Chapter 8
Chapter 8
そこはとてもひんやりとしており、狭く、薄暗く、でも空気は外と変わらず、なんとも不思議な洞窟だった。
「あー、まだケツが痛ぇ……」レオンがさっきからずっと、お尻をさすっている。
クリスも同じく痛みを感じるようで、何度も立ち止まって深呼吸をしては、「よしっ」と気合を入れていた。アクアは何とか痛覚を遮断しようと考えないようにしていたが、どうにも歩き方がぎこちなくなってしまっている。
あれからルーンの後をついて行った三人は、無事に目的の洞窟にたどり着いた。入口は高さも幅も二メートルぐらいでそれなりに大柄な人間でも通れそうな広さだったのだが、少し進むと道幅が狭くなり、だんだん斜面を降りる形になったかと思えば、途中で急にほぼつるつるの通路に全員が足を滑らせてしまい、スライダーのように流れてきて現在に至っている。
洞窟の中は不思議な雰囲気だった。ずっと細い道が続いており、入口からだいぶ離れてきたはずなのに、空気がまるで外と変わりない。洞窟特有のカビ臭さも全くなかった。
「そういえば、ルーンが言ってた門番みたいなのって、どこにいるんだ?」
「あたしが最初に来たときは、さっきの滑る斜面を下りてからもうちょっと進んだ先だったんだけど……」そう言ってルーンは立ち止まった。
「どうしたんですか?」合わせてアクアも立ち止まる。
「いや、あたしが最初に来た時は、こんな平淡な通路じゃなかったと思うんだけど……もっとこう、分かれ道とかあったりして……最初とは道が違うの。やっぱりこの洞窟、何かがおかしいわ」
「でも、ずっと一本道だったぞ。おかしいのはお前の頭だろ。宝に目が眩んで、頭でも打ったんじゃないのか?」
レオンが自分の頭を人差し指でとんとん、と小突いきながら悪態をついた。
「なんですって!?」ルーンはまるで蛇のように、レオンを睨みつけた。「おお、怖い怖い」と、レオンは大袈裟なリアクションをとりながらクリスの後ろに隠れる。
「とにかく、いまさら引き返すわけにもいかないし、ひたすら前に進んでみましょう」
ふざける二人は放っておくことにして、アクアはさっさと歩いていってしまった。
「……珍しく積極的だな」
人が変わったように前向きなアクアを見て、クリスがぽつんとつぶやいた。
それからの道も、やはりルーンの言うような分かれ道はなかった。ただひたすら一本道で、幅も狭いままだった。
しばらくして、気のせいか辺りが明るくなってきた。一応アクアたちはカンテラを持っていたのだが、そのせいだけだはない。おかしなことだが、どこからか陽の光が差し込んでいるような明るさだった。
「これはもしかして、外に出られるのかしら!?行くわよ!」
「あ、ちょっとルーン!」
「俺たちも走るぞ!」
急に走り出したルーンを、三人は追いかけた。光はますます明るさを増し、ついに全員の視界を白く染めた。
「……何なの……ここ……」
そこはいつかの時代に造られた都市の廃墟のようだった。近くに海があるのか、微かに波の音がさざめいている。
「やっと外に出られたと思ったら、これかよ……」レオンが肩を落とす。
「かなり昔に滅んだ都市みたいだな。何百年か……いや、もしかしたらもっとはるか昔か……」クリスが老朽化して崩れた建造物の灰を手に取りながら言った。
各々がその光景に圧倒される。かろうじて形を保っている建物も、今にも崩れそうに佇み、ただ侘しさが漂っているだけなのにもかかわらず、どこか神聖な空気があり、思わず息を呑んでしまう。
『アクアよ……よくぞこの地へ戻ってきた……』
突然どこからか声が響いてきた。どこか近くからのようだが、肉声というよりは、まるで空が語りかけているような声だった。
「誰だ!?」クリスが腰の剣に手をかけ、周囲を警戒した。
『私たちはいつかお前が帰ってくるのを待っていた。そして永い年月を経て、ようやく今、故郷へ帰ってきたのだ』
「何!?帰ってきたって何なの!?ていうか、アクアって誰よ!」ルーンは何が起こっているのか、“声”が何を言っているのか分からず混乱していた。
「……アクアというのは、私の本当の名です」
「マリン、どういうことだ?君の名前はマリンじゃないのかい?」
クリスが訝しそうにアクアを見る。ルーンもまた、クリスと同じ表情でアクアを見た。ついにアクアは、本当のことを言わなければいけない時がきてしまったのだ。
「今まで嘘をついて本当にごめんなさい。どうしても、名前を明かせない理由があって……」
そう言いかけた時、“声”が『……ゴホン!』と、わざと遮るように咳払いをした。勝手に話を進めたことが気に入らなかったのだろうか。表情は見えないが、それに似た空気を四人に漂わせていた。
『えー、そうだ、そのとおりだ。マリンなどという下賎な名前ではない。今そこにいるのは、ノースアイランドを統治する、誇り高きウィンタリィル国のアクア・ヴィクトリウス・セント・ウィンタリィル王女だ』
「王女って、どういうこと!?」
「旅人じゃなかったのか!?」
「俺はてっきり、ただの箱入り娘かと……」
三人は驚きを隠せなかった。アクアはその様子に萎縮してしまった。
「……あ、あの、私が故郷に帰ってきたというのはどういうことなのですか?ノースアイランド以外にも、国土があるというのですか?」
アクアは一歩前に踏み出し、どこにいるのか分からない“声”に向かって問いかけた。
『なんと……お前は何も知らずにここへ来たというのか。あの突然の襲撃のことも、お前が今、懐で守っている宝玉のことも』
「この宝玉のことですか?」アクアが国に伝わってきたという宝玉を取り出し、空に向かって差し出した。
「あ、私も持ってるわよ」同じくルーンも、ポーチから無造作に宝玉を取り出す。
それを見た……と表現するのが正しいのかどうかは定かではないが、“声”は悲痛に嘆き始めた。
『これはまたなんということだ!こんな薄汚い愚民などの手に、神聖な宝玉が渡ってしまっているとは!』
「愚民ですって!?」
ルーンは食ってかかったものの、姿の見えない“声”を締め上げることができない悔しさに苛立ち、地団駄を踏みながら歯軋りをした。
「覚えてらっしゃい!もしこの先会うことがあったら、顔の原型がなくなるまでぶん殴ってやるんだから!」
『ふん、勝手に喚くがよい。どうせお前たちが私の実体に会うことは叶わぬのだから』
「それはどういうことなんですか?」
『すでに私の肉体はとうに滅び、土に還っているということだ。今は残留思念だけがこの世に留まっている』
残留思念ということは、この場所に何か思いを強く込めて残したいことがあったということ。それほどまでに、アクアに伝えなけらばならないことがあったのだろうか。
「でも、どうして国はノースアイランドへ移ったのですか?」
「隣国との戦争……」クリスが口を開いた。「大陸ではよくあることだよ。僕もちらっとしか聞いたことがないんだけど、大昔のアストルリア大陸には、今よりも国がたくさんあったらしい。大きな国から小さな国までね。でも弱小の国は、すぐに大きな国に支配されてしまう。今あるハイルランバー国は、そうした支配によってできあがった国だそうだ。もしかしたらウィンタリィル国も、戦争によって侵略されていたのかもしれない」
『そちらの青年は物知りなようだな。正解は八割といったところだが』
“声”のその口調は、どこか意味深だった。
『この国はかつて、大陸の全土を支配する大国だった。魔法を得意とし、より強大な魔力の研究も行っていた。しかし……』
それも長くは続かなかった。国は栄え、いつか衰えていくものだが、彼らはこの国が衰退するはすがないと過信していた。どこまでも進化を遂げ、やがて全世界を支配するのだと思い込んでいたのだ。しかし、少しずつ忍び寄る闇に気がつかなかった。隣国が密かに連合を組み、それが大陸にある全ての国に広がっていき、ようやく気付いた時にはすでに遅し。一気に攻め込まれ、防ぎ切ることができずに大陸から追い出されてしまった。
『我々は自分たちのおごり高ぶった力が事態を引き起こしたのだと確信した。今一度見つめ直し、ノースアイランドでやり直すことにした。まず私たちは、大陸の故郷を強力なバリアで隠し、洞窟を仲介として迷いの森と繋げたのだ』
どうやらルーンが最初に訪れた時に分かれ道がいくつかあったというのは、古代ウィンタリィルの魔法の施しによるものだったようだ。来たる時まで招かれざる者が侵入してくることのないよう、彼らは結界を張って守り続けていた。
『そして同じ過ちを繰り返さぬよう、危険ないくつかの魔法をふたつの宝玉に封印した。ひとつは悪を滅ぼす力の込められた真の珠、そしてもうひとつには、世界に混沌をもたらす力の込められた破の珠――』
「それでは、私の国を襲撃してきた敵は、この宝玉の持つ力のことを知っている者……つまり、王族の者だということなのですね……」
アクアは宝玉を胸に抱え込み、辛辣な表情を浮かべた。アクアの父、ウィンタリィル国王は、死ぬ間際に宝玉が悪しき者の手に渡らないようアクアに託した。それが王族内の者だということは、王は知っていたのだろうか。死人に口なし、今となってはもう聞くこともできない。アクアはただ、ひたすら父の言葉の言いつけどおりに宝玉を守るしかない。
一方ルーンは、ただの水晶玉くらいにしか思っておらず、扱い方も雑で、誰彼かまわず見せびらかしてしまうほど。よく今まで狙われなかったと驚くくらいである。だが、宝玉を譲り受けてからというもの、ルーンにとって都合の悪い面倒事ばかり起こっている。彼女にしてみれば、宝玉は災厄のようなものにすぎなかった。
「何が何だか分からないけど、要するにこの宝玉が全ての災いの元ってことね……だったら、こうするまでよ!」
ルーンは宝玉を片手に持ち掲げると、まるでボールを投げるかのように構えた。
「ル、ルーン!あなた何を……!」
『待て!待つのだ!』
アクアと“声”が止めるのも聞かずに、ルーンはおもむろに近くにあった建物の壁に宝玉を投げつけた。速度に任せて飛んでいった宝玉は、派手な音を立てながら、ものの見事に粉々になってしまった。
「これで世界の平和は守られたわ。こんなものがあるからいけなかったのよ。狙われる原因が宝玉だったんなら壊してしまえばいい。そうすれば、国が滅ぶこともなったんだわ。ほら、あんたも貸しなさいよ。あたしが粉々にしてあげるから」
「え、でも……」
宝玉を出せと手を差し出してきたルーンに、アクアはおろおろと戸惑ってしまった。たしかに宝玉さえなければ、もう自分が狙われる理由もなくなるかもしれない。しかし、そんな簡単なことではないような気もしてしまう。
『馬鹿者!アクアよ、それを壊してはならん!もしその宝玉まで破壊してしまえば、この世界には更なる災厄が訪れることになってしまうのだ!』“声”が慌てて阻止した。
「災厄ですか?」
『そうだ。今そこの愚民が粉々にしてしまった宝玉は、残留思念を封じ込めていた記憶の珠だ。私たちは予言していた。再び、この世には災いが降りかかるだろう、と。それを懸念して、三つの宝玉を造り出したのだ。いつか王族の子孫が宝玉を手に、世界の災いを振り払うことを祈って……残留思念はその……補助の役を担って……いた……』
急に“声”の言葉にノイズが走り始めた。
「どうかしたのですか?」
『……そろそろ私の役目は終わ……うだ……もうこの世に留まっ……なくなった……他にも残留思念……にいたのだが、皆消えていなくなる……クアよ、その宝玉は守り通すのだ……傷ひとつつけて……ぞ……』
やがて“声”は完全に消滅してしまったようだ。先程まで感じていた気配がなくなり、耳をすませても波の揺れる音しか聞こえてこなかった。
to be continued...




