一朝有事とチェイシング
ジョルジさんと合流した宿場町から、候都ファナールまでは馬車でおよそ五日ほどの道程となる。
途中で小さな村や、似たり寄ったりな宿場町に立ち寄っての、この日数。
既に俺たちが候都ファナールに向けて進み始めてから早四日ほど、ジョルジさんや隊商の人たちと共に過ごした。
今はもうマールス侯爵領に入っており、最後の山越えの最中である。
この山を越えれば、とうとう目的地である侯都ファナールに着くのですが……。
「……あぅぅ」
膝辺りから聞こえるは可愛らしい呻き声。
「アルル、大丈夫?」
「う、うん。だいじょうぶぅ……うぅ〜」
と。こんな感じの今日この頃。
何がといえば、アルルと暮らしてきて初めて知ったんだけど。
「まさかアルルが、こんなにも乗り物に弱かったとはね……」
俺とアルルの二人は、隊商に加わってから常にジョルジさんの荷馬車に乗せてもらっている。
しかし、ここまでの道のりでアルルは常にダウンしてきたのです。
出発当初こそ、意気揚々と景観を楽しんだり、おしゃべりをしていたのだが、荷馬車に揺られること数刻、数時が経つにつれて先までの元気が嘘のような状態になり、それからは馬車に乗ってる間は俺が膝を貸し、アルルは伏せっているのが常となりました。
「シャル……く〜ん。まだ着か、ない?」
普段の快活さが微塵も感じられない沈んだ声音で問うアルルさん。
「ん。まだかな。それにこの天気だから」
空を見上げると黒い雲が立ちこめており、シトシトと嫌な雨が降り注ぐ。
ここ数日はしばらく雨が続いています。
加えて、昨日は結構大きな嵐島とも遭遇してしまったほどで、山間の道もかなり泥濘んでいるのだ。
これではそこまでの速度は出せない。
つまりそれだけ到着が遅れる。
でも速度は出ないが揺れは出る。
それもかなり。
「……あうぅ」
期待していた訳ではないのだろうが、アルルは弱々しく嘆息をもらす。
俺はそんなアルルの外套を整え、雨に濡れない様にしつつ、片手で背中をさすってもう片手で優しく頭を撫でる。
「あー、アルル嬢には気の毒な話だが、まだしばらくはこの悪路が続くぜ。まだ山の四割くらいしか進めてねぇからよ……」
会話が聞こえていたのか、御者台で手綱を引いているジョルジさんが、苦笑いで追い打ち宣告をしてきた。
その言いに対して顔色が明らかに悪くなるアルル。
「……はぅぅ、……もう、やだ」
らしくない弱音を吐きながら、両の手で顔を覆ってイジイジといじける。
ん、環境が変わると色々発見が増えるんだね。あのアルルが弱音を吐くなんて珍しすぎる。
新しい一面を知れてちょっと得した気分になりアルルとは反対にテンションが上がる。
ああ、そうだ。
「そういえば、前に乗り物酔いは少し身体を動かしたりすると良いって聞いた気が──」
言い終える前にバッと立ち上がるアルル。
「……!? ……あぅぅぅぅ」
瞬間、反転。
巻き戻しの如くスポッと膝上に舞い戻って来た。
「ん、でもあれって乗車する前だったかな」
「もぉぉ〜! しゃるくん!!」
「ごめんごめん。ほら、よしよーし」
「………むぅ〜」
むくれたアルルの頭を撫でて機嫌を取り、兄妹のじゃれあいを楽しむ。
アルルは楽しむどころではないみたいだけど、気を紛らわせるくらいは出来たんじゃないかな。
◼︎◼︎◼︎
それから、ゆっくり馬車を進めてしばらくの事。
「──おっ? 見えてきたか。嬢ちゃんら! そろそろ山を抜けられるぜ、あの橋を渡って少し行けばすぐだ」
ジョルジさんが指差しているのは、遠くに僅かに見え始めてきた桟橋。
幅もあり丈夫そうな作りなので、よくあるお決まりの橋が落ちるといった心配はないだろう。
「……むぅ」
我がことながら、橋を見てまずその考えを抱いた事に少々苦々しい気分になる。
いらぬフラグをたてる必要もないし、橋に対する所感は口にしませんとも。
ブンブンと頭を振って下らない考えを追い払う。
「よかったね、アルル。もうすぐで山を抜けられるって」
「……ほ、ほんとぅ?」
「ん。ほんと」
頭にポンと手を置いてそう教える。
先ほどよりも憔悴しているアルルが顔を上げる。今にも壊れてしまいそうな儚い美しさを放ちつつ、潤んだ瞳を上目づかいに見つめてくる。
普段の明るさとのギャップに、不覚にもすこーしだけ心が乱されてしまった……。
んんー、確かにバカなこと考えてノーガードだった俺も悪いですけど、それにしたってこの上目づかいは凶悪すぎますね。これは下手な男にはやらないように言っておかねばアルルが大変だ。うん。アルルの為、兄としてひと肌脱ぎまし……──ん?
「にぁうっ!?」
「──ジョルジさんっ。ちょっと馬車停めてもらえますか。後ろの隊商の人達も全員だと助かります……あ! ごめんねアルルっ」
毎度の如く変な思考に流されかけていたその時、俺の聴覚がある音を捉えた。
反射的に身を乗り出して、ジョルジさんに話しかけちゃったんだけど。
膝上にいたアルルが勢いよく床に落ちてしまったみたい。意識が別の方に向いていたせいで気づくのが遅れた。ごめんね。
「なんだ、急にどうしたシャルラ嬢。とうとうアルル嬢の限界がきたってか?」
振り向きざまの呑気な返しに。
「左前方の茂みから何か近づいてきてます」
後頭部をさすっているアルルを一瞥しながら、いま知覚した情報を報告すると一転。
気を抜いていた表情を真剣にして隊商全体に指示を出すジョルジさん。
「そりゃ本当か? 護衛の奴らは誰も気づいてないみたいだが……」
それは、当たり前でしょう。
まだ数百メートルほど先にいますし。
気づけるならば、それだけでかなりの索敵能力だと思う。音が雨のせいで聞き取りづらいっていうのもあるから余計に。
「来ます」
言うのと同時、背の高い茂みから高速に何かが躍り出てくる。
突然の奇襲に、隊列を囲むように位置取っていた護衛冒険者たちが動揺する。
現れたのは、見上げるほど大きな体躯に、剣山のような灰色の毛並みの獣。
前世で言う所の、サーベルタイガーみたいに強靭な二本の犬歯を剥きだしにしている。
その獣は威嚇する様に唸り声を上げると。
涎をを溢しつつ一歩一歩近づいてくる。
「なんでこんな魔物がここに……ッ」
前方に現れた魔物を確認して、苦虫を噛み潰した様に吐き出すジョルジさん。
「知ってるんですか? あの魔物」
「あ、ああ。商売先の冒険者から又聞きしただけだが、特徴も一致してやがるし間違いないぜ、シャルラ嬢……」
ジョルジさんは目前に立ちはだかる威圧感たっぷりの魔物を見据え。
「『ルプスパーダ』。未開地域にしか生息していない脅威階級『D』の魔物だ。こんな場所に居るのはあり得ない魔物なんだがっ」
「……るぷすぱーだ?」
名前を言われてもピンとこない。
確か家の魔物図鑑にそんな感じの名前があった気がしなくもないけど、アルルと違って完全に覚えてる訳ではないし。
それに未開地域やら脅威階級? やらも詳しくは知らないから『D』っていうのがどこまで高いのか検討がつかない。母様からは『倒せる魔物と倒せない魔物をしっかりと判断するのが大事』としか教わってないのです。
ここ最近思うんだけど、俺って四歳から冒険者の勉強してきた割にはそういう物事知らなすぎでは?
魔法知識とか覚えるので手一杯だったのもあるけど、やっぱり視野広く勉強しとくべきだったかな?
いやでも、知識だけを詰め込む頭でっかちはよくないからって、実技プラスアルファの方針だったから難しかったかもだけど……。
「「「ぎゃあぁぁぁあああぁあ!!?」」」
絶叫を聴いて意識を戻される。
いつの間に事態は悪い方に進捗していた。
向かってくる魔物に応戦しようと、護衛の冒険者たちが迎え撃っている。
しかし、相手する魔物の事を知っている者達は既に浮き足立っている有様。
勇気を振り絞って遮二無二ぶつかっていく者もいるが、虫を振り払うかの様に全く相手にされていない。
交戦に入った数人が瞬く間に蹂躙される。
後衛で援護をしていた冒険者もその惨状に耐えきれず仕事を放り出して逃げ出し始めた。
んぅ、これは不味いですか……──ん?
「ぐっ、このままじゃ商品以前に隊商が壊滅しちまう!」
「ジョルジさん。もうひとつ報告なんですけど。あれと似た足音があと数匹、いや数十匹は近づいてきています」
「なっ……んだと!?」
ジョルジさんは瞠目して俺が言った言葉を理解しきれない(したくないが正しいかもしれないけど)様子だ。向かって来ている足音群はまだかなり離れてるから、猶予はあるけど……。
はぁ、この世界に神様がいるのなら俺並みに捻くれてると思う。いらぬ面倒事が起きないように考えた瞬間にこれだもの。まったく嫌になる。
とはいえ、このまま放ってもおけないか……。
俺はゆっくりと顔を上げて、恐怖が伝播して狂騒の坩堝となった戦場をジッと見やる。
まず状況の把握から──。
重傷者が多数。死亡者はゼロだが時間の問題。
敵生体に対抗、および拮抗し得る戦力はなし。事態を放置したままだと隊商壊滅は必至。
敵生体に対する場合、シャルラハート、アルリエルの両名であれば問題なく排除が可能である。
強制介入に加えて遅滞戦闘を推奨っと……。
「ん」
これは面倒だとか言ってられないみたい。
早めに動きましょうか。
俺は馬車の淵に足をかけてピョンと飛び降りる。そのままワンコ魔物ことルプスパーダに近づいていく。
ここまで近づくとかなり大きく感じる。
「お、おいシャルラ嬢!? 何してんだ戻ってこいっ! 危険だか────あっ!?」
魔物は毅然と近づいていく俺に標的を変えて大口開けて突撃してくる。
ジョルジさんと護衛の冒険者諸々は、そんな展開に絶望的な表情を浮かべる。
「……んー、微妙」
動物の犬は可愛いし好きだけど。このワンコは愛嬌のカケラもない。というかまったく可愛くない。
愛でられるかといえば微妙。まぁ、魔物だもんねー。
と、どうでもいいことを考えながら、瞬間的に焔魔纏の密度を跳ね上げる。
瞬足一閃。
喰らいつこうとしてくる牙を一歩の踏み込みで躱し鼻先を踏み台に跳躍。
上空でクルリと反転し回し蹴りを首筋に叩き込む。脚に確かな感触が伝わり、次いでワンコの行動停止を確認する。
敵生体の排除完了。
事前予測との齟齬はほとんど無し。
戦闘における自身の負傷箇所も無し。
「んー、これなら何とかなりそうかな」
重鈍に地面へ倒れるワンコとは裏腹に、軽やかな着地をして身だしなみを整える。
「「「…………………………」」」
妙に視線を感じて、視界を巡らすと。
目目目目目目目目。
その全てが目を白黒させていた。
勿論ジョルジさんも例に洩れず、目を屡叩かせている。
あ、あー、失敗した、かも……。
いやでも自重とかしている場合じゃなかったし、こんな時に手加減とかするのも、それはそれでどうかと思うし……。
うー、よしっ!
ここは気にしない努力で乗り切ります。
「あ〜!? シャルくーん! もう、ずるいよ〜。軽い運動ならあたしにさせて欲しかったよ〜」
場に流れるよく分からない空気を切り裂いて、ゆらゆらと此方へ向かってくるのは、可愛らしい声の主──アルルさん。
「運動って、アルルさん乗り物酔いでダウンしてたでしょう?」
「もう平気だよ! あたしも一緒に戦いたい!」
両手を腰に当てて、垂直の胸部を反らして意気込む戦闘きょ……じゃなくてアルル。
まだ顔色は少し悪いが、確かに馬車が動いてる時よりは断然調子が良さそうだ。
「じゃあちょっとお手伝いをしてくれるかな? これから追加で御一行さまが来るみたいでね」
「うん任せて! ここで身体を動かせば気持ち悪くならないんでしょ。だったら頑張らなくちゃ!」
わー。汚れや曇りのないピュアな瞳。
どうしよ。今更アルルの気を紛らわせる冗談だったとは言えない。
「ウン、ガンバローネ」
すいませんアルル。
プラシーボ効果に期待ってことで。
俺はそそくさとジョルジさんの元まで移動する。断じてアルルに対して後ろめたい気持ちがあるからではないです。
立て続けに起こった出来事に、流石のジョルジさんでもついてこれてない感じだったが、無理やり意識をこっちに向けて、今のうちに隊商を動かしてほしい旨を告げる。
「あ、ああ、わかった。じゃあ二人とも早く乗り込んでくれ、急いで馬車を進めるからよ」
伊達に若くして隊商長をこなしていない。
少しのクールタイムで意識を切り替え、何時もの調子を取り戻しつつある。
そんなジョルジさんは、親指で荷台を指差して俺たちに乗り込めと合図をする。が。
「いえ、僕たちは残ります」
「ま、まさか。嬢ちゃんら迎え撃つつもりなのか!? ──無茶だ! さっきは運が良かったって事もあんだろうが、何度もあんな事が出来ると思ってんのか?」
「はい。問題ありません。それに冒険者になる為に此処まで来てるんですから、これくらい出来ないとこの先やっていけませんから」
「まかせてジョルジさん。あたし達、すごく強いから大丈夫だよ。えへへ」
意識して彼に余裕を見せながら、柔らかい微笑みを向けて納得を促す。
「……しかし、だな。俺は嬢ちゃんらの事をミーレスから頼まれて……──」
友人であるミーレスさんに頼まれた子供を置いていき、自分だけ逃げるという事に対して酷く葛藤している様子。
だけどこれも役割分担の結果だし諦めてほしい。この場に誰も残らなければ間違いなく死傷者が出てしまうもの。
時間も差し迫っているので、俺は更に背中を押すことにする。
「ジョルジさん。隊商長の務めを優先して下さい。後で必ず合流しますので大丈夫です」
こんな子供に、偉そうに諭されるのは嫌だろうが、事態が事態なので、ズバッと言わせてもらった。ここで愚図ついてたら間に合わなくなる。
「……………………わかった」
最後の最後まで心中で葛藤したみたいだが、現状を慮り唸る様に了承を返す。
そしてジョルジさんは、隊商全体に的確な指示を与えると、負傷した冒険者を回収して急ぎこの場を後にした。
◼︎◼︎◼︎
「これで最悪の事態は避けられたかな……」
馬車の音から隊商の全員が橋を渡り切り、大分こちらとの距離が空いたのを確認する。
これで隊商に牙を剥く可能性は低くなっただろう。まだ戦える冒険者も付いてるから、山だって無事抜けられると思う。
「ん、来たみたいだね」
そして、しばらく。
山道脇に沈んでいるワンコの刺々しい体毛を興味深く探求しながら待っていると、複数の足音が迫り、飛び出して来た。
数にして軽く十匹以上は姿が見える。
群れの後方には、予想外のイレギュラーとして一際大きな黒い体躯のボスワンコ(?)が俺とアルルを睨んできているが、まぁ、特に問題なさそうだしいいや……。
「こう大きな生き物に囲まれると、自分の小ささが際立って嫌になっちゃうなぁ……」
「シャルくん、ワイルドボア退治に行った時も同じこと言ってたね〜」
「だって結局最後まで女の子だと思われてたからね、僕。やっぱり原因は背丈にあると思うんだよ」
「あたしはシャルくんが男の子だってわかってるから大丈夫だよ〜! えへへ♪」
「え、あ、うん、そっか。そうだね。ありがとアルル────っと。相変わらず待ったなしですか。少しくらい空気読んで欲しいです」
アルルと和やかに語り合っていると、話の通じぬ魔物たちは勢いよく攻撃を仕掛けてきた。
しかし、余裕を持てど油断はせず。
その辺りはしっかり心得ているので、迫る攻撃のひとつひとつを躱し、ついでに包囲網を抜ける。
アルルと稽古をしている身としては、相手の動きが遅いと言わざるを得ないかな。
いや、アルルが早過ぎるだけですね。
「……アルル。ちょっと戦う場所を変えようと思うんだけど、大丈夫かな?」
隣のアルルにそう提案。ジョルジさんの隊商が既に離脱しているとはいえ、橋を渡って直進すれば追いつける訳なので、追いかけさせない為にこの提案だ。
「わかった。えっと。どっちに行く?」
「どこでも良いけど、また人が襲われると面倒だから、こっちかな」
快く了承してくれたアルルに、右腕を垂直に上げた方向を差す。
北をジョルジさんが向かった橋とするなら、指差したのは東方向だ。山の地形からすると上流方面。
「じゃあ、ワンコ達との追いかけっこ……もとい囮役大作戦の始まりだよ」
──俺は親指と人差し指でつくった輪っかを咥え、高々と開戦の笛を響き渡らせる。




