18
「シンタロー君は、旅は長いのかい?」
旅を始めたときに比べ、他の乗客とはかなり打ち解けた雰囲気になっていた。
そんな乗客達の中でも、特に親しげに話しかけてくれるのが、姉さんに御祓いをお願いしてきた、奥さんが身重な若い夫婦だ。
もうすぐ自分達が親になるということもあってなのか、馬車の乗客の中で唯一の子供である俺を、何かと気に掛けてくれている。
「5,6年ぐらいになります」
姉さんと出会ったのが、だいたい5,6歳ぐらいのときだから、だいたいそんなもんだろう。
「へえ、そりゃすごいな」
「まあ、そんなに!」
夫婦は揃って目を見張った。
以前にも、旅先でこんな反応をされたことはある。
俺みたいな子供が旅暮らしというのは、やはり珍しいものらしい。
「辛くはない?」
「姉さんが一緒なので、平気です」
気遣わしげな奥さんに、俺は笑顔で頷いた。
「シンタロー君は、お姉さんのことが本当に好きなのね」
「はい。大好きです」
本当のことだし、別に隠すようなことでもないので、何のてらいもなく即答した。
「ははは。大きくなったら、姉さんと結婚するつもりかい?」
「もう、何言ってるのよ、あなたったら!」
二人はそう言ってひとしきり笑いあった。
「とても良い子ですね」
「はい。自慢の弟ですわ」
傍で俺達のやり取りを眺めていた姉さんが、どこか自慢げな笑みを浮かべ頷いた。
今この時だけを考えると、とても野盗の襲撃を受けようとしているとは思えない。
そんな和やかな時間を過ごしているうちに夜はすっかり更けていき、馬車の乗客達も眠りについていった。
「それじゃ、おやすみ。ハヅネさん、シンタローくん。早く休まないと駄目よ?」
「ええ。私達もすぐに休みます」
「おやすみなさい」
就寝の挨拶を済ませた後、夫妻は揃って横になった。
程なくして、安らかな寝息が聞こえてくる。
他の同乗者達も、既に眠りについているようだった。
「お前も早く寝なさい」
「姉さんは……?」
「私はもう暫く起きているよ」
姉さんは僅かに目を細め、少し遠い目をしていた。
上空を遊弋する2体の式神と意識を同調させて、周囲の様子を探っているのだろう。
複数の式神を同時に制御しているのだから、かなりの負担が掛かっているはずだ。
「うん、分った。おやすみ、姉さん」
少しの逡巡の後、俺は素直に頷いた。
起きていたところで、何の役にも立たない。
それならば、少しでも休んで体力を温存し、いざというときにすぐに動けるようにしておいたほうが良い。
そのほうが、姉さんの負担を少しでも減らせるはずだ。
俺は荷台に寄り掛かって目を閉じた。
……が、眠れない。
身体は疲れてきっているんだけど、妙に頭が冴えて眠りにつくことが出来ない。
なかなか寝付くことが出来ず、何度かもぞもぞと身動ぎしていたら、姉さんが俺の肩を抱いて自分のほうに抱き寄せてきた。
現金なもので、そうやって抱き締めてもらうと、それまで感じていた不安はあっという間に消し飛んでしまった。
姉さんの心地よい体温に誘われるようにして、俺は眠りへと落ちていった。
不安げなシンタローの肩を抱いてやると、ようやく安心したのか、私にもたれかかるようにして、安らかな寝息を立て始めた。
山賊の襲撃が始まれば、シンタローがこの旅で親しくなった人々にも危害が及ぶかもしれない。
シンタローは彼らの身の安全を気に掛けているようだ。
私としても、出来うる限りのことはするつもりだが、あくまでシンタローと私の安全が最優先だ。
極論してしまうのなら、私達さえ無事であれば、それで良いのだ。
とはいえ、あまり後味の悪い思いをしたくはないし、何より、シンタローの悲しむ顔を見たくは無い。
せめて、同じ馬車に乗り合わせている人々だけでも助けてやりたいとは思う。
山賊の襲撃が始まったら、この馬車を死守するという方針に決めた。
二体の式神――飛鷹と隼鷹を通して崖上の見張りを継続していると、馬車の車列を見下ろせる位置に移動しようとしている幾つもの黒い影を確認した。
予想していたよりも数が多い。
ざっと見渡してみたところ、30人といったところだろうか。
この弓で奇襲をかけ、混乱したところを隘路の前後から挟撃するという算段なのだろう。
ヘイムダルの予測どおりの展開だ。
奇襲にこれだけの人数が割けるところを見ると、かなりの大所帯なのだろう。
『飛鷹。その場で監視を継続しろ。隼鷹は、ヘイムダルの元へ』
私は即座に式神達に指示を飛ばした。
ヘイムダルは、クライアントの馬車の傍で剣を抱えるようにして腰をおろし、夜番を続けていた。
夜番についている傭兵は他にもいたが、彼以外の者は、緊張感の欠片も無い様子で舟を漕いでいる。
そんな同僚達の様子を、ヘイムダルは苦々しい目で睨みつけていた。
「おっ? お前はハヅネの……」
隼鷹の接近に気付いた、ヘイムダルはこちらに顔を向けた。
『ヘイムダルさん。現れました』
隼鷹を通して、私はヘイムダルに用件を伝えた。
『現れました。崖上に30人程度。弓矢での初撃が予想されます。その後の混乱に乗じて、前後から挟撃するつもりでしょう』
「ちっ! 予想通りってわけかよ!」
舌打ちしつつ、ヘイムダルは立ち上がった。
「おい、起きろ! 敵襲だ!」
ヘイムダルは、眠りこけている同僚達を怒鳴りつけながら、拳骨を落としていく。
まだ寝ぼけているのか、たたき起こされた傭兵達は、口々に文句を溢していた。
『後はお任せします。私はシンタローを守らなければなりません』
一言告げると彼からの返答を待たず、隼鷹を上空に戻した。
乗客達の混乱を招く恐れがあるが、山賊達に奇襲が露呈していることを知らしめてやらねばならない。
欲を言えば、そこで算を乱して引き上げてくれればよいのだが、さすがにそこまで都合よくは行くまい。
夜気をつんざく高く鋭いホイッスルのような音に、俺は飛び起きた。
それが、姉さんの式神が放った警告音であることにはすぐに気付いた。
「来たぞ、シンタロー」
姉さんの緊張を孕んだ声に、一瞬にして俺の眠気は吹き飛んだ。
「な、何だ、今の音は……」
「いったい、なんなの……?」
同じ馬車に乗っている乗客達が、不安そうに囁きあっているのが聞こえてくる。
馬車の外からは、護衛の傭兵達のものと思われる怒号が聞こえていた。
「みなさん。盗賊の襲撃です」
姉さんが冷静な声で告げると、一瞬にしてざわめきが収まり、皆の視線が姉さんのほうに向けられた。
その一瞬の機会を見逃さず、姉さんは言葉を重ねる。
「しかし、心配はいりません。歴戦の傭兵が守っておりますし、土地神の加護もこちらにあります」
夜目の聞かない乗客達には、姉さんの表情は見えないだろうが、安心感を伴う落ち着き払った声は深く浸透しているようだった。
不安そうな表情をして入るが、素直に姉さんの言葉に耳を傾けている。
姉さんの言葉の節々に、精神操作系の方術が織り込まれていることに気が付いた。
乗客達を落ち着かせるためだろう。
「決して、ここから動かないでください。そうすれば安全です。宜しいですね?」
念を押すように付け加えると、暗闇の中で乗客達は、神妙に頷いた。
その中には、俺を気に掛けてくれていたあの若い夫婦もいる。
「シンタロー、お前もここに居なさい。いいね?」
「はい、姉さん。気をつけてね」
姉さんは心配するなというふうに微笑んだ後、馬車を飛び出していった。
姉さんが飛び出して行った後、馬車の外からは護衛の傭兵や山賊の上げる鬨の声や悲鳴、武器と思われる固い金属同士を打ち合わせる音などが聞こえてきた。
姉さんを信頼していないわけではないけれど、やはり心配になってくる。
今回は、前回のようなゴロツキ紛いの連中とは違い、略奪を本業としている山賊だ。
だけど、俺が付いていったところで、邪魔になりこそすれ、何の助けにもならない。
歯痒いけど、大人しくしているしかない。
「うひゃっ……!」
突然、轟音が響き、馬車の中にまで閃光が射し込み、俺を含めた乗客の何人かが首をすくめた。
姉さんのトラップに山賊が引っかかったのだろう。
微かに、馬の嘶きや野太い男の怒号も聞こえてくる。
なんか俺って、勇者様の無事を祈るだけの、無力で無能なお姫様みたいだ。
そんな考えが頭に浮かんで、ちょっと鬱になった。