性を変えれば、未来が変わることもあろうさ。』
「関係性・・・。」
ふと、老婆の言葉を思い出した。あの時は、アルフレートに殺されないために質問したのだが、老婆は確かにそう言っていた。
未来の自分がアルフレートに向けていた強い憎悪。それは、アルフレートの『裏切り』にきっと起因している。アルフレートの隣にいた女の子。彼女にも、おそらく大きく関わっているのではないだろうか。あの現場にいた時点で、無関係とは思えない。
あの女生徒には、見覚えがある。たしか平民の出の子で、急に大きな魔力が顕現したとか。扱いを誤ると危険と判断され、中途入学が許されたらしいと、噂になっていた。
確か、名前は、ミリア・クライン。珍しいピンクブロンドの髪をしているので、人ごみの中でも目立っていた。特別クラスで魔法の制御を学んでいるらしく、リリティアとの接点はほぼ無い。せいぜい校内ですれ違うくらいだ。
(要は、裏切られないような関係性になれば良いということよね?)
アルフレートとは、同じ教室で学ぶ『友人』という関係。
『裏切り』という行為はそもそも、親しい関係でないと成り立たない。ということは、裏切られないようにするには、接点を無くせばいいのでは・・。『友人』ではなく、ただの『顔見知り』程度の関係性を築けばいいのではないだろうか。
(むしろ、積極的に嫌われた方が・・。でも、嫌われるって、どうやって?)
そこまで考えて、リリティアは内心、首を傾げる。今まで、誰かに嫌われるよう努力した事などない。そのまま、嫌われる方法を頭の中で模索してみたが、全く考え付かなかった。
リリティアは、小さくため息をついた。
(やっぱり、私に頑張って嫌われるというのは無理ね。)
リリティアは、『友人からただの顔見知りになろう作戦』を採択することに決めた。
彼はいつも沢山の友人に囲まれている。さりげなく距離を取っていけば、すぐに『友人』から『顔見知り』に格下げされるはずだ。そうすればきっと『裏切られる』こともなくて、彼を憎むことだってない。何らかの関係があるだろうミリアとも、接触しないように気を付けなければ。
(大丈夫。彼らと関わらないようにするだけだもの。私にだって出来るわ。)
不安は火種のように燻り続けているけれど、やるべき方針が固まったことで、リリティアは崩れかけた心を立て直した。
(大丈夫。関係性が変われば、未来も変わるはずだもの。)
ふっと、アルフレートの優しい微笑みが脳裏を過り、小さく心が痛んだがリリティアは気付かないふりをした。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
不定期ですが、頑張って更新するので、よろしくお願いします。