サギョウ+オモワク=
ユミルネさんの自宅に赴いてしばらく。
かなり話題が逸れていったけど。
やっと本来の目的に立ち返り、お仕事を開始することになった。
あの散らかった部屋から地下の一室(こちらは割と綺麗に片付けられていた)に移動し、簡単な説明を受けた。
弟子兼助手に任命されたからといって、俺がする仕事に変わりがないとまず聞かされ。
それはそれでどうなのよ……と思ったけど、もともと今日は依頼をこなすつもりで来たんだし気を取り直してお仕事開始。
仕事内容なんだけど。
内容が自分の耳を疑いたくなるレベルで、ありえなかった。
「うむ。作業内容だが、取り敢えず明日の朝までに回復薬を千本と解毒剤五百錠、魔増薬五百本作る。シャルラ。お前にはその手伝いをしてもらうぞ」
こんな言葉をユミルネさんは何のためらいもなくを言い放ったのだ。
もちろん顔が盛大に引き攣りました。だって数がおかしいもん。
「んと。一応確認なんですけど、現状どれくらいお作りなのですか?」
「くくっ、安心しろ。きちんとゼロだ。ぶっちゃけると昨日まですっかり忘れていた」
ふぁ〜〜、なんて人だ……。
ドヤ顔で言うセリフじゃないです。
魔法薬の調合はよく分からないが、たった一日で合計二千もの薬を作れるほど簡単な作業とは思えない。
「ユミルネさん。知っているのか知らないのかはあえて聞きませんけど、僕は薬草の選別は出来ても調合は出来ないです」
「そんなもの教える。問題ない」
「期限が明日の朝だと流石に無茶では?」
「だからお前を呼んだ。なに、二人で作れば普通に間に合うだろう」
「…………」
……ふふ、ふふふ、誰ですか!
この人の弟子になるなんて言ったおバカさんはっ。
──ええ、ええ、わたくしでしたね……もうっ!
この人やっぱりとんでもなくおかしいっ。
簡単に言ったけど、魔術師見習いでさえない俺に、魔法薬の調合がすぐ出来るという前提で物事を考えてやがりますですよー。
あれですかね? 自分には出来るんだから当然お前も出来るだろう──みたいな感じ?
いやいやー、それは勘弁してほしい。
そんな天才思考はアルルさまだけで十分です。
まったく、七歳児の子供になんてハードワークをさせるつもりなのよー。
まぁ、やるけどもさー。
受けてしまったからには、お腹を括って作業するしかないし。
ポジティブに考えれば、高名な魔術師様に手ずから魔法薬作りを教われるんだから悪くはない。
幸いまだ朝。時間は丸一日残っている。
まだ諦めるのは早いよね。
ここは出来る範囲で助手として頑張ってみよう。
はい。そんな感じで現在。
えーと。半日くらい過ぎて21時くらい?
それで、進捗の方なんですが。
既に絶望的となっているんですよ。
あれからユミルネさんに魔法薬作りのノウハウを伝授してもらって、部屋に篭って黙々と作業に取り掛かってきた。
正直わけわかんないというのが本音。
いや、ユミルネさんの教え方は控えめに言ってもかなり上手かった。
だからそっちではなく、魔法薬作り自体が難し過ぎて手に余るといった感じかな。
今回作っている回復薬で例えるなら。
材料の元となる薬草①と薬草②の粉末、それと、よくわかんない薬品(X)と、もっとよくわかんない薬品(Y)、危険な匂いのする薬品(Z)を最適時間別に調合釜に入れて、魔力を適正量流しつつ混ぜ合わせるだけ。
一見は簡単そうなんだけど、難易度は薬草選別の比じゃなかった。
混ぜ合わせる薬草や薬品の順番や分量、タイミング、温度、加える魔力の量をほんの僅かに間違えるだけで失敗してしまうシビアさ加減だし。
この流す魔力は工程別に細かく変動するし、常に適正量を固定して流し続けなきゃいけないから集中力も制御力もかなり使う。
そんな感じで作り始めて、俺が調合に成功したのは、回復薬がたったの数本だけ。
目標数の何百分の一だよって話だ。
それに加えて、解毒剤や魔増薬は残念ながら一度も成功していない。
こっちの魔法薬は、何度か成功した回復薬と比べても難易度が跳ね上がる有様。
失敗にいたるシビアさはもっと酷くなってるし、こっちの薬品は調教失敗すると派手に爆発するときた。
そのせいで換気や片付けで余計な手間も、増える増える。
失敗が頻発すると集中も切れるから、作業の手も止まるし散々だ。
まさに失敗の連鎖に囚われている状態。
そして何よりこの事態を作り出した元凶。
そう、ユミルネさんなのだが。
なんかこの部屋にはいないのよねー。
というか、俺に調合方法を教えたら部屋を去り、どっかに行ったきり帰ってきていないんだよね。
まさか逃げてはいないと信じたいけど、あの人のことだから、別の研究をしてました、とか言われても納得できるし。
今日一日でユミルネさんの大体の性格は分かったから。
「……ん。少し休憩」
椅子から立ち上がって、大きく伸びをして凝り固まった体をほぐす。
集中してたから気づかなかったが、流石に長時間ずっと作業していたから疲労感がすごい。子供の身体だから余計に。
「そもそも、こんな大量の魔法薬を作って一体どうするつもりなんだろう」
売るんだとしたら、明日の朝までになんて期限は設定されないだろうから。
おそらくユミルネさんに対しての依頼?
にしては多すぎな気がするんですけど。
「くくっ、答えよう。それは国からの依頼だ」
「きゃぁ! ──い、いきなり出てこないでくださいよ、ユミルネさん!」
「吾は何度も呼びかけたぞ、反応しないお前が悪い。あと、シャルラよ。吾の呼び方は『先生』もしくは『師匠』と呼べと言っただろう」
「んぅ、すいません……師匠」
俺は呼び慣れない呼び名を使う。
ちなみに『師匠』と呼ぶ理由は特にない。
しいて挙げれば、俺にとっての『先生』は母様ってイメージが強いから、消去法で残ったほうの『師匠』を選んだってだけ。
「それで師匠。いまサラッと国の依頼とか言いませんでした?」
「うむ、言ったぞ。この依頼は国……正確にはマールスの小僧直々のものだな」
マールスって言えば、その名の通りにこのマールス侯爵領の統治者じゃないか。
「師匠はそんな偉い人からの依頼を昨日まで忘れてたと?」
そんな有力者からの命令を実行できなかったら、普通に不味いでしょ。
というか、小僧って……。
不敬罪になっても知らないですよ?
「ふん、お前は勘違いしているようだがな。この依頼は彼奴が執拗に頭を下げて懇願するから受けただけだ。本当ならあんな変態の、こんなつまらん依頼なんぞ一蹴のもとに拒否していた」
「へ、そうなんですか?」
ユミルネさんは腕を組み、不承不承感を滲ませた尊大な態度で補足をする。
その貫禄たるや、一国の貴族をも凌駕している気がするから不思議。
上級貴族である侯爵さま相手に頭下げさせるとかこの人何者?
魔術師ってそこまでの権力もってるもの? まぁ、その辺は後で調べてみればいいかな。
いまは別の事の方が気になるし。
回復薬に解毒剤、魔増薬。
量の方に気を取られてしまったが、この魔法薬のどれも戦闘を行う際に携帯することが多い薬品。
回復薬は飲んで良し、塗って良しの万能治療薬で、生傷絶えない冒険者にはお馴染み。多少値が高くても持っておきたい一品で有名だ。
解毒剤の方も、魔物には毒を持つものも少なくないから持っておけば安心。
魔増薬は値段が値段だから、買える人が少ないのが欠点にしても、飲めば魔増薬に付与されている魔力を、自身に上乗せできる便利な魔法薬だし。魔法士には有難いモノだ。
そんな魔法薬を膨大な数注文した。
それってつまり。
「侯爵さまって戦争かなにかでもするつもりなんですかね。大規模な戦いに備えてるの丸わかりです」
「くくっ、吾は頭の回転が速い奴は好きだぞ。そう、大体はお前の言う通りだ。まだ正式に告知されていないが、近々魔物の一斉掃討作戦を実行するらしいぞ? 冒険者にも参加要請を出すと聞いたな」
ユミルネさんは俺の頭にポンと手を置いて、話してもいいの? と言いたい重要そうな内容を口にする。
「ふーん。やっぱりそんな作戦が……」
国内の情勢は安定しているみたいだから、実際戦争はないと思ってたけど。
まさか魔物の一斉掃討とは。まぁ増えてるって言ってたからねアルルたちが。
「うむ、吾も聞きたくて聞いたわけじゃないのだがな……──」
ここ最近で急激に数が増し、被害件数をグングン上げている魔物の過剰発生問題。
この案件について、以前から候都側が調査を行っていたみたいで──つい先日。
やっと魔物の増加理由が掴めたらしい。
その候都が掴んだ理由というのが。
「未開領域からの進入、だな」
「未開領域ですか」
……この言葉は知っている。
なにせ、この三週間の間にも勉強はしっかりしていたし。
以前、ワンコに襲われた際にジョルジさんが口にした言葉でもあって、気になってたからね。
端的に言えば『未開領域』とは。
人の手が入れられない魔物の巣窟となっている地域、領域のことだ。
ギルドの本に記されている事が確かなら、この未開領域という場所は世界各地の至る所に点在していて、山や森、渓谷や草原、海などなど、地形は関係なく指定されている。
基本的に未開領域に住む魔物は、領域から出ないため自分から踏み込まない限り危険はなく、そこまで深刻な問題性はない。
偶に逸れの魔物が人里を襲うことぐらいはあるみたいだが、冒険者らによって駆除されるし、やはり問題にはならない場所といえる。
そもそも、冒険者が普段相手にしている魔物は、未開領域のはぐれ者が主ではなく、未開領域外に住み着き繁殖した魔物の方だし。
でも。ユミルネさんの言ったことが本当なら、結構切迫した状況なんじゃない?
「未開領域から魔物の侵攻なんて事態になれば、この候都もタダでは済まんだろうな。故に掃討作戦なんて大規模な行動を起こそうとしているって訳さ」
「なるほど。最悪の事態になる前に手を打っておくということですね。依頼にあった膨大な魔法薬もその作戦に使うため……」
……ん?
「……って、なにしてるんですか師匠? いま聞いた限りかなり深刻な案件が絡んでる仕事ですよね。昨日まで忘れてていい仕事じゃないですよこれ」
「くっくっくっ。他の者がどうなろうと吾の知った事ではない。最悪別の街にでも行けばいいのだしな。王都に行くというのもいいか?」
「いや確かに赤の他人がどうなろうと知った事ではないんですが、いまこの街を壊されると僕が困るのでしっかりして下さい」
まだこの国の時計塔とか登ってないし、候都観光もちゃんとしてない。
コレットちゃんの宿が壊されたら可哀想だし。ジョルジさんもまだ滞在してる。
それにニーナが住んでるからねこの街。
「──くくっ、くははっ! なんだシャルラ。お前なかなかえげつない性格をしているのだな。普通の感覚をした者であれば、叱責してきそうなものだが?」
「えっ……そう、ですか? 僕は僕が大事に思ってる人とか、恩人さんが無事なら何も言いませんけど……。確かに気分は良くないですが、結果的に亡くなったとしても、それはその人の運や実力がなかっただけですし」
ん、現実はいつだって無情なのだから仕方ない。
どこまで抗うかは自分で決めればいい。
「お、お前、くっ、くくく、くふふふふっ。それは、それは子供のお前が使う言葉じゃないぞ? くふふっ! どんだけ可笑しな奴なんだお前はっ、愛らしい顔してなんと……く、くはははははっ!」
「むぅ、失礼ですっ。僕はいたって普通ですよっ。変人みたいに言わないで下さい。だって僕は聖人さまではないんですよ? 誰だって我が身が可愛いじゃないですか」
「……くっ、くははっ、くはははっ、や、やめろ笑わせるな馬鹿者っ、くははははっ!」
「もうっ、何もおかしな事は言ってません。ただの生存本能ですからねこれ。むしろ僕は見も知らぬ他人を無責任に助ける人の方が、理解できないだけです。それで身内が危険に晒されたらどうするんですか」
「──っだ、だから子供のお前が使う言葉じゃ、ない、だろうが! くふふふっ! くはははははっっ! ゲホゲホっ!! くははははははっ──」
「むぅぅ〜〜ッ」
何故かツボに入ったユミルネさん。
お腹を抱えて呼吸を乱している。
なんでなんだろう……そんなおかしなこと言ってないのに。
普通、手に余る強大な危機が迫ってきたら逃げない? わざわざ立ち向かっていく人なんて国の兵士と高ランク冒険者か、物語の正義感あふれる主人公だけでしょ。
俺だったら家族とかに手を出されたりしない限り、立ち向かったりしないよ。
気まぐれや好奇心が湧いてきた時は、その限りじゃないけどさ。
これ、俺がずれてるのかなぁ。
「まぁ、色々言いましたけど、別に見捨てる前提で話してませんからね? 作戦の手助けになるのなら、こういった魔法薬の作成だって手伝いますし。出来る範囲で手助けもしますから……今回は無理っぽいですけど」
今回は仕方ないよね無茶ぶりだったし。
俺も精一杯頑張ったと思う。
「……はぁ、はぁ。し、心配するな。はぁ、お前が面白くて、言い忘れていたがな、もう依頼は片付けてきたのさ」
「……ん?」
やっと落ち着いたユミルネさんは、そんな重要な報告を伝えてきた。
「終わったん、ですか?」
「うむ」
「回復薬1000と解毒剤500、魔増薬500を全部ですか?」
「うむ……というかだな。依頼の薬はお前の指南をした後、半時ほどで終わらせていたのだがな。ほんとつまらん依頼だったわ、くくっ」
「…………」
うっそー、マジですか。
たった半時で、あの激ムズ難易度の調合を2000個分も終わらせたの?
もうそれって人間業じゃ……いや、ユミルネさんは魔人族らしいから、ただの人間じゃないんだけど、そういう意味じゃなく凄すぎる、もう神業じゃん。
「けど、一体どうやって」
「ん? 面倒だから三種類の魔法薬全てを、三つの調合釜でまとめて作っただけだぞ」
「あ、そっか。その手がありますね。全然気が付きませんでした」
とはいえ、一個の薬を作ることに四苦八苦している俺じゃあ気付いてもねぇ。
「くくくっ、現状のお前だと気付いても実行は難しいな。なんせ必要魔力や調合比率が段違いだ」
「ですよね。なんかわかってました」
ちょうど考えていたことをユミルネさんも指摘してくる。
でも。よく考えてみれば俺って魔術師歴が半日なんだから、それって当然じゃないのかなーって思うんだけど。
ユミルネさんにはそんな事実は関係ないんだろうなぁ。たった半時で2000個も調合出来るハチャメチャっぷりだし。
…………あれ?
「あれれ? でもそんなに早く作れるなら、僕をここに呼ぶ必要なんてなかったんじゃ」
「おっ、やっと気付いたか。その通りだ」
『お』って。納得しちゃったよこの人。
「いやぁ、ぶっちゃけるとだな。今日は初めから、お前と直接会って話してみたかっただけでな。だからお前の依頼は朝、吾と話した時点で終わっていたぞ?」
「では弟子になれっていうのは?」
「そっちはその場の思いつきだな。話してみて、お前を気に入ったからと言ったであろう? 弟子兼助手が欲しいと思っていたのは本音だからな」
「つまり師匠は初めから魔法薬の全てを自身で作るつもりだったって訳ですね。じゃあ、僕の頑張りは一体……」
「くくっ、まぁいいではないか。お前の作業内容はでっち上げだったが、実際には緊張感の中で吾から直々に魔術指南を受けられたのだからな」
「……んぅ、たしかに。はぁ〜」
真実を聞いて俺は完全に脱力してしまい、床に仰向けで倒れこむ。
長時間の精神をすり減らすような調合作業に、このぶっちゃけ話しで完全に緊張の糸が切れてしまった。
そして見上げてみれば、金の眼を爛々と光らせて、したり顔で邪悪に笑うユミルネさん。
今日は全てがユミルネさんの手のひらの上だったということか。
なんか、悔しい。
完敗って感じだ……。
だけど、真実を知った今も嫌な気分ではない。なんか『やられた〜』って心境。
もう、流石はユミルネさん……んぅ、師匠──ですかね。
◾︎◾︎◾︎
その後。
俺は無駄なようで無駄じゃなかった魔法薬製作の作業を切り上げて、師匠のお屋敷をあとにした。
師匠はその際に。
『もう遅いから泊まっていってもいいのだぞ? ご覧の通り吾の屋敷は広いからな』
なんて提案してくれたが、アルルには今日遅くなるなんて一言も伝えていなかったし、今も俺が帰るのが遅くて心配してそうだから遠慮した。
すると、何をどう解釈したのか師匠は。
『くっくっ。なんだシャルラ。お前、その年でもう尻に敷かれてるのか?』
とか返してくるしで、また大変だった。
一瞬、俺とアルルの許嫁関係云々を見透かされたのかと思ったけど、流石にそれはないだろう。話してないし。
あー、あと。
屋敷を出る時に師匠から調合器具を一セット頂いた。というか押し付けられた。
これでもっと腕を磨いておけって事らしい。普通にありがたいからちゃんと使わせていただくけどね。
俺は暗くなった候都の石畳を疲労困憊ながら下っていく。
上層の師匠宅から下層の蓮華亭まではかなり距離があるけど、涼みながらの散歩だと思えば、どうってことはない。
気づけばこんな時間になっちゃったけど、アルルやニーナはどうしてるかな。
多分、ニーナは寝てるかな。
見た目通りキッチリとしてるし、規則正しい生活を心がけてるみたいだから。
アルルは……うん。
蓮華亭の入り口で帰りを待ってそう。
俺が帰ってくると同時に抱きついてくる所までありありと想像できる。
これは早く帰らないとだよね。
俺は足早に中層に繋がる門をくぐって、街をさらに下っていく。




