建前と家族
「……──ルくん! ──シャルくん!」
「……ん、んん?」
耳元から響くアルルの声で、トラウマと共に遠くへと飛んでいた思考が戻ってくる。
「シャルくん、だいじょうぶ? ぼーっとしてうごかないし、どこかイタい?」
アルルを心配させるのはよろしくないので、すぐさま心傷に蓋をして少し明るめに言葉を返す。
「だ、大丈夫っ。少し考えごとしてただけだから!」
「そう? それなら良かったの。えへへっ」
心配顔だったアルルが柔和な笑顔を浮かべた。
危ない危ない。心配をかけさせるなんて不甲斐ない。もっとしっかりしないとっ。
たるんでいた気持ちに喝を入れると、そのまま仲良く並んで歩き、休憩地としてよく使っている場所へと戻ってくる。
休憩地はヤシの木を一、二回り大きくしたような植物の根元に、家から持ってきた布地のシートを広げただけの簡素なものだ。
感覚的には、海水浴場でブルーシート広げて場所をとっている感覚ですね。
前世で海水浴なんて行ったことないですけど……。
シートに二人並んで仲良く腰を下ろす。
母様は既に腰を下ろしていた。
「は〜い、シャルちゃん、アルルちゃん」
「母様、ありがとうございます」
「ありがとうございますっ!」
母様は魔法瓶から注いだ飲み水を手渡してくれる。
口をつけると、よく冷えててすごく美味しかった。
当たり前のことではあるけど、この世界では飲料水などの生水はそのままの状態で用いらない。というか保存が効かないので腐ったり濁ったりする。
なので、母様がやっている様に魔法の施してある瓶、文字通りの魔法瓶で生水を浄化・冷却(又は加熱)した魔法水を使う。もしくは、自家発電の如く魔法で水を生み出して使うかだね。
ただ、後者の水はとにかく不味くて飲み水には的していないから、洗濯や掃除に使うことが多いかな。
ちなみに、前にミーレスさんが手合わせの後にくれたのは魔法瓶の方だ。
「アルルちゃんはこの分だと〜、すぐに闘力の制御が出来るようになると思うわ〜」
「え、ほんとうっ!?」
「ふふふ、ホントよ〜。アルルちゃんは制御のやり方が分からなかっただけで〜、もともと素質はあるもの」
小さな口でちびちび水を飲んでいると、母様がアルルにそう言った。アルルも順調すぎる進捗に笑顔が弾けている。
「うーん。でも喜ばしいことだけど〜、これは素直に喜べないわね〜。ふふ〜っ」
「ん? 母様、アルルちゃんが制御を覚えるのに、なにか問題があるのですか?」
「大アリよシャルちゃんっ。だってぇ、このまま制御が出来ちゃったら〜、アルルちゃんが帰っちゃうのよ〜?」
「あー、そういえばそうですね」
「まだウチに来て一月も経っていないのに早すぎるわ〜。ママはシャルちゃん共々もっといっぱい可愛がりたいんだもの〜。まったくぅ、アルルちゃんがここまで才能豊かだとは思わなかったわよぉ〜? ふふ、うりうりぃ〜♪」
「あうぅ、えへへへ」
母様がアルルの頭に手をおきクルクルと優しく撫で回す。アルルも母様が本気で困ってないのは分かっているので、されるがままに戯れている。
んむ、この光景をみたら大抵の人が二人を姉妹だと思い込むだろうね。
母様が十代半ばくらいの容姿だから余計にそう見える。実際に買物に三人で行ったりすると、俺を含めて三姉妹に間違われることが何度もあったし。
誠に遺憾ですが、俺が姉妹の仲間入りをしている事には納得してますよ。客観視は大事だからね。
でも! 母様はともかく、アルルの妹としてみられることには納得出来ぬぅ!
確かに俺の方がアルルより小さいけどさぁー!
ちんちくりんのおチビさんだけどさぁー!
見た目はともかく、心は成熟した漢気しか感じないでしょうが。中身が外見を超越しているはずなのにぃ。雰囲気は大人っぽいはずなのにぃぃぃ……。
「……ん、んむぅ」
まぁ、いまそれはさて置くとしましょうか。
考えすぎるのヨクナイ。ミジメになるだけだし。
今一度、俺は意識の切り替えをおこなって、母様が言っていた複雑な心境を反芻した。
確かに母様の気持ちはすごくよく分かる。
実はアルルさん。現在、ウチの家に住んでいる。
これはミーレスさんが決定したことなんだけどね。
その理由が、アルルと勉強会をするにあたって、孤児院の規則が邪魔をしたから。
その規則とは『六歳以下の子供は基本的に孤児院からの外出を許可できない』──というモノだ。
アルルはとてもしっかりしているが、まだ四歳だというので、外出は許可されない。
しかし、そこは孤児院で院長代理にして、アルルの理解者であるミーレスさん。
すぐに規則の穴をついた提案をしてくれた。
それが、アルルがうちの家に『家事使用人さん』として奉公に行く、だ。
アルルの居る『アスラディア孤児院』は、子供が一人で歩ける様になった頃には、文字の書き取り・算術等の勉強や一般常識、礼儀作法を教え始める。
そこである程度知識を得た子(だいたい六〜八歳くらい)から、奉公に出て将来独立する為の職業技術を積んだり、資金集めをしたりする。
奉公はその殆どが住み込みの為、そのまま孤児院を出る。
通いで奉公に行っている子供の方も成人(十四歳とのこと)前には全員孤児院を巣立っていく。
勿論、ケースは少ないが優秀な子を養子として貴族や武家、商家などが引き取ったりする事もある。
──といった暗黙とされている確定事項があるのだ。この奉公の件に関してだけは規則より優先されるらしい。
つまりミーレスさんはアルルが奉公に行くという理由なら、特別に許可が出せるという事だ。
流石にアルルほどの年で奉公に出た子供はいない様だが。
まぁアルルは四歳とは思えない賢さを持っているからミーレスさんも大丈夫と言ってた。それに、創設者の友人である母様が、ある意味で保護者になるので許可を出しても問題はないとも。
ただ、奉公期間の契約が『アルルが制御を覚えるまで』という奉公の仕事とかもう全然関係なくない? といった内容のモノだったのには思わず吹きだしたよ。
まさしく名目。
家事使用人は建前で、本音は勉強会といった風情になってしまっている。
アルル自身も奉公に来た初日は『家事使用人』の意識を持って仕事にあたろうとしていたけど〜。
ウチの緩〜いアットホームな空気感と、
勉強会参加の『建前』という周知の事実。
そして、決定的だったのは。
『い〜い? アルルちゃん。ウチでは畏るの禁止よ〜? 私たちはアルルちゃんを家族だと思って接してるのに、そんな態度をとられると、とっても悲しいわ〜……ね? 家族に遠慮は無用なのよ?』
この母様の言葉によって奉公は完全に形骸化してしまった。
今のアルルはそのお願いが功を奏したのか、ありのままの態度で接している。
家事使用人の仕事も、ただ家のお手伝いをする偉い子という風にしか見えない。
もともとウチの人間って母様や父様、俺も含めて、全員家事を自身でこなしてしまうタイプなのだ。もう初めから使用人は必要なかったりするんだよねぇ。
名目だし気にしたら負けか。
その様な事情を思い出した俺は。
「僕もアルルちゃんが帰っちゃうのは寂しいかな。もうアルルちゃんは家族の一員ですから」
「えへへ、シャルくん、ありがとっ!」
アルルは俺の言葉に笑みを浮かべると、飛び込むように抱きついてきた。
母様はそんな俺とアルルを撫でてくる。
軽く漂う感傷的な雰囲気に当てられたのか、俺もこの時ばかりは空気感に身を任せて、されるがままに撫でられる事にした。
うぅん、やっぱり我が家は最強。
◼︎◼︎◼︎
──それから暫く。
休憩というか、じゃれあいタイムを終えて。
勉強会を再開しようと意気込んだんだけど。
「あら? あらあら〜。嵐島が近づいてきちゃってるわねぇ」
俺たちの肩越しに空を見上げていた母様が、ポツリと聞き捨てならない単語を呟いたので、俺とアルルも視線をそちらへ向ける。
「んぅ、どれですか?」
「……シャルくん、あれじゃないかな。ほら、あの黒いのっ」
「んんー……あっ、本当だ」
アルルの指差した方向には確かにそれがあった。思わず顔を顰める。
「このままの進路だと直撃ねぇ〜。今日はこの辺りで終わりにした方がいいかしら? 無理してまでお勉強する必要もないものね〜……ふふっ」
俺たちが視線を向ける先。
遥か彼方の上空には島がある。
そう、空を移動する浮遊島。
島の大きさは把握できない程に巨大。
周囲には稲光が走る暴風が渦巻いており、島の全域を囲んでいる。
これは世間で『嵐島』と呼ばれている。
理不尽に無尽蔵に暴風雨を振りまく存在。
島から発生し溢れだした膨大な流水が、地上に降り注いでいるらしい。
言葉にすると大した規模には感じないが、実際は前世での大型台風に匹敵するほど。
このままこの場に居続けたら、遠からず三人揃って全身濡れ鼠が確定する。
この大陸での雨は凡そ二つの種類があるが、普通の雨雲からのモノより、突発性と被害が大きい嵐島の方が確実に嫌われている。
そりゃあね、縦横無尽で規則性のない台風とか嫌すぎる。
数多ある嵐島同士が空中でぶつかり合い、島の欠片が地上へ墜落。落下地点にあった町が一つ潰れた〜とか、とんでもない惨事を起こしたりする迷惑な島でもあるみたいだし。
あの島の豪雨を俺や母様が魔法を使って凌ぐ事も出来るだろうけど。それをする意味がないし、母様は普通に帰宅を考えている訳なのだが。
そもそも、母様がこの入り江でいつも勉強会をしている理由は『ここの景色って綺麗なのよね〜』と『時間が空いたら一緒に遊べるからね〜』という私的なもの。嵐の影響で海が荒れて汚れたりすれば、ここに留まる理由が当然なくなる。
勿論『人が近くにいないから』とか『魔法の試し撃ちが気軽に出来る』とか、ちゃんとした理由もあるよ?
「でも〜、普通に歩いて帰ってると途中で降られちゃうわね〜。もう少し早く気づけてれば間に合ったかもしれないけど」
「じゃあ、お義母さん、走る?」
「う〜ん。それでも良いのだけど、今日は少〜し横着しちゃいましょうか〜。ふふっ♪」
「おうちゃく?」
「母様、もしかしてあれですか?」
俺は母様がやろうとしていることを察して、恐る恐る尋ねる。
「そうよ〜、アレよ〜」
「あれ?」
「ふふふ〜、アルルちゃんは今日が初めてだものね〜」
淑やかに楽しそうに言う母様を見て、何をやりたいか確信した。
「アルルちゃん大丈夫だよ。ここは母様に任せておけばね」
そうこうしているうちに、水平線からドンドンと嵐島のドス黒い巨影と雷霆が接近して来ている。
アルルは可愛く首を傾げて疑問符をぽんぽん出している。母様はそんなアルルを見て、悪戯を企む子供みたいな無邪気な表情を作る。
事態についていけていないアルルを他所に、俺と母様とでサッサと荷物をまとめて準備を終わらせる。
それと、どうでもいい事だろうけど。
現在、アルルは母様を、『お母さん』と呼んでいる。初めは『プリムさん』だったけど、いつの間にか変わっていた。
ちなみに父様のことは『エドさん』のまま。
……うん、父様がんばって!
「さぁ〜、二人とも準備出来たわね〜?」
数十秒で支度は終わり、母様が確認。
準備なんて言ったが、そこまで大げさな事はしてない。持ってきてた道具の回収とかその程度。
「あ、はい〜、だいじょうぶです」
「こっちも大丈夫です、母様」
「ふふ、じゃあ行きましょうか〜」
そう言うと母様は──繊麗な翼を現した。
「おぉー」
普段はどんな仕掛けか不可視・不実体にしている翼。その翼が一瞬の発光の後、巨大化し片翼が母様の身長と同じくらいになった。
相変わらずかっこいいなぁ。
以前母様に聞いたのだが、この翼や尻尾といった感覚器官は、魔力を流すことで、ある程度大きさなどを変質させる事が出来るらしい。
俺から生えている尻尾も同じくね。
母様は普段からこの変質を、尻尾の硬質化とかにも使っていたりする。
俺も硬質化とかしてみたいが、残念ながらまだ変質さえ出来ない。前世では存在していなかった器官だから尚更むずかしいのです。
あぁ、それと、尻尾なんかは目立つと面倒だからお腹に巻いて隠しています。これは母様の指示。
「……えっ、……はね?」
ぽつりと呟いたのは隣のアルルさん。
その表情は呆然としていて、視線は母様の腰に釘づけで、何故かとても驚いている。
──あ、そっか。
アルルは母様の翼を始めて見るのか。
孤児院に行った時も、ここ最近の生活でも翼や尻尾は使う機会がなかったから。
それにこの町で過ごしてきて、母様みたいなファンタジックな特徴を持っている人間は一人もいなかったし、当然の反応なのかな。
「あ〜、そうよねぇ。この大陸には翼を持ってる人種族はいないものねぇ。ふふ、どう? 驚いたかしら〜?」
アルルは目をまん丸にしながらコクコクと首肯している。紅緋色の瞳の内は好奇心や興味、感激(?)などを綯い交ぜにした感情が込められている様に見えた。
「ふふ、それは良かったわ〜。シャルちゃん、それじゃあ、魔法をお願いできるかしら〜?」
おっと。そうだった。
これからが俺のお仕事です。
「わかりました。母様も必要ですか?」
「ううん、ママは大丈夫よぉ。シャルちゃん自身とアルルちゃんに念入りにお願いね〜」
はいな、合点です。
魔力を生成し風の初級詠唱を詠う。
【風守膜|!】
片手を左隣にいるアルルへ向けてもう片手を自分に向けて発現。
使った魔法の後法式は『守の風膜』。
文字通り、風の膜(発現イメージ的には鎧?)を纏わせる防御魔法の一種だ。
アルルは体に纏わり付いた風の奔流を興味深く見回している。常時闘力があり母様のバトルドレスもあるアルルには必要なさそうだけど、心配くらいはさせて頂きたい。
「さぁ、二人ともこっちに来てくれる〜?」
「はーい」
「は、はい」
俺たちはトトトッと母様の真横まで近づいて行き、そのまま脇に抱えられる。
左手側にアルルで、右が俺。
俺たちも母様に掴まった所で、準備オールクリア。
アルルもここまでくれば気づいたのだろう。
これから母様が飛行して移動するのだと。
ここで瞳をキラキラ輝かせるアルルの性格は、流石と言ってもいいかもしれない。
手合わせでも思ったけど、アルルって絶叫系とか好きそうだよね。もし前世の絶叫マシンをアルルに見せたら一日中乗ってそうなイメージ。
──とか、どうでもいい事を考えていると、母様からお声がかかる。
「二人とも怖かったら言ってね〜。それじゃあ出発〜!」
母様、ゆる〜く出発宣言。
黒翼を軽く広げ──直後。
ドオォォォオオン、という爆音を置き去りにして俺たちはテイクオフした。
2015/10/06-魔法名の表記変更。
カタカタ表記→漢字+カタカタ表記