黒幕?閻魔の裁きと密かな終結
シャル達の戦いが決着したのと同じくして、パニシュ森林の最奥。そこに跨る深い渓谷を更に進んだ先に位置する鬱蒼とした密林。
一般的な呼称を、未開領域『密林』。
パニシュ森林とはうって変わって全てが異質の魔境である。
全ての木々は捻じくれて絡み合い、葉の色は毒々しい原色の赤、青、黄色とカラフルに気持ち悪く育ち、地面には奇形な毒花が生い茂って、魔物以外にも毒虫や毒生物がうじゃうじゃと生息する。
密林には月明かりは届かず宵の口であろうと真っ暗闇である。
そんな、およそ人が足を踏み入れることをためらう酷く異質な土地のとある一角。
不自然に開けた所にポツンと一軒のお屋敷が建っている。
この密林の雰囲気とは酷く不釣り合いな完全人工物。二階建てで飾り気のない外装。
窓も少なく殆どの部屋が真っ暗で人の気配がないのだが、屋敷の二階端の一室だけは、ぼんやりとした鬼火の様な光源が溢れていた。
室内には複数の人影が揺らめいている。
「隷獣共が全滅だと? それは確かな情報なのか?」
全身を漆黒のローブでスッポリと包み込んでいる大柄の男の声が、ロウソク数本が灯るだけの薄暗い部屋に溶ける。
男の前には同じ服装、全身を黒ローブで覆っている数人が傅いていた。
「使い魔を行使。実際に確認」
答えたのは傅いていた複数人の中の一人。
中肉中背であまり特徴のない男だった。
あえて特徴を挙げるとすれば、男の声は平坦で感情がなく無機質という点だろうか。
大柄の男が確認を終えるとフードの奥にある顔を盛大に顰めた。
「うぅむ、俄かには信じられないな。街に向けた数を含めれば数千はいたはずだが、それらが全滅とは」
「スクアーマ様。次いで報告あり」
「申せ。他にもあるのか」
「オルトラ二頭、同じく死亡確認」
「──なんだと!? それは奇怪な! いまこの地域でオルトラを討伐できる者などいない筈だぞ? この時期に候都の高ランク冒険者は残っている訳がない。……コーダよ、その者の調べはついているな?」
平静を保ってきていたスクアーマと呼ばれた男は驚きを浮かべ、厳格な声音でコーダと呼ばれた男に詳しく尋ねた。コーダは変わらずの起伏がない平坦な口調で報告を続けた。
「以前遭遇。イレギュラーと同一」
「イレギュラーというと、ルプスパーダの隷属検証中に現れたおかしな子供の二人組か。だが、イレギュラーは貴様らが取り除いたと……そう聞いたがな? それは私の聞き間違いだったか?」
ローブの中の眼光を冷たく光らせ含みのある言いを寄越す。
「処罰。如何様にも」
しかし、恫喝を受けてもなおコーダは動じず、淡々と膝をつき頭を垂れた。
後ろに控える人影もコーダに追随し全員が頭を下げている。そんな態度を見て、つまらなそうに一瞥するスクアーマ。
「ふん、まぁいい。魔法具の検証は既に完遂している。ファナールを攻めたのは次いでのようなもの。成否は何方でも構わない。して、この件はザンナ様にも報告し終えているな?」
「はい」
機械的なコーダの返事に、スクアーマは鷹揚に頷く。
「ならばいい。そのイレギュラーの話がテスタルム様方の耳に入れば、遠からず居なくなるだろう……」
顔も知らない子供二人の悲惨な未来を夢想し、薄ら嗤いを浮かべると、スクアーマは頭を垂れていたコーダに今後の指示を出していく。
「では屋敷を破棄して今夜中に発つ。この場にもう用はない。移動用の隷獣を準備しておけ」
最後にそう言って、スクアーマは扉のノブに手をかけた、その時。
──屋敷に轟音が響き渡った。
◾︎◾︎◾︎
「これは……結界が破られただと?」
突然の轟音に対しスクアーマは怪訝な面持ちを浮かべ、しかし冷静に思考を働かす。
すると、屋敷を囲む魔物除けの防護結界が消失しているのを感知した。
何故、と原因を究明しようとするスクアーマだったが、その思考を遮る声が突如発せられた。
「クックックッ。なにやら怪しい建物があると思えば悪巧みの相談か? ならば吾も混ぜるがいい。昔から嫌がらせと悪巧みは得意でな、大いに盛り上げてやるぞ?」
声の発生源は部屋の隅、窓際。
厳重に施錠していたはずの鍵は容易く解かれていて、その窓淵に腰をかけている人影があった。
家具一つない寂しい部屋である、当然すぐにスクアーマの視界にも入る。
室内が薄暗いのと、月明かりの逆光で人相まではわからないが女性だ。
このお屋敷は未開地域の奥地に建っている。たとえ高位ランクの冒険者でも、そうやすやすとは入り込めない場所だ。
そこに悠々と入り込んだ侵入者。
ただの侵入者である筈がなかった。それに、お屋敷の結界にはそれ自体を隠す偽装の効果も付いている。
それすら掻い潜って現れる侵入者とは?
──ただの鼠ではない。
そうスクアーマは警戒を高めて、窓辺に佇む侵入者を睨み据える。
「貴様は何者だ。どこから紛れ込んだ?」
スクアーマが冷たく殺意を込めて問う。
殺意を向けられた侵入者は怯え一つすら見せず、それどころか溜息を零した。
「全く、暗視も使えないのに暗い部屋で話し合いだなんて馬鹿馬鹿しい。黒幕ごっこをしたいのは分かるが滑稽が過ぎるぞ……ほら」
侵入者が指をパチンと鳴らすと、ふいに部屋の中に火の玉が幾つも浮かび上がり、室内を明るく照らしだした。
警戒していたのに全く反応出来ずスクアーマは唖然とするが、影の顔を確認した途端、顔が青褪めた。
「き、貴様は……血縛鎖の閻魔王ッ!?」
上擦った声が虚しく響く。
「阿呆が。吾は魔王ではないぞ。そんな称号、一度とて受け取った覚えはないわ。魔王と呼びたければ愚妹に言ってやれ……それとな」
窓淵からスッと音もなく立ち上がり威風堂々と名乗りをあげる。
「今の吾は、双角が素敵な『天才魔術師』ユミルネ・ヘーゲルフォイアさんだ。呼ぶならこっちで呼べ。それ以外の呼び方は全て却下だ。違えれば……ククッ」
侵入者ことユミルネは、色素の薄い透き通るような金の長髪を鬱陶しそうに掻き上げて、美しい双角を晒しながら邪悪なポーズを決めて微笑んだ。
ただ目だけは一切笑っていなかった。
◾︎◾︎◾︎
「クククッ。まぁ、お前達には色々聞きたい事があるからな。これから吾が直々に束縛して、監禁して、拷問してやろう。吾が誇る最高の苦痛を与えてもらえること光栄に思うがいいぞ……?」
ユミルネが目を俄かに細めて、上から目線のサディスティックスマイルを浮かべる。
そのついでに殺気も上乗せしたようで、指一本動かすのも億劫に思えるほど重い空気が部屋の中を支配する。
これは先程スクアーマが放った殺気と比べると月とスッポン。もう比べるのすら烏滸がましい。
まさしく、殺気の格が違った。
スクアーマは先ほどからの態度が剥がれ落ち、いまや金眼に睨まれ冷や汗を流し射竦められている。
まさに、蛇に睨まれた蛙の如し。
「……な、なぜ、貴様がわざわざこのような場に現れる! 貴様はこういった件には首を突っ込まない主義の筈だろうっ!!」
「ふむ、どこで仕入れた情報か知らんが、確かにその通りだな。実際、吾はあの都市がどうなろうと知った事ではないし、普段の吾なら、こんな面倒ごとに関わろうとは露ほども思わん」
「では、なぜだ!?」
ユミルネが邪悪に笑って答える度に、スクアーマは恐怖を募らせていく。
「知れたことよ。そんなのただの暇潰しに決まっているだろ? まぁ、他にも可愛い可愛い、目に入れても痛くない愛弟子のお守りも兼ねてたりするがな」
「な、なに……?」
「ククッ、恨むならこの天才魔術師さえも惚れさせた、あの魔性の愛弟子を恨むんだな。彼奴の為になるならば、吾は神にだって喧嘩を売ってみせよう」
「…………っ、なるほど。つまり私は知らないうちに魔王の逆鱗に触れていたという訳か。なんと運のない」
ユミルネの言葉端から曖昧ながらも意味を汲み取り、彼女を動かす何かに手を出してしまったのだと、無理やりにも自分を納得させたスクアーマ。
「だが、私にはやらねばならない役目が多く残されている。簡単に殺される訳にはいかない。それがたとえ魔王相手でもなっ! コーダよ! 歓喜せよ、今が死に時だ! 我らが主に命を捧げる許可を出す! 身命を賭して時を稼ぐのだ!!」
側に佇んでいたコーダたちにスクアーマは命令を下した。コーダ達はユミルネの圧倒的な殺気が渦巻く中、機械的に、しかし隠しきれない狂喜を滲ませて、懐から武器を取り出し飛びかかる。
同じくしてスクアーマも、漆黒のローブから金色に輝く竜笛を取り出して、すかさず吹き鳴らす。
竜笛は人の可聴域外の音色を屋敷中に響かせた。
スクアーマはやる事はやったと言わんばかりに、ユミルネに背を向けて逃走を始める。
初めから戦うつもりはないようである。
ただ、それも仕方がないのかもしれない。
ユミルネと本気で対峙するなど普通なら出来ようはずもないのだから。捨て駒を使って命からがら逃げるのが精々だろう。
それだけ『魔王』という存在は特別なのだ。
そもそもこの『王』とは、国を持つ『王』とは異なり──神の託宣と加護を受けた者たちのことを指す。
魔神の加護を受ければ『魔王』と呼ばれ、闘神の加護を受ければ『闘王』と呼ばれる。
その存在は王というだけあって、個人にして一国の王と同等以上の発言力をもつ。
地域によっては使徒様や神徒さま、神託の王などと、人々に信を仰がれる事もあるレベル。
当然ながら実力も並みでは済まない。神直々に権能を貸し与えられているのだから……。
つまり、こうしてスクアーマが子羊のように怯えてしまうのも無理からぬことなのだ。
「はぁ、吾は魔王ではないと言ったはずだが?」
ポツリ、と背後で溜息交じりに呟かれ、ジャラララと鎖を引きずる音がスクアーマの耳朶を打つ。
スクアーマは廊下へと通じる扉を乱暴に開けようと力を込める。だが、どれほど力を込めようとビクともしなかった。
「くそッ!」
焦燥から悪態を吐きつつ首だけで背後を伺うスクアーマ。
その目に映り出されたのは──血色に染まった鎖に絡まれ、虚空の裂け目に出来たドス黒い境界内へと引き摺られ呑み込まれていくコーダ達の姿だった。
「ふむ。お前は吾との力量差がわかっているようだな。しかし──実につまらん男でもあるようだ。小物にも程がある」
逃げようと背を向けたスクアーマに冷笑を向けて吐き捨てるユミルネ。
そうして一歩ずつ優雅とも取れる足取りでスクアーマに向かって近づき、直後。
隣室の壁を突き破ってこの場にさらなる乱入者が姿を露わにした。
「ほう、こいつはオルトラか。この大陸にはいないはずだが、お前らこんなものを密かに連れ込んでたのか? はぁ、道理でこの辺りの生態系が狂う訳だな。『C』ランクとはいえ上位の魔物。よく今まで隠し通せたものだ……」
そう、現れたのはオルトラ。
部屋のサイズと比べ動き回るのがギリギリすぎる巨躯。双頭と二対の魔眼。紛れもなくシャルたちを追い詰めた魔物と同一であった。
「…………」
オルトラが突然現れた最中、スクアーマは開かない扉に背を預けてフードの奥で僅かな笑みを浮かべていた。そしてタイミングを伺うようにオルトラが破った大穴を伺って、再度笛を吹いた。
するとオルトラは、獰猛な唸りを上げて跳ねるように動き出し、ユミルネだけに狙いを定めて業火魔法を吐き出した。
部屋が火一色に染め上げられ、猛烈な勢いで業火がユミルネへと迫る。
だが、自他共に天才魔術師を称するユミルネ。こんな状況であっても些事とばかりに一切動じていなかった。
「クククッ。たかが二首の猫風情が吾に牙を剥くとはいい度胸だ。身の程を知るといい」
ユミルネは金の眼光を一層鋭くすると、右手を掲げてパチンと指を鳴らす。
瞬間。業火が消え失せた。
間髪入れず、再度指の音が空気を震わす。
地面の底から競り上がるように夥しい赤黒の鎖が姿を現し、飛びかかるオルトラを飲み込んでいく。
不気味な鎖に絡みつかれ暴れようとするオルトラだが、抵抗は意味をなさず全身を緊縛されオルトラが地に張り付けられる。
「う〜む。さてさて、オルトラの研究は魔人大陸で散々やり尽くしたからなぁ。これは、いらんか」
まるで夕飯の献立を迷う程度の軽さでユミルネが結論を出すと、右手をギュッと握り込んだ。呼応するように鎖が蠢き出す。
縦横無尽に絡みついた鎖は拘束を更に強めていき、オルトラが声を上げる遑も与えず、小枝を折るように容易く肉体を絞めて、砕き、捻り切った。
オルトラの鮮血が咲き乱れる悲惨な光景が広がる。ただ、それも僅かな時間だけだった。
次の瞬間には鎖が生き物のように脈打ち、流れ落ちた血を啜っていき、部屋から全ての血を取り去った。
突然に乱入した魔物を、赤子の手でも捻るように片付けたユミルネに対し、スクアーマは蒼白となっていた。
今やフードの奥の笑みも消え、只々引きつらせているだけだった。
「……化け物め」
スクアーマの手から金の竜笛が落ちる。
落ちた竜笛は甲高い音を立て、それに対しユミルネ。
「クククッ。お前はつまらぬが、それはなかなかに面白そうだな。見た感じ魔物を操る魔法具のようだが。うぅむ、これには吾もかなりの興味が湧いたぞ」
血色の鎖を消して、腕組みをしながら考察付けを始めた。
これは完全に興味の対象が変わってしまっている。元よりスクアーマ達には興味などなかったのかもしれないが。
「おい、お前。今一度その魔法具を使ってオルトラでもなんでも呼び出すがいい。拷問ついでに吾の探求にも付き合わせてやろう」
とんでもなく傲慢な物言いでスクアーマに命じた。
「…………っ」
スクアーマは戸惑いを浮かべながらも沈黙する。その態度にユミルネは落胆を滲ませた。
「なんだ、もういないのか? はぁ、本当につまらんなお前は。もういい、後は吾が自分で調べる事としよう。くくっ、これはシャルラを巻き込むのも面白そうだ」
ユミルネは今までの覇気を一瞬で霧散させると無邪気ともとれる笑みを浮かべた。
そして無警戒にもスクアーマの方へ近づいて、足元に転がる竜笛に手を伸ばした。
「──っ!! 愚かな! 敵前で隙を見せるとはっ!」
ユミルネが最も隙を見せる瞬間を見計らい、瞬時に動き出そうとしたスクアーマ──なのだが。
「戯け、吾は隙など一度も見せた覚えはない。愚者が愚か者呼ばわりとは片腹痛いな」
「──むぐっ!?」
背にしていた扉から鎖が飛び出しスクアーマは口元までを簀巻き状に緊縛された。
なんともあっけない幕引きである。
「そもそも、お前は奇襲ばかりで面白みがない。奇襲をするにしても、もう少し芸を凝らさんか。これだから小物相手は嫌なのだ」
竜笛を余裕綽々と拾い上げたユミルネは、憐れみさえ浮かべながら、小言ひとつ指を鳴らした。
後は今までの再現──鎖がスクアーマを空間の裂き目に引き摺り込んでいった。
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訪れる静寂。
ユミルネは金の竜笛を大事そうにしまうと、代わりに髪飾りを取り出して髪を乱雑に纏め始める。
すると次第に頭部に付いている立派な角は輪郭がぼやけていき、見えなくなっていった。
「さて。これからどうするべきかな。妙な使い魔を見つけてついこんな場所まで暇潰しに来てしまったが……」
腕を組みユミルネはつい先程の戦闘(?)には見せなかった真剣さを覗かせる。
「やはり元の地に戻り立派な師匠然とシャルラを出迎えてやるべきか? いや、効率優先で回収していくほうが……くっ、これは難題だな。しかし、面白そうな土産も手に入れたし、回収しに行くのが最善か? ただあまり弟子に構い過ぎると、ミラの時みたくウザイとか言われかねないしな……、う〜む、それでも……」
──と、誰も聞く者がいない中、ユミルネの少しずれた小さくも重要な悩みは、彼女が屋敷を大破壊するまでしばらく続いていた。
ちなみに、ユミルネは探究心と弟子の心配に負けて、効率優先の選択をしたのは言うまでもない。おかげでシャルたち三人は無事に候都まで帰り着けたのだった。




