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4-B

 一夜明けた翌日。

 私は、奴隷市が開かれていた場所の様子を見に行った。

 テントは完全に燃え尽きており、焼け落ちた建材に混じって、逃げ遅れた客か奴隷商人と思しき、半ば炭化した焼死体が転がっていた。死体の中には、身体の一部――主に歯や耳、そして手の指――が欠損しているものが殆どだった。

 それもそのはずで、死体にこの街の住民が群がり、嬉々として金目の物を片っ端から剥ぎ取っているからだ。その中には、幼い子供の姿もあり、満面の笑みを浮かべながら、死体の指に嵌っている高価な指輪を、手にした刃物で指ごと切り落としている様は、ちょっとした地獄絵図の様相を呈していた。

 中には、互いが目を付けたものの取り合いで刃傷沙汰になっているところもあり、死体の仲間入りを果たして身包みを剥がされている者まで居る始末だ。

 この街では、他人の不幸や不審な事件は、自らの糧を得るための歓迎すべきイベントなのだろう。

 そういった行為を抑止したり、事件の調査をしようとする官憲の姿は見当たらない。そのような治安組織は、この街には存在すらしないからだ。

 そもそもの原因を作った私が言うのもなんだが、何とも胸糞の悪い場所だ。さすが世界の掃き溜めとまで言われるだけの事はある。長居すべき場所ではない。

 売却済の奴隷が強奪されたとかで、騒ぎになっていないか少し心配だったのだが、どうやら杞憂のようだった。当の奴隷商人達にも相当な被害が出ているようだし、それどころでは無いのだろう。

 私はさっさと踵を返すと、一件の建物を目指した。

 やがて到着したその建物は、かつて宿屋だった廃屋だ。

 もともとの作りが頑丈なうえ、廃業してからそれほど日が経っていなかったためか、建物自体はそれほど痛んではおらず、一時的に身を隠すには最適の場所だった。

 建物の周囲に人払いの結界を張ってしまえば、外部からは結界の内側のものは、その存在すら認識できなくなるので、後は誰も近づくことは無い。

 以前は宿のカウンターだった場所を通り抜け、私は2階に上がった。

 かつて宿泊室であった部屋の一室に、奴隷市場から助け出したロゥイの少年を寝かせていた。

 助け出した後、改めて明るい場所で彼の姿をよく見てみたが、よくぞ今まで生き長らえていたと思える程に痩せ細っており、一目で栄養失調状態であることが分った。

 奴隷市場での客の男達の会話を信じるのであれば、飼い主に反抗しない従順な奴隷にするために、意図的にこのような状態に置かれていたということになり、改めて、奴隷商人共に対する怒りが込み上げてきた。

 様子を見るために、そっと襖を開けてみると、既に少年は目を覚ましていた。

 文机の上に置いてあった鏡を手にとって、なにやら真剣な表情で、そこに映る自分の顔を凝視しているところだった。


「目が覚めたか。気分はどうだ。お腹は空いていないか」


 声を掛けると、少年は雷に打たれたかのように身体を強張らせ、その拍子に手にしている鏡を取り落とした。

 怯えと恐怖が綯い交ぜになった表情で、真っ直ぐに私を見つめている。


「大丈夫だ。何も怖くない」


 安心させるように微笑みかけながら、私はゆっくりと少年の傍に近づいた。

 少年はひっと息を呑み、とっさに頭を庇った。殴られるとでも思ったのだろうか。

 しばらくすると、私に害意が無いことを理解したのか、少年はおそるおそるといった感じで庇っていた手を下ろした。

 極力少年を怯えさせないように注意しながら、気分はどうか、痛いところは無いかと質問してみる。

 少年は、まるで分らないというふうに、ぽかんと口を開け放ったまま、不思議そうに首をかしげた。

 

「GOMENNASAIWAKARIMASEN」


 少年の口から、そんな言葉が放たれる。今度は、私が首を傾げる番だった。

 まったく意味を成さない、奇妙な音の羅列のように思えた。どことなく、私達ロゥイの発祥の地と言われている、はるか極東の島国の言語に似ているような気がしないでもない。

 いずれにしろ、この少年は言葉をまともに理解出来ないようだ。

 おそらくは、物心ついたころには、既に奴隷として生活していたのだろう。奴隷商人が、売り物に対して態々手間を割いて教育をするわけもなく、この歳になっても、まともな言葉すら話せないのだ。

 もしかしたら、客層に合わせて、意図的にそうしていたのかもしれない。

 助け出したときに聞いた「殴らないで」という言葉。唯一それが、彼が自ら学んだたった一つの言葉なのだろう。

 言葉を理解できないながらも、それを相手に伝える術は心得ているようで、少年は私の問いかけに、分らないと言いたげに、ふるふると首を振って見せた。

 どうやら、ある程度の身振り手振りでの意思疎通は可能なようだ。

 少し考えた後、私は自分の顔を指差し、自分の名前を口にした。


「ハ・ヅ・ネ」


 一語一語区切るようにして、口の開きや発音をはっきりさせながら言った。


「ハ・ヅ・ネ」


 きょとんとしている少年に向かって、もう一度繰り返して見せた。


「ハ……ハ、ヅ、ネ……?」


 意図を察してくれた少年は、懸命に私の口を真似て呟いた。中々賢い。

 私は、よく出来ましたとばかりに、少年の頭を撫で、こんどは家名も含めて名前を伝えた。


「ハヅネ。ヒムカ・ハヅネ」


 少年は少し躊躇するような仕草を見せた後、自分の顔を指差して口を開いた。


「シ、シンタロウ。イセ・シンタロウ……」


 イセ・シンタロー。それが少年の名前らしい。

 てっきり、まったく言葉を喋れないと思ったのだが、幸いなことに自分の名前ぐらいは話す事が出来るようだ。


「シンタロー。イセ・シンタロー、か。良い名前だ」


 そう言って微笑みかけてやると、言葉が分らないなりにも褒められていることは理解出来たのか、ぎこちなく微笑み返してくれた。

 ようやくコミュニケーションが取れ、少し安心したとたん、シンタローのお腹から可愛らしい音が響いた。

 少しばかり意表を突かれたせいで、思わず小さく噴出してしまった。

 それがよほど恥ずかしかったのが、顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「少し待っていなさい。食事を用意しよう」


 そう告げると、私は立ち上がった。階下に戻り、厨房で手早く食事を作ることにする。

 まともな食事など与えられず、胃腸が弱っているだろうことを考慮し、自炊用に携帯している米で粥を拵えることにした。

 調味料などは一切持ち合わせていなかったが、それでも塩の代わりに水で戻した干し肉を刻んで加えれば、それなりに程よい味付けにはなる。

 出来上がった粥の入った土鍋を盆に載せ、私は再び2階に向かった。

 粥の匂いに食欲を刺激されたのか、シンタローの視線は盆の上に釘付けだった。

 土鍋の蓋を持ち上げると、湯気と共に、食欲をそそる匂いが立ち上った。

 シンタローの熱い視線が注がれる中、おもむろに一匙掬い上げる。息を吹きかけてよく冷ました後、シンタローの口許に持っていった。

シンタローは戸惑っていたが、私があーんと口を開いてみせると、意図を察したようで、おずおずと口を開いた。

 粥を口に含んだシンタローは、噛み締めるようにして何度も丁寧に咀嚼していた。

 きちんと飲み込んだことを確認し、私はふたたび、冷ました粥をシンタローの口許に運ぶ。

 まともな食事など、これが初めてなのだろう。彼の目元には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 よほど空腹だったのだろう。ほんの僅かな時間で、シンタローは米粒一つ残さず、綺麗に粥を平らげた。

 見ていて気持ちが良くなるくらい、見事な食べっぷりだった。

 食べ終わって一息つくと、シンタローはおずおずと私を見上げながら、手を合わせて頭を下げて見せた。

 その様子に私は感心した。言葉を知らないながらも、自らの糧となった生命に対しての感謝の念を知っていたからだ。

 お粗末様という意味を込めて笑みを浮かべ頷くと、シンタローはようやく安堵した表情を浮かべてくれた。

すると、突如として、シンタローの両目から大粒の涙が零れはじめた。自分が涙をこぼしていることに気付いていないのか、しばしの間、きょとんとした顔つきで呆然としていた。

 やがて、そのことに気付き慌てて涙を堪えようとしたが上手くいかず、しゃくりを上げて泣き出してしまった、

 おそらく、これまでの悲惨極まりない境遇から解放されて、安心して気が緩んでしまったのだろう。

 私は黙ってシンタローを抱き寄せると、しっかりと抱き締めてやった。


「もう大丈夫だ。ここには君を傷つける者はいない。何も怖いことは無い」


 耳元に優しく語りかけ軽く背中を擦ってやると、必死に声を押し殺しながら、私の胸に顔をうずめてむせび泣いた。

 この歳で、随分と地獄を見てきたのだろう。だが、もう二度とそんな思いはさせない。私自身の目的のためにも。


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