3-B
世界の掃き溜めとして名高い都市国家コーコレア。
もともとは、付近の山々が有力な金山だったため、一攫千金を夢見る山師や、鉱山労働者達が集まって出来た街だ。
そんな出自のためか、血の気の多い荒くれ者が多く集い、刃傷沙汰は日常茶飯事という治安の悪い街だった。
金脈が枯渇し廃鉱となった後は、大陸のあちこちから、国許に居られなくなった重犯罪者が大量に流れ込むようになり、世界中のありとあらゆる犯罪者が集うとまで言われるようになってしまった。
通りには目付きの危険なゴロツキとゴミが溢れ返り、強盗や暴行事件は日常茶飯事、殺人だってそれほど珍しくは無い。
表向き、何処の国でも廃止されている奴隷の売買なんてものが、公然と行われているのもこの街ぐらいのものだ。
正直、好き好んで訪れたくなるような街ではない。
しかし、私はとある噂話を耳にしたため、止むを得ずこの街までやってきた。
その噂というのは、私と同じ、ロゥイ族の少年が、この街で開催される奴隷市で、商品として出品されるというものだった。
ロゥイ族は、濡れ羽色の頭髪に、同色の狼のような耳と尻尾を持った亜人種だ。
はるか極東の島国より渡来したと言われており、人類が文明を築く以前、高度な文明を築き、神や悪魔と崇められたり畏れられたりしていたという伝説があちこちに残っている。
人間の隆盛に反比例する形で衰退した今は、辺境の深山に引きこもり、目にする機会は殆ど無い。
私自身、生まれ育った村を出て以来、同族とは一度も出会ったことが無いくらいだ。
そんな希少性もあってか、その噂は、その筋に瞬く間に広まっていた。
歩き巫女という職業柄、私は各国の有力者にそれなりの伝手を持っている。
複数の情報源から入手したものなので、信憑性は高いと見るべきだろう。
いずれにしろ、もし本当に年端も行かない同族の少年が売りに出されるというのであれば、捨て置くわけには行かない。
それに、何も知らない子供というのであれば、私の目的に利用しやすいように、教育できるかもしれない。
私は目立つ耳と尻尾を隠し、秘密裏に行われるその奴隷市に、客を装って紛れ込んだ。
この街で開かれる奴隷市の上客の殆どは、各国のやんごとない身分の方々だ。
おそらく、どこぞの大臣だとか将軍だとか、そんな大層な肩書きを持っているような連中なのだろう。
そのためなのか、客の殆どが仮面などで仮装している。
客の中には、明らかに人間ではない種族――美形揃いで耳朶の殆ど無い尖った長い耳が特徴的な長耳族や、人間の大人の半分ぐらいの背丈しかないが、怪力を誇り鍛冶が得意な短躯族の者もちらほら見かけた。
そうやって、注意深く周囲を観察しながら、私は会場の片隅に式を潜ませ、市が始まるのを待った。
「お集まりの皆様方! 大変長らくお待たせいたしました!」
やがて、壇上に現れた燕尾服の男が声を張り上げた。この奴隷市の進行役なのだろう。
男は良く響く張りのある声で、奴隷の売買形式についての説明を始めた。
それによると、今回の奴隷市は入札形式で行われるらしい。
奴隷にもっとも高い値をつけた客が競り落とせるというわけだ。
「それでは、これより入札を開始します! まず一人目は……」
引き出されてきたのは人間の娘だった。
衣服は何も身に着けてはおらず、悪趣味な皮の首輪だけが黒く輝いている。
酷くやせ細っており、一目で栄養状態に問題があることが分かった。
枯れ木のような両手首には、手枷が嵌められており、身体を隠すこともままならない。
怯えきった表情で、自分に集中する野卑な視線に、嫌悪と恐怖に顔を歪ませている。
「あれが、商品? なんとまあ、随分とみすぼらしい……」
近くにいる狐面の男が失望したように呟いた。
「おや、あなた。もしかして、ここは始めてですかな?」
オペラ仮面を付けた別の男が、口許に笑みを張り付かせ、訳知りな口調で言った。
「奴隷達は、より従順に躾けるため、食料は餓死寸前までしか与えられていないのですよ」
聞くとは無しに聞いてしまったその会話は、実に胸糞の悪くなる内容だった。
「更に、不定期に恐怖や苦痛を与えて、自我や自尊心を徹底的に破壊するのです。売却先で飼い主に反抗しないように、ね」
「しかし、それでは、商品が傷物になってしまうのでは?」
当然ともいえるその疑問に、オペラ仮面の男は、ニンマリと口の端を釣り上げた。
「この市を主催している奴隷商人は、傷痕が残らないように苦痛を与える稀有な技術を持っておるのですよ」
「それはまた、大層な特技ですなぁ」
感心する狐仮面の男に、オペラ仮面の男は、まるで我が事のように、そうでしょうそうでしょうと得意げに頷いた。
「今は痩せ細って分からないかも知れませんが、あの娘も中々の美少女ですぞ。餌を与えて栄養状態を良くしてやれば、ぐっと見栄えも良くなるでしょう」
「そうなのですか。いやぁ、お詳しいですな」
「そこそこ常連なのでね。何度も通い詰めれば、あなたも見る目を養うことが出来ますよ」
褒められて気を良くしたのか、オペラ仮面の男は得意げに長広舌を振るった。
「そういった有望な奴隷を見極め、餌と躾で自分好みにカスタマイズするのも、この趣味の醍醐味なのですよ」
「いやはや、勉強になりますな」
反吐が出る。下種共め。
男達がそんな会話を交わしている間にも、取引は進行し、最初の娘は直ぐに買い手がついて落札された。
最初の娘の落札が終わると、矢継ぎ早に2人目、3人目と次々に奴隷が引き出されては、競り落とされていく。
商品である奴隷達は、人間だけではなく、長耳族や兎耳族など、見栄えの美しい種族もいた。
彼らの末路を思うと、気の毒ではあるが、ここで騒ぎを起こすわけには行かない。
私の目的は、あくまで同族であるロゥイの少年の保護だからだ。酷なようだが、いちいち構ってはいられない。
しかし、いつまで経っても、お目当てであるロゥイの子供は現れない。
やはり、ガセネタだったのか。
そう半ば諦めかけた時だった。
「お集まりの皆様! いよいよ残すは、最後の一人となりました!」
燕尾服の男が再び壇上に姿を現し、高らかに声を張り上げた。
「最後を飾る商品は、なんと! あの幻の種族として名高いロゥイ族の少年です!」
テント内が、おおというどよめきに包まれた。
そして、禿頭の筋肉質の男に引き摺られるようにして現れたのは、まさしく私の捜し求めていたロゥイの少年だった。
しかし、その姿は哀れとしか言いようの無い痛々しいものだった。
ロゥイの誇りであり特徴でもある美しい黒髪はくすんで薄汚れ、耳と尻尾も力なく垂れ下がっている。
他の奴隷同様、痩せ細ったみすぼらしいその姿は、見るに耐えないほど痛ましいものだった。
突然、大勢の視線の前に晒された少年は、暫く呆けていたが、すぐに状況を理解したらしく、羞恥で顔を染め、慌てて身体を隠そうとした。
しかし、両手首を拘束する手枷のため上手く行かず、そのまま尻餅をついてしまい、隠そうとしている箇所を余計にハイエナ共に晒す羽目になった。
狂ったような観客達の歓声に、少年は蹲って羞恥と恐怖に身体を震わせていた。
「1万!」
「5万!」
「なんの、5万5千!」
やがて、競りが開始され、入札の声が飛び交い始めた。
「50万!」
私は手を上げると、入札金額を提示した。
突然の高額入札に、周囲はどよめき、幾つもの視線が私に集中したが無視した。
ある程度の持ち合わせはあるし、正当な手段で落札できれば、無用な実力行使に出る必要も無いからだ。
余計な手間を掛けないためにも、穏便に事を済ませられればそれに越したことは無い。
「な、なんと……! 50万が出ました! 他にはいらっしゃいませんか?」
「ご、50万1千!」
煽るような司会の声に乗せられたのか、せこく値段を釣り上げる声が聞こえた。
「200万!」
突き放すように、私は一気に値段を釣り上げた。
周囲からは、驚愕と感嘆の声が漏れた。
「200万! 200万です! 他にはいらっしゃいませんか!?」
さすがに、希少種の奴隷とはいえ、200万もの大金を払うものは居ないだろう。
そう高をくくり、内心でほくそ笑んでいた。
「1000万!」
耳障りな濁声に、場が静まり返った。
思わずそちらに目を向けると、蝶仮面をつけた中年の男が、手を上げていた。
いちおう、人間のようだったが、短躯族もかくやと思われるほどに短身で横幅が広く、まるで妊婦のように腹が出ている。
くちゃくちゃと絶え間なく動かす口の周りには、ヒキガエルのような吹き出物が無数にあった。
私の視線に気付いたのか、男はいやらしく口の端を釣り上げた。
「なんと! 1000万が出ました! 他はいらっしゃいませんかっ!?」
司会の男が興奮したように客席を見回すが、声は無かった。
私自身も、500万程度しか持ち合わせは無い。
「いらっしゃらないようなので、1000万に決定いたしました!」
人知れず歯噛みする私を余所に、落札した男は、悠々と壇上に向かった。
司会の男に落札金を支払うと同時に、何事かを話しかけている。
何度かのやり取りの後、司会の男は、再び客席のほうへ向き直った。
「お客様方! お帰りにならず、今しばらく! 今しばらく、そのままお待ちください!」
その声に、帰り支度をしていた客達が訝しそうに振り返った。
「こちらの……」
言いながら司会の男は、落札した豚男に掌を向けた。
「落札者の方から、更に1000万の上積みがあり、なんとこの場で! 皆様に見せ付けてくださるそうです!」
見せ付ける……? いったい何のことだ。
司会の不可解な言葉に疑問を抱いたのは私だけではなく、他の帰り足だった客達は、その場で訝しげに落札者である豚に目を向けた。
自分に集中する視線に鼻息を荒くしながら、豚はまったく予想外の行動に出た。
なんと、もったいぶった動作でズボンを脱ぎ始めたでのだ。
その行為に私はぎょっとした。まさか、この男……
ズボンを脱ぎ捨て、下着に手を掛けたところで、他の客達もようやく状況を理解したらしく、壇に詰め寄らんばかりにして、歓声を上げはじめた。
悪趣味にも程がある。
わざわざ、自分の「行為」を大多数の人間に見せつけようとしているところなど、常軌を逸しているとしか思えない。
そして、それを歓声をもって迎える客達も、やはりまともではない。
少年はというと、顔面蒼白で、イヤイヤと首を振りながら、男から少しでも離れようと後ずさる。
その哀れな仕草が、男と観客の嗜虐心を刺激するのは、テント内は爆発的な熱狂に包まれていた。
(そろそろ、潮時か)
極力穏便に済ませたかったのだが、事ここに至っては致し方ない。
それに、当然といえば当然だが、ここにいる連中はろくでなしばかりだ。
遠慮する必要は全く無いだろう。
私は、テント内の明かりを消すため、方術を起動した。
途端に、会場内に突風が吹き、テント内の明かりが全て消えた。
「な、なんだ!?」
「おい、暗いぞ! どうなってるんだ!」
観客達から困惑したような声が上がった。
中には、うろたえて、近くにいる奴隷商に食って掛かる者もいた。
壇上で少年を組み敷こうとしていた男も、股間の醜悪なものをぶらつかせながら、困惑したように周囲を見回している。
更なる混乱を誘発するため、私は密かに潜ませていた式神に指令を与えた。
霊力が尽きるまでの間、視界に入るもの全てをなぎ払え、と。
「オルルルルルルアアアアアアアアアアアァァァァ!!」
けたたましい雄叫びと共に、会場の片隅に黒い影が立ち上がった。
近くにいた何人かが、突然あらわれたそれに弾き飛ばされ宙を舞った。
テントの天井まで届くかという長身の全身黒一色のそいつは、私が忍ばせておいた式神だ。
式は、赤く光る目で周囲を睥睨する。理解不能な事態の連続に、客達の動きが止まった。
呆けたように口を開け、私の式を見つめている。
私は群集の中に身を滑り込ませると、声の限り叫んだ。
「きゃあああああああ!! 化け物! 化け物よおおおおお! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ殺されるわ!!」
私の声に、群集ははっとしたように我に返った。
それからは、蜂の巣を突いたような大騒動だ。
私の式から逃げようとして一つしかない出口に殺到し、突き飛ばされて転倒したり、将棋倒しになる有様だ。
倒れたり下敷きになった者が哀れっぽい悲鳴を上げるが、もちろん誰も取り合う者はいない。
私は連中の流れに逆らい、合間を縫うようにして、壇上に飛び上がった。
壇上では、例の豚男が、何事かを喚きながら、少年の髪を鷲掴みにして引き立てようとしている。
私は素早く駆け寄ると、豚男の横っ面に蹴りを叩き込んだ。
男は形容し難い悲鳴をあげ転がった。
「君! 大丈夫か!?」
「殴らないで……!」
それが、私に対する第一声だった。
一瞬呆然としてしまったが、私は心配ないというふうに微笑み、頭を庇うようにして震える少年を抱き締めた。
「大丈夫。心配ない。私は君の味方だよ」
台詞の中に精神の安定を保つ式を織り込み、少年の耳元で囁いた。
強張っていた少年の身体から、すっと力が抜けるのが分かった。
上手く式が浸透したようだ。
私は少年を抱き抱え立ち上がった。
「き、貴様っ! それはワシの買った奴隷だぞ!?」
先程蹴り倒した豚男が、立ち上がって何やら喚きながら掴み掛かってきた。
その突進を躱し様に、股間に強かに蹴りを叩き込んでやった。
悲鳴を上げてひっくり返るそいつの股座に、二度三度と、動かなくなるまで蹴りを叩き込む。
この際、二度と使い物にならないようにするのが、世の中のためだとばかりに、容赦なく足蹴にした。
聞くに堪えない醜悪な悲鳴を上げた後、豚はすぐに動かなくなった。死んではいないだろうが、暫く動けまい。
「さあ、ここを出よう。もう少しの辛抱だ」
少年に囁き、私は出口に向けて走り出した。
未だに出口で押し合い圧し合いを繰り返している邪魔な連中を蹴飛ばし、あるいは踏み台にして、テントの外に飛び出した。
式神は私の呪力が尽きるまで暴れる設定にしてある。もうしばらくは、時間を稼げるだろう。
「大丈夫。何も心配することは無い。今はゆっくりお休み」
睡眠導入の方術を会話に織り込んで囁くと、たちまち少年の身体がくたりと弛緩し、安らかな寝息を立て始めた。
私は少年が眠りに落ちたことを確認し、拠点にしている建物に向けて走った。
多少のイレギュラーはあったものの、ここまでは想定の範囲内だ。
あとは、この少年を私の目的に使えるよう、教育するのみだ。