天使と悪魔
「……すごい」
この世界には天使さまがいるのですね。
そう表現するのが適切な女の子でした。
淡く蒼い反射光を発する白銀の髪は、膝裏まで届くかというほどのサラサラな長髪。
ピジョン・ブラッドの紅玉を思わせるは、澄んだ紅緋の瞳。それを魅力的に彩る力強い目尻。
柔らかそうなスノーホワイトの肌に、仄かに赤みが差している頬。
これぞ神が造り賜うた、人間離れした容姿をもつ超絶美幼女がそこにいた。
着ている服は他の子達と同じで簡素な筈なのに、彼女が着れば女神が天の使いにお与えになった神衣のような神々しさがある。
当然ながらお助けされたフィルターはかかっていないのです。
うわぁ。こんな綺麗な子久しぶりに見た。
これが率直な感想。
母様で美人さんには馴れている俺でさえ、一瞬ポカンとしてしまう程の容貌と雰囲気だったもの。
子供としては規格外かな? 将来は容姿の所為で色々と苦労しそうである。
「あ、えぇと。とばされてたせんたくもの、ひろってきたんですけど……」
ものすごい数の視線が集まってるのを感じて、やや慌て気味に事情を話す天使ちゃん。
その美声は、見た目通りの透明感と年相応の可愛らしさを内包した声音だった。
しかし、この天使ちゃん。
「「「「「………………」」」」」
明らかに怯えられていた。
うん、言い間違えではないよ。
みんな見惚れて静かなんじゃなくて。
畏怖で、恐怖で、静寂の状態になっているの。
床で鼻血を吹いてぶっ倒れている彼らも、気を失っているハズなのに恐怖から痙攣してピクピクしてるし。
俺を弄んでいた年上のお姉様方や職員のお姉さんも例外ではなく、正にヘビに睨まれたカエルのように完全に萎縮して顔を青くしてしまっている。
何故こんな事になってるのか……。
まぁ、俺には一目瞭然なんだけども。
俺も身に覚えがありすぎるくらいだし。
ふむ。いったいあの天使ちゃんは何を考えているんでしょうかね。
それから彼女は、子供達に愛想よく話し続けてたけど、残念ながら応対できる子たちは居らず。
俺に付いていたミーレスさんの部下がビクビクしながら彼女の質問に答えていた。
そしてしばらくすると、彼女は自分が作ったこの空気感に耐えられなくなったのか、おずおずと扉の方へ戻って行き。
「すこしお外いってきます……」
部屋にいる人達に翳のある笑顔を向けて部屋から出て行った。
彼女が退出すると部屋の空気が弛緩していくのがわかった。徐々にだがもとの喧騒を取り戻していく。
そんな中、俺の視線は出入扉に向けられたまま。
思い浮かべるのは、沈鬱な表情を笑顔で取り繕おうとする彼女のことだ。
うーん、すごく気になります。
すごくすごく気になります。
あの子が何でこんな事をしているのか気になるというのもあるけど。あの天使ちゃんには是非とも聞きてみたいことがある。……ん、追いかけてみようかな。
「あの、ここのお部屋任せてしまっていいですか?」
「え、あ、はい。わ、わかりました」
この死屍累々というべき惨状の部屋を、放置していくのもなんだし?
ここはミーレスさんの部下さんに任せるとしよう。いつもやってる仕事なんだし、この人に任せとけば大丈夫だろう。
そうして、俺は天使ちゃんを追いかけて部屋を飛び出した。
◼︎◼︎◼︎
彼女を探し始めてから少し。
孤児院の裏庭にある花壇でその姿を発見した。
目立つから見間違いようもない。彼女は花々の前でしゃがみこんで黄昏ている。ピクリとも動かない。
なのでこっちからアプローチをしてみる。
インパクト強いのが良いだろうか。
でもこういうのよくわからないんだけど、大丈夫かなー……。
──あっ、そうだ!
前世で同居人に教えてもらった『子供から大人まで虜にするステキ挨拶』を試してみましょうか!
アレは確かにインパクトはあったと思うし、きっかけとしても十分だと思います。
細部は少しだけもじって……よしっ!
『はぁ〜い♪ 世界を征する愛と美の伝道師! 好きなものはみんなの笑顔っ♡ 超幻想系アイドルのシャルラハートだよ! よろしくネッ☆』
「──?」
「……ぁ、ぁぅ」
ダメだこれ……ッ!
言い終えた頃になって猛烈な後悔が噴き出した。
なんで俺は中腰でウィンクしながら横ピースをしているのだろうかッ。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
わざわざ日本語を使っておこなった挨拶も、この世界では一発も当たることなく砕け散った……。
凍結した空気が虚しい。
やってしまった。最悪の掴みだこれ。
「……えっと、あなた、だれ、ですか? あたらしく来た子? あたしとお話しても大丈夫なの?」
しかし、この最悪のファーストコンタクトにも彼女は動じずに、ゆっくりと身体ごと振り返えると視線を投げかけてくれた。ありがたい。
「はい、はじめまして。僕はシャルラハートっていいます。シャルってよんで下さいね」
俺は立て直すなら今だと、その心の奥底まで澄んでるのがわかる綺麗な瞳を真っ直ぐに見つめ返して、愛想良く最高のスマイルで答えた。
怖がらずに返事を返すと、彼女はこころなしか翳の薄れた表情を返してくれる。
ん、こんな表情もできるのね。
「あ、あたしはアルル、じゃなくって、アルリエル、です。アルルでいい、よ?」
「うん、わかった。アルルちゃんだね」
「それで、あたしになにか用……なのかな?」
人と話すのに慣れていないのか噛み噛みだったが、無事に挨拶を終えた。
俺は、単刀直入に切り出す。
「用というか、アルルちゃんのことで少し気になることがあってね?」
「あたしに? きになる、こと?」
「うん。部屋でアルルちゃんをみた時にきづいたんだけどね。そのひかってるのってさ『闘力』だよね?」
「……ッ!!」
「えっと、なんでアルルちゃんは、ずっと闘力を使ってるのかなぁって気になって聞きにきたんだけど……」
そう、この子が気になった理由。
それは彼女が闘力と思わしき黄金の燦めきを、常に纏っていたから。
その耀きは後光が射してる様にも見えるから、俺はこの子を天使と見まがったわけです。
ただ彼女は、あの部屋にいた子供達の前でもその力を全力全開にしてたので、全員が萎縮し恐怖を抱いていた。あの恐れ方からして、俺が以前に買い物先で恐怖された時と同じ理由だね。
『力』による威圧効果さんだ。
「…………」
何故か彼女は軽く目を見開いてパチクリしてた。
「えーと、アルルちゃん?」
「…………す……い」
「すい?」
彼女は手をギュッと握って俯き、何か呟いたかと思うと、突然顔を上げ──
「……す、すごいね! あたしをこわがらないで喋れるだけじゃなくて、これも見えてるんだね!! これ見えるって言ってくれた人はじめてだよ! すごい! すごいねシャルちゃん!」
「──へ?」
彼女は先ほどからのよそよそしい態度を脱ぎ捨て。常人が驚くほどの速力で詰め寄り、俺の両手を上下にぶんぶんと振る。表情もかなり明るくなっていて、頬に朱が差し明らかに興奮気味だし。
何より顔が近いんだけど……。
宝石のような綺麗な瞳がまさに目の前だ。
まつ毛の長さもバッチリわかるほどの距離感。それに凄く良い香りが鼻腔をくすぐってきます。なんかくらくらする。
──って、なに考えてますかシャルラハート。
相手はまだ幼いが女性です。
そんな彼女に対して不可抗力とはいえ、香りどうこうって変態さんなの? すごく失礼ですッ!
よし、とりあえず落ち着こう。
「……チカイヨ?」
「あ、ごめんなさい!」
「ん、大丈夫」
俺の声かけで我に返った彼女は、手を離して少し離れてくれたが、それでも胸の前で手を組んで心なしか嬉しそうに声を発した。
「え、えへへ。こうやって、おなじ年くらいの子と、ふつうにお話できるのって初めてだったから、その、つい……」
──と呟き、恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。
「そっか……でも、アルルちゃん。ふつうにお話するのが初めてって、それどういうこと?」
この子は何かしらの理由で自分の意思のもと闘力を使用し、子供たちと距離を置いてるのかな? ──なんて勝手に推察していたのだが、話してみるとなんか普通に違うっぽいね。
あぁ、じゃあ、もしかして──。
俺の疑問に彼女は口を結び、少し間を取ったあと話を聞かせてくれた。
「えっとね。あたしって生まれつきこのトーリョク? っていうのがあってね、それで、なんでかみんなに恐がられちゃって……」
「生まれつき? なら闘力を抑えることとかはできないの?」
「う、うん。うまくできなかったの」
「んー、そっかぁ」
恐らく彼女の体質は俺の赤いオーラと同じようなものなんだろうね。
俺もオーラの制御は出来ても止める事は出来なかったし。
それに制御だって独特のコツがいる。
俺も母様が付いていながら制御にだいぶ苦戦しちゃったくらいだし。独学の彼女じゃ荷が重いのも頷ける。
「でもねでもね! シャルちゃんはそんなあたしを怖がらないで話しかけてくれたの! なんで大丈夫なんだろね、うれしいけどふしぎだなー。えへへっ♪」
暗くなりかけた空気を読み取り、彼女は殊更に明るく振る舞って、暗い雰囲気を断ち切った。
「うん、僕はたぶん馴れてるからじゃないかなぁ」
母様が放出する魔力は、全力には程遠いのにアルルの比じゃないくらいの圧迫感だし、俺自身はこの万能光に覆われてるから問題がないんだと思う。力の威圧は力の威圧で相殺できるみたいだからね。
「それに僕とアルルちゃんは『同じ』みたいだからね」
「……同じ、なの?」
「うんうん」
彼女は俺の言った意味がわからず、首をコクリと傾けている。
なので例の赤いオーラを現出させてみる。
己の中心に意識を向けて、制御の手綱を巧みに操ってオーラの濃度を上げていく。
「……わぁ!」
彼女は感嘆の声を上げて、その紅玉のような目を煌々とさせている。
「やっぱりアルルちゃんにも見えてる?」
「うん! なんかキラキラしててとっても綺麗だね!」
……なるほど。ちょっと嬉しい。
彼女の場合、俺みたいに色相の違いで観測してるんじゃなく、少し違う見方をしている感じだけど。
母様はこのオーラを含め自身の魔力も、かなり正確に感知観測する事は出来ても、目視は出来なかった。
だから彼女が見えると言ってくれるとなんか嬉しい。彼女がさっき興奮したのも今なら分かるかも。これは嬉しい。
「あはは、これでわかったかな? 僕もアルルちゃんと同じで、生まれつき……では無いけど、似たようなものがあるんだよ」
「……おなじ」
彼女はオーラに向けていた視線を俺の方へ変えて、ポツリと言葉を洩らした。
俺はそんな彼女へ、母様直伝の微笑みを向けて無邪気に──
「ねぇねぇ、アルルちゃん」
「……な、なに? シャルちゃん」
「良かったら僕とお友達になってくれないかな? 実は僕、友達が一人もいないんだ」
前世でさえ一度も口に出したことのなかった言葉を彼女──アルルに伝える。
アルルと話してみて、その健気さに触れて、此方を慮り過去の辛い出来事を笑顔で隠しながら振舞っているその姿を見ていたら、自然とこの言葉が出ていた。
あと、なんかよく分からない不思議な感覚なんだけど、この子は俺が生きていく上で、欠かせない存在な気がする……なんだろこれ?
「……とも、だち?」
「うん♪ うん♪」
「………………」
アルルは俺の言葉がまだ理解出来ていないのか、ただ呆然と立ち尽くす。
俺はゆっくりと笑顔のまま返事を待つ。
「……っ」
やがて。理解が追いついたのか、アルルは震える声を振り絞って俺に語りかける。
「で、でも。いいの? あたしといっしょにいると、シャルちゃんまで、みんなにこわがられちゃうん、だよ?」
本心を押し殺してこっちの心配をするアルルに俺は。
「んふふ、良いにきまってる。まったく気にしないよそんなこと。それでも気になるんなら、これからアルルちゃんと一緒に特訓でもして、制御できるようになれば何も問題ないじゃん。それにね……──」
彼女……アルルに一歩近づいて右手を差し出す。
「──僕がアルルちゃんと友達になりたいんだ。だから改めて言うよ? アルルちゃん、僕と友達になってくれないかな」
嘘偽りない本心の言葉を伝える。
こういう台詞は恥ずかしくなるかと思ったが、不思議とまったくならなかった。
アルルは俺の差し出した手と、
俺の目を交互に繰り返し見つめて。
少し逡巡を繰り返したあと……。
「────うん!!」
躊躇いがちにそっと手を取った。
そんなアルルの顔を見てみると。
綺麗な大粒の雫がとめどなく頬を伝いながらも、太陽の様な笑顔が輝いていた。
◼︎◼︎◼︎
それから。
俺はアルルが落ち着くまで頭を撫で続けて宥めたあと、静かに一歩離れた。
アルルと俺では、俺の方が背が低いので、なんだか絵的には締まらなかったけど、まぁ良いだろう。
さて、そろそろ夕刻。
時間的には帰る頃合いだ。
遠からず母様がこっちに来そうな気がする。
「じゃあ、アルルちゃん。これからも遊びにくるからよろしくね」
「うんっ、楽しみなの! 今日はホントにありがとね、シャルちゃん」
アルルは子供達に向けていた作られた笑顔ではなく、心からの笑顔を浮かべてお礼を言ってくれる。俺もアルルの表情から完全に翳が取れているのを確認すると、優しく微笑む。
アルルは性格もまったく問題ないほど良いんだから、あとは力の制御さえ出来れば、直ぐにでも皆と打ち解けられそうだね。
内心でそんな事を考えていると。
予想した通り、母様の姿が遠くに見え始めた。
その時になって、ふと俺は大事な確認をしなければいけないと思い至った。
万が一もあるから、ちゃんと確認しておいた方がいいよね?
母様みたいに、『あえて』言ってる可能性もある訳だし。本気で言ってるわけじゃないよね。ね?
「ねぇ、アルルちゃん」
「なに? シャルちゃん」
俺は再度、彼女の方に向き直り真剣な面持ちで問いかける。
「勘違いしてないとは思うけど、確認ね?」
「ん? ……うんっ」
俺の気迫に対し、不思議そうに頷くアルル。
「僕のこと……どう見えてる?」
なんか哲学ちっくな問いかけになった。
「……ぅうん? シャルちゃんは可愛くて優しくて素敵な女の子だよっ。あたしもシャルちゃんみたいになれるように頑張るねっ、えへへ♪」
難しいであろう質問にアルルは、コテンと小首をかしげながら、悪意皆無で無邪気に答えてくれた。
「………………」
初対面の異性相手なのに、あまり警戒されてないなぁ、変だなぁ、と思ったらそういうことだったのねー。いや初見で性別看破しろってのが無理難題なのは、俺自身でもよくわかってるけどね? 客観的に見た目が女の子なのは認めてますし?
……つまり同性だと思われてたのね。
いや、いいんですけど。
最近もう慣れましたから。
それに将来はゴリゴリのマッチョになる予定ですから、今だけですし?
ただ、訂正は必要だ。
「あのねアルルちゃん。すこーしだけ勘違いしてるようだけど――僕はれっきとした男なんだよねぇ……うん、ほんとだよ?」
「…………え?」
「おとこのこ」
「────えぇえぇぇえ!?」
孤児院の裏庭にアルルの可愛らしい声が響いて行った。
こうして。
俺に初めての友達が出来た。