魔法士、死闘する!
獣人ちゃんの猛攻が続く。
砕けて飛散する石の飛礫が、浅くも数多くの傷を作る。戦斧の対処ばかりに気を取られると、蹴りや拳が飛んでくる。
気づけば生傷絶えない状態となっていた。
これは側から見れば確実に獣人ちゃんが優勢で、俺が劣勢と映る光景。
「──くっ」
獣人ちゃんが戦斧を振り下ろす度に、地面が陥没して捲れあがり地形が変わっていく。彼女は手加減の一つすら感じない。いっそ清々しい程の殺意。
射抜いてくる血の瞳には、一切変わらない強すぎる程の意思が宿っていた。
それは、負の感情。ここまで強い意志を抱けるのは素直にすごいと思う。
でも、こういう感情は維持するだけでも、かなりの負担となるのを俺は知っている。
……もう、ほんと、意気地なしだ。
気づくのが遅すぎる。
冷静になってやっと理解するとかさ。
いや、明らかに無意識で避けてたのでしょうね。
「──っと」
獣人ちゃんの戦斧による振り下ろしを、横に跳んで交わし、距離を取る。
束の間に、息を整えるよう努める。
「それに、ファンタジーに会って浮かれてたのもあるか……」
そもそも獣人ちゃんは強かった。
間違いなく俺が知る中で、両の指に入れるくらいには強者だった。近づいてくる気配が読めないって分かってから、薄々は感じてたじゃないか。
それを、なんて無様。
ごめんなさい、獣人ちゃん。
変に手心を加えるような真似しちゃって。
無傷で捕まえるなんて簡単だろうって、いくら強かろうとオジさん達みたいに素手でも取り押さえられるだろうって、勝手に思い込んで楽観してた。
でも、違った。
獣人ちゃんは強い。
自分の心を殺してまで戦える程に。
それに目を逸らして、心に蓋をして気づかないようにしてたのは俺自身だ。
なら俺は今からでも本気で戦わないといけない。
ああいう感情を保ち続ける辛さは知ってるつもりだ。だから早く楽にしてあげないと。
大丈夫。獣人ちゃんは死なせない。
多少傷は出来るかもしれないけど、全部俺が直してあげる。新薬もある程度は形になってるからね。
「ふぅ……」
俺が今世を面白おかしく生きるためにも、いまここで過去の亡霊と向き合おう。
見えない呪縛を少しでも断ち切るのだ。
悪いけど獣人ちゃんには、俺の自己満足と同情心に巻き込ませてもらう。責任持って勝手に助けさせてもらう。
彼女を救う事で、俺もまた一歩先に進めると信じて、ね……。
俺は上着の下、懐に収めていた短剣──アラギ剣を手に取る。正眼に真っ直ぐと剣を構えて相対する。
正直、試行回数が少なくて自信がないけど、もうこれは成るように成れだ。
俺が素手から武器に切り替えても、獣人ちゃんは警戒すらしない。それどころか、そんなの一切構わず戦斧を振り上げて突っ込んできた。
「怯みもしないとはね……」
柄頭の魔石に膨大な魔力を込める。
想像するは──漆黒の大樹。
アラギ剣が青白く発光すると、突っ込んでくる獣人ちゃんへ向かって突き出す。
同時、アラギ剣は質量を増大させて『劔の大樹』と化す。
「……──!?」
みるみる広がり伸びていく劔の枝葉を前に、初めて獣人ちゃんが表情を変えた。
アラギ剣の勢いは止まらない。
俺も思考を止めない。
獣人ちゃんが回避する場所に、ゆっくりと枝葉を伸ばして襲い掛かり、彼女を追いかけ続ける。
彼女は枝葉を躱し、戦斧で打ち払うが手数の差で押されていく。
だいたい五〇メートル程まで育ったところで、大樹の成長は止まった。
獣人ちゃんは大樹の射程から逃げ切ったみたいだが、身体中に切り傷を作っている。
流石は獣人ちゃん。
初見でアッサリと凌ぎ切っちゃうか。
じゃあ──追撃を決行。
巨大な劔の大樹が再度強く光る。
獣人ちゃんの視界を一瞬潰した隙に、俺は風の飛翔魔法を詠唱して、夜空に向かって素早く跳び上がる。
目を一瞬潰された獣人ちゃんは、警戒度を上げて周囲に気配を尖らせる。
一拍、遅れて上空の俺に気づいた。
鼻やら耳やらで知覚したのだろう。
俺でも出来るのだから驚かない。
「──でも、これはどう」
俺は風を蹴って獣人ちゃんの元へ駆ける。
アラギ剣も変形を終えた。
振るうは、黒の大槌。
彼女の戦斧がちっぽけに思える程の、超超巨大な大槌を、彼女めがけて振り下ろす……というか落とす。
許容できる限界値まで重量を高めた大槌は、相当な威圧感を醸し出している、天が墜ちてくる錯覚を起こす事だろう。
大槌は派手に大地へ突き刺さった。
──ズガガガガァァっと地面を砕く轟音が響き渡り、大量の砂塵が舞い上がる。
感知魔法で素早く確認……。
獣人ちゃんはギリギリ回避したみたい。
そうなる様に計算して落としたから当然だ。
しかし、かなりの衝撃を受けたようでフラフラとよろけている。でも、まだ戦意は十分だ。
「追撃を決行」
巨大大槌の柄に嵌められている豆みたいに小さな魔石に触れる。再三の発光現象。
素早くアラギ剣を回収。地面に着地。
次いでアラギ剣を、柄頭を鉄線で繋いだ星球棍へと変える。ブンブン回して遠心力を盛大につけながらも、変形を継続し鉄線を伸ばしていく。
そして、舞い上がる砂塵に加えて、土魔法の煙幕で視界を封じる。
目を瞑り、煙を吸い込まないように息を止めて感知魔法に従い動く。
星球棍の勢いが付いたところで、二〇メートルほど離れた所にいる彼女に叩きつけた。
叩きつける直前に、星球の重量をグンっと上げて破壊力を高めるのも忘れない。
獣人ちゃんは、土煙を切り裂いて現れる星球にギリギリで気づくと、慌てて戦斧で迎え打った。
「……──っ」
超重量と超重量のぶつかり合い。
金属同士のつんざくような悲鳴があがる。
見た目からは想像できない星球の重さに、戦斧が跳ね上がる。
あのアホみたいに重い鉄の塊を受けて、戦斧を手放さなかったことに感嘆だ。
俺は驚きながらも、重さを下げた星球を引き戻し、引き戻した際の勢いを生かして、また叩きつける。
目を閉じ呼吸を止めたまま、砂埃の中を縦横無尽に駆け回りつつ、距離を生かして星球棍をぶつけていく。
必死で回避し防御する彼女に……
こっちもあるよっ!
……追加で、待機させていた魔法をけしかける。
星球の対処で一瞬意識が削がれた彼女に、不可視の風弾が命中する。
獣人ちゃんは十メートルほど吹き飛んだが、上手く受け身をとって跳ね起きた。
粉塵が完全に晴れる。
彼女は尚も殺意を変えず、戦斧を担ぎ直して俺へ向かって猛進してきた。
その姿はもはや狂戦士のそれだ。
でも。まだ五体満足。
俺は重くなりかける心を叱咤して、奮起する。
「追撃、決行っ」
星球を手元に引き戻し、アラギ剣本来の短剣状態へ移行。そして、短剣を彼女に向かって……突く。
彼女は先ほどの攻防から僅かに身構えるが、今度は大樹ではない。
剣身のみを一直線に鋭く伸ばす。
大樹が枝葉を伸ばす速度とは比較にならない。その速度は前世での銃撃にも届くだろう早さ。
獣人ちゃんはその速度差に驚きつつ急いで回避に移った──が、間に合わずに右肩を切り裂かれる。
あの早さの一撃を目視した後に、後出しで回避したのは素直に凄い。だが、彼女は突撃中に無理やり態勢を変えたせいか派手に転がる。醜悪な戦斧も、その手を離れて何処かへ投げ出された。
獣人ちゃんが立ち上がる気配は……ない。
「ふぅ……」
上手くいって、よかった……。
練習では上手く行ってたけど、本番は初だったから緊張した。
これは、先日あのオルトラとかいう虎の魔物をアラギ剣で倒した後に気づいて、そこから考えだした新しい戦い方。
現状、俺だけが使える反則級のアラギ剣術。
効果の程は今の戦いで実証できたかな。
アラギ剣とは、想像で形を変える剣。
その有用性は途轍もなく高い。
のだが、実はアラギ剣は魔法武具の中でもかなりマイナーな道具であり、武器としてはほぼ使われていないらしい。
でも、俺にとってアラギ剣とは──神器だ。
それも反則級の武器。
想像を明確にするだけで、大きさや重さ、形状を変えられるとか凄すぎる。
神珍鉄もビックリなインチキ性能だ。
それに加えて、俺の場合は反則が使える。
通常、アラギ剣は現存する武器にしか変形が出来ない。武器として存在しない物は作れない。
それが一般常識である。
じゃあ、俺の『劔の大樹』とは?
そう、あんな物、本来作れる筈がないのだ。
なら何で作れたのか。
オルトラを倒す時、俺はどうしたのか。
あの時は『劔の大樹』をオルトラを倒す為の武器として認識していた。
そこで気づいた反則的な真実。
このアラギ剣。
実は──『自分が武器と認識した物になら何だって変形できる』。
つまり架空の武器だって作れちゃうし、前世のフィクションであったような武器だって作れる。
極論、武器に見えない武器だって、自分が武器と認識出来れば作れる。
正に──変幻自在の神剣だったのだ。
ただ、絶対に命中するだとか、雷を放つだとか、自ら空中で動いたりだとかの武器は作れないけど……。
そんな性質つけられるなら、もはや反則を超えた何かだもの。
まぁ、これだけでも充分。
現にこの獣人ちゃんにも通用した訳だし。
形状を変え続けていた所為で、魔力消費は酷いのだが、本来の使用法とは違う使い方だから、燃費が悪いのには目を瞑ろう。
魔力も三割くらいは残ってるし大丈夫。
俺は地面に伏せった獣人ちゃんに近づく。
彼女はまだ倒れている。
でも、気は抜かない。彼女が意識を失っていないのを俺は知っているから……。
アラギ剣を懐にしまって、彼女のすぐ側まで近づく──と。
「…………ァァッ!!」
獣人ちゃんは身体を跳ね上げると、今までとは違う悲痛な声をあげて飛びかかり、貫手を放ってきた。
見事なタイミングでの奇襲。でも最初っから予測はしていた。後の先を取るのは容易である。
俺は半身になって彼女の貫手を躱すと、すれ違いざまに手首を掴む。
そのまま慣れた手つきで捻り上げる。人体の構造に従って痛みから逃げるように身体が動いていく。
そして、流れるように組み伏せて拘束する。
彼女の腕を捻り上げつつ、膝を重心部に乗せて完全に固定した。
獣人ちゃんは尻尾で拘束を跳ね除けようとしてくるが、彼女と密着している今、鬱陶しいだけで脅威はない。
俺は早く彼女の意識を落とす為、彼女の首に自分の尻尾を伸ばし巻きつけて頸動脈を絞めていく。
両手がなくても尻尾があれば裸絞めに近いことは出来るのだ。殺さない注意は必要だけど。
「……ッァァァァ!」
一般人なら反射が起きて失神してもおかしくない。それでも彼女は意識を落とさず、顔を歪めながらも全身を使って暴れる。
俺も逃げられないように必死に押さえつける。
「ん?」
獣人ちゃんの暴走を全霊で押さえつけていると、偶然彼女のうなじ辺りにある物を見つけた。
それは……魔術刻印。
師匠のような芸術チックな刻印とは違い、乱雑に押し付けられた様な焼印に近い刻印。
俺は魔術師の性か、その紋様を簡単にだが解析すると──納得してしまった。
この獣人ちゃん……奴隷だ。
それも、一般的な奴隷とは違うだろう。
この子には首輪がないのだから。
でも、同じ効果だろう術式を刻印されていた。詳しく解析してないから全ては分からないけど、まず間違いなく一般的な奴隷とは違うと言える術式の構成だ。
奴隷といえば、あのウィーティス道中に現れたオジさん達も、同じく奴隷だと考えている。あっちは首輪はおかしかったものの、特徴としては伝聞通りのものだったし。
二つの差異とこの術式から考えると、オジさんと獣人ちゃんは本来の役割が違う?
とはいえ、大元は同じか。
まさか獣人ちゃんも奴隷として使われてたなんて……ここも大きな勘違いをしていた。
「……ッァァ」
「ほんと最悪です」
抵抗が弱まりつつある獣人ちゃんを気を抜かず押さえつけたまま、ひとりごちる。
今更だが、この国──ウィリディスクラブ王国には奴隷制度はない。
いや、罪を犯した首輪付きの犯罪奴隷はいるのだが、それらは刑罰であり、生涯に渡り国の労働力となるのだから関係ないと思う。
そういう訳なので、一般人はおろか貴族だろうと、国内で奴隷を買うなんて出来ないのである。
なのに最近遭遇する、犯罪奴隷とは雰囲気からして違う奴隷らしき者の数々……。
わざわざ国外で買った者を襲わせてた?
いや、ないだろう。
国外だろうが奴隷の首輪は画一だ。
自爆したり刻印式な訳がない。
なら、俺たちの知らない所で、俺たちを巻き込んだ悪意ある企みが勝手に進んでいるって事だ。
考え至ると猛烈な不快感を覚える。
二つの奴隷の役割は違うとしても目的は同じなのだから。
誰かが──俺たちを殺そうとしている。
「……し…………ぃ」
「え?」
耳を擽る小さな振動。
それに気づけたのは偶然だった。
だが、思考に耽りながらも、彼女に意識を割いていたからこそ気づけた偶然だ。
既に抵抗をなくし、半分ほど意識が落ちた彼女の掠れた呟きが耳に届いたのだ。
それと、同時。
「──ッ!!?」
脳内が大きな警鐘を鳴らした。
身に根付いた危機意識、生存本能が反射的に身体が動かし、大きく回避行動をとった。
最早、拘束とかしてる場合ではなかった。
「……い……ぁ、……し、に……な、ぃ」
ゆらゆらと立ち上がり、静かに何かを呟く獣人ちゃんの周囲を、青い魔力の渦が急速に広がっていく。
彼女の目には……何の意思も宿っていなかった。完全な無感情。
人形のように虚ろな瞳だった。
え、自爆っ!?
そんなの術式にはなかった筈ッ。
──って、違うッ。これって……ッ。
俺はハッと気づくと、全力で彼女から距離を取るため駆ける。しかし、気づけば俺は魔力の波に飲み込まれていた。
魔法発動の兆候となる光は目で追える速さではないのだ。
「まっずいッ!!」
瞬間、彼女を起点に極白の嵐が巻き起こった。
視界が白く染まる。全身に激痛が走る。
身体が無意識に動きを止めようとする。
寒くて寒くて震えが止まらない。
だが、駆ける足は止めない。
俺はそのまま死ぬ気で駆け抜けていった。
そして数瞬後、白かった視界が開けた。
まさに九死に一生。そんな気持ちが湧き上がる。
俺は咄嗟に振り返り背後に警戒を向ける。
が、何事もなく数十秒ほど経つと白い嵐は、あっさり消え失せてしまった。
「……は、はは」
目の前の光景に息を飲む。
いつの間にか乾いた笑いが溢れた。
今まで俺と獣人ちゃんがいたであろう場所は、何もかもが凍りついた氷雪地帯に成り代わっていた。規模でいえば直径二百メートル程。
戦いで捲れ上がっていた岩盤も何もかもが真っ白だ。
そして──これをもたらした当の獣人ちゃんは、跡形もなく姿を消していた。
俺は冷え切った身体を無視して、先ほどまで彼女を拘束していた場所まで足を進める。
ザクザクと雪を踏みしめながら、俺は意気消沈する。
逃げ、られた……。最後の最後で。
それも、純然な力押しで……。
「……っ」
彼女が使ったのは──詠想だ。
詠唱とは異なる魔法技能。
何度も見た事がある魔法だ。
母様に稽古をつけてもらっていた時に、今みたいな速攻魔法を使われた。
ある意味、使いこなせれば詠唱より遥かに実戦向きな魔法なのだ。
「強いと思ったけど詠想魔法が使えたなんて……」
俺だって未だに使えないのに、獣人ちゃんは俺の予想を更に超えていたのか……。
何ともいえない気持ちが胸を苛む。
助けると誓いつつ無様に逃げられた不甲斐なさに、足取りまで重くなった。
獣人ちゃんが魔法を発動させた場所まで戻ってくる。
やはり、その姿は見えない。
近くには彼女の武器である醜悪な戦斧が放置されている事から、余裕はなかったと予想はつくが、逃げられた事に変わりはない。
足跡は林とは逆側か。んぅ、候補地が多すぎて追いかけようがない……。
「はぁ……」
気づけばため息が溢れていた。
でも、気落ちしてばかりもいられないんだよね……心を強く持たないとっ。
取り敢えず、後々回収される前に、獣人ちゃんの武器をなんとかしよう。
戦斧は重すぎて俺では持ち帰れないし、魔法を使って処置するしかないか。
底をつきそうな魔力を振り絞って、上級土魔法を発動し、戦斧を地下深くに沈める。
ひと段落つくと、一気に疲労感が襲いかかってきた。
……ぅ、疲れた。今日はもう帰ろう。
明日から忙しくなるだろうし。
逃げられたとはいえ、簡単に諦めるわけにはいかない。絶対逃しはしないと決めた。
明日から能動的に捜索しないとだね……。
そうして踵を返して帰ろうと足を進めた時、偶然何かを蹴り上げた。
「……ん? これ、は、巾着袋?」
雪の中に巾着袋に似た布製の袋が埋もれる形で落ちていた。多分、獣人ちゃんのだ。
袋を拾って中を見ると、小指先ほどの丸薬がいくつも詰まっていた。
どう見ても怪しい薬だった……。
「くッ、一体どこまで神経を逆撫でれば気がすむのかなぁ……」
どんな効能か考えるだけで腹立たしい。
そんなの異常な彼女の行動を見れば、ある程度は想像がついてしまう。
「今回はアルル達にも頼らないと苦労しそうだなぁ……はぁぁ」
この先の展望を思うと、改めて深い溜息が出てしまった。




