決断!精霊使いのするべき事
アルルと分かれて走り出してから、ニーナはひたすらに足を動かし続けていた。
身体の限界が近いのも気にせず、速度強化の精霊術をかけ続ける。
最速で、最短で己のするべき事を全うする為に。
いまや走り出してから継続的に聞こえていた破砕音や、咆哮も聞こえなくなっている。
途中、今日あれほど討伐したのにも関わらず何度も魔物に遭遇したが、そんなモノは眼中にも入れず全て無視。
それどころか、道すらも無視してまっすぐ道なき道を駆け抜けていた。身体のいたる所に引っかき傷ができているが、これも無視だった。
──アルルに比べれば、こんなものどうという事はない。
そう思えば自然と足が動いた。
ただ、ひとつ問題をあげるとすれば兵士の男性だろうか。男も当然ながらニーナに付き合わされているため、同じように身体中に引っ掻き傷ができてしまっている。
でも今だけは勘弁してほしいとニーナ。
『パニシュ森林でCランク級の魔物が出現』という報告を、候都の冒険者ギルドに伝えるまでは、気にしていられないのだ。
流石にこの状況で優しさをかけるほど甘くない。
緊張状態で張り詰めた精神をニーナは更に高めて、強く強く、足を踏み出していく。
そろそろ森を抜けられる。
平地に出れば走るのがずっと楽になる。
走ることに集中できる。集中できればそれだけ早く候都に着けるのだ。
彼女の脳裏に浮かぶのは、白銀の髪を靡かせて無邪気に笑う少女。
(待っていなさいアルル。ギルドに伝えたらすぐに戻ってくるからっ!)
そうニーナは心中で叫び、これからの行動を明確にしていく。
と、その時。
ニーナの精霊探査が新たな魔物を感知した。
またか……と今まで同様に無視をして走り抜けようとしたが、僅かな違和感に襲われる。
「──止まってっ!」
ニーナは鋭く精霊に指示をだす。
並走するように運ばれていた兵士の男と精霊はピタリと動きを止めた。
自身もつんのめるように足を止める。
瞬間。目の前の大地が消失した。
いや、削り取られたといったほうが正しいのだが、違和感に従ったのが功をそうしたのは確か。
まさに間一髪。もし今までのように突き進んでいたら、今頃ニーナは命を落としていただろう。
しかし、ニーナにとってそんな事はどうでもよかった。なぜなら。
「──っ!? どうしてっ!!」
ニーナは湧きあがる驚愕と共に冷や汗を流し、目の前に立ち塞がる『悪夢』を見据えた。
それは見間違えようがない。ついさっきニーナが遭遇したばかりの魔物。
双頭の大虎『オルトラ』だった。
この魔物がここにいるという事は、あの場に残ったアルルは……?
嫌な想像がニーナの頭の片隅によぎるが、直ぐさまニーナは眼前にいるオルトラの違和感に気づく。
──いいや、違う。先程アルルがつけた傷がこの魔物にはない。という事はつまり別の個体という事だ。
そこまで考え至り、小さな安堵と今日一番の溜息をこぼす。
そして同時にひとつの決意を固めた。
(……私がこいつの足止めをしているうちに、あの兵士を離脱させて、いち早く現状を報告させるのが最善よね。他人に命運を委ねるのは怖いけど、仕方ないわ)
このまま逃げても追いつかれる。
それに逃げ切れるなら、初めからアルル共々逃げている。
そして兵士の男を囮にしても意味がない。
ただの餌やりをするつもりはニーナには毛頭ないのだから。
これは深く考えるまでもなく──ただの消去法だ。
「……ホント冗談じゃないわよ、次から次へと! 私ってやっぱり呪われてるのね」
らしくもないのを自覚しながら自嘲気にニーナが吐き捨てると、その深緑色の半眼をオルトラに向けて木杖を構える。
それに呼応して木杖から六つの精霊たちが飛び出し、指示を仰ぐようにニーナの周りをふわふわと漂い始めた。
オルトラもニーナの怪しげな行動を警戒したのか、瞬時に飛び退り、姿勢を低くして唸り声を発する。しかし、そんな反応を無視してニーナは、
「精霊術・終型・弐番──!!」
【精霊の無慈悲なる光】
自身が使える中でも最上位の攻撃指示を精霊に与えた。
──瞬間、精霊たちが広範囲に散開して輝きだす。そして赤や青、黄や緑といった鮮やかな光の奔流を一斉掃射した。
オルトラもすぐさま回避行動を起こすが、反応が一歩遅く、光に呑み込まれる。
あたり一帯に耳を塞ぎたくなるほどの轟音が響き渡った。
「──いまよっ! 行ってっ!」
ニーナは素早く、兵士を運んでいる精霊にも指示を飛ばして急ぎ離脱させる。
精霊と兵士はオルトラの妨害もなく無事に通り抜けられた様で、その姿はすぐに見えなくなった。
……──光が収まる。
各地に散開していた精霊たちが、任務完了しましたとばかりにニーナの元へと舞い戻り、再び木杖の周りにきっちり待機する。
その合間もニーナの視線は前方に向けられたままだ。
そして視線の向こう。
濛々とたっていた土煙が振り払われると、そこからは無傷のオルトラがその姿を見せた。
「──まぁ、そうでしょうね。まったく嫌になるわ。こっちは命削るような真似までしているっていうのに……」
盛大に嘆息し、次の手を思考する。
その合間もオルトラは歩みを進める。
黄色い瞳は怒気を孕み、獰猛な唸り声には殺意が満ちている。
しかし読み通りだった。
魔物は自分にだけ注目している。後は……。
「さぁて、どれだけ持つかしらね……私」
全力で足掻くだけであった。
帽子を整えシニカルに笑い木杖を構える。
既にニーナは、精霊術の過度な行使のせいで視界が歪んで真っ赤に染まっている。身体も痺れていうことを聞いてくれない。
──だけど、そんな事は関係ない。
「アルルに偉そうなこと言った手前、私が諦めるなんて出来るわけないでしょっ!」
◾︎◾︎◾︎
首都ファナール。その下層に建つ気品溢れる宿──蓮華亭。
扉を勢いよく開けて準備万端。
「アルルお待たせー。いま帰ったよぉー…………って、あれ?」
違和感を覚えて固まるシャル。
両手をハンズアップで、受け身の体勢をとり、突撃してくるだろうアルルに備えていたシャルだったが、予想していた心安らぐ衝撃は、いくら待てどもやってくる気配がなかった。
「まさか予想が外れるなんて。僕もまだまだか……」
アルルなら絶対に抱きついてくると思ったのだけれど、と。自身の顎に手を当てて、少し複雑そうにそんなことを考えるが──。
「まぁいいや。アルルもニーナも、依頼で疲れちゃったのかな。僕も今日は疲れたし早めに寝ようっと」
シャルは実にあっさりと意識を切り替えて、階段へ足をかけて自室──二階右奥、ニーナの丁度真下に当たる部屋──へと、いそいそ向かった。
ところが、階段の半ばまで差し掛かったと同時。
「──あぁ!! シャルっち!?」
階上から蓮華亭が誇る若女将が駆け降りて、否──飛び降りてくる。
「あ、只今帰りました。遅くなってすいませんコレッ──ふぎゃぁあ!?」
シャルは若女将コレットに帰宅報告をしようとしたが、そのまま階下へと真っ逆さまに抱き絞められながら落ちていった。
落ちた際にだいぶ鈍い音がしたが、コレットは気づかない。
「あぁん! 帰ってくるのが遅すぎだぞシャルっち達ってばもーっ!!」
「っむぐぅ、っ! 〜〜!?」
「……ん? おおっと、ごめんシャルっち、生きてる?」
シャルの必死すぎるタップが功を奏し、コレットがその抱擁を解いた。
「はぁ、はぁ。なんとか。でもコレットさんを、ここまで心配させてるとは、思ってなかったです……」
「あのねぇ、シャルっち。いま何時だと思ってんの?」
「えー、んんー……」
時間にして、22時半ばくらいである。
確かに遅い時間だ。
でも大丈夫。まだ日は跨いでないから、とシャル。
「少しは反省しなさい」
「ぁぅっ」
表情からなんとなく反省なしと察したのか、コレットはシャルに鋭いチョップを落とす。
「私はね。君たち三人の帰りが余りにも遅かったから、何かあったのかもって気が気じゃなかったんだよ? その心配をシャルっちは〜〜……ってあれ?」
ふと、言葉を止めてコレットがシャルの周りを見渡した。
「……ねぇシャルっち。アルっちとニーナっちは?」
「そりゃあアルルたちはもう寝てるんじゃないんですか? 今日は早かったですから」
そんな言葉をのほほんと返すと、コレットの表情が真顔に変わった。
「一緒じゃ、なかったの?」
若干、トーンが下がった声音で問いかける。
「僕も朝から会ってないですよ? 最近、アルルたちとは別行動が多いですから。まぁ、仕方がないんですけど……」
その表情が真っ青に変わった。
夜の冒険者ギルドは昼見たときよりも騒がしく、喧騒に包まれていた。
人の数も見た事がないほど溢れかえっている。前世の大都市を思い出してしまうくらいに。
「うわー、いったい何事です。もう夜なのにこんなにうじゃうじゃと……」
人混みが苦手なシャルは、苦々しくも言いたい放題だった。
──あの後。
シャルはアルルとニーナの二人が、まだ帰ってきていないという話を、コレットから聞かされた。
しかし、聞いた所でシャルはそこまでの心配はしていなかった。あの二人なら何かあっても問題なく対処できるだろうからと。
ただ、何事にも万が一というものはあるし、何かあってからでは遅い。
そんな身内にのみ働く心配性が発動したシャルと、真っ青な顔色のコレットは、とりあえずお互いの心当たりがある場所を探すことで合意し、行動を開始した。
そうしてシャルは、手始めに今日二人が受けた依頼の確認に冒険者ギルドまで赴き……先の発言へと繋がるわけだ。
シャルがギルド内を見渡してみれば、やはりこの時間では考えられない数の人々が、慌ただしくあっちへこっちへ、冒険者や役員関係なく駆け回っている。
その中にはちらほら見知った顔もあった。
「お疲れ様です、シャルちゃん!」
扉をくぐってすぐ、人の少ない物陰で佇んでいると、シャルの姿に気づいたのか、顔見知りとなった受付嬢がわざわざ声をかけにきた。
その口調は初めて受付であった時に比べて、かなり砕けたものになっている。しかし、最近はこれが当たり前になっているのでシャルも気にしない。
「お疲れ様です。皆さんすごく慌ただしいですね。なにかあったんです?」
「あー、はい。それがですねぇ。日が暮れた頃に、一人の候都兵士がギルドホールに飛び込んで……いえ、突き破ってきたんですけどね──」
苦笑いを浮かべて受付嬢は、この騒々しい状況について語る。
シャルがまだユミルネの屋敷で魔法薬作りに苦戦していた頃。ギルドに全身ボロボロの兵士が現れた。
実際にはギルドの天窓を突き破って、ダイナミックな登場をしたらしいが。
気を失っていた兵士に治療を施してしばらく、兵士は無事に目を覚ました。しかし何かに怯えた様子で、まともに会話すら出来なかったという。
そして、つい先ほど。
かなりの時間をかけながらも、どうにか一つの情報を吐かせた。
それこそが『パニシュ森林の先にある未開領域から、もの凄い数の魔物が侵攻してきた』というものだ。
この情報にギルドは騒然、すぐに人員を集め始めて、侯爵に早馬を飛ばしたらしい。
そこまで聞いたシャルは、
(……なるほど。師匠の情報は正確みたいだね。まぁギルドの人達は、予想より早くに魔物が動き出したから、少し慌ててるって感じなのかな?)
そう、呑気に結論づける。
2015/10/06-魔法名の表記変更。
カタカタ表記→漢字+カタカタ表記
2017/12/16-誤字修正