21
野盗の襲撃や、そのショックで産気づいた奥さんのお産が始まったりと、色々あったけど、その後は特に何の問題も起こらず、無事にフトマシーナ王国領内に入った。
馬車は、この国の玄関口である交易の要衝、テルナーテという街に辿り着いた。
検問を無事に終了して、馬車隊は街の中に入っていった。
その際、検問所の兵士に、道中で野盗の襲撃にあったが撃退し、退治した野盗共については、身動きできないように縛り付けてその場に放置していることを、護衛の責任者であるヘイムダルが告げた。
どうやら、野盗の存在は街でも問題になっていたらしく、すぐさま捕縛するための部隊が派遣されることになった。
慌しく現場に向かう兵士達を横目に、俺達は馬車を降りた。
「本当に、なんとお礼を言って良いのか……」
生まればかりの赤ん坊を抱いた奥さんが、姉さんに向かって何度も頭を下げていた。
奥さんに寄り添うようにして、旦那さんも同じように頭を下げていた。
「お気になさらず。袖摺り合うも……というものですわ」
そう言って微笑む姉さんの隣で、俺はその通りだとばかりに頷いた。
うん。何もしていないくせに、なんか偉そうだよな。
「きちんとお医者様には診てもらってくださいね」
奥さんに抱かれて眠る赤ちゃんを優しげな眼差しで見つめながら、姉さんは念を押すように言った。
「赤ちゃんもそうですが、あなたご自身も、予期せぬ出産で疲労が溜まっているはずです」
旦那さんと奥さんは、揃って神妙な顔で頷いていた。
「よう」
何度も振り返り頭を下げつつ去っていく夫婦を見送っていると、ヘイムダルが声を掛けてきた。
退治した山賊共には、けっこうな額の賞金が懸けられていたらしく、山賊退治に尽力した姉さんに分け前を渡しに来たらしい。
そう言ってヘイムダルのおっさんは、報奨金が詰まっているらしい皮袋をこちらに突き出して来た。
「いいえ、私は結構ですわ。皆様でお分けください」
姉さんはやんわりとそれをヘイムダルに押し返した。
そう答えるのを予想していたのか、ヘイムダルはそうかと言っただけで、押し付けるようなことはせずに引っ込めた。
「あんた達は、これからどうするんだ?」
「この街の神社組合に用があるので、そちらに向かいます。この子の……」
そう言って姉さんは、俺の肩に手を置いた。
「組合への登録がありますので」
俺は頷いた。
この国へ来た目的は、神社組合で神職見習いとして登録するためだ。
そうしておけば、今後何かと便利にもなる。
「そうか。暫くは近くの宿にいるから、気が向いたら寄ってくれ。奢らせてもらうよ」
「ええ、機会があれば」
「この前のリベンジもしたいからな」
「あらあら……受けて立ちますわよ?」
挑戦的な笑みを浮かべるヘイムダルに、姉さんは巫女服の袖口で口元を隠しながら、奥ゆかしく清楚な笑みを見せた。
ライミィでの呑み比べの事を言っているんだろう。
あんな醜態を晒したくせに、まだ姉さんに挑戦するつもりらしい。
まあ、好きにすればいいけど、また潰された挙句、今回の仕事の報酬をパーにする羽目になるぞ。
「シンタロー、あんまりねーちゃんを困らせるんじゃねえぞ?」
「おっさんも、飲み過ぎないようにね」
「おっさんじゃねえ。じゃあな」
ヘイムダルは皮袋を懐に収め踵を返すと、後ろ手を振って去っていった。
「では、私達も行くとしよう」
「はい、姉さん」
俺は姉さんに連れられて、この街にあるという神社組合の支部に向かった。
組合の支部は、この街の神社の境内にあるらしい。
一守神社という社名で、この地方の一宮らしく、結構な大きさだった。
祭神は、この世界の神道で天界随一の知恵者とされている『八十多津束命』だ。
日本神話の思兼神に相当する神様だ。
「なんか人が多いね」
一宮なのだから、普段から参拝客はそれなりにいるのだろうけど、参道ですれ違う人がずいぶんと多かった。
「そうだな。もしかしたら、祭りでもあるのかもしれないな」
へえ~、祭りか。
言われてみれば、行きかう人達は参拝客というよりも、道具を担いだ氏子や宮大工っぽい人のほうが多い。
現在、絶賛準備中といったところなんだろうか。ちょっと楽しみ。
「急ぐ旅でもないんだ。お前の申請と登録が済んだら、少し見物して行こうか」
「うん」
すれ違う神職らしき人と挨拶を交わしながら、俺と姉さんは、境内の隅にある社務所のような建物に向かった。
日本だと、少し大きめの神社には、社務所が会館と併設されていて、中で休んだり会合を開いたり出来るようになっているが、この神社の社務所もそんな感じのようだった。
「御免ください」
「はーい」
どこかのんびりとした返事が、社務所の奥から聞こえてきた。
ぱたぱたという音と共に姿を見せたのは、金髪碧眼の綺麗な女性だった。
美しい黄金色の髪を首の後ろで束ね、巫女装束を身に纏っている。
格好は、日本の神社でも良く見る巫女装束で、姉さんとは違い、袴はスカートタイプの行灯袴だ。
耳に耳朶が殆ど無く、先端が笹の葉のように長く尖っている。
ロゥイと並ぶ長命種のひとつ、長耳族のようだ。
長耳族は、日本のファンタジー物では定番のエルフに良く似た種族だ。
「あら、あら、あらあらあらあら……」
女性は俺達を、というか、姉さんを見た途端、驚いたように大きく目を見開いた。
「誰かと思えば、ハヅネちゃんじゃない~。久しぶりね~。元気だった~?」
「ケーネではないか。なぜ、貴女がここに」
「ちょっとね~。今はね~、ここの組合の支部というか~、神社にご厄介になってるのよ~」
どうやら、姉さんの顔見知りらしい。
黙って二人のやり取りを見守っていると、ケーネさんは俺のほうに笑顔を向けた。
「は、はじめまして。シンタローと言います」
「あらあら、はじめまして~。ハヅネお姉さんのお友達のケーネよ~」
ちょっと間延びした口調と良い、包容力のありそうな優しげな笑みと良い、姉さんとは別の意味でお姉さんっぽい人だ。
「ねえ、ハヅネちゃん。この子がお婿さん?」
「そうだ。私の弟ということにしている」
「なるほどね~。ついに見つけたのね~。羨ましいわ~」
姉さんの友達ってことだけあって、目的も知っているみたいだ。
「ところで、何の御用かしら~?」
「うん。この子の協会への登録を申請したい」
「分かったわ~。宮司様を呼んでくるわね~。とりあえず、入って待ってて~」
やってきたときと同じような足取りで、ケーネさんは去っていった。
俺達は、履物を脱いで社務所に上がると、待合室のような部屋に入った。
「姉さん。あの人、知り合い?」
待つまでの間、俺は長耳族の巫女さんについてた尋ねた。
なにしろ、数少ない姉さんの顔見知りだ。
否が応にも興味がわいてくる。
「アカツキ・ケーネ。私と同じ歩き巫女だ。まあ、そこそこ長い付き合いではある」
アカツキ・ケーネさんか。
姉さんは、身内と他人を明確に線引きする人だ。
弟である俺には一切何も飾らず接しているが、それ以外の人には基本的に、清楚で淑やかな巫女の仮面を被って、慇懃な態度を崩さない。
そんな姉さんが、気を使わずタメ口をきいているところを見ると、それなりに親しい間柄なのだろう。
そうこうしているうちに、ケーネさんがパタパタと戻ってきた。
「お待たせ~、宮司様を連れてきたわよ~」
ケーネさんが、宮司と思われる狩衣姿の男性と一緒に戻ってきた。
人間の男性で、歳は30代半ばぐらいだろうか。狩衣の上からでも分かるほどに、筋肉質でがっしりとした身体つきをしている。
首の辺りの筋肉が盛り上がっているし、上半身が逆三角に近くなっている。
柔和な笑みを浮かべてはいるけど、顔に過ぎり傷があるし、けっこう武闘派な人なのかも知れない。
このマッシブな宮司さんが、協会の支部長も兼任しているらしい。
俺と姉さんは立ち上がり、揃って頭を下げた。
自己紹介を済ませた後、姉さんが事情を説明し、弟である俺を神職見習いにしたいことを伝えた。
宮司さんは終始笑顔で、時折姉さんの話に相槌を打ちながら、話を聞いていた。
「従二位の巫女であるヒムカくんの推薦なら問題はないだろうが、いちおう規則だからね。簡単な試験を受けてもらうよ」
「は、はいっ」
思わず姿勢を正す俺に、宮司さんは緊張しなくてもいいというように微笑んだ。
てっきり、場所を移してやるのかと思っていたけど、姉さんやケーネさんが同席したまま、試験が始まった。
そして始まった試験、というか問答だったが、拍子抜けするほど簡単なものだった。
内容は、この世界での神道における神話的な意味での成り立ちや、神職者にとっての常識といえる作法についてなどだ。
何れも、姉さんにしっかりと仕込まれていた事だったので、宮司さんの問題に、淀みなく答えることが出来た。
「はい、結構です。特に問題はありませんね」
どうやら、合格らしい。ガチガチに緊張していた俺は、大きく安堵の息を吐いた。
もし、不合格なんてことになったら、姉さんの顔に泥を塗ることにもなるが、これで一安心だ。
その後は、神社組合の一員である心構えやら何やらなんかの説明を一通り受けて、直ぐに神職見習いである『出仕』の身分証が発行された。
あとは神職としての経験を積んで行き、昇任試験に合格することで、位を上げていくことになる。
「ところで、二人はこの後、予定などはあるのかなかな?」
「いいえ。特にこれといった予定はありません」
宮司さんの問いに姉さんは答えた。
「見ての通り、この神社は現在祭りの準備をしている。良ければ、手伝ってもらえないだろうか。もちろん、寝泊りする場所や食事はこちらで用意する」
姉さんが、どうする? というふうに俺を見た。俺は構わないと頷いて見せた。
「分かりました。お手伝いいたします」
姉さんは宮司さんに、了承する旨を返答した。
「弟の神職としての修行にもなるでしょうし」
「まあ、それは助かるわ~」
手をぽんと合わせて喜色を浮かべたのは、ケーネさんだった。
「ハヅネちゃんの神楽舞なら、ご参拝に訪れた方々も、きっと満足するわ~」
「……私が舞うのか?」
姉さんは戸惑い気味にケーネさんを見つめた。
通常、神楽舞はその神社の巫女が舞を担当する。
技術や容姿は重要だが、それ以前に、自分の神社の神様をもてなすのは、その神社の神職が基本だからだ。
巫女の居ない神社や神職の常在しない兼務社ならそういうこともあるだろうが、一宮であるこの神社では考えられない。
「これ、ケーネくん。ヒムカくんにお願いするのは筋違いですよ」
当然そのことを理解している宮司さんは、ケーネさんを窘めた。
「私と一緒なら問題ないでしょう?」
「いや、貴女も歩き巫女だろう」
呆れる姉さんに、ケーネさんは意味深な笑みを向けた。
「実は私~、もう歩き巫女では無いの~。この神社の常在巫女なのよ~。だから、何の問題もないわ~」
確かに、神社の巫女が一緒に舞うのであれば、何も問題は無い。
姉さんは、ケーネさんの発言に少し驚いていたようだったが、それならばと頷いた。
「申し訳無いね。うちの巫女が」
「いいえ、構いません。神楽舞なら得意です」
「そうですよ~、宮司様~。ハヅネちゃんの神楽舞は、どんな荒御魂でも鎮める素晴らしいものなんですよ~」
「何を大袈裟な……」
苦笑いを浮かべつつも、姉さんは満更でも無さそうだ。
俺自身、これまでの旅の中で、姉さんが神楽舞で荒ぶる神を鎮める様を何度か見てきているので、ケーネさんの言っていることは、別に大袈裟でもなんでもない。
こうして、姉さんと俺は、祭りが終わるまでの間、この神社に滞在することとなった。