改変と抱擁と幼獣人
魔術の中に『改変術』というものがある。
これはその名の表す通り、完成した魔法具を改めて作り変える技術で、数ある魔術の中でも屈指の難易度を誇る技術の一つだ。
ただ、技術の特性上悪用する者も多く、完成品に手を出し弄るという印象の悪さから、職人気質な魔術師にはあまり好まれず、高度に修めている術師も少ない。
近年では、改変術を改竄術という不名誉な蔑称で呼ぶ者までいる始末で、技術の開拓が滞っている分野でもある。
そんな改変術を、俺はこれから行おうと思っている。まさしく奴隷の術式を改める為に。
……当然ながらこれは違法だ。
奴隷関係の術式に手を加えるのは、魔術の悪用で犯罪らしいし。
獣人ちゃんの奴隷紋が、たとえ正規のものじゃなく違法なものだったとしても、それは変わらない。
でも、止めるつもりはない。
今こそ使う時だろう。
そもそも俺は、一般の魔術師みたいに真面目な優等生ではないからね。
『魔術師たるもの、修めた魔法技術は、崇高な魂を持って正しく行使するべし』
こんな感じの理念を、魔道ギルドや大多数の魔術師、魔法士は掲げてるみたいだけど。
お生憎さま、うちのお師匠さまからは違う教えを受けている。
『使いたい時に思いっきり使え』
師匠の場合はこれだけだ。
実に簡潔で分かりやすい。
まぁ、その後には。
『悪用しようが善用しようがお前の勝手だ。好きにすればいい。だが、どちらに使うにせよ、魔術には思いっきり全力で取り組め』
──と続くけど。
その辺りも師匠らしいと思う。
本気で取り組むなら善悪問わないなんて、大多数の魔術師から批判が殺到しそうだけどさ、俺は師匠の教えを支持するし優先する。
今回は悪用しますが、思いっきり全力で取り組むので許して下さい師匠。
心中で一つ、師匠に詫びると俺は作業に移る。子供部屋を出て、獣人ちゃんの部屋へ足を向ける。
「シャルくんっ。お料理とかお掃除は、あたしたちに任せてね〜。シャルくんは気にしないで魔術頑張ってっ♪」
「うん、ありがとアルル」
「えへへ〜♪」
渾身のがんばりますのポーズをとるアルルが微笑ましい。思わず頭をなでなで。
「シャルもなんだか疲れてるみたいだから、根を詰めすぎない様にね?」
「ふふ、わかった。ニーナもありがとね」
「こ、これくらい当然、よ……」
肩に手を置いて優しく労ってくれるニーナにも、笑顔で感謝を告げる。
恥ずかしげな表情が可愛らしくて、胸が温かい気持ちになる。俺の横でアルルと同じポーズをとってる精霊さんも大変愛らしいね。
見てるだけでやる気がグングン湧いてくる。
「それじゃあしばらく作業させてもらうね。二人はいつも通りに寛いでて良いからさ、終わったら僕も顔見せるし」
「わかったのっ」
「ええ」
二人とも笑顔で送り出してくれる。
俺も手を振って応えると踵を返す。精霊さんは護衛役らしいのでついてくる。
寝室への扉に手を伸ばしながら、俺は子供部屋でこれから何するのか話し、二人とも手伝いたそうにジっと見つめてきたのを思い出す。
治療と違ってこれからするのは魔術だし、手伝えることがないから、と流石にご遠慮してもらったんだけど……。
気持ちはしっかり受け取ったからね。
アルルとニーナの分も合わせて、三人で獣人ちゃんを助けよう。
今回の魔術。正直俺でも相当厳しいものになると思ってる。
そもそも、改変術って魔術歴一年未満で、手を出していい技術じゃないし。
手に余るのは仕方ない。足りない部分は適宜対応しないとだ。失敗は許されないのだから。
静かに扉を開けて部屋に入ると、独特な良い香りが鼻腔をくすぐる。アロマモドキの効果はまだ続いているみたい。
獣人ちゃんは安らかに眠っている様子だし、このまま作業に入っても大丈夫かな。
二つあるベッドのうち、獣人ちゃんが横になっている方へ近づく。彼女の頭の横辺りにしゃがみ込み、そっと手を伸ばす。
まずはこの魔術式の解析だ。
詳細がわからないと変えようがないからね。
「……失礼します」
壊れ物を扱うように彼女の首の裏、魔術刻印があった辺りに手を差し入れると、そこを起点にして辿り、彼女の精神体に根付いている術式の全体を把握する。
そして、それを自身の精神領域にそのまま写し取っていく。
術式が偽装されている場所には惑わされず、隠蔽されている部分は暴く。
丁寧に慎重に情報を集めて同じものを模る。
目を閉じて自分の内側と向き合い。
正確に写し取った術式を解体したり、一つ一つの関わりを汲んでいく。
そうして術式全体の作りをしっかり理解する。
「…………んぅ? むぅぅ……んん?」
しばらく、獣人ちゃんの枕元で唸りながら解析を続けていくと。
「なにこれ」
思わず声が溢れた。
いや、本当になんだこれ?
大方の解析は出来たものの、どうにもおかしな結果となった。汲み取りに漏れがあったのかなーと、やり直しても見たが、何度やっても同じ。
この刻まれた術式。所々違いがあるものの、正規の奴隷の首輪と作りに大差はない。
術式が精神体を縛り、主人の願いを叶えるように強迫観念を植え付ける。
命令に反する行動を取ると魂を締めあげていく。
奴隷の位置を発信し場所を知らせる。
大体はこんな感じだろう。
正規品なら、魂ではなく首輪で首が絞まる仕様だから、こっちの方がより悪辣になっている訳なんだけど。
ここは予想の範疇だから別に良い。
それより一番おかしな部分は別にある。
この術式は、至る所が虫食いのように抜けていて、成立してないのだ。
本来なら発動しない不完全な術式。
なのに獣人ちゃんの術式を観測してみると、ちゃんと動いてるんだよねぇ。
「どういうこと?」
考えられる可能性として、魔力以外の要素が術式の間を埋めている?
魔力以外っていうと闘力?
いやいや、あり得ないよね。
闘力は俺が脳内でひそかに『脳筋パワー』って呼称するほど、そっちの細かい運用に向いてない力だ。
じゃあ焔魔纏のような不思議パワー?
それこそまさかだろう。
「ぁあ〜〜うぅ〜〜……わからなぁい」
魔術解析は『魔』に由来するものしか知覚できない。捉えられなきゃ解析なんてできっこない。
あぁ〜、魂を目で観測できるなら解決するのにぃ。改変する前から躓くとか酷すぎる。
俺は髪をむしゃくしゃに掻きむしりたい衝動をなんとか抑えて。
「すぅ〜〜、はぁ〜〜」
深呼吸を一つ。
意識的に思考を切り替えていく。
このままだと埒があかないし、どんどん逃避していきそうだった。
とりあえず考えを変える事にしよう。
全体を把握できないなら、わかっている部分を弄ればいいじゃない、と。
結果的に、術式を無効化できればそれでいい訳だ。
それはそれで難易度がバカみたいに上がるけど、今更上がったところで関係ない。
初めから身の丈に合わない技術に違いはないのだから。
ふふふふ。
いいでしょう。いいでしょう。
成功させるのは元より必須事項だ。
この挑戦、魔術師として受けて立とうじゃないの。
安らかに眠る獣人ちゃんの顔を一瞥して、俺は改めて覚悟を決めた。
◾︎◾︎◾︎
「んぅ〜、にぁぁふぅ……ぁれ?」
小さな欠伸を一つ。
ふと気がつけば父様のベッドの上に寝転がっていた。どうやら俺は今の今まで意識を落としていたようだ。
窓の外を見るとまだギリギリ明るかった。
部屋には未だにアロマモドキの匂いも漂っているから、思っていたより時間は経っていないみたい。
俺は気だるい身体に鞭を入れ、むくりと上半身を起こす。
寝起きでボーッとする頭を叩き起こしながら、思考を巡らせていく。
えっと、たしか……──あぁ、そうだ。
獣人ちゃんに対して、持ちうる限りのあらゆるものを総動員して改変術を使ったんだったね。
それで精も魂も使い果たしちゃって、思わず向かい側にあった父様のベッドに飛び込んだ訳か。
「はぁ、よかったぁ……」
明瞭になっていく記憶に俺はほっと息をつく。最悪の形で意識を落とさなくて本当によかった……。
それで、だ。あの獣人ちゃんへの改変術なんだけど。一応は成功といえるモノは掴みとれた。
一番理想としていた形には、残念ながら実力不足で手が届かなかったけど、無効化させることは出来たのだ。
今回、俺は改変で獣人ちゃんの隷属の術式を『一時的に無効化』させた。
術式の幾つかに壁とバイパス……横道を作って主幹となってる部分を機能しないようにする事によって。
例えるなら列車のレール切り替えみたいなものだね。少し違うけど。
現状、隷属の術式は丸々残ったままだから注意は必要だが、しばらくは大丈夫なはず。
虫食いの部分も不気味だったから塞いで、別に道を作っておいたし。
ただ、一月くらいしか保たない。
今回の処置は対症療法みたいなもの。
急造で外付けだったせいもあるけど、魂に根付いた術式を弄るせいか、あまり高強度の魔力を込められなかったのだ。
その辺りは仕方ないとしか言えない。
人の魔力はそれぞれ千差万別。同じものは絶対にない。下手に他人の魔力を注ぐと拒絶反応とかが起きかねないし。力の威圧がいい例かな。他人の力を大量に浴びせられて身体が怯むのも、大枠では拒絶反応の一つらしいし。
……でも、俺だって出来る範囲で最大限に気を使ったから、不調は起きないんじゃないかなぁ、多分。
とまぁ、結果でいえば悪くない。
時間制限はあるけど、今後の解決策を捻出する為のものと考えれば、それも気にならない。今日はこれくらいで納得しておこう。
「ふあぁ……疲れたぁ」
一連の作業を思い返すとため息とともに、そんな言葉が漏れてしまった。
もうね、人体に刻印なんて入れないでほしいよねまったく。改変がやりにくいったらなかったよ。
正に針穴に糸を通し続けるが如くってね。
師匠が全身至る所に、刻印を入れてるから見慣れてたけどさ。普通、人体に刻印の魔術を入れるなんてありえないんだから。
綺麗な肌云々の話じゃなく、下手すれば精神体が傷ついて一生戻らなくなる。
これって、魔法具を身体に埋め込むようなものなんだよ?
「あぁ、もう本当に失敗しなくてよかったぁ……」
改めて安堵から息をつき、俺は施術対象であった獣人ちゃんの方へ視線を向ける──と。
「…………」
「ん?」
獣人ちゃんの赤い目と、俺の目が交わった。
いつの間に目を覚ましたのかな?
向こう側にある母様のベッドから、一対の視線が飛んできている。
瞼が半分落ちて半眼となっているお目々は、じぃ〜〜と俺を捉えて離さない。
戦った時のように殺意を含んだ眼差しではないみたいだけど。
どちらかと言えば、寝ぼけ眼?
目がトロ〜ンとしてて、逆に保護欲が湧くような眼差し。
俺と獣人ちゃんが見つめ合うこと数十秒。
獣人ちゃんがゆっくりと身を起こした。
俺は警戒をしながらも動かず様子を伺う。
ニーナたちの話を聞けば、どうも保護する直前まで錯乱してたみたいだからね彼女。
獣人ちゃんはそのまま地に足をつけると、一歩二歩とフラフラとした足取りで、俺の方まで近づいてくる。
雰囲気は変わらずボーとしたままだ。
獣人ちゃんとの距離が埋まる。
あと一歩踏み出せば接触できる距離。
いま俺は父様のベッドの縁から足を下ろして座っているから、彼女を見上げている形である。
「…………かか、さまっ」
「──っ!」
なにやら獣人ちゃんが呟くと、突然彼女は俺に向かって飛び込んでくる。
襲いかかってきたのかと思って、一瞬身構えたものの、害意らしきものはなかったので、そのまま様子見をすると。
獣人ちゃんは俺の前に座り込む形で、胸のあたりに顔を埋めてギュウッと抱きしめてきた。
俺はハンズアップの状態で待機中。
「……かか、さま。……かかさまっ」
「ひぅっ!? ……ッ」
胸をスリスリされてくすぐったいのを我慢して、彼女の言葉を聞き取る。
訛り気味の共用語で聞き取りずらいけど、何故か俺のことを母親と勘違いしているみたい?
……うん。なぜに母親? そこは兄か父親でもいいじゃないのよ。やはり、俺の背が低いのがいけないのか。くそぅ。
「……かか、さま。はくあ、がんばった。がんばった、の……かかさま、ほめ、て。かかさまぁ」
「えっと」
抱きつく力がさらに強くなる。
そして頭のスリスリも続く。
この子、かなりの寝ぼけ体質?
初めは精神的な異常かと思って、注意深く観察してたけど、これ普通に寝ぼけてるし。
「……かかさまぁ。かか……さまぁ」
尻尾をゆっくりとフリフリして耳をピクピク動かす獣人ちゃん。大型犬がじゃれついてきてるようで、なんか微笑ましい。
「よ、よしよーし?」
「……わぅぅ。……かかさま、もっと……もっと、なでて……ほめて……っ」
思わずあげていた手を動かし、彼女の頭をそっと撫でる。
獣人ちゃんはより強くすがりついてきた。
「よしよし、よくがんばったね」
「……ぅぅう。……はく、あ、がんばったの。ぐすっ……くるし、かった、けど……がんばったの……ぅぅ……かかさまぁ……」
「ん、そっか。本当によくがんばりました。えらいえらいっ」
すがりついてくる彼女……いや、多分だけど『はくあ』っていうのが名前なのかな。
まぁ、獣人ちゃん(はくあちゃん)が、涙声で胸の内を告げてきた。
予想はしていたけど、これは心を癒すのが大変かもしれない。このまま彼女から色々聞こうとも思ってたけど、やっぱりやめておこう。
今日は休ませてあげた方が良いだろうし。
彼女には休息が必要だ。
幸い時間は作れた。急がずゆっくりといこうじゃないの。
「ほら、こっちおいで? ちゃんと休まないとダメだよ」
靴を脱いで父様のベッドの上に上がり正座をする。そしてポンポンと膝を叩いて彼女を呼ぶ。
すがりついてくる獣人ちゃんに、このままベッドで寝るように言っても聞きそうになかったので、この手を使うことにした。
寝かしつける為には仕方ないだろう。
よくアルルにもしてあげてたし、俺は慣れてるからね。膝枕してあげるの。
「……かか、さまぁ」
「ほら、大怪我してたんだから、ちゃんと休まないとだよ」
「……わうぅ」
膝にポスっと頭を乗っけた獣人ちゃんの目元に、手をそっと当てて瞼を閉じさせる。
それから、彼女の頭を撫でたり背中をポンポンとリズミカルに叩いたりしていると、あっさり獣人ちゃんは眠りについた。
「……ふふ、今日はこのまま過ごさないとかな? まぁ、いっか」
現状をみて小さく微笑みながら呟く。
獣人ちゃんの片手は俺の服をしっかり掴み、もう片手で俺の尻尾を抱き込んでいる。
尻尾触られてると物凄く擽ったいが、起こしちゃう可能性を考えると、無理に抜き出すこともできない。
服もかなりの力で握られている。意地でも離さない姿勢だ。
「……仕方ないよね」
精霊さんに二人を呼んでもらって、事情を話そう。
流石にここでご飯を食べることはしたくないから、夕飯は抜くことになるのかな。
一食抜く程度なら大丈夫でしょう。
膝枕したまま待機するのも慣れてるもん。
アルルや母様にした時も毎回似たような感じになっちゃうし。
「精霊さん、お願い。二人を呼んできてもらえるかな?」
『了承。オ任セ下サイ』
俺が指示をすると。
今まで無言で護衛を務めていた優秀な精霊さんが、キビキビと扉の向こうへと消えていくのだった。




