候都での日々②
──夕刻前。
しばらく調合室で個人研究に勤しんだ後。
俺は折を見て屋敷を後にした。
その足で向かったのは、候都近郊にある小さな森。
ここは俺が師匠に出会う前に、依頼で薬草を摘みに来たり、ニーナがエルフの事を打ち明けてくれたりした所でもある。個人的にも思い出深い森です。
そんな森の中を一人すいすいと進んで行く。
人気がなくなる辺りまで来ると少し開けた場所に出た。普段から持ち歩いている手荷物を、目に留まった木々の隅に下ろす。
屈伸やら柔軟やらを入念にして準備は完了。
「んー、人はいないよね。よしっ」
いちおう周りをキョロキョロと見回す。
そんな事をしなくても、誰もいないのは分かってるんだけど……。
「ふぅ」
これから俺は、今日予定していた目的の二つ目に取り掛かる。今後を考えた上での至上命題とも言える、戦闘能力の検証というものを。
目を閉じて深呼吸を一つ、二つ。
自然体で足を肩幅に開いて直立不動になる。
静かに集中が高まるのを待って、集中力が達した瞬間を見計らって動く。
「我、土の祝福を得し者、“稜土の鉱”、“拡なる砲散”をもって生み出さん」
【鉱の拡散砲】
幾百にものぼる鉄屑たちを目も疑うような速度で、空にシュパパパーと打ち上げる。
それを狼煙に更なる行動に移る。
「──ふッ」
地面を強く踏みしめて走る。
視界が高速で移り変わっていくなか、前方に迫る一本の樹木を次なる足場に決める。
突撃するように樹木へ舵を切り、脚力だけでタッタッと天辺まで駆け上がり、そこから遥かなる大空へ大きくジャンプ。
木登り中に、前法式の起動を終わらせて待機させていた魔法式を完成させる。
唱えるのは空でのみ効果を発揮する魔法。
「──“飛天の翔風”を持って生み出さん【飛翔】」
魔法が身体を優しく包み込んだ。そして、虚空へ僅かに沈み込み、瞬転。
空を踏みしめて、上空に向かって逆に飛び上がる。
そのまま連続して詠唱を続ける。
視線の先には、事前にばら撒いた鉄屑の塊の幾百が、推進力を使い果たし重力に負けて落下を始めようとしていた。
ここからが頑張りどころだね。
更に自身の魔法演算領域を活性化っ。
「我、火の祝福を得し者。“紅蓮の剣群”、“追なる従撃”を持って生み出さん」
座標や規模、威力などの制御を速やかにこなして、一度、空中での不安定な体勢を整えて、魔法の発動を宣言。
【紅剣群の従撃】
周囲から騎士が持つ様な形状の直剣が次々と現れる。剣を構成しているのは紅蓮の炎。
無数の炎剣は狙いをつけた場所へと、炎の残線を引きながら飛んでいく。
そして、新たな炎剣が新たに生まれては、落下している鉄屑を貫き、打ち砕いていった。
あっという間に鉄屑の対処が終わる。
後には、火の残滓である煙と鉄屑の塵だけが残っていた。飛翔の風魔法が徐々に効力を失っていき、やがて俺は大空に身を投げ出される。
「ん〜、風が気持ちいい。それに綺麗」
視界には自然が織りなす絶景が広がっている。
この高さからの景色は候都の全容だけじゃなくて、候都以外の地形だって全部見渡せる。
そしてそして、いまの時間は夕方近く。
見事な夕焼けと歴史を感じる候都は、素晴らしい美景となっている。コンクリートジャングルで、天然の自然物が壊滅的だった前世では、絶対に見られない素晴らしい景色だね。
ん、やっぱりこの世界は素晴らしい!
そして、なにより魔法は最ッ高っ!
普通ならこんな景色を簡単には見られないもん。それを可能にする魔法のなんと素晴らしきものか。
もう絶対に手放さないですからねっ!
片手と両足を大きく開いて、束の間の空中遊泳を堪能する。そして、高度が下がりきる前に、俺は最後の詠唱を唱えた。
「我、水の寵愛を得し者。“純の水”、“変柔の玉壁”、“緩なる守防”を持って生み出さん」
【魔水の守玉壁】
上級魔法の詠唱短縮を、恐れる事なく確信を持って成功させる。あとは、出来上がった水の流体に身を任せるだけ。重力に従うまま、俺を包み込んでくれていた流体が勢いよく地面に到達。
流体の表面が僅かに揺らめくレベルまで衝撃を殺したのを確認して魔法を解く。
そして、ピョンと大地に降り立った。
「ふふふっ、完全復活ですっ♪」
グッと右手を握り込むと自然と笑顔が浮かんだ。
うん、やっぱり予想通りだった。
元々、予感はあったんだよね。今なら昔以上の動きが出来るかもって。身体の不調はもう感じない。
というより、事故の前の状態と比べても、全く問題がないくらいに戻ってる。
「体調が戻った理由は、なんとなく予想がつくけど、その理屈が分からないんだよねぇ。……まぁ、今日は検証を第一に考えますか」
頭の片隅に天使の笑みを浮かべる少女を想起しながらも、思考を切り替える。
一通り動いてみた結果を精査し、その体感情報から推察をどんどん立てていく。
まずは、身体能力の分析。
虚弱体質は完全に解消された。
お子様体型でリーチが短いのを考慮しても、人族の冒険者や、程度の低い魔物なら自力のスペックで圧倒できると思う。向こうが闘力を使ってきても問題はないかな?
本来の力が戻ったいま、生身であろうとも普通に太刀打ちできるだろうし。やっぱり魔人族って素の身体能力からして人族よりも高いみたいだね。
続きまして、魔力関係。
最大魔力放出量。簡単に言えば、一回の魔法で扱える魔力の量がかなり増えてるね。
これは、魔術師として色々やっていたおかげなのかな。思わぬ副産物です。
そして、純粋な魔力量も前より大分増えていた。これは素直に嬉しい。
早く母様や師匠みたいに、大気を真っ青に染めあげられるほど膨大な魔力を持ちたいね。
魔法も特に問題ないかな。
前はできなかった上級魔法の短縮詠唱でさえ、自信を持って発動できたし。
魔法能力は全体的に向上したとみていいと思う。これを機に昔は出来なかった魔法に挑戦するのも良いかも。
えっと、次は闘力……。
うん。これは保留にしておこう。
別にいいのだ。今じゃなくても。
もし検証したりすれば、コレットちゃんに本気でお仕置きされちゃうもん。
俺はちゃんと学ぶ魔人なのです。自分から進んでお仕置きに身を投じるほど変態さんではない。
コレットちゃんには、事情を話した時に『闘力使ってみたら左腕が吹き飛んじゃったの〜☆ てへっ♪』と、空気が重くならない様に明るく説明したんだけど、何故か般若の形相で怒られた過去がある。
あの時のコレットちゃんは、ニーナでさえも震え上がっていたくらいに恐ろしかった。
ワンコことルプスパーダが、何百匹いようが尻尾巻いて逃げるレベルの怒気だったね。
そんな事もあり、闘力については自粛している訳である。ただ、使う必要に迫られれば迷わず使うつもりだから、その時に検証すればいいよね。
「……ん、と。あとは」
あぁ、あれか。あれが残ってた。
うーん、あれの確認か。嫌だなぁ……。
顎に手を当てて唸る。
それほどまでに悩ましい問題を起こしているのは、例のごとく『焔魔纏』さん。
此奴、やはりいつまでたっても問題児。
まず、結論から──。
焔魔纏は無事復活を果たした。でも、そのかわりと言ってはなんだけど、昔の焔魔纏とは比べものにならない別物になっちゃっている。
実は先ほどの魔法演舞では、焔魔纏を一切纏っていないのだ。
つまり焔魔纏を消せるようになった訳。
今までであれば、オーラの強弱は付けられてもオンオフなんて不可能だったから、当初は俺もこれは大きな成長だろうと浮かれていたんだけど。
実際にその焔魔纏だったものを使ってみて、そのあり得ない現象をみて、すぐに手のひらを返しました。
そして、同時にこう思った。
『──あ、これ駄目なやつです』
これは俺が感じた感覚的なものなんだけど。
今までは、身体の内側に存在する焔魔纏を閉じ込めた部屋につながる扉を、ほんの僅かに広げるか狭めるかだった。
けど、いまは完全に開けるか閉じるかの選択しかないという感覚。
そして、開けてしまえば最後。
ゆらゆら〜っと焔のように可愛く現れていた頃の焔魔纏は見る影もなく、いまや膨大な力の奔流になって立ち昇る。
そしてトドメとばかりに、留まることを知らずに溢れ出てくるのだ。これまで力の制御を常に磨いてきた俺でさえ持て余すほどの勢いで……。
それにこの光の柱。
厄介なことに、少しでも制御を乱そうものなら、炎みたいにうねり始め、物理的な干渉力をもって暴れ始めるんだよね……。
ぶっちゃけてしまうと、焔魔纏だけは少し前に足早で検証した事があるのだ。
その時は、焔魔纏の変わり様にビックリしすぎて、制御が出来ず盛大に環境破壊してしまった……。
候都郊外に大きな謎の焦げ跡が出来てしまったのは俺のせいです。そのことで兵士さんが蓮華亭に来ないか日々ビクビクしてる。
もう焔魔纏さんが恐ろしすぎるコワイ。
という訳で、今では『力』を掛け合わせるあの面白技どころか、同時使用すら夢のまた夢という状態である。
唯一の救いとしては、焔魔纏を纏わなくても魔核としての機能は果たしてくれていることかな。
だから実際、差し迫った問題はなかったりする。個人的な感想としては、扱いきれない強大な力より、今のまま身の丈にあった魔法技術を磨いていきたいと思っている。
可愛い頃の焔魔纏なんかなかったんだ、と忘れていたい心境。
「んふふ、ふふふふ、ふふふふふ。在りし日の思い出は既に消え去った。さらば、我が友、焔魔纏よ。僕は君を家族のように思っていたよ……」
視界には何も写していない。あぁ虚ろだ。
空虚な言葉が静かに森にしみ込む。
んぁ〜、空気が美味しいなぁ〜〜。
「……はぁ」
最近、焔魔纏を思うと自暴自棄にうがぁ〜〜って叫びたくなるなぁ。
やらないけど。恥ずかしいし。
焔魔纏からの現実逃避はここ最近のマイブーム。逃げちゃいけないとわかってても、心が拒否している。だっておっかないもん。
とはいえ、何時までも見て見ぬ振りは出来ないのも確かなんだよねー。
こんな爆弾を制御出来ないまま抱えていたら、いつかは家族に被害がでてしまうかもしれない。
もう心配で旅どころではないだろう。
取り急ぎこの危険物を制御する訓練と、どうやって運用するのか、運用が出来るものなのかを調べよう。
「んぅ、気が重い……」
魔法を使っていた時が嘘のようにテンションが下がる。だけど、これの制御は気を確かに持たなければ危険だ。今日一番の真剣さでもって臨まなければ。
俺は己の内側にある暴力と向き合う覚悟を固めた。




