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シャルくんは魔獣さん



「まったく、お前という奴は……。大事な客人に失礼であるぞ? まぁ、お前の抱く気持ちは俺もよーくよーーくッ分かるがなっ。しかしアロウよ。お前はもう少し思慮を巡らせた行動を心がけるのだ。普段から言っておっただろう? 『選びし伴侶は合法たれ』と!」

「……ぅ、その通りでございます。父上、申し訳ありませんっ。私が間違っておりました。危うく禁を犯してしまう所でした……」


 一連のくだりでひとしきり笑った侯爵アルドルは、現在、応接室の隅の方で至極真面目な表情を作って息子のアロウを熱く叱っていた。

 その姿は正しく威厳のある父親に見えなくもない。

 口にした言葉さえ聞かなければ……。


 とはいえ、この父親にしてこの息子。

 お叱りの言葉はちゃんと心に届いているようで、アロウは反省を滲ませてシュンと項垂れている。

 見るからに元気がないのは、父から熱い説教を受けているから、はたまたシャルに即答で振られた傷が後を引いているからか。それは彼のみぞ知るところ。



 と、そうこうしているうちに説教が終わったのか、部屋の隅からシャルたちの元に戻ってきたアロウ。

 仕切り直しとばかりに、四人に対してぺこりと頭を下げる。


「先程は名乗りもせずに不躾な申し出をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」

「あー、いえ、私たちは気にしておりませんのでお顔をあげて下さいませ。貴族の方に頭を下げられるのは畏れおおいので……」


 こういう場で先導に立つのはやはりシャル。

 有力貴族ながら律儀にも頭を下げて謝るアロウに、シャルは苦笑いしつつ柔らかな声音で応じた。

 心にもないことをサラっと言ってアロウとの会話を繋いでいく。


「えっと……とりあえず、まずは自己紹介をいたしますね。私の名はシャルラハートと申します。言い難い場合はシャルと略していただいて構いません。私は数ヶ月ほど前に冒険者資格を得たFランクの冒険者で、英雄であるアルリエルの仲間でもあります。どうぞお見知り置き下さいませ」

「──あ、はいっ。シャルラハートさんですねっ。私はアロウ・マールスですっ。マールス家の次男で、同じくファナールの街で活動をする冒険者でもあります。よ、よろしくお願いしますッ!」

「ええ、よろしくお願いします。アロウ様」


 顔を赤らめてぎこちなく挨拶をこなしたアロウ。

 シャルの涼やかな返礼を受けるとますます赤面が加速したが、それを幼児一行は気にせず、アルル、ニーナ、ハクアと続くように自己紹介を済ませていく。

 会話は、アロウが紹介の折にサラッと口にした冒険者という話を主題に、アルルたちも混ざって楽しげな雰囲気のまま進んでいった。



 ──そして、やっと歓談が一段落ついたと思った頃、ススッとアロウの横から小さな影が現れる。



「うふふ、アロウちゃんはシャルさんのような方が好みだったのですね。良かったです。アロウちゃんはなかなかお嫁さん探しをしませんでしたから、母は心配していたのですよ?」

「え、あ、いや母上。確かにその通りなのですが、このような場で明け透けに話すのはちょっと……」


 現れたのはフロルだった。

 フロルはものすごく嬉しそうな笑みを浮かべて、照れるアロウに質問を投げつけている。


「ええ、ええ、母はちゃんと分かっていますよ? 私の知り合いにアロウちゃんの好みに合う子がいないか探してみますから。母に任せて下さいっ」

「母上!? 私はそんな事を頼んだ覚えはありませんが!?」

「ふふっ、恥ずかしがらなくてもいいのです。これは貴族としての義務ですもの。……しかし、シャルさんほどの方を見つけるのは骨が折れそうですね。幼麗種の方々も霞んでしまいそうな程のご容姿をしてらっしゃいますし……」

「だから母上っ、なに勝手に話を進めているのですかっ!? というか自分の上位種に対してそれは言っていいんですかねっ!?」

「大丈夫ですわ。上位種といえど交流はありますし、お友達も多いですから。安心して探せますわよ?」

「えぇー……そうだったのですか。──って、そうではなくーっ!!」


 フロルが会話に混ざった途端、漫才(?)が始まる。

 夫婦漫才の次は親子漫才ですかとシャル。

 マールス侯爵家。本当に見ていて飽きない一家だった。

 



「いやはや、先程は息子が失礼をしたね」

「……あ、いえ、大丈夫です……」


 シャルたち四人が親子のやり取りを苦笑い気味に眺めていると、今度は手持ち無沙汰な様子のアルドルがそそくさと近づく。

 彼は逞しい腕を組んで親子漫才をしている二人に視線を向けると、貫禄たっぷりに……──トンチンカンなことを喋り出した。


「まぁ、安心してほしい。我がマールス一族の家訓には『未成年の幼子を娶ってはならぬ』としっかり記されておるのでな。君たちをどうこうする事はないと家名に誓おう。マールス一族は幼子の味方だ」

「え? あ、はい……」

「ほぇ〜?」

「っ!?」

「……ゎぅ?」


 いきなり始まるぶっとんだ話に困惑のシャル達。

 だがアルドルは気づかずに滔々と……いや、徐々に熱さを滲ませながら続けていく。


「そもそも! 年端もいかぬ幼気な子とは慈しむ対象であり、色事の対象として見るなど言語道断であるからして、その辺りを蔑ろにしている者は正しい紳士淑女にあらず! とも思っておるのだっ!」

「え、えっと、そうですね……」

「うむっ。幼子が経験を得て、知恵を得て、一歩づつ大人になっていく過程を尊ぶ。それこそが正しき子供好きの姿であろう」

「……はい、おっしゃるとーりで……」

「まぁ、合法とはいえフロルを娶っている俺が言っても説得力には欠けるのだが。我が一族は公爵になる事さえ拝辞し、理想の妻を探す許を得たほどの子供好き。一時は悩んだものであるが、今は祖先である従者様から代々と引き継いできた大切な性質(モノ)として受け入れておる」

「ナルホドー」

「ただし、だ。それだけに違法と合法の線引きは明確にしなければならない。まずここで言う大人の定義とはなにか。その部分が非常に大事になってくる訳だ。大人の定義をしっかりと見定めなければ、子供好きが根底から崩れ去ってしまうからな。大前提としての大人の定義とは、第一に精神と肉体の──…………」


 と、終始真面目な顔で熱心に語り続けているのだが、アルドルの話の半分も理解できていないシャルたち。


「…………」

「ほぇぇ〜、すご〜い」

「ぁ、うぅぅ」

「……おなかへった」


 シャルは言わずもがな、流石のアルルも既にノリでごまかす段階にあり、ニーナは隠しきれないレベルで顔が引き攣っている。

 ハクアに至ってはもう話を聞いていなかった……。

 

 今更ながらシャルの出した結論。

 マールス侯爵家は変態貴族だった。

 色々と言ってはいるが──アルドルのいうマールス一族。幼気な子供を慈しむ紳士的な一面を持ちながらも、伴侶はロリ(合法)が良いという矛盾した変態性を持っている、ということらしい。



「……ん、そういう」


 ユミルネが以前、アルドルのことを変態と罵っていた理由がハッキリした。

 シャルは心中で今更ながらに納得し、侯爵の言う所『合法ロリ』が一人(シャルも怪しいが)当てはまってしまったニーナさんは、かなり怯え気味の眼差しで侯爵親子を見て、自分の種族と年齢がバレないように全力を尽くそうと決意するのであった……。




 ■■■




 ──マールス城、地下大浴場。


 侯爵一家との会食を滞りなく終えたシャルたち四人は、現在、お城の地下に広がる巨大浴場に浸かって、一日の疲れを癒している。

 七貴人で侯爵なだけあって、所有する浴場も規模が桁違いだった。華美というより質実な内装の浴室は、広いと思っていたコレットが自慢していた浴場の数倍はある。シャルからすれば、風呂というよりプールの方がしっくりくるほど。


 そんな大浴場の片隅。

 浴槽部の縁に背を預けて座る影が二つ。


「ふぁぁぁー……疲れたぁぁー……」

「はぁ、私も……」


 明らかにくたくたな様子を見せているのはシャルとニーナ。精神的疲労を感じやすい似た者同士の二人は、今日ここに至るまで相当苦労を溜め込んだようだ。やっと気を抜けるとばかりに惚けている。


 普段なら恥ずかしがって肌を触れ合わせはしないのに、今は気にする素振りもみせない。

 お互い寄りかかって支え合い、横並びで湯に浸かりながら溜まった疲れを湯に溶かしていた。

 大浴場の広さに感動し、元気に(はしゃ)いでいるアルルやハクアとは対照的な姿であった。


 ただ、シャル達がこうなるのも仕方がないこと。会食から大浴場へ至るまでにも色々あったのだ。


 例えば、食事が始まったと思えば、片手しか使えないため作法に乗っ取れず、シャルの腕の件が露わになったり。

 そのまま子供愛を暴走させた侯爵家の男衆たちが、王国中から名医を呼び集めようとして騒ぎになったり。それを収めようとシャルが孤軍奮闘したり……。


 他にも、シャルたちが明日には候都を発ち王都の方面に行くと伝えれば、アルドルが無償で馬車を貸し出そうと言い出して、青い顔をしたアルルが断るために本気をみせたり。

 食事が始まって暫く、アルドルおすすめの肉料理が運ばれてきて、彼直々に勧められたニーナが半泣きになりながら完食する羽目になったり。

 会食が終わって客室への案内中に、今日はそれぞれ一人づつ部屋が用意されると聞かされ、独り寝が嫌なハクアが半泣きになってごねたり。

 疲れを癒すために入浴しようとすれば、城の使用人たちが総出でお手伝いをしようと集まってきたり。


 ──と、この短時間で疲労を感じさせる出来事に多く見舞われたのである。

 こんなの疲れない方がおかしかった。



「はぁぁ、一日がこんなにも長く感じるなんて……」


 ここ数時間を思い出し、改めて深いため息を零すニーナにシャルは静かな声音で告げた。


「大丈夫あと少しだよニーナっ。明日の早朝にはすぐ此処を発つから、それまでの辛抱だから……」

「そ、そうよね。あとは寝るだけだものね……。正直一人だったら寝付けなかったと思うけど、部屋分けもみんな一緒になれたし安心したわ。ええ、ハクアが上手いことごねてくれて助かったわっ」

「あはは……確かに。僕も一人部屋だったら気を張りすぎて辛かったかも。なんというか、これだったら野営の方が数倍は寛げそうだもんね」

「まぁシャルのあれは野営とは呼べないと思うけど……」

「えー、呼べないかなー?」

「間違いなく呼べないわね」

「んぅ、そっかー……」


 お風呂内をパシャパシャと走って泳いで追いかけっこをするアルルとハクア。そんな元気にはしゃぐ可愛らしい彼女たちをボーッと見詰めながら、取り留めのない話を交わすシャルとニーナ。

 アルルたちの無邪気な姿は、お疲れモードの二人にとって充分すぎるほどの癒やし要素。擦り減った精神が和らいで、安らぎと共に回復している様だ。



「若いっていいわね……」

「──っふふ。もうなに言ってるのさニーナってば。その言葉は流石に似合わないって。んふふふっ」

「むぅっ」

「あぁ怒らないで下さいニーナさん。だいじょーぶ、僕は分かってるから! ニーナさんはみんなのお姉さんだもんねー? とーっても大人っぽくてクールでカッコいいよー? ほら、よしよーし!」

「もうッ、シャルってば絶対バカにしてるでしょっ! 扱いが完全に子供のそれじゃないっ」

「えー、子供扱いはしてないよー? これは大事な家族扱いというのです♪」


 精神的に安らぎを得て本来の緩やかさを取り戻しつつあるシャルは、家族限定おふざけ態勢に入る。

 楽しげに軽口をたたきながらも、寄りかかって支え合ったままの状態で、そっと右手を伸ばしてニーナの頭を撫でようとし……



「──ふひぁあ!?」

「んにぁぶっ!?」



 ……二人仲良く水没した。

 手探りで撫でようとした弊害か、シャルの手は偶然彼女の耳を掠めてしまったらしく、驚いたニーナが倒れこむようにしてシャルを押し倒したようだ。


「──ぷはぁっ、びっくりしたぁ……」

「それはこっちの台詞よっ、もうっ!」

「あ〜っ、あたしもまざりた〜い♪」

「……ハクア、も!」

「え? あ、ちょっとまってアルルっ。その勢いで飛び込んで来ないでっ!?」

「ちょっと、なんでハクアまで便乗してるのよ!?」


 シャルたちがじゃれて遊んでいると思ったアルルとハクア。目ざとくそれに気づいた二人は、自分たちも混ざろうと一目散に飛び込んできた。


 そして──


「「どーんッ♡」」

「んにぁ!?」

「ひゃぅ!?」


 バッシャーンと大きな水飛沫を立てて、今度は四人揃ってお湯に呑み込まれたのだった。



 それから散々イチャコラしてストレス発散をしたシャルたち一行。全員のぼせ気味になるまでお風呂を堪能した後は、しっかりと髪を乾かし、着替えと再度擬装を済ましてから客室へ向かった。


 その道中、廊下の向こうから歩いてくる人影。

 よく見ると対面から近づいてきていたのは侯爵子息のアロウだった。彼は動きやすい服装に着替えており、手には練習用の模擬剣。程よく汗をかいていることから訓練をしていたのだろうとシャルは察した。



「──み、みなさんっ、お風呂上がりでしたか……」


 やや挙動不審に視線を彷徨わせてアロウ少年。

 寝間着&上気した頰のダブルコンボでいきなりタジタジ。しかしシャルはチラ見されながらも動じない。恥じらえば更に酷くなるのを理解している故。


「アロウ様はこんな時間まで訓練を?」

「え、あ、はいっ。若輩ながら多くの者を纏める身ですので。少しでも相応しい力を得られる様にと空いた時間には訓練をしているのです」

「そうでしたか。アロウ様は努力家なのですね」


 微笑みを浮かべて淑やかさ全開で宣うシャル。

 お風呂で精神をしっかり癒したおかげか、リップサービスにも勢いが戻っている。


「い、いえ、そんな上等なものではッ。コミュニティのリーダーとして当然の義務です。それに、我が身の至らなさを最近痛感したばかりというのもありまして……っ。身体を動かさないとやっていられない心境といいますか。はい……」


 侯爵子息というよりただの純情少年になりつつあるアロウは、慌てながらも控えめにそう返した。

 会話の通りアロウは貴族でありながら冒険者。

 それも候都では知らぬものがいない大コミュニティ『黄金林檎(マールスグロリア)』のリーダーである有名冒険者だ。

 実力も備えて人柄も良い高ランクの人気者である。


 そんなアロウ少年なのだが、現在やや憂鬱な状態にあった。別にシャルに即答で振られたからという訳ではなく(要因の一つではあるが)、単に己の力量不足からくる自信の喪失が原因。


 ──というのも。

 少し前に行われたボナ・ケントルムの大きな武闘大会で、アロウはコミュニティの選抜メンバーとして多くの人々の期待を受けて戦いに臨んだ。

 しかし結果は初戦敗退。

 対戦相手には手も足も出ず、ほぼ一撃で戦闘不能に追いやられたという。

 それがアロウの自信喪失に繋がっているのだろう。


 実際にはその相手とは前回大会の優勝者で、世界でも有数の実力者。負けたところで人々は失望などせず、むしろ気後れせずに挑んだアロウを誇りに思っているのだが、本人にとってそこは関係ないらしい。


 その辺りの複雑な男心を会話から察し、同じ『男』として看破したシャル。

 会話の切り口はここだと高速で頭を回したまま、表面は可愛らしい笑みを浮かべて能弁を振るう。


「ふふっ、私は挫けずに努力し続けられるアロウ様のこと、一冒険者として尊敬しておりますよ? あの大舞台である大魔道闘技杯に出場された後も、こうして研鑽を止めることなく、未来に歩みを進めているなんて素晴らしいと思います」

「……そう、でしょうか?」

「ええ、私もアロウ様を見習って、日々の研鑽に努めていきたいと強く思えましたから。感謝の念に堪えません。お互い挫けずにこれからも頑張っていきましょうね、アロウ様」

「──は、はいッ! 私……オレも頑張りますっ。ありがとうございますっ。シャルさん!」



 笑顔でさらりと宣い続けるシャルがひどい。

 嘘を言っている訳じゃないのが尚更ひどい。

 しかしこのリップサービスの結果、アロウの翳は薄れて明朗な雰囲気へ。

 物凄いやる気に溢れている状態に早変わりだ。

 シャルラ・クオリティここに極まれり。


 そういった和やかな(?)会話を交わすシャルとアロウを少し離れて見ていた他の三者。

 アルルは常のニコニコ笑顔だが、ニーナはシャルの態度を見てやや引き攣った笑みを浮かべていた。

 そして、今日何度目かのため息をついた。


「あ、相変わらずの人たらしだわ……」

「えへへ〜、そんなシャル君も素敵だよね〜♡ でも大丈夫だよニーナちゃん。いまのシャルくんは魔獣さんでもあるから」

「魔獣?」

「うんっ、魔獣さんのお芝居中〜」

「あー、なるほど。言い得て妙ね……」


 絶賛猫かぶり中のシャル。

 この世界にも似たような言葉として『魔物の魔獣芝居』なんて言い回しがあったりする。

 人に益する魔物である魔獣。その魔獣を装って人界に紛れ込んだ狡賢い魔物の逸話から『本性や本音を隠して騙眩かす、誤魔化す』という意のこの言葉は、いまのシャルにもピッタリ。納得の表現だった。


 ──と。


「……アルルたちは何を話してたの?」


 アルルたちがコソコソとお喋りを嗜んでいると、アロウとの話しが終わったようで、疑問符を浮かべたシャルが話に参入してきた。


 既にアロウ少年は既にこの場を去った模様。

 どうやら意気揚々と感情の赴くがままに『うぉぉぉ頑張るぞぉぉぉ!!』と吠えて、鍛錬をしに引き返して行ったらしい。シャル成分ガンギマリだった……。



「えっとね〜、シャル君はかわいい魔獣さんだね〜って」

「はい?」

「そうそう、相変わらずよねーって」

「ん? んんー?」


 シャルはまったく言葉を飲み込めずに疑問符を増やすばかりだったものの、不意に背中から暖かい重みが加わったことで思考を停止させる。


「…………わふぅ」


 耳元から発せられる癒しボイス。重みの原因はハクアであった。長話をしていた訳ではないが、風呂場ではしゃぎ過ぎたハクアは既におねむモード。シャルの背中側から引っ付いて半寝に突入している。


「……部屋、いこっか?」

「うんっ!」

「そうね」


 こっくりこっくりと船を漕いでいるハクアの姿を見たシャルたち。今一度顔を見合わせると、同時に破顔し揃って部屋の方へと戻っていった。




 ■■■




 そして一夜明けて、朝が来た。

 シャルとニーナにとっては待ちかねた希望の朝。


 今はマールス城の門前でお別れの挨拶を交わしていた。わざわざ侯爵や夫人、大勢の使用人が揃って見送りに出てくる辺り、相当気に入られたみたいだ。

 なんとも豪勢な見送りっぷり。

 ちなみにアロウ少年は不在である。

 昨夜からぶっ通しで鍛錬していたようで、いまは完全に意識を沈めている。



「短い間でしたがお世話になりました。昨晩のご会食の席も大変楽しい時間でございました。貴重なお時間を賜りましたこと、私ども一同拝謝申し上げます」

「侯爵さま、フロルちゃん、とっても楽しかったですっ。ありがとうございました〜!」

「ぁ、ぁありがとうごじゃいましたっ。ぅぅ……」

「……ばいばい……」

「はっはっはっ、いやいや此方こそお礼を申し上げたい程であるよ。ここまで楽しい時間を過ごせたのは久方ぶりだ。またいつでも遊びに来てくれて構わないからなっ。君たちならば大歓迎である!」

「うふふ、またお喋りいたしましょう。皆さまがまた訪ねてくる日を、私も楽しみに待っておりますね」


 愛らしい幼女たちにいっぱいお礼を言われて超絶デレデレのアルドルと、淑やかに微笑んで見送るフロル。

 別れの挨拶を交わしているうちに、シャルたちの側に豪奢な馬車が近づいてきて、静かに停まった。

 昨夜の会食の際、王都への馬車の送迎はなんとか阻止したものの、侯爵側の立場も考えてシャルたちは、ファナールの大門前までは送ってもらう手筈となっている。

 馬車嫌いのアルルとて、流石に全てを拒絶は出来なかったのだろう。

 とはいえ、馬車に乗り込んでしまえば気苦労タイムも遂に終わる。

 短くも長かった時間に終止符を打てるのだ。



 ──しかし、そうは問屋が卸さない。

 それがシャルがシャルたる所以。


 気を抜いた瞬間に『それ』は来た。

 最後の最後に特大の気苦労が舞い込んだ。



「あぁ、それと用意に手間取って遅くなったが、これも受け取っていってくれ」

「──へ?」


 言葉と同時、アルドルの後ろから使用人が楚々と現れてシャルたちの前に立つ。

 使用人たちの両手には浅い皿盆。

 上にはなにやら荘厳な装飾のなされた短剣が一振り乗せられていた。


「我が家の紋章が刻まれた短剣と、其方らの事をしたためた直筆の紹介状だ。どちらも今後の活動に役立つであろう? どんどん活用してくれたまえ。まぁ、英雄に対しての贈り物としては少々不足しておるとは思うがな。不足分に関しては又いずれということで、改めて招待させてもらおうと思っておる!」

「──え!? あ、あの、侯爵様? 既に僕たちは討伐の報酬と一緒に恩賞を冒険者ギルドから受け取ってますからっ。これ以上は流石に貰いすぎですっ。だめです、だめっ……」


 珍しく素で慌てるシャル。口調も普段に近いものへと変わってしまっていた。


 それもその筈。実はシャルたち……というより、アルルは先の騒乱鎮静後、冒険者ギルドを経由して侯爵から感謝状と、莫大な額の恩賞金を受け取っている。既にかなりのものを貰っているのに、この場でまた貰うのは流石に憚られた。

 しかし、七貴人アルドルに抜かりはなかった。

 ニヤリと渋い笑みを浮かべると。


「あれはマールス侯爵として与えた正当な恩賞である。そしてこれは俺とフロルからの個人的な贈り物だ。故に何も問題はない!」

「な、ぁ……」


 清々しい強引さに惚けてしまうシャル。

 その隙にとばかりに、アルドルはシャルたちに恩賞とは名ばかりの贈り物を素早く渡していく。


 そして、最後にシャルを前にしてアルドル。

 慌てるシャルに微笑まし気な表情を浮かべると、その頭をポンポンと撫で『今度招待する際には、シャル殿の気が張ってしまわないように十分考慮しておくことにする。疲れさせてしまってすまなかったね』と言い、元の位置へ戻っていった。


「では道中気をつけるのだぞっ! 今はなにかと物騒な時勢である。各地で暗躍する怪しい集団もいると聞く。其方らのような愛らしい娘ならば目を付けられるに決まっておる! 夢夢警戒を怠らぬ様にな! もし危ないと思ったら兵舎に飛び込んで俺の名を出して助けを求めて良い! 渡した短剣を見せれば信用も得られる筈だ!」

「もうアルドル様は心配性なんですからぁ。アルルさんたちはファナールの英雄なのですから、心配のし過ぎは失礼ですわ?」

「おっと、確かにそうであるな。だがこの子らの損失は世界の損失であるからして、少しくらいは大目に見て欲しいものである!!」

「もうアルドルさまったら、うふふっ」


「ぇ、あ、え……?」




 ──そうして。

 最後の最後までマールス家の独特な雰囲気に押されたままだったものの、シャルたち一行は何事もなく候都を発っていった。

 これからシャルたちが目指すのは大陸内部。

 ウィリディスクラブ王国の王都方面である。

 







「えッ!? シャルっち達が戻ってきてたんですか!? な、なんで教えてくれなかったんですかぁ!!」

「いや話そうとしたら『いま忙しいからまた後で!』って断ったじゃんか」

「そうですわ。折角すぐに伝えようとギルドから走って戻りましたのに……」

「ふぇぇぇん!!? 私のアホォぉぉぉぉ!!」

「まー、もう候都を発ってるみたいだけどねー」

「うわぁぁぁこんちくしょぉぉ〜っ!!!?」

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