5-B
私の種族ロゥイは、かつて世界で隆盛を誇っていたが、人間をはじめ、台頭してきた他種族によって次第に衰退していった。
今では、ほんの一握りの生き残りが辺境に引きこもり、緩やかな滅びの時を迎えようとしている。
ロゥイが衰退した理由はいくつかある。人間を始めとした他種族は、我々ロゥイに比べて寿命は短いが、そのぶん世代の交代が早く、次々に新しい考えや価値観が生まれ、環境や状況に容易に適応し、進化して行くことが出来たが、寿命が長く、古い固定観念にばかり囚われるロゥイには、それが出来なかった。
だが、最大の理由は、ロゥイ族自身が、自ら高みを目指そうという自助努力を怠ったからだ。
ロゥイには、他の種族と決定的に違う特徴があった。それは、親の持つ才能や資質が子供に遺伝するということだ。例えそれが、先天的なものではなく、後天的に手に入れたものであっても、だ。
もちろん、親の持つ知識や技術がそのまま子供にスライドするように遺伝するわけではない。しかし、両親が優秀であれば優秀であるほど、生まれてくる子供もまた優秀なのは、紛れも無い事実だ。
かつて、世界で隆盛を誇っていた先祖達は、自らを極限まで鍛え、その上で子を為し、種族としての優秀性を維持し続けていた。
だが、何時の頃からか、自らの先祖達が築いてきた礎に胡坐をかき、それを維持するための努力を怠るようになってしまった。
その結果、無能な両親からは無能な子供が生まれ、そんな無能が更に無能を生み、種族としての水準が下がり、衰退の一途を辿ることになってしまったのだ。
それにもかかわらず、引き篭もりの老害共は、根拠も無く、未だに自分達ロゥイ族こそが、世界で最も優等な種族だと信じて疑わないのだから滑稽な話だ。
本当にそうならば、世界の外れで時代に取り残され、歴史の陰に埋もれて消え去ろうとしているわけがない。
いまや、その程度の矛盾にすら気付かない程度の存在に成り下がってしまったのだ。
私も、故郷の村で暮らしている頃はそうだった。あるきっかけで村を飛び出し、2人の人間の男女と出会うまでは。
彼らは、夫婦で旅をしている若い方士だった。人間でありながら、生まれながらに方士としての資質を持っているロゥイの私などより、よほど優秀で敏腕だった。
私は二人に師事し、共に旅をしながら方術を学び、それ以外にも様々な事を学んだ。前述したロゥイの歴史についても、彼らから教授を受けたのだ。
師匠達は人間であったため、今はもう故人ではあるが、生半可な言葉では言い表せないほどに感謝している。
二人の師から様々な事を学んだ私の中に、一つの目的意識が生まれた。
それは、種族の再興だった。
このままでは、偉大な先祖達が培ってきたロゥイ族の誇りが失われてしまう。ロゥイが再び権勢を誇るような世界を作りたいわけではない。
先祖の誇りを忘れ遺産を食い潰し、自らを省みることなく滅びるのが我慢ならないだけだ。
そのためにはまず、私自身が優秀でなければならない。そして次に、私と同じか、それ以上に優秀な伴侶を探し出し、その男と夫婦となり子を産むのだ。そうして生まれた我が子に適切な教育を施し、私と同じ事をさせるのだ。
一朝一夕には行かないだろうが、何世代にも渡ってそれを繰り返していけば、少なくとも今よりはマシになるはずだ。
だが、それには大きな問題があった。私の伴侶たるロゥイの男が居ないことだった。
ただでさえ、種族としての袋小路に行き詰まり、引き篭もって滅びを待っているような種族だ。
外の世界に飛び出し、自らを研鑽し、見聞を広めようとする者など、そうそう居るわけがない。
私は、長い年月を掛けて大陸中をめぐり、時には、大陸周辺の辺境の島々に足を伸ばしたりもした。
しかし、それらは全て、無駄足でしか無かった。
やはり、種族の再興などという大それたことは、絵空事でしかないのかと途方に暮れた。
そんなときだった。コーコレアの奴隷市で、ロウィの少年が競売にかけられるという噂を耳にしたのは。
そして、閃いたのだ。
伴侶とする男は、別に青年である必要は無い。むしろ、何も知らない子供を一から教育したほうが、都合が良いのではないか――と。
そして私は、奴隷市からシンタローを助け出した。
いったい、どういう経緯で、奴隷商人に捕らえられていたかは分からないが、助け出した当時は、言葉を全く理解せず、碌に口も利けないような有様だった。
唯一知っていた言葉が、自分の名前と「殴らないで」という二つの言葉だけだった。
言葉が分からないこともあってか、当初は何時も何かに怯えるようにビクビクしていたものだが、根気良く接しているうちに、徐々に心を開いてくれるようになっていった。
シンタローは、まるで生まれたばかりの赤ん坊のように無知だった。しかし、無知ではあったが愚鈍ではなかった。
知識を得ることに貪欲なほどに前向きで、私の教える事を瞬く間に自分のものにしていく様子には、驚嘆したものだった。
当初は全く読み書きが出来なかったにもかかわらず、僅か半年ばかりの期間で、日常会話が出来る程度までに、言葉を覚えてしまったことにも舌を巻いた。
「シンタローは賢いな。こんな短期間で、読み書きが出来るようになるとは思わなかったぞ」
私が褒めると、シンタローは照れくさそうに、はにかむような笑みを浮かべた。
こうも物覚えが良いと、こちらとしても教え甲斐がある。
一般的な常識と共に、方術を仕込んでみたところ、こちらも驚くほどに覚えが良かった。
特に術式の概念に対する理解が早く、10歳程度になるころには、大抵の公式を扱えるほどに成長した。
始めの頃こそ、術式の制御に手間取ってはいたが、じきに安定して使いこなせるようになっていった。
シンタロー自身、方術に興味を持ったらしく、非常に勉強熱心だった。
何よりも私を満足させたのは、シンタローがとても素直で従順だということだ。
私の教えや指示に一切の疑問を抱かず、反抗することなどまったくと言って良いほど無かった。
もしかしたら、物心付いた頃から奴隷としての生活を強いられていたため、従順な性格になってしまったのかもしれない。
なにしろ、少しでも反抗的な態度を取ろうものなら、厳しい折檻が待っているのだ。
それを考えると、些か哀れな気がしたが、お陰で教育が捗ったのも事実だった。
ここまで言われるがままであれば、あえて必要は無かったが、念には念を入れる形で、私の教えに一切に疑念を抱かないよう、普段の会話に織り込む形で、少しずつ精神操作系の方術を施していった。
なにしろ、シンタローは大切な種馬なのだ。いざその時になって、反抗されては元も子もない。
通常、この種の精神操作系の方術は、掛けられたほうは無意識のうちにでも抵抗を示す。
掛けた相手に対して、猜疑心を抱いていれば抱いているほど、それだけ頑強な抵抗がある。
だが、シンタローの精神は、抵抗らしい抵抗を一切見せず、拍子抜けするほどにあっさりと、私の方術を受け入れてしまった。
これはつまり、それだけ私に心を許しているということでもある。
賢く、疑うことを知らない従順な伴侶。種馬として、これほど優良な存在も無いだろう。
私は、シンタローを手に入れたことを、改めて八百万の神々に感謝し、来るべき時に備え、瓶水を移す如く教導した。
「シンタロー。今日は、このあたりで野営をしようか」
「はい、姉さん」
私が声をかけると、シンタローは荷物を下ろし、すぐに野営の準備に取り掛かった。
土地神に対する祝詞の奏上を終えた後は、獣や魔物避けの結界を張るのだが、その間にシンタローは、てきぱきと薪を集め、結界を張り終わる頃には、焚き火の準備を終えていた。
当初と違い、今ではもう、すっかりと旅慣れてきた感があり、そのぐらいの事は言われなくてもやってのけるようになっていた。
「火照」
私が見守る中、シンタローは方術を使い、薪に着火した。訓練も兼ねて、薪に火をつける作業は、方術を使うように言いつけている。苦手としていた方術の制御も、最近では安定してきたようで、基本的な公式である『火照』を、特に問題なく使いこなしていた。
「上手く制御出来るようになったな」
「ありがとう、姉さん」
私が褒めると、シンタローは少し得意げに鼻の穴を膨らませた。
今日の夕食は糒とイノシシの干し肉だ。旅を始めた頃のシンタローは胃腸も弱く、こういった食事が身体に合わず、よく嘔吐したり腹を下したりしていた。私の隣で、軽く炙った干し肉に旨そうに齧りつく今の姿からは、想像もできない。
最近は、感情表現も豊かになり、屈託無く笑うようにもなってきた。しかし、シンタローの心の傷が、決して浅くないことを私は知っている。
「姉さん。今まで黙ってたけど、実は俺、この世界の住人じゃないんだ」
ある時、シンタローが突然そんな事を言い出した。
呆気にとられる私に向かって、心太郎は熱っぽい口調で、やや興奮気味に語り始めた。
曰く、自分は本来はこの世界の住人ではなく、異世界の人間だというのだ。
ダイガクセイという最高学府の学徒で、気がついたら、ロゥイの子供の姿になって、この世界に居たのだと言うのだ。
私は、シンタローの話を最後まで聞くことが出来なかった。気がついたときは、シンタローを胸いっぱいに抱き締めていた。あまりにも哀れで不憫でならなかった。
物心付くか付かないかという時から過酷極まりない奴隷生活を強いられたシンタローは、自分自身の作り上げた妄想の世界に逃避することで、辛うじて壊れそうになる心を守っていたのだろう。
「大丈夫……大丈夫だ、シンタロー。これからは、ずっと私が傍に居る。だから、大丈夫だ……」
何度もそう語りかけ、優しく頭を撫でてやることで、ようやくシンタローは落ち着きを取り戻した。
その一件があって以来、私は極力シンタローを手元に置くことにしていた。大事な種馬が精神を病んだままでは、生まれてくる子に支障が出る可能性もある。常に傍にいて、心の傷を癒してやらなくてはならない。
幸いなことに、その時以来、シンタローから自身の妄想に囚われるような発言は聞いていないが、油断は禁物だ。
手に付いた肉汁を舐めるシンタローの横顔を眺めながら、私は思った。
「シンタロー。次に訪れる国で、少しの間長く滞在することにしよう」
シンタローが食べ終えた時を見計らって、私は切り出した。
「うん。そこで何かあるの?」
「特別何かがあるわけではないが、平和で落ち着ける国だ。そこで、お前に応用式の構築手順を教えようと思う」
見上げるシンタローに微笑みかけると、シンタローはパッと顔を輝かせた。
「ほんと!?」
「ああ、本当だとも」
シンタロー自身、以前から応用式に興味を持ってはいたようだが、公式の習得と制御を最優先として教育していたため、基礎的な理論しか教えていなかったのだ。
公式もあらかた覚えたし、制御も上手く出来るようになってきている。
そろそろ、応用式を構築する手順を教えても良い頃だろう。
ただ、そうなると、旅をしながらでは困難が伴う。
少しの間、腰を落ち着ける場所が必要だ。
幸い、これから向かう国は、数年前にも訪れたことがある国だが、国内の治安が良く、平和で安全な国だ。
そこでなら、じっくりと教育することが出来るだろう。
シンタローは、早くも興奮しているようだった。
早く自分独自の術式を構築してみたい。そんな気持ちで一杯なのだと思う。
「私の構築した術式をいくつか教える。まずは、それを正確に追跡してみなさい。それが出来たら、構築の手順を基礎から教えよう」
「はい、姉さん!」
「よし、良い返事だ」
私はシンタローを抱き寄せ、優しく頭を撫でた。
少し恥ずかしそうにしながらも、気持ちよさそうに目を細めている。
「明日は早い。お前はもう寝なさい」
「ん……分かった」
シンタローは素直に目を閉じた。
数分後、安らかな寝息が聞こえ始めてきた。
暫くその安らかな寝顔を堪能した後、休息をとるため目を閉じた。