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5-A

 奴隷市場から俺を助け出してくれた女性は、ヒムカ・ハヅネと名乗った。

 職業……というとちょっと語弊があるかもしれないが、歩き巫女を生業としている。

 歩き巫女ってのは、神社に常駐して神職の補佐をする巫女と違い、各地を漂白し人々と八百万の神々との間を取り持ち、信仰を広めるのが主な役目なんだそうだ。

 そう、この世界には神社がある。日本にあるそれと殆ど同じで、神道と良く似た思想・信仰まであるのは驚きだった。

 歩き巫女なんて生活をしてるわけなんで、基本的に一つどころに長く留まることは無く、旅暮らしの日々を送っている。

 行く宛てが無いこともあり、俺はその日以来、金魚の糞みたいに彼女にくっついて旅をすることになった。

 旅を始めたばかりの頃は、とにかくきつかった。

長い間、日の当たらない暗所に閉じ込められていたせいか、ほんの少し歩いただけでも息切れし、多少強い日差しを浴びただけで日焼けしてしまうほどに、虚弱体質だったからだ。

 足手纏いなのは明らかで、もし放り出されでもしたら、この世界で何の生活基盤も無い俺は生きていけない。

 いつ彼女に愛想を尽かされたりしないもんかと、最初の頃はビクビクしていたけど、結論から言えば全くの杞憂だった。

 放り出すどころか、俺に合わせて旅のペースまで落としてくれて、決して無理な行程を強行することは無かった。

 こちらでの言語や常識なんかも、すべて彼女から教わった。

 幸いなことにこの世界の言語は、文法が日本語と良く似ていたため、単語さえ覚えてしまえば、習得は比較的容易だった。半年も経つ頃には、日常生活に支障が無い程度に読み書きが出来るようになっていた。


「シンタローは賢いな。こんな短期間で、読み書きが出来るようになるとは思わなかったぞ」


 ハヅネさんはそう言って褒めてくれたけど、俺が賢いというよりも、彼女が手間隙を惜しまずに、それほど物分りのよろしくない俺に、懇切丁寧に教えてくれたお陰だと思う。

 何かと親身に世話を焼いてくれる彼女を、俺はいつからか姉さんと呼んで慕うようになっていた。

 言葉を覚えた俺は、次にこの世界の常識的な知識を学んでいった。

 大半は姉さんから教えてもらったことが殆どだけど、旅の途中で立ち寄った大きな街の図書館なんかからも可能な限り知識を吸収していった。

 俺と姉さんは、艶のある真っ黒な獣耳と尻尾から分かるとおり、普通の人間ではない。獣人と呼ばれる、身体の一部が獣になっている亜人種だ。

 その中でも姉さんと俺は、ロゥイという、今では殆ど見かけることの無い希少な種族だ。

 なんでも、人間や他種族が文明を築く遥か以前に高度な文明を築き、原始的な生活を送っていた当時の人間などから、神や悪魔の化身と畏敬されていた存在らしい。

 はるか東方にある、無数の島々から成る島国から渡ってきたとも言われていて、今この大陸に広まっている神道に良く似た思想(面倒なので、以後神道と呼ぶことにする)を広めたのもロゥイだと言われている。

 しかし、それも遠い昔の話で、今ではすっかり衰退してしまい、辺境の山奥なんかに引き篭もって、人前に出て来ることは皆無なんだという。

 姉さん自身、生まれ育ったロゥイの村を出て以来、同族に出会ったのは俺が初めてだと言っていた。

 ロゥイの外見的な特徴は、濡れ羽色の美しい黒髪と、同じく艶やかな黒一色で統一された、狼のような耳と尻尾だ。

 この世界でちょっと驚いたのが、日本人的な黒い頭髪というものをまったく見かけないことだった。

 人間にしても他の種族にしても、金髪や茶髪はもちろん、緑や青、果てはピンクなんてアニメ的な色合いの髪の人々を頻繁に見かけるにも関わらず、頭髪が黒いのは俺と姉さん、つまりロゥイだけなのだ。

 だから、ロゥイと他の獣人との違いは、髪の色が黒かどうかだけで、容易に判別が出来てしまう。

 ただ、頭髪の黒い亜人がロゥイ種であるという知識は、ある程度の教育を受けた人しか知らないらしく、殆どの人々にとっては、数多く居る獣人の一種だという認識しかないため、基本的にあまり気にする必要は無いらしい。

 そうなると、あの奴隷市場にいた客って言うのは、それなりの学を持っているお偉い人々ってことになるわけだ。

 きっと、やんごとない身分の持ち主だったんだろうと思う。

 さらに、ロゥイは長耳族(エルフみたいに耳が尖っている美形種族)並に長命で、10代後半ぐらいに見える姉さんからは、これでも200年は生きていると言われ度肝を抜かれた。ちなみに、200歳程度は、ロゥイにとっては、かなり若い部類に入るらしい。


「もっとも、長く生きているだけの、故郷の引き篭もり老害共にくらべれば、私のほうが多く物を見知っているけどね」


 そう言って姉さんは、鼻で笑った。どうも、あまり同族に対して良い感情を抱いていないような口ぶりだった。

 でも、それならば、なんで俺を助けてくれたんだろうか。

 始めは同族が奴隷にされていることに義憤を感じて助けてくれたのかと思っていたんだけど、その線は薄そうだ。

 いずれ、機会があったらたずねてみようかと思う。

 姉さんからは、現在進行形で沢山のことを教わっているが、その中でも熱心に教育してくれているものの一つに、方術があった。

 方術をひどく大雑把に一言で言ってしまうと、ファンタジー系のゲームや小説なんかで言う魔法に相当する。

 術式ソースコードと呼ばれる呪文のようなものを使い、自らの霊力リソースを消費して方術を行使する者を方術士、または、縮めて方士と呼ばれている。

 誰でもなれるわけではなく、もって生まれた素質もさることながら、血の滲むような努力を積み重ねて方術を使いこなせるようにならなければ、方士を名乗ることは出来ない。

 逆に言えば、素質があり努力をすれば方士を名乗ることが出来るわけで、身分の低い者が成り上がることも不可能ではない。

 方士は何処の国でも引く手数多で、かなりの高待遇で迎えられる。たとえ仕官が適わなかったとしても、貴族のお抱えにでもなれば、羽振りの良い暮らしを送ることも可能だ。

 どことなく、少し前に日本で一時期流行った、陰陽師のようなものに近いかもしれない。

 まだ教わっていないけど、式神みたいなのを操る術もあるみたいだし、方術の体系自体、陰陽道に良く似ている気がする。

 この方士なんだけど、いくら術式を理解できるだけの頭脳を持っていても、素質が無ければ行使することが出来ないのはさっき述べた通りだが、ここで俺の種族が重要になってくる。

 俺と姉さんの種族、ロゥイ族は、例外なく、生まれながらにして方士としての高い素質を持っている。 

 つまり、俺でも訓練を積めば、必ず方術が使えるようになるわけだ。

 もちろん、姉さん自身も凄腕の方士で、その筋では、方術を使いこなす歩き巫女として、結構名前が知られているらしい。

 ある国の首都を訪れたときなど、その国のお貴族様が、態々逗留先の宿にまで使いをよこし、姉さんに仕事を依頼をしてきたこともあったくらいだ。

 何にせよ、せっかく素質があるんだから、使えるようになったほうが良いに決まっている。それに、いざというときの護身用にも使えるだろう。

 そんなわけで俺は、旅を続けながら、姉さんから方術の教育を受けることになった。

 姉さんが言うには、俺はかなり筋が良いらしい。方術の概念を理解するのが早いとも言っていた。

 俺自身、寝る間も惜しんで熱心に方術の勉強をしたというのもあるのだろう。

 というのも、始めの頃は、元の世界に帰るつもりでいたからだ。

 俺がこちらの世界で目を覚ました場所は、何かの儀式が行われているような場所だったし、俺を取り囲んでいたローブの連中は、今になって考えてみれば、方士だったようにも思える。

 魔法的な何かの影響で、元々居た世界から呼ばれたのであれば、同じような手段で帰ることが出来るのではないかと考えたからだ。

 実を言うと、姉さんに、俺がこの世界の者じゃないということを、思い切って打ち明けてみたことがある。

 方術なんていう超常の力が存在するわけだし、姉さんになら、理解してもらえると思ったからだ。

 結果は大失敗だった。

 真剣な表情で、黙って俺の話を聞いていた姉さんは、話の途中で俺を抱き締めた。


「大丈夫……大丈夫だ、シンタロー。これからは、ずっと私が傍に居る。だから、大丈夫だ……」


 顔が胸に押付けられるような状態になり、どぎまぎしていると、姉さんが涙声で俺の耳元に囁いた。

 どうやら俺は、長い奴隷生活の末に、心を病んでしまい、妄想の世界に現実逃避することで、辛うじて精神の均衡を保っていた「可哀想な子」だと思われてしまったらしい。こうなっては、もう説得は無理だった。


「シンタロー。今日は、このあたりで野営をしようか」

「はい、姉さん」


 俺は荷物を下ろし、準備に取り掛かった。

 姉さんと旅をするようになって、5年は経っただろうか。出会った時は5,6歳ぐらいだったから、今の俺の年齢は、だいたい10歳か11歳ぐらいになると思う。

 すっかり旅暮らしにも慣れ、野宿にも全く抵抗を感じなくなっていた。


「掛け巻くも畏き遠き地主大神の御前にてヒムカ・ハヅネが恐み恐み白す……」


 野宿を行う際は、必ず真っ先に土地神に対して「今夜一晩、あなたの領地の一部をお借ります」という意味合いの祝詞を奏上する。

 ちなみに、祝詞の中にある「地主大神ジヌシノオオカミとは土地神に対する尊称で、特定の神を指す固有名詞ではない。

 日本の神道の場合、巫女は神職ではないので祝詞の奏上などは行わないが、こっちの神道では、巫女はれっきとした神職だ。通常の神職と区別をつけるためなのか、正式名は巫女神職という。もっとも、一般の人々にそう呼ばれることは殆どなく、巫女さんと呼称される事が大井。

 神宮や大社といった大きな神社には、斎王と呼ばれる特別な巫女頭が存在するところもあり、その地方の王族の未婚の女性が務めていたりする。

 そのため、普通に祝詞をあげたり、神事を執り行ったりする事も出来るのだ。

 祝詞の奏上が終わると、俺達は手早く野営の準備に取り掛かった。

 姉さんが周囲に魔物や獣避けの結界を張る間、俺は周辺に落ちている枯れ枝や枯葉を集め、俺は方術で火を放った。


火照ホデリ


 掌から現れた小さな炎が、枯れ枝に燃え移り、上手い具合に火が付き、パチパチと爆ぜる音を立てて燃え始めた。

 方術には、大きく分けて2種類のものがある。

 ひとつは、決められた動作や発音だけで発動することが出来る「公式フォーミュラ」と、公式を独自にアレンジしたり、一から作り上げたりした「応用式アプリケーション」と呼ばれるものだ。

 俺が使ったのは『火照ホデリ』という簡単な火を起こす公式だ。

 他にも風を起こしたりとか、茶碗一杯分の水を出現させたりとか、いくつもの公式が存在する。


「上手く制御出来るようになったな」

「ありがとう、姉さん」


 結界を張り終えた姉さんが、そう言って俺を労ってくれた。

 「公式」は、簡単でささやかなな術式が多いが、全てにおいて基本となる方術であるため、決して蔑ろには出来ない。

 使う側が霊力を上手く制御することで、規模や威力を自在に調節できるからだ。

 これが結構難しく、方術を習い始めた頃は、可燃物に火をつけるという簡単な行為でも、火勢が強すぎて燃え尽きてしまったり、逆に弱すぎて上手く火が付かないということがよくあった。

 最近になって、ようやく力加減が分かってきて、それなりに使いこなせるようになってきたところだった。

 ちなみに、方術を行使するための術式は、俺の世界で言うところのアルゴリズムに良く似ている。

 「AとBを比較してAの方が大きければCを実行する」とか「AとBが等しくなるまでCの処理を繰り返す」とか、そういった細かい条件式や命令文の集合体なのだ。

 応用式を独自に構築する場合、公式がどのように組み立てられているか、正確に追跡トレースして理解する必要があるが、この術式の概念が理解できない方士も多いらしく、せっかく素質があっても、公式しか使えない方士というのも珍しくない。

 元の世界での理系の知識が、思わぬところで役に立つことになったのは幸いだった。

 ちなみに、応用式を構築できない公式しか使えない方士は、お子様(スクリプト・キディ)と呼ばれ、方士の間では侮蔑の対象になったりするらしい。


「シンタロー。次に訪れる国で、少しの間長く滞在することにしようと思う」


 ほしいいと干し肉で簡単な食事を済ませた後、姉さんが言った。


「うん。そこには何かあるの?」


 俺は、寄り添うように隣に座る姉さんの顔を見上げた。

 息が掛かるほどの間近にある姉さんの顔に、俺は少しドギマギした。


「特別何かがあるわけではないが、平和で落ち着ける国だ。そこで、お前に応用式の構築の仕方を教えようと思う」

「ほんと?」


 俺が聞き返すと、姉さんは微笑みながら頷いた。

 今までは、公式をより正確に制御することが主体で、応用式については基礎理論しか教わっていなかった。

 これで、俺のオリジナルの術式が構築できるようになるわけだ。

 すごく楽しみだ。封印したはずの中二病魂が滾ってくるのが分かった。


「私の構築した術式をいくつか教える。まずは、それを正確に追跡してみなさい。それが出来たら、構築の手順を基礎から教えよう」

「はい、姉さん!」

「よし、良い返事だ」


 姉さんは俺を抱き寄せ、優しく頭を撫でてくれた。

 例の「実は俺、別世界の人間なんだ」発言以降、姉さんは前にも増して俺に優しくなった。

 年上のお姉さんに可愛がられるのは吝かではないけど、やはりちょっと気恥ずかしい。


「明日は早い。お前はもう寝なさい」

「ん……分かった」


 気恥ずかしくはあるけれど、心地良いのは確かだ。

 俺は姉さんの体温を感じながら、静かに目を閉じた。

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