海辺と悪夢
アルルとの手合わせから十日が経った。
その間に俺を取り巻く環境が少しだけ変化した。
「そうそう〜。良い感じよぉ、アルルちゃん。相変わらず筋がいいわね〜、ふふっ♪」
「えへへ、ありがとうございます!」
面前の母様とアルルは、いつも通り和気藹々とお勉強。俺は少し離れた所で二人の楽しげな会話をBGMにして中級詠唱書を黙々と読んでいる。
いま俺とアルル、母様の三人は例の海岸地帯の入り江に来ています。
そして一緒に仲良くお勉強中です。
生憎、父様はいません。たぶんお仕事ですね。
それで、あの日……手合わせが終わった日のこと。
父様やミーレスさんが話し合った結果、アルルの勉強会参加が決まったのです。
俺は母様に力の制御を教えてもらったから、アルルにもどうかと聞いてみただけなんだけど、二つ返事で参加したいと言ってくれた。
そうした経緯を得ての勉強会である。
この勉強会は週に三回あります。
『火の日』と『土の日』と『光の日』。
約一日おきに行っている。
この世界の『週』、地球で言う所の曜日は。
『火の日』から始まり、
『水の日』
『土の日』
『風の日』
『光の日』
『闇の日』
『無の日』と、七属性の頭文字を当てはめて一週としているので、俺たちの勉強日を別の言い方で表すなら、月曜日と水曜日と金曜日となるわけですね。
ちなみにだけど、暦の方は。
一年が『三六〇日』。
月は一月〜十月の『十ヶ月』構成で。
毎月変わらず『三六日』まで。
ただ七年に一度『祝福の日』というのが入り『三六一日(閏年みたいな感じ?)』になるらしいが、基本的にこんな感じです。
今日の日付は、七月二〇日の『光の日』。
季節は夏が終わりに近づき、既に秋の気候に変わってきている。
八月には秋になってるとか、日本の感覚で考えると面白いよね。世界が変われば常識も変わる。
なかなか感慨深いです。
まぁ、季節に関しては、俺は暑いのが苦手なので夏が終わる分には構わないんだけどねー。
……そんな事を頭の片隅で考えながらも、俺は少し長めの詠文に目を通して暗記していく。
各魔法に付随する後法式の意味を確認するのも忘れずに〜ってね。
「シャルくーん! 少し休憩だって〜」
「んー、わかったー」
アルルがサマードレスを翻しながらトテトテと駆け寄ってきた。俺は詠唱書をパタリと閉じると、アルルと一緒に母様の所に向かう。
左側を歩くアルルの姿が目に入る。
途端に俺はなんともいえない複雑な気持ちになった。別にこの感情の対象はアルルではないですけどね。対象はアルルの衣服に対してだ。
今日のアルルは、空色を基調とした膝上丈の清楚なサマードレスを着ている。その綺麗な長い銀髪も、青色リボンで結ってシニヨンにしている。
醸し出されるアルル自身の神聖な雰囲気と服が調和していて、とても可愛らしい。
うん、似合ってるっ。
すごく、似合ってるねッ!
とーっても似合っている、んだけど。
それ、俺が前に着たお古なんだよね。
あはははは……。
「……はぁ」
正式名称『バトルドレスシリーズ』。
母様が淑女の嗜みで生み出した一品物。
生地には魔法付与が施されていて、戦闘の補助もしてくれる高性能な御服様なのだ。
だが、しかし。
この服を見ると、どうしてもあの日の悪夢を思い出してしまって、やるせない気持ちになってくる。
あの日、そう、あの日。
俺の男としての尊厳が儚くも崩れたあの日です。
◼︎◼︎◼︎
──十日前。
その日、手合わせが終わった俺たちは帰路についた。帰り道は相も変わらず父様がハイテンションで、抑えるのも大変だったのですが、家に着いた時、うるさかった父様は静まることになった。
……いや、違いますね。
静まらざるを得なかったという方が適切です。
『あぁぁぁぁぁぁぁッ!? ちょっとエドぉぉぉお!? まさか、まさかまさかまさかっ! 私が居ない間に、例の服着せちゃったのッ!?』
これが母様が帰ってきての第一声です。
普段のふわふわした雰囲気が一切なく、愕然とした声を発していた。
『あぁ、どうだプリムよ! 今日のシャルはいつも以上に超絶プリティな仕上がりだろ? はははっ!』
父様はふりふりワンピースに身を包む俺を指して、母様の雰囲気の豹変に気づいてるのか、いないのか(いや、確実に気づいていないんでしょうが)自分のことのように得意げに喋っていた。
『…………が、……しが、……私がぁぁぁ〜』
『ん? どうしたんだプリムゥうぅぃいれじあすぇい!? ──ごぼぉぁぁぁ!?!?』
母様による本気の拳が、父様の腹部に突き刺さる。追撃に逆手でアッパーまで叩き込むおまけ付きで。
これには俺も目を点にした。
いつも素敵尻尾の制裁ばかりで、手は一切使わなかった母様がなんと手を使ったのだから。
そして母様は憤怒の炎に包まれる。
うん、久々の激怒でした。
『この服は、この服はぁ! 私がシャルちゃんに一番に着せてっ! 一番にその姿を見る為に作ってたのよぉ〜っ!! それなのにぃ〜っ!! うぅぅぅぅ……』
そういえば、以前母様が怒った時も父様が原因でしたね。あの時は父様が高い高〜いではしゃいだ結果、俺が地面と盛大にゴッツンしてしまい、母様が大激怒って展開だったかな?
ん、懐かしいね。痛かったけど。
というか、俺は褒められる事はしても怒られるような事はしないからね。怒られる時はだいたい父様だ。母様の怖さは味わうまでもなく本能が理解しているのですから。
『ふふ、ふふふふ、フフフフフフ……』
『ちょ! ちょっと待ってくれプリム!?』
母様は慈母のような笑顔のまま声を洩らす。
表情と声の温度差がまた恐ろしさに拍車をかけてましたね。
『あーあ』
普段ならば少しは庇っていただろうけど。
あの日は父様に散々な目に遭わされたので放置しましたよ。当然ですね。
『フフフフ。とりあえず、逝ってらっしゃい?』
『い、いや、いや待っふぎゃあああああぁああぁぁああああああああああああああああああああぁああぁぁぁぁぁあああああああああ!!?』
背後から母様の途轍もない魔力と、父様の大絶叫が響いてきたが、完全にスルーでした。
下手に誤爆すると大変なので、俺はすぐさま踵を返し父様に背を向け、自分の部屋へと退避した。
『──くちゅんっ! あぁ、まったくもうっ。一日中こんなお股がスースーする服着ていたらお腹が冷えちゃうし、風邪もひいちゃうって……』
そう愚痴りつつ黙々と着替えを済ませていって、しばらく。いちおう俺は父様の様子を見るため、リビングに舞い戻りました。
酷い目にあわされたとはいえ、大切な家族ですからね。罰を受けたなら優しく慰めるくらいはするとも。飴と鞭作戦とそう母様から教わっています。
とりあえず、部屋全体に一瞥を投げると。
それはあっさり見つかった。
部屋の中央に位置するその場所。父様らしきものがピクリともせず床に這いつくばっていた。
『わぁー、今日はまた一段と……』
俺は側まで近づいていって容体を見た。
父様は身体から生気が抜け落ちかのように肌は青白くなっていた。ついでに白目も剥いていた。
まるで反応がなかったので心配になり、顔をツンツンしていたら父様がニヤつき始めました。
しっかり生存確認も取れたところで。
『父様、これに懲りたら二度と僕にあんな服を着せないで下さいね!』
俺は一回、二回と父様の頭をポンポンしたあと立ち上がって、部屋にいない母様を探す為、視線を巡らせようとした──その時でした!
背筋にゾクゾクっと寒気がして、反射的にそちらへと振り向いたのです。
すると、そこには。
『……ん、母様っ……母様?』
『ウフフフフフ』
笑顔のままソロソロと近寄ってくる母様がいたのです。その笑顔は生涯忘れることがないくらいに綺麗で、とても恐ろしいものでした。
『あ、あの、えっと。母様?』
『シャ〜ル〜ちゃ〜ん?』
『は、はいぃ……』
母様がゆっくりと近づくにつれて、俺の表情は引き攣っていきました。
足もガクガクで腰も抜けていたかもです。
『あのねぇ、実はね〜? ママ、まだまだシャルちゃんの為に新しい服を作ってあるのよ〜? またパパが抜け駆けする前に全部着て見せてくれるとぉ〜、すっごく嬉しいわぁ〜♡』
『……ぇ、え、でも』
『ね、着てくれるでしょ? シャルちゃんなら着てくれるわよねぇ? ウフフフフっ♡』
母様の両手には豪華なチュニックやら、空色のサマードレスやらが堂々たる存在感を放っていて。
恐ろしすぎるほどキレイな笑顔で、瞳の中に妖しい光を湛えながら、お願い……もとい強要をしてきたのです。
『あの、えと。……はい』
拒否の選択肢すら抱かせない絶対存在。
俺は立ち向かう事なく速攻で心を折られてしまい、コクンと自ら頷いてしまった。
それから。
日が暮れたのにも関わらず、しばらくの間、ず〜っと着せ替え人形となりました。
目の前の全身鏡には、黒髪の愛らしいお姫さまが次々とドレスアップをされる様が写し出され、ピキピキと俺の中で何かが壊れていったのです。
2018/03/30-句読点、数字の修正