遭遇!それぞれの想い
「──なっ!? 何よこれ!」
アルルに導かれることしばらく。
森林深部に着いたニーナとアルルは、幹周が四メートルはあろうかという巨樹の数々が、根元から見事にへし折られ乱雑としている地帯を発見していた。
「……これは魔法によるもの? いや、純粋な力によるものかしら。いったいここで何があったというの?」
顎に手をあて現状把握をしているニーナに、少し離れた場所からアルルが手招きをする。
「ニーナちゃん、こっちこっち!」
「え、ええ。流石にこんなものを見たら疑う余地はないわ。貴女が聞いたのは『悲鳴』なのよね?」
「うん!」
「わかったわ、じゃあ急ぎましょう」
アルルは力強く頷くと、背の高い草木をもろともせずに疾駆していく。ニーナもそれに追随する形で駆ける。
悲鳴が聞こえた事実を認めて、まず助けようと思い至るこの精神こそ、ニーナが陰で聖女もかくやと言われる由縁であった。
道すがらニーナが視線を巡らせれば、やはり至る所で樹木がなぎ倒されている光景が目に映った。
──いったい『なに』がこの現象を引き起こしている元凶なのだろうか。
ニーナはそれを考え出すと全てが悪い方向に帰結してしまう。
そもそもこの森は未開領域ではない。
あのように大樹をへし折れる存在がいる筈もなく、今日彼女たちが戦った大きめな魔物『ダーティモンキー』でも不可能である。
それにこの人族の支配地域には、強大な魔物というものが少ない事をニーナは知っている。それはたとえ未開領域でもだ。
足を動かしながらもニーナが思考を働かせていると。
「──いた!!」
アルルはかけ声と共に、樹の側面を蹴りつけ直角に方向転換。生い茂る草木の中に飛び込んでいった。
ニーナも一歩遅れる形で飛び込む。
そして、身体に絡まる蔦や小枝を、煩わしくも掻き分けてアルルに追いつくと、そこには──雑草に埋もれる形で、うつ伏せに倒れている男がいた。
アルルとニーナは伏している男に一直線で駆け寄り、脈拍などの確認をする。
「大丈夫、ただ気絶してるだけよ」
「よかった〜、生きてるんだねっ」
二人は小さく安堵。
改めて、二人は男に目を向けた。
男は、見た目まだ二十代半ばくらい。
ボロボロになっているが作りの良い軽装備をまとい、しっかりと帯剣もしている。
そして、その剣にはひとつの紋章。
「この紋と服装は軍所属の兵士ね。おそらくは候都から派遣された調査員だと思うわ」
「へぇ〜、ニーナちゃん詳しいね〜」
「別に。以前何度か見たことがあるだけよ」
「…………う、うぅっ……」
「……あ、目を覚ましたみたいだよ〜」
「え、ああ、そうね。じゃあ事情を聞いてみる事にしましょう」
アルルの言葉の通り男は小さく呻き声をあげると、幽鬼の様にフラフラとゆっくり起き上がった。
そして──
「ひ、ひいぃいぃぃえぇぁあぁ!! あ、あぁぁぁぁぁぁぁ──っ!!」
意識を覚醒させると同時。
男は焦点の合っていない目をこれでもかと見開き、目の前にいた幼女……アルルに奇声を発しながら迫ってきた。
ヒラリ。
しかし、当のアルルはそれを見極めて華麗に優雅にしっかり回避。髪の毛一本、服の一片すらさえ触れさせることのない完璧な回避行動だった。
するとどうだろうか?
アルルという縋りつく対象が消失した男は自然……顔から地面へとダイビング。
ズザザーっと盛大に顔を地面に擦り付けながら滑っていった。これはあまりに無慈悲。
「ぁ、ごめんなさい。でも、あたしの全てはシャルくんのものだから……」
この可憐な幼女アルル。
誠に申し訳ないという顔をしていながらも、何度やり直しても同じ行動をとったであろうと思わせる眼差しで謝る。
そんな、男を省みもしないシャル一筋すぎる発言に、流石のニーナも引き気味だった。
頬は軽く引き攣っている。
「ぇ、と。貴女、容赦ないのね……」
「え〜! ひどいよ〜ニーナちゃん。ニーナちゃんだって同じことされたら避けるでしょ?」
「…………え、まぁ、避ける……かしら?」
「ほらぁ〜、じゃあ同じだよ〜」
「いや、行動は確かに同じだけれどその理由は違うじゃない?! 私は体格差を考慮して二次被害を受けないようにって──」
「でも行動は同じなのっ」
「──うっ。それは……そうだけど。むぅ、なんか納得いかないわっ」
そんな漫才じみた掛け合いをしながら、ニーナは視線を兵士の男に向けた。
男はピクピクと痙攣をしているが、なんとか無事のようだった。ただ、意識はまたしても失ってしまったみたいだが。
「はぁ、これじゃあ聴き取りは無理そうね。まぁいいわ。この人は私が精霊で運ぶから、取り敢えずここから離れましょう」
ニーナは淡い桃色をした精霊を木杖から現して指示をだす。命令を受けた精霊は男に近づくと、不思議な力を用いて軽々と浮遊させる。
そして、早くこの場から離れようとアルルに目を向ける。
「………………」
「ほら行くわよ、あんまり長居すると危険だわ」
「ねぇ、ニーナちゃん、ニーナちゃん」
「……ん、なによ?」
くいっとニーナの服を摘んで視線を合わせずアルルが呟く。
そんな行動にニーナは更に首を傾げるが。
「うしろ、うしろ」
「……ん?」
その言葉のもとゆっくりと背後を振り返ると……
ピタリ。
ニーナの動きが凍りついた。
そして、ニーナが見たその視線の先。
そこには自身の目を疑わせる『現実』が闊歩していた。
「ニーナちゃん。あれ、なに?」
「……え、え? っは? あれ?」
ニーナは上ずった声でそう返す事しか出来なかった。
状況が突飛すぎて思考が停まる。
しかし思考が停滞しようとも時間は止まらない。眼前にいる『現実』は、ゆっくりと着実にこちらとの距離を詰めてきている。
頭を振ってニーナは再度、目を凝らす。
だが、見間違いようがなかった。
ニーナとアルルがいる場所からおよそ五十メートルほど先、そこには一匹の魔物がいる。
この距離でも視認できるほど巨大な体躯。
不吉な漆黒の毛に黄褐色の横縞模様。発達し筋肉が盛り上がった強靭な四肢。
そして、なにより目を引くのが二つの頭部だ。
『オルトラ』
それがこの双頭の大虎の一般呼称。
ニーナも知識としてなら知っていた。ただ、実物を見るのは初めてだった。
それも当然である。あの悠然と歩んでくる魔物は、本来こんな地域に居ていい生き物ではないのだから。
居るとすれば魔人が住む大陸の奥地や、危険度の高い未開領域など。この人族の住む地域にオルトラなんてとんでもない。
居たらそれだけで大騒ぎが起こるレベルだ。
しかし、この地域には存在しないとされている魔物が、すぐ目の前から迫ってきている。
ニーナは冗談じゃない、と喘いだ。
もしかしたらオルトラに似た特徴の、別の魔物の可能性もあるのでは? と、そんな甘い考えに縋りたくなるが、それはありえないと自身の心が強く主張している。
目の前の魔物から放たれる存在感は、間違いなく強者のそれだからだ。今日彼女が戦った魔物とは比較にもならない強者の風格をまとっている。
バキバキと盛大な破砕音を立てて樹々が薙ぎ倒される。なんの事はない。ただ魔物が一直線に歩いているだけ。それだけで触れた樹々たちは、大きさの大小は関係なく簡単に折れていく。
「──っ」
ここに来てやっとニーナは納得する。
ここまでの道すがら見てきた樹木は、全ては『こいつ』によるものだと。
それどころか、最近の異変はこの魔物が原因なのでは? とも。
ただ、異変の原因が判明したとしても、それは絶望を生むだけ。この魔物が相手となれば、『D』ランクの冒険者である自分ではどうしようない。
「…………こ、こんなの、どうすれば」
突然の異常事態にニーナは絶望を覚えたが、すぐ近くから優しく澄んだ声が耳朶をうつ。
「落ち着いてニーナちゃん。ここはあたしに任せてよ! えへへ!」
「……は? って貴女何をするつも──」
その言葉を最後まで言う前に、アルルの姿が消える。
気付いた時には魔物の側面、頭上高くに移動しており、次の瞬間には回転斬りを魔物の片首に叩き込んでいた。
そして……
響き渡ったのは思っていたのとは違う、硬い金属音だった。
「ウソっ!?」
ニーナの驚愕は誰に届くこともなく溶けて消える。
アルルの奇襲攻撃によって魔物はフラついた。
首筋には小さな切り傷もついた。
だが。それだけだった。
どう見ても致命傷とは言い難い。
アルルも少なからず驚きの表情を浮かべている。
それもその筈だろう、ニーナから見ても、アルルは魔物の命を刈り取る勢いで剣を振り下ろしていたのだから。
しかし、アルルは意識を切り替えたのか。
すぐさま宙空で身を捻り、攻撃あとの隙を打ち消して体勢を整えると──真剣な面持ちで動き出した。
それからしばらく(時間にして僅か十数秒だが)、断続的に響く金属音と魔物の獰猛な怒声、そして場違いな幼い声音だけがニーナに届いてくる。
一度本気で動き出したアルルをニーナは捉えられない。目視できるとすれば当然、減速時と停止時のみ。
と、そのとき。
今までとは違う一際大きな声が耳に届いた。
それは魔物による絶叫。
視界に映し出されるは、魔物の眼球に剣を突き刺しているアルルの姿。
その光景を見て瞠目をするニーナ。
が。次の瞬間には一転。
「──っ!? 避けなさいっ!!」
魔物が勢いよく首を振りアルルを振り落とすと、もう片方の頭部が、その強靭な犬歯をアルルに突き立てようと迫る。
「お、わ────とぉ」
やや慌てた声。
だが、アルルは今まさに迫り来る大虎の頭部を、力一杯に踏み抜く。
そんなまさかの反撃に、魔物は頭を大地へと叩きつけられ重音が轟いた。
そして同じくして。
「……はふぅ〜」
気付けばアルルがその美しい長髪を靡かせ、ニーナの側まで戻ってきていた。
端からみればなんの変哲もない、いつも通りの柔和な表情のアルルなのだが。
「っちょ、ちょっと大丈夫なの!?」
「えへへ。平気、平気!」
「でも貴女、それっ!」
ニーナがアルルの身体を見下ろす。
そこには服の各所が破れて解れて、愛剣である黒い直剣も刃が毀れてしまっている姿があった。
なにより──アルルの身体の至る所には痛々しい裂傷が出来ていた。
幸い致命傷と呼べるほどの傷は負っていないが、傷口からは痛々しく出血している。
「うーん、あの魔物ってば凄いね。ふわふわそうに見えてカチカチのツンツンだったよ、えへへへ」
「……ッ」
自然体でにこやかに、此方を心配させないように気遣いながら笑うアルルの姿を見て、ニーナは己を恥じた。
(くっ、私はいったい何を呆けてるのよっ。自分よりずっと年下の女の子がこんなになるまで頑張ってるのに、私ときたらっ!)
瞬間。乾いた音が空気を裂いた。
「……ニーナちゃん?」
「ごめんなさい。大丈夫よ」
ニーナは自身の頬を叩いた両手を離して、大きく深呼吸をする。
そしてアルルの行動によって、僅かながらの冷静さを取り戻す事が出来たニーナは、急速かつ的確に思考し、状況判断を下していく。
「ちょっと聞いてくれるかしら?」
「うん、なに? ニーナちゃん」
ニーナは横目で魔物の動向を気にしながら、早口で概要を伝える。
「これからの行動についてよ。おそらく、いえ、間違いなくあの魔物は『C』ランク以上。一冒険者で迎撃できる強さを超えているわ。だからここは一旦退いてギルド本部にこの事態を伝えて対策を練る必要があるの──わかるかしら?」
ニーナの出した結論は単純。
暗に撤退するべきだ、と。
そう提案しているのだ。
魔物を相手にしての戦力差。
万全のアルルとニーナでも、勝率三分に届けばいいところ。
だが現在まともに戦える者はいない。
アルルは軽症とは言い難い傷を負っている。ニーナも精霊行使による体力低下で長くは戦えない。
それにこの場には二人以外に、意識を失っている候都の兵士がいる。人を守りながら魔物を討伐するのは不可能に近い。
それならば戦略的に撤退するべき──。
「うん、うん」
そんなニーナの提案をアルルは正確に汲み取り、賛成の意を見せる。
だがニーナにとって予想外の言葉を、アルルが続けざまに放った。
「ニーナちゃんの提案には賛成なの。でも、あたしだけはここに残るよ」
「……は? 貴女なに言ってるのよ! わかってるんでしょう? あの魔物は貴女一人では通用しない相手だって」
「うん。すっごく強かった。あんなに強い魔物は初めて」
「それなら残るなんて無謀よ! 貴女は怪我だって負っているのよ?」
無茶な事を口にするアルルに、ニーナはガラにもなく感情を露わにした。
──おそらくこの娘はあの魔物の危険度を履き違えている。『D』ランクまでの魔物と、『C』ランクからの魔物に広がる大きな実力の隔たりを理解していない。
そうニーナは思い、アルルの言った行動を止めるため、再び口を開こうとした。
「ううん。全員で逃げてもあの魔物には追いつかれちゃうんだよ。だから、ここであたしが時間稼ぎをするの」
アルルが機先を制す。
「それに疲れてるニーナちゃんをここまで連れて来ちゃったのはあたしだもん! だからここはあたしに任せて先に行って? 大丈夫大丈夫! すぐに追いつくから!」
「だから待ちなさいってば! そんなの無謀だって言ってるで──」
ニーナはアルルに詰め寄った、と同時。
深緑の瞳と紅緋の瞳が交わる。
「ッ」
いまのアルルは、普段通りの余裕ある笑みを浮かべている。だが、その瞳の内には、今までには無い確固たる意思と覚悟が宿っていた。
──違う。この少女は魔物の危険性を誰よりもわかっているのだ。実際に剣を交えることによって。そしてなによりも本能で。
ニーナはアルルの瞳に宿る覚悟を感じ取り、瞬時に認識を改めさせられた。
そもそもアルルはこう言っていたではないか。文字通り『ここはあたしに任せて』と。
初めからアルルは何が最善か、自分がするべき役割は何かを理解していたのだ。
ならば自分のするべき事は。
「……わかったわ。ここは貴女に任せる。だから私も最大最速でこの事をギルド本部に伝えるわ」
「うん!」
「でも、これだけは守ってほしい」
一息。真っ直ぐにアルルを見つめ、
「絶対に無理をしないで。あの魔物は倒さなくていいから。逃げ回って気を引くだけでいいから。時間が稼げたらすぐに退却していいから。だから無理をしないで。わかった?」
偽りのない本心からの心配を、ニーナは一気に言い切る。それにアルルは鷹揚に頷く。
そして今一度。
二人は瞳を交え。
「わかった、任せてよ──ニーナちゃん」
「ええ、任せたわ──アルル」