幕間-Odium incubus
獣人の童女──ハクアは闇中を揺蕩う。
一面が黒で塗りつぶされた上も下も曖昧な空間にたった一人。孤独感に苛まれながらもポツンと揺蕩う。
辺りに漂う空気は重苦しい。
闇は全ての負を凝縮したかのように不気味で、見ているだけで引き摺り込まれそうな恐ろしさを醸し出している。
この異様な空間は、ハクアが自分自身で作り出した悪夢。
人を初めて殺めたその時から、度々見るようになった彼女の心を写したものだ。
そんな空間で、ハクアは自らを抱きしめるようにして震え、身を赤子のように小さく縮めていた。
突如として空間がうねり始める。
闇の中から夥しい数の眼が浮き出してくる。
現れた眼は、その全てをハクアへと向ける。あらゆる負の感情を乗せて。
空間に老若男女入り乱れた囁き声が響きだす。その声はハクアへ向けたもの。
恨み辛みに、罵声や怒声、嘆願、悲鳴と。
種類は違えど、その全てがハクアへ向けられた彼女を呪う言葉だった。
『……ぁぁ、ああぁ、あぁぁぁッ!』
闇に包まれているハクアは叫ぶ。
向けられている負の感情から逃げるように。少しでも恐ろしいさを紛らわせる為に。
空間が更にうねる。
ふと、空気が変わった。
視線や囁きもピタリと止む。
『…………ぐすっ、ぅぅぅぁぁ……』
弱々しく嗚咽を上げる彼女は気づかない。
いつの間にか、彼女の後ろからひとつの人影が湧き出していた事に。
影はおもむろに彼女の肩を強く掴んだ。
ビクッと大きく震えるハクア。
しかし、その身体は全く自由が利かなかった。逃げようにも動かない。
指先すらピクリともしなかった。
ハクアの身体は、自らの意思を無視するように勝手に動き始める。
そして、ゆっくりと背後を振り返った。
そこには。
首から上がない化け物が立っていた。
『────ッッッ!!?』
ハクアは目を見開き涙をボロボロと零す。
叫び声は上げたくとも出せない。
首なしの化け物は、ゆらりとハクアの首に手を伸ばす。
そして、力の限り絞めていく。
『……ァァ……ッ』
抵抗すら出来ず苦しみに悶えるハクア。
そして、首なしの化け物に続くかのように、次々人影が湧き出す。
身体中を赤く染めた者。
四肢があらぬ方に向きながらも這いずってくる者。形容できない肉塊の様な姿をした者。姿自体が判然としない者。
全てが全てハクアに近づいていき。
ハクアを甚振っていく。
殴る、蹴る、絞める。
武器で身体を貫いて、切り裂いて。
最後には首を落とす。
そんな目も当てられない暴力が続く。
しかし、いくらハクアの身体がボロボロになろうと。苦しみ傷ついて意識が飛ぼうとも、気づけばまた戻ってきている。何もなかったかの様に、無傷な身体を取り戻す。明瞭な意識を取り戻す。
そして、また彼女は異形たちに甚振られ続けるのだ。
繰り返し、繰り返して、繰り返す。
まさに、悪しき夢、狂った宴。
終わりが見えない悪夢に、ハクアは絶望する。心が擦り減っていく。
このままでは、彼女の心は壊れてしまうだろう。
それほど凄惨な悪夢だった。
──そんな時。
突如として闇中に一筋の光が差し込んだ。
光の筋は徐々に大きく広がっていき、やがて空間の全てを暖かく照らし出す。
彼女を苦しめていた者たちは、光に包まれると、一瞬にして消え去った。
その全てが嘘のように消え失ったのだ。
ハクアはこのあっという間の出来事に呆然とする。
次いで、光に満ちた白い空間がほろほろと崩れていく。
崩れた先に現れたのは、一面に大きく広がる大草原だった。
青々とした草の絨毯が楽しげに揺れる。
燦然と輝く太陽の光は、彼女の心ごとポカポカと優しく温める。
心地よい風がハクアの頰をくすぐった。
『…………あた、た、かい……』
いつ以来なのか分からない安らぎ。
久しぶり過ぎる安息をハクアは得た。
悪夢により傷ついた心。今にも散りじりになりそうな心が、少しずつ癒されていく。
今この時だけは、恐ろしき者の影は一切見えなかった。
悪夢が完全に晴れて、安らぎを得た心が、休息に入ろうと意識を深く落としかけた時。
『だいじょうぶ、だいじょうぶ』
そんな言葉が、ハクアの心に届いていた。




