幕間-FatumOculus/閑話-ハクアのこころ
その少女は不思議な力を持っていた。
望んで得た力でもなければ、努力の末に得た力でもなく、生まれながらに偶然持っていたものだ。
ただ一つ言えるのは、その力は少女にとって自分自身を苦しめるモノでしかなかったという事。
『かーさま! ねーさま! 早く早くー!』
『あっ、待ちなさぁい。そんなに急ぐと転んじゃうわよーっ』
『あらあら、二人とも元気一杯ねぇ』
『かーさまもねーさまもおっそーいっ』
年の離れた三姉妹を思わせる母娘が、笑顔を満開に街の通りを歩いていく。
そんな親子の様子を、とある屋根の上で気配を消しながら、食い入るように見つめている黒いローブを纏った少女。
この親子は偶然目に入っただけの存在。
少女にとっては文字通りの赤の他人だ。しかし、何故か少女の赤い瞳は、その親子を捉えて離さなかった。
「……か、さま。ね……さま……はや、く……」
少女はボソボソと無意識に復唱を行う。
抑揚もなければ、発声もどこかぎこちない。
それでも、その言葉には確かに熱い思いが込められていた……。
──少女の持つ不思議な力。
それは、感受性に由来する力である。
少女は生まれつき、自分が見た者の強い感情や強い意志を、受信し共感してしまう力を持っていた。
見た者が嬉しさを表せば、同じ分だけ嬉しくなり、見た者が悲しさを表せば、同じ分だけ悲しくなる。
それは感受性が豊かなんて言葉では片付けられない、特異な才能だった。
「……か、さま。ね……さま……おっそ、い……」
呟く少女の頰がわずかに緩む。
胸中がポカポカとした暖かいモノで満たされていく。それは、母と思しき二人が幼子に向ける深い“愛情”と“慈しみ”の心。姉が向ける温かな思いやり。そして、幼子の“楽しい”や“嬉しい”という気持ちを、少女が無意識に感じて受け取っているからだ。
普段から苦しみや辛み、悲しみに、怒り、憎しみ、蔑み……と、強い負の感情が渦巻く世界で生きている少女。だからだろうか、この偶然入り込んだ温かなモノは劇的に映った様である。
「………………」
暖かさに浸りながら、雑踏に紛れて見えなくなるまで親子を見つめ続けた少女。
見えなくなってからも、そっと目を瞑って擬似的に幼子と自分を重ねたりしながら、噛みしめるように束の間の温かさを思い返し続けた。
そして、日が暮れ夜の帳が降りてきた頃になって、ようやく少女は動き出す。
屋根の上から物音ひとつ……どころか、気配のかけらも残さず立ち去る。その足取りは昼間の出来事もあってか、普段より断然軽いものであった。
「……おしごと……しない、と……」
夢のようなひと時はあっという間に終わる。
我に帰ればそこは悪夢のような現実。
目に見えない意思に急かされるように少女は日常に戻る。自然な手つきで腰に手を回すと、一粒の丸薬を摘み、なんの感慨もなく飲み込んだ。
少女の中から暖かさの余韻が消えていく。その感覚が、なにか途轍もなく悍ましいものに感じる少女であったが、そんな感覚も次第に消えていった。
心のうちに波風ひとつ立たない状態になった少女は、これからの行動に頭を回す。
「……標的……」
向かうべき場所に、相対する者の容姿情報。
時間別の所在地などを改めて思い起こしていく。
あらかた精査が済み、行動の段取りを組んだところで、少女は歩き出すのだった。
スゥーっと闇に溶け込むようにして。
この日。
王国のとある街でひとつの家族が全員殺された。
その者たちは父母と娘二人で商売を営む、大変仲の良い家族であったらしい……。
結局、当の犯人は見つからなかったのであるが、この殺しを成した人物は、暫くして、自分が何をしたのか理解した時、死よりも恐ろしい、心が壊れてしまうほど壮絶な絶望を味わう事になった……。
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閑話-ハクアのこころ
「……ぅ……、ぅん……」
朝の匂い。眩しい。
うぅ……もう、朝……?
「……あ、ハクアちゃん。もしかして起こしちゃったかな? ごめんね?」
「……うぅん。だいじょ、ぶ……」
ねーさま、もう起きてる。早起き。
机にいっぱい物が広がってる。
なにしてたんだろう……?
「ハクアちゃん、ボーッとしてるけど大丈夫? まだ起きるには早い時間だし、眠いのなら寝ててもいいんだよ」
「……うぅん、へいき……」
今日も優しいねーさま。
あの人たちみたい。ポカポカであったかい。
……うん?
あの人……あの人って、誰だっけ……。
『か***! ***ま! ***く*!』
『**、***さ*い。******と***ゃう****』
『***ら、**********』
うぅ、思い出せない……頭、ずきずきする。
だめ、ちゃんと……思い出さない、と……。
ハクア、頭壊れてる。昔の事ほとんど分からない……。急いで、思い出さないと。
ねーさま、手伝えない……迷惑かかる。
「……ぅ、……ぅッ……」
「本当に大丈夫っ? 嫌な夢でも見ちゃったかな、それともどこか具合が悪かったり?」
「……っ!」
「……うーん、熱はないみたいだけど」
ねーさまはハクアに近づいてきて、おでことおでこをピタってしてきた。
とってもキレイなねーさま。近くで見るともっとキレイ。笑うとすごくかわいい。
ねーさまの笑顔みると、胸がドキドキする。
でも、苦しくない……嬉しい。嬉しい? ドキドキが嬉しい? ……不思議。
あ。……頭のずきずきも、なおった?
ねーさま、すごい。
「ハクアちゃん、どこか痛かったり、気分が悪かったりする?」
「……だいじょぶ、ありがと、ねねさま……」
「そう? んーでも、大事をとってもう少し寝てたほうがいいかもね。ほらハクアちゃん。おいで?」
ねーさまはこっちを向いて手を広げる。
すこし考えたあと、ゆっくり飛び込んだ。
ハクアはねーさまにギューってされた。
ハクアもねーさまをもっとギュってする。
「んふふ。ハクアちゃんといいアルルといい、ウチには甘やかし甲斐のある子が多くて僕も嬉しいよ」
「…………ぅぅ」
あたまナデナデ、気持ちいい……。
お胸もあったかい……ポカポカ。
頭もふわふわ。イヤじゃない。
これは良いふわふわ。
……でも、ハクアは。
「……ねねさま……」
「ん、なぁに?」
「……はくあ、めいわく……」
「んー? 迷惑?」
「……ぅん。はくあ、いたら……迷惑……」
ねーさまの物がのってる机の上、輪っかがある。
昨日、ねーさまが倒した敵の輪っか。
ねーさま、敵にはちょっと怖かった。
いつものポカポカが無くなって何も感じなくなって……でも、敵倒すのは当たりまえ……倒さないと自分がやられちゃう。
あの時、ねーさまの話、すこし聞こえてた。
たぶんハクアの居たところ……ねーさまの敵。
それに、まだ思い出せない……けど、ハクア、ねーさまにひどいことした気がする。ううん、それだけじゃない。ハクアはもっともっといっぱい、ひどいことも、悪いことしてきたと思う……。とっても悪い子。汚れてる。綺麗なねーさま達に、ふさわしくない……。
ねーさまに助けてもらう、価値……ない。
「……はくあ、ここにいるの……ダメ」
ねーさまに、アルルちゃんに、ニーナちゃんに、迷惑かかる……。ハクア、悪い子、だから……。
ハクアいなければ、ねーさま達、もっと自由になれる……。ハクアは邪魔者……。
じゃあ、黒狼のところ帰る……? どうやって? 黒狼の場所しらない。うぅん、帰れても……それはイヤ。ねーさまの敵は絶対イヤッ。
でも……、ひとりはもっと…………。
「……うぅ……ぐすっ……」
「はぁ、前にも似たことがあったっけ。ホントうちに居る子達は変に考え過ぎというかなんというか……。ねぇ、ハクアちゃん」
「……ぅ、ねね、さま……」
「ハクアちゃんがここに居て迷惑だなんて、僕は勿論、アルルやニーナだって一度も思った事ないんだよ?」
「……めいわく、ない……?」
「ん、迷惑じゃないの」
「……でも、でも、はくあ……悪い子、だから……、ねねさまの、そばにいた、ら、邪魔で……うぅ……」
「もう、そんな思いつめた顔しないの。ほら笑って?」
「……ねふぇふぁま……?」
ハクアのほっぺ、むぎゅって挟むねーさま。
ねーさま。手もあったかい……。
「大丈夫だから。無理しないで良いんだよ。僕は誰かに寄りかかるのは悪い事だとは思わない。だってずっと一人で居るのは辛いもの……」
「だい、じょーぶ?」
「そう、大丈夫だから。ゆっくり自分のペースでまた立ち上がれば良いんだよ。それで、しっかり立ち上がれたなら、今度は自分が誰かを支えてあげられる様になればいいと思うな」
「……支える」
「ん。こういうのってね、焦って無理しても、悪い方にしか考えられなかったりするんだよね。──だからさ、変な遠慮は無用で……ハクアちゃんは今まで通り、いや、もっともっ〜っといっぱい僕たちに甘えましょう♪」
「──っ!?」
ころんとハクアは転がされる。
そしてねーさまの膝にポスっと落ちた。
「はーい、暗いお話はおしまいっ。これからも、僕たちはハクアちゃんをどんどん甘やかしちゃうから。覚悟してよ? 逃がさないからね〜?」
「……うん。はくあ、にげられ、ない……」
「ふふっ。ハクアちゃんは僕たちが助け終わるまで、囚われの身なのです。さぁ、安心したらもう一眠りすると良いよ……起きるまで僕が側にいるから」
「…………ねねさま、ありがとう……」
ねーさま、やっぱり優しい……うぅん。強くて、大きい。ねーさま居ると、いっぱい、安心する。
だから、だからハクアも、いつかねーさま達を支えられる強い子になりたい、な。
ねーさま達に、いっぱいの安心をあげたい。
ねーさま。アルルちゃん。ニーナちゃん。
ハクア、もっといっぱい頑張る。
支えられるくらい頑張るから。待ってて。




