Chapter 1 - 2
Chapter 1
2
目が覚めると、そこは凍える森の中ではなく、暖かい部屋のベッドの上だった。
「やあ、気がついたかい?」
一人の青年が部屋に入ってきた。年齢は十八くらいだろうか。暖かさに満ちた、澄んだ青い瞳。じっと見ているとその中へ吸い込まれてしまいそうだった。
「あの……うっ……」アクアは起き上がろうとしたが、負った傷が痛くて起き上がることができない。
「大丈夫?無理に動くと傷にさわるよ。さっき魔法屋で買った薬草を塗ったから、すぐに良くなるとは思うんだけど」
「あなたが助けてくれたのですか?」
「ああ。雪の森の中で倒れていたのを見つけて、このフリージュの町まで運んできた」
「どうも助けていただいてありがとうございます。このご恩は決して忘れませんわ」
アクアの丁寧な態度に、青年は少し驚いた。
「ずいぶん礼儀正しい人なんだね。それにどこか高貴な雰囲気がする。どこかの富豪のご息女とか?」
ここで王女だと名乗って、敵に追われていることが知れれば彼にも迷惑がかかるかもしれない。ここは気づかれないよう庶民のようにふるまわなければ。
「い、いえ、私はただの一般庶民ですわ。ただわたくしの父が礼儀作法にうるさい人だったので、いろいろと教え込まれただけなんです。そういうあなたこそ、ずいぶん立派な鎧を纏ってらっしゃるのですね。さぞ由緒正しき家柄なのでしょう?」
「そんな、由緒正しいなんて……なんてことない普通の家だよ」
「そうなんですか?以前伯爵の一行を見たことがあるのですが、お付きの方はとても立派な鎧を纏っていらっしゃいました。あなたの鎧も、それによく似ています」
「そんなにいいものじゃないよ。そういえば自己紹介がまだだったね。僕はクリス。クリス・アーチェイン。見てのとおり剣士で、修行も兼ねて旅をしている。あなたは?」
「私の名はア……」
一瞬本当の名前を言いそうになって、焦ってしまった。首をかしげるクリスに悟られぬよう、軽く一呼吸おいて、落ち着いた様子で口を開いた。
「……アンドレス。マリン・アンドレスです」
「マリン・アンドレスか。どこかで聞いたことあるようなないような」
「そ、そうかしら。ありふれた名前ですわ」
マリン・アンドレスというのは、アクアが愛読していた名著な本の登場人物の名前をもじったものだった。何とか話題を変えようとして、ふとあることを思い出した。
「そういえば、アーチェインといえばどこかの有名な剣士もそんな名前だったような気が……」
「……フリドリッヒ・アーチェインは僕の父です。といっても、本当の父親ではないんですけどね」そう言って苦笑いするクリスの青い瞳は、心なしか曇って見えた。
「そうなんですか……でも、素晴らしい方がお父様になって、あなたも誇らしいことでしょう」
すると、ふいにクリスの顔が暗くなった。
「ご、ごめんなさい、何かいけないことでも……」
「いや、大丈夫、なんでもない。それよりも、マリンさんはあの森の中で一体何をしていたんだい?」
「ええと……特にこれといって目的はないのですが、世界中を気ままに旅して歩いている、とでも言っておきましょうか」
「世界中を気ままに旅している、か。それにしてはずいぶん手ぶらなようだけど」
「わ、私、荷物は軽い方が好きなんです」痛いところを突かれ、アクアは慌ててしまった。
「そうか。でも、それではいろいろと大変だろうに。武器を持ってないところを見ると、魔法を使うのかい?」
「一応護身用の短剣は持っているのですが、剣の腕の方はあまりよろしくないので……」
「なるほど。それではどうだろう。僕も一人で旅をしている身。一人より二人の方が何かと頼もしいだろう。一緒に旅をしないか?」
アクアは少し考えた。たしかに彼がいれば頼もしいかもしれないが、何しろ自分は狙われている身である。彼にも危険が及んでしまうかもしれないと思うと、素直にイエスとは言えなかった。
「マリンさん?」
澄んだ青い瞳が私の目をじっと見つめる。そんな瞳に見つめられると、心が痛んでしまう。
「何か都合の悪いことでも?」
「あ、いえ……そうですね、ぜひご一緒させて下さい。でも、ひとつ忠告しておきます。私と旅を共にすれば、これから危険なことが待ち構えているかもしれません」
「危険なこととは……何か事情でも?」
「今は申し上げることはできません。でも、いつか必ずお話します。それでも良いというのなら、ぜひご一緒させてください」
「僕は全然かまわないよ。むしろその方が意義のある旅になりそうだ。それに、あなたと似たような人を僕は前に会ったことがある」
「そうなんですか?それは一体……」
「……さて、話はこれくらいにして。夜も遅いし、そろそろ寝ようか。幸い足の傷もそんなに深くないみたいだし、数日もすればよくなるだろう。だからゆっくり休むといい」彼にも何か事情があるようで、途中でアクアの話を遮った。アクアもいろいろ隠しているが、クリスも何かを隠しているようだ。
「あ、僕のこともクリスって呼んでくれていい。それじゃ、おやすみ」
「じゃあ私のこともマリンで。おやすみなさい」
クリスはにこっと微笑んで、ランプの火をふっと消してソファーに寝転がった。この部屋は一人部屋だったので、当然ベッドもひとつしかなかった。
真っ暗な部屋を、窓から差し込む月明かりが部屋を照らしていた。町の夜は平和そのもので、さっきまであんな惨事があったことなど嘘のように静まり返っている。
このスノーアイランドには他にも点々と町や村が存在しているが、すべてウィンタリィル国の領地。数日後には国が滅んだことが知れ渡り、まもなくこの大陸は他の国の領地争いに巻き込まれるかもしれない。雪景色でこんなにも綺麗な町や村が、戦火の渦に巻き込まれてしまうのかと思うと、なんだか悲しい気持ちになる。
「眠れないのかい?」
「ええ。ちょっといろいろあったものだから……」
「そうか……どんな辛い思いをしてきたのかは分からないけど、今は身体のために休んでおいたほうがいい」
クリスを見ていると、アクアはなぜだか心が落ち着いた。彼の優しい青い瞳のせいだろうか。その瞳に見つめられると、何もかも失って途方に暮れていたアクアの心はすぐに立ち直れそうだった。
「そうですね。これから長い旅に出るんですものね。早く良くならないと。おやすみ」
「おやすみ」
とにかく今は傷の治療に専念しなければ。早く治して、これからどうしなければいけないのかを考えなければいけない。
アクアは不安を感じていたが、目を閉じると、突然起こったいろいろなことで疲れていたせいか、すぐに深い眠りに落ちた。
to be continued...




