前哨!始まりを告げる再会
闇夜を駆ける一頭の走馬。
聞こえるのは規則正しい蹄の音と、馬のあげる荒い息遣い。
そして、馬上には二つの人影。
そのうちの一つ、もう一方に比べるとかなり小柄な影が、おずおずといった感じで口を開いた。
「あの、師匠。今更なんですけど、この姿勢って何とかならないんですか?」
「なんだ、不満でもあるのか?」
「ええ。それはもう、色々とありますよ」
そう言って小柄な影──シャルは自分を横抱きに手綱を握っている影──ユミルネを見やる。
しかし、当のユミルネはどこ吹く風で、愉快げな微笑を浮かべて馬を走らせるだけ。
赤子のように抱かれる恥ずかしさから、なんとか逃れようとあげた抗議の声も、彼の師にはまったく届かないようだった。
「くくっ、そう言うでない。別にこのままで良いではないか。お前の抱き心地は最高だぞ? それこそ吾専用の抱き枕にしたい程にな」
「──いや、勘弁して下さい。というか師匠、そろそろ説明が欲しいんですけど」
いったいどうしてこうなった?
シャルは先ほどからの事を思い、ユミルネに問う。
なにせ、シャルがギルドからの道を駆け抜けて門に到着すると、そこには何故かジョルジとユミルネが待ち構えていて。
そして、話をする間もなく、門脇に留めてあった一頭の馬をユミルネが連れて来たかと思えば、シャルを抱き上げて騎乗し、そこからはご覧の通り、今に至るまで抱き枕となっている訳である。
説明も何もあったものではない。疑問符が浮かぶのは当然であった。
「……ふむ、説明といってもな。先も言った通りだが? 待っていた、とな」
「それがよくわからないんですよ。僕が来るのを確信していたんですか?」
「くくくっ。まったく仕様がないな。知りたがりな弟子の為に噛み砕いて話してやろう。感謝して吾の専属抱き枕になってもいいのだぞ?」
「いやです」
そう言って、なぜあの場にユミルネとジョルジが居たのかを話し始めた。
ユミルネが言うに、シャルが屋敷を去ってすぐ、冒険者ギルドの役員が訪ねてきた。
そして、ユミルネはシャルよりも一足早く魔物の状況を聞き及び、どういう心境の変化か、自ら調査に赴くことを決めたらしい。
そうしてユミルネは、正式に弟子兼助手としたシャルを、今回の手伝いとして巻き込むべく宿に向かおうとして──その途中で知り合いの行商人、ジョルジと遭遇した。
「……って、師匠とジョルジさんて知り合いだったんですか?」
話の途中で聞き捨てならない内容を知らされて、思わずツッコミを入れるシャル。
「うむ。といっても顔見知り程度だがな。魔術師という職業柄、商人とは何かと繋がりが多くなるのだ」
「ん、確かに。魔術師の作った薬や魔法具を、商人さんが買い取ることも多いですもんね。ありがとうございます。納得しました」
シャルはポンっと手を叩いて納得し、その行動を横目にユミルネが続ける。
「それで聞けば、お前はあの商人と顔見知りだと分かってな。それに彼奴もちょうどお前を探していたらしい。なんでもお前の宿の女将が血相を変えて飛び込んできたみたいでな」
「……コレットさん、ですね」
シャルはコレットも心当たりを探すと言って、飛び出していったコレットを思い出した。
つまり、コレットはジョルジの所へ、青いまま殴り込んだという事だ。以前アルルがコレットに、ジョルジの話をしていたのが理由である。
最近アルルとニーナは冒険者として使う品々を、ジョルジの隊商で揃えていた。
そうなればアルル達の依頼内容を知っていてもおかしくないと考えたのかもしれない。
夜中に青いコレットが襲撃してきて、ジョルジたち商人はそれは驚いたことだろう。
「それで、だ。吾が未開領域の話をあやつに流してやれば、お前が遠からず城門に姿を現すと言いおってな──故に、あの場で待っていたのだ」
なるほど、とシャルはやっと理解した。
ユミルネはともかく、ジョルジはやはり確信していたのだ。
シャルなら絶対にアルルを探しに行くだろうと。
「じゃあ、この馬を用意したのはジョルジさんだったんですね。あと薬は師匠ですか?」
シャルは馬と、左右に括り付けられている道具箱を目で指し示す。その道具箱の中には、各種傷薬や魔法薬など様々なアイテムが入っている。
「くくっ。薬は有り余っていたからな、気にする必要はない。むしろあの商人の方にこそ、感謝の言葉を伝えておけ」
「ん、そうですね。そうします」
「くっくっく、そうだぞ? 馬を貸し出されていなければ、今ごろお前は吾に担がれながら運ばれていた筈だからな」
「…………」
担がれる自分を想像して少し遠い目になったシャルは、ジョルジが馬を貸し出してくれた事に、心からの感謝をするのだった。
「──さてシャルラよ、そろそろ問題の森に着くのだが、なかなか愉快な事になっているようだぞ? ほれ、見てみろ」
馬で寸刻駆け続けたシャルとユミルネは、パニシュ森林手前にある小高い丘の上まで到達していた。
丘の上からユミルネは前方を眺めると、シャルに対してそう笑いかけた。言葉につられてシャルもすぐさま丘の先を見やる。
「……なにこれ」
「くくっ。この数、千は下らんな。それも異なる種がまとまって行動を共にしている。なかなかに興味深いではないか」
丘の向こうには闇の中蠢く影が数多。
更に向こうに見える、パニシュ森林までの大地を埋め尽くしている。
それはまるで、悪夢のようだと口にする者もいるだろう光景だった。シャルもユミルネも種族柄、夜目が利くので、その光景をバッチリ観測できている。
「これぜんぶ、魔物ですか」
「もともと森に居ついていた魔物、未開領域から流れた魔物の双方だろうな。群れるはずのないモノ同士が群れをなす。くくっ、まさしく異常事態じゃないか。面白いっ」
「……アルル、ニーナ」
シャルは顔色を若干悪くしながらそう溢した。
「では調査を始めるとしよう。この場の調査は吾がする。お前は森だ。調査自体はお前のやりたい様にしていいぞ? あぁ、それと時間があれば森で色々探してみるのも一興だ。フィールドワークも立派な魔術師の仕事だからな」
シャルの表情を横目に見つつ、邪悪に笑って指示をだす。
「しかし、こんなに魔物が多いと森まで進むにも苦労しそうだな。ふむ、ここはひとつ」
ユミルネはシャルを抱くのを泣く泣く止めると、優しく馬に跨らせ、自身は馬上から優雅に降り立った。
「……師匠?」
怪訝な声を無視して、天才魔術師は今日一番の邪悪すぎる笑顔で、愛弟子に対して言い放った。
「なぁ、シャルラ。お前は魔術師とは戦闘が出来ないただの『職人』とでも考えていそうだが、その考えは今日をもって改めるのだな」
「え」
「今から見せるのは、魔術師による魔法士を超える魔法だ。超一流の魔術師というのはな、戦いにおいても超一流であるべきなのさ」
いつも以上に大胆不敵な宣言をすると、ユミルネが魔力を解放した。
それはまさしく規格外というのが適当であり、シャルからしたら自分と比べるのがおこがましいと思える規模での魔力量と放出量だった。
大海のように深く濃い群青。しかし濁っているのではなく、むしろ混じりっけの欠片もない洗練された魔力色。その制御も神がかっており、シャルに対する威圧は発生していなかった。
辺り一帯がユミルネの魔力の海に飲み込まれる。力を色調で捉えるシャルにしか理解できないが、いまシャルは地上にいながら海の底に立っていた。
「すごい」
シャルの呟きと同時、ユミルネが片手を正面の魔物の群れへと向け、一言だけ紡いだ。
【閻雙縛鎖】
瞬間。事象に変化が生じる。
海がうねりをあげて収縮し、魔法が発生する。
前方、魔物が群れる大地からせり上げるようにドス黒い『鎖』が夥しいほど出現し、二人と森までの直線上にいた魔物を、全て上空へと突き上げ、吹き飛ばした。
間髪入れず、鎖はアーチ状に互いが互いに絡まり、連なり合っていき、あっという間に一本の鎖のトンネルが完成した。
魔物は突如として出現した邪魔な鎖のトンネルに、驚きや怒りを滲ませ飛びかかる。
だが、魔物がその不吉極まる赤黒い鎖に触れると同時、鎖が幾重にも絡まりついて魔物を緊縛し取り込んで、トンネルの外装に物理的肉壁を形成していく。
そうして変質を続けるトンネルは、冥府の門とでも形容したくなる邪悪なものとなった。
「……し、師匠。あれは?」
馬上に一人残されたシャルが、唖然や呆然といった類の表情を露わにし、現象に目を奪われる。
「なんだ気になるのか?」
「……はい、すっごく」
「くふふふ。ほんと知りたがりな弟子だなぁ、悪くない。まぁ、そうだな。どうしてもお前が知りたいというのなら……」
一拍。
「さっさと行ってさっさと戻って来い! その後であれば、お前が望むだけ話をしてやろう」
トンネルの出口となる森林を一瞥し、そう言い放つユミルネ。
シャルは一瞬だけぽかんとすると、一転。その表情を引き締め意気揚々と口を開いた。
「んふふ。そうですね。そうします!」
「ふむ、やっとらしい顔になったな。褒美に一つ良いことを教えておこう」
「良いことですか?」
馬上から首を傾げるシャル。
「うむ。吾は暇つぶしで魔法医学にも手を付けていてな、ぶっちゃけ死ななければ、腕の一本や二本は直してやれるぞ?」
ニヤリ、とユミルネはシャルに笑みを向けると、当のシャルも妖艶な笑みを浮かべた。
「んふふ♪ それは頼もしい限りです。分かりました。それなら後顧の憂いなく調査ができますね」
「くくっ、そうだな。では行くといいっ。舌を噛むなよ?」
「はいっ! ──っきゃわっ!?」
元気よくシャルが返事すると、ユミルネはなにやら馬の頭に手を当てて念じると、馬の尻を蹴りつけた。
すると馬は壮絶な嗎をあげながら激走を始め、鎖で出来たトンネルの入口がその口を開けるとシャルを飲み込んだ。
そんな姿を、ユミルネは優しげな表情で見送っていた。
「シャルラよ、吾が姪をよろしく頼むぞ」
僅かながらの暖かさを覗かせて呟く。
いい感じに見送りも終わったユミルネは、改めて魔物の軍勢を金の眼で見据えて、邪悪に嗤う。
「さて、こっちもやるとするか。しかし余りに魔物が多くては原因究明の邪魔になるか。取り敢えず間引くところから始めるとしよう──くくっ」
ユミルネにとって眼前で群れる魔物はただの有象無象でしかない。脅威を感じるどころか原因を知るための道具であり、実験生物が適切ですらある。
彼女は髪飾り型の魔法具を外し、本来の姿に戻るとゆっくり丘を下っていった。
◾︎◾︎◾︎
「おーい、アルル〜! ニーナ〜っ! いたら返事してーっ!」
シャルの澄んだ声が辺り一帯に響き渡る。
しかし、何の反応も返ってこない。
無駄に静かな空間だけがそこにある。
ユミルネに見送られてからしばらく。
暴れ馬にしがみついて森へと到着したシャルは、すぐさまアルルとニーナの捜索を始めていた。
だがここまで手がかりはなし。
森の中は月明かりが届かないせいか薄暗く、鬱蒼と茂った草木も邪魔して、捜索は難航していた。
加えて、シャルが捜索に期待していた『精霊』も、正直あまり役には立っていなかった。
「んー、精霊のリンクって一定以上契約主と離れると切れちゃうとか? はぁ、つまりは自力で探すしかないのか」
そんな軽口をこぼしながら、昏い森の深部へと足を進めていく。
(なんとなくだけど、森の浅い箇所にはいない気がする。……となれば探すべきはもっと奥かな)
考えをまとめて、二人への呼びかけを続けながら草々を掻き分けていく。
今のところ運がいいのかは分からないが、魔物には一度も遭遇していない。そこから考えられるのは、全ての魔物が森から出て行った可能性。
(でも魔物と遭遇してないからって、この先も油断はできないよね)
いま一度、緊張を高めて気を引き締める。
シャルが考えるのは一つ。
アルルとニーナを見つけることだけだ。
「おーーい! アルル〜〜っ! ニーナ〜〜っ! もし聞こえてるのなら返事して〜〜っ!! 迎えに来たよ〜〜っ!!」
虚弱なシャルが魔物と遭遇すれば、それだけで命の危機を迎えることになる。
現在、まともな戦闘方法がないシャルにとって、魔物との遭遇で取れる行動は逃走に絞られるからだ。
それに加え、遭遇した魔物が強力なものならば、それだけで詰みである。
だが相も変わらずシャルは、自身の危険など露知らず、大声をあげ続ける。シャルの頭の中では自分など二の次と割り切っていた。
自分の出した『予想が外れる予想』はやはり見事に当たってしまっている。
ならば、出来る限り早く二人を見つけて、無事に連れ帰らなければならないのだ。
妹と定義しているアルル。
友人にして既に身内扱いのニーナ。
彼女たちの為ならば危険など関係なかった。
そうして声をあげ続けながら森の深部へと突き進んでいったシャルに、とうとう反応が返ってきた。
それは、シャルに向かって近づいてくる一つの音──草木のざわめきだった。
「アルル? それともニーナ?」
シャルは自身へと向かってきている音の方に急いで近づいていく。
現実は無情。
それは常に最悪の帰結をもたらす。
「ッ!! これは、久しぶりって言った方が良いのかな……」
シャルの前には、見覚えのあるモノが姿を現している。結果だけで云うなれば再会と言えなくもない。嬉しくはないだろうが。
シャルの言葉に含まれていたのは、『感動の再会』とは真逆の感情だった。
眼前に現れたモノ。それは。
見上げるほどに大きな体躯。剣山の様な灰色の毛並み。強靭で長い二本の犬歯を剥きだしにした四足歩行の獣。
ランク『D』の魔物にして、シャルにとって苦い思い出がある魔物。
──大牙狼『ルプスパーダ』であった。
シャルはこの再開に、焦りよりもまず自身の不運を呪った。確かに大声を出し続けていれば、いずれは魔物に襲われると覚悟していたが、よりにもよってこの魔物とは、と。
「……御機嫌よう。君のおかげで僕はただの貧弱なお子様になっちゃったよ。全くどうしてくれるんだい?」
目の前で自分を見下ろしているルプスパーダが、以前とは別個体であると理解しつつも、シャルは嫌味をぶつけずにはいられない。
しかし、魔物に言葉が届くはずもなく。
ルプスパーダは唸り声をあげると同時、その顎でシャルを捕食しようと飛びかかる。
シャルもそうなるのは想定内だと、ルプスパーダが食らいつく前から回避行動を起こしていた。
「──っとと。んぅ、これでもギリギリか〜。キッツイなぁ、っと!」
先に行動を起こしたのにも関わらず、すぐ真後ろの地盤が捲れ上がり、シャルは冷や汗を垂らす。
「さ〜て。どうしようか」
シャルはできるだけ冷静を心掛けつつ、これから自分が取る選択肢を絞っていく。
頭を高速で働かせ、この局面を打開するに足るものは何かを考える。
まずは『逃走』と『迎撃』。
虚弱化する前であればこれらが最善手。
だが現状では勝ち目がなく争いようもない。
ルプスパーダの知能がいくら低くとも、力づくで押し切られてしまう。粘って一分そこそこが限界。
では、別の選択肢はあるかを考える。
『精霊』『隠密』『仲間割れ』『撹乱』……。
使える使えないはさておき、思いつく限りの選択肢を広げていき、現状と照らし合わせて考える。
──ニーナと違って自分は精霊が見えているだけ。行使するなど不可能。魔物はどう見ても犬科。隠れても見つかる可能性の方が高い。他の魔物に擦りつけての相討ちを狙いたくとも相手がいない。そもそも、先ほど異なる魔物が群れをなしていたのを見たばかり。撹乱しようにも小手先でどうにかなる筈もない。
シャルは次々に挙げては捨てるを繰り返していった。
「ん、他に打つ手はないみたいだね」
そろそろ考えを出し尽くし、もはや万策が尽きた状態の脳内。もはや残っている選択は一つだけだった。
この選択は初めから浮かんではいたが、早々にきれる手ではなく、後回しにしていたもの。
それは──『捨身』。
「あ〜っもうッ! ほんっとに最低ッ。こんなにも早く使うことになるなんて思わなかった!」
儘ならない状況に憤慨しながらも、シャルは冷たい眼差しでルプスパーダを睨む。
ルプスパーダもすでに体勢を整えており、いつ襲い掛かってきてもおかしくない状態だ。
「はぁ、決意したからにはちゃんと実行しないとだね。いいよ、やってあげるよっ。もうホントに力ずくで何とかしちゃうから」
そう言ったと同時。
シャルは裂帛の声とともに、徒手空拳でルプスパーダへと突貫していった。
2017/12/28-誤字修正




