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「こんなところで良いだろう」


 方術を仕込み終えた姉さんは、手の埃を払いながら立ち上がった。


「これで、少しは時間稼ぎになれば良いのだがな。襲撃が無いのが一番だが」


 姉さんが隘路の前後に設置したのは、火系統と風系統の方術を組み合わせて作った応用式で、強烈な閃光と爆音を発する目晦まし方術だ。

 姉さんによると、攻撃力こそ無いものの、閃光と爆音はかなりのものらしく、至近距離で食らうと失明や鼓膜を損傷する可能性もあるらしい。

 特に相手が騎馬なら、馬を混乱させる効果も見込めるとのことだ。

 罠を仕掛ける姉さんについて歩きながら、俺は馬車の乗客や同行している隊商の様子を伺ってみた。

 もうすぐ、快適とは言えない馬車の長旅が終わるとあってか、殆どの人が、緊張感に乏しい楽観的な表情をしていた。

 こんな素人目に見ても、襲撃に格好の地形で一夜を過ごすにも関わらずだ。

 傭兵や冒険者としての経験が豊富だろうヘイムダルが、あそこまで明確に襲撃の可能性を示唆したということもあり、俺は不安で仕方が無かった。


「大丈夫だ、シンタロー。何が起きても、お前は私が守る」


 不安そうにしている俺を案じてか、姉さんが頭を撫でてくれた。

 姉さんの事は信じているし、言うとおりにしていれば何も問題ないと分ってはいるけれど、それでも完全に不安を払拭するなんてことは出来ない。

 それに、常々思うことだけど、いつも守られてばかりというのが、なんというか情けない。

 せめて、自分の身だけは自分で守って、足を引っ張らないようにしなければならない。

 姉さんの負担を減らせば、それだけ周囲に気を配ることが出来るのだから。


「今あれこれ考えていても仕方が無い。馬車に戻って早めに休むとしよう」

「はい、姉さん」


 自分達の馬車に戻る途中、他の乗客達が俺達に挨拶をしてきた。

 数日前の御払いの一件以来、乗客の何人かが、俺達に気さくに声を掛けてくるようになっていた。

 子供好きな人の中には、俺にお菓子をくれたりなんて人もいた。

 まあ、男連中は、弟である俺をダシに、姉さんとお近づきに……なんて下心を抱いていた輩が大半なんだろうけど。


「いったい、いつになったら目的地に着くんだね!」


 そんな濁声が聞こえてきたのは、車列の中央付近に差し掛かったときだった。

 馬車隊の車列は、中央部に個人の専用馬車を使っているお大尽や交易品などの大事な積荷が集中して配置されており、護衛もそれを中心にするように配置されている。

 馬車隊の責任者らしき男に食って掛かっているのは、恰幅の良い派手派手しい格好の男だった。原色をふんだんに使った服のデザインが目に痛い。

 これが俺達のような乗合馬車の一般客なら取り合わないのだろうが、相手は専用馬車を利用している上客だ。

 揉み手摺り手をしながらヘコヘコと頭を下げて、歯の浮くような謝罪を繰り返している。

 この谷を抜ければすぐに着きますからと説明しているが、派手な身なりの男は全く話を聞こうとせず、口汚く罵ることを止めなかった。

 個人的な護衛なのだろう、その男の傍には、目付きの悪い二人の男が侍っていて、何事かと注目する他の乗客に睨みを利かせていた。

 俺と姉さんは、特に気に留めることはせず、傍を通り過ぎて自分達の馬車に向かおうとした。


「おい、お前。そこの歩き巫女」


 濁声に振り返ると、声の主は、馬車の責任者に文句を垂れていた金持ち風の男だった。

 本来なら、客同士のトラブルを止めるべき責任者は、自分から注意が逸れたことをこれ幸いと、そそくさと立ち去ってしまった。


「私でしょうか?」


 姉さんはいつ見ても見事としか言いようの無い巫女スマイルで、男に向かって微笑みかけた。

 男は頬の弛んだ顔に厭らしい笑みを浮かべ、好色そうなねちっこい目で姉さんを眺め回した後、足元に何かを放り投げてきた。

 金属質の音を立てて転がったそれは、数枚の金貨だった。


「街に着くまでの間、退屈で適わん」


 頬肉を震わせながら、男はくぐもった声を上げた。


「俺の馬車に来い。一晩相手をしろ」

「こ……!」


 この野郎! と激昂しそうになった俺を、姉さんはやんわりと制した。

 歩き巫女=売春婦という拭い難いイメージがあるこの世界では、これまでにもたびたび似たような事があったが、何度経験しても慣れる事ができない。


「申し訳ありませんが、そういった事は出来かねます。私は組合所属の正式な巫女ですので」


 表面上はあくまでも下手に、相手の心証を出来るだけ傷つけないように、姉さんは深々と腰を折って頭を下げた。

 しっかりと断りを入れてやれば、たいていの場合は、バツが悪そうに引き下がるんだけど、予想通りというかなんと言うか、このおっさんは違った。


「なんだと……」


 おっさんは気色の悪い顔を更に怒りに歪めた。

 周囲では、乗客達がそんなやり取りを不安そうに眺めている。

 さっきまでおっさんに難癖を付けられていた馬車隊の責任者は姿も見えない。

 遠巻きに様子を伺っている人々の中にはヘイムダルも居たが、助けに入る気は無いらしい。

 それどころか、おもしろそうにニヤニヤとした笑みを浮かべていやがった。

 姉さんの手並みを拝見したいという腹積もりなのかもしれない。


「貴様、俺を誰だと思っている! 豪商ミゲロビッチだぞ!」


 こういうのって、やっぱりどこにでも居るんだな。

 根拠も無く自分は大物で、理由も無く周囲の人々は自分に傅くのが当然と考えている奴。

 日本にも、全く同じ台詞を吐いた挙句、団扇で叩くなんて暴行を働いて、ネットで暴露されて見事に落選した議員センセがいたっけなぁ。

 このミゲロなんとかさんもそのクチなんだろう。


「存じ上げません」


 姉さんは、激昂して声を張り上げるおっさんに対して、涼しげな笑顔で即答してのけた。

 これには、周囲で不安そうに見守っていた人達の間から、忍び笑いが漏れていた。

 身なりからすると、どこかの大金持ちか何かなんだろうけど、そんなことは俺達の知ったことじゃない。


「こ、この犬女……!」


 この手の人間に共通する点として、沸点が異様に低い。

 顔を怒りで赤黒く染めたおっさんは、掴みかかるように姉さんに手を伸ばした。


「私は、組合に所属する正式な巫女だと申し上げたはずですが、この意味が理解できますでしょうか?」


 姉さんの胸倉に伸ばされたおっさんの手が、触れる直前で止まった。

 神社組合は、二千年以上の歴史を誇る超国家的な組織だ。

 その構成員である神職や巫女に粗相を働くということは、組合を敵に回すことになる。

 口ぶりからすると商人らしいが、下手をしたら商売どころか、大手を振って外を出歩くことも出来なくなる。


「ふ、ふん! 本当に貴様が組合の巫女ならば、その証明があるはずだ!」


 辛うじて思い留まったおっさんだったが、素直に引き下がるつもりは無いようで、姉さんに身証みあかしを要求してきやがった。

 神社組合に所属する神職や巫女には、身分の提示を求められた場合、拒否できないという規則がある。

 国の枠組みを超えた様々な特権が認められているため、みだりに特権を濫用出来ないようにするための措置だ。

 一般にはあまり浸透していないが、身証を求めることは、歩き巫女がまともな巫女かどうか見分ける方法のひとつでもある。

 もっとも、日本の神社が全て神社庁に所属しているわけではないように、組合所属ではない神職や巫女もいるので、必ずこれで見分けられるというわけではない。


「どうした!? さっさと証拠を出してみろ!」


 どうせ吹かしだろうと高を括っているのか、おっさんは嵩に掛かって詰め寄ってきた。

 姉さんは変わらぬ笑みを浮かべたまま、おもむろに懐からICカード大の板状のものを取り出して、おっさんに提示して見せた。

 それをまじまじと確認したおっさんは、怒りで赤く染まっていた顔を急激に青ざめさせた。


「じ、従二位……だと。馬鹿な……」


 おっさんは、身分証に記載されてある姉さんの巫女神職としての位階に、呆然と目を見開いた。

 あんぐりと間抜けに口を開け放ったまま、おっさんの視線は、提示された証明書と、にこやかに微笑む姉さんの顔を何度も行き来した。

 神社組合も組織なので、位階と呼ばれる階級のようなものが存在する。

 位階は、正一位から従四位までの8階級。位の高い順に、正一位、従一位、正二位……という並びになる。

 その中でも、正一位については、血筋や家柄、その他政治的な理由で、通常は就く事ができない地位だ。

 そのため、従一位が一般の神職が就く事ができる最高位の位階ということになる。

 つまり、姉さんの従二位という位階は、実質的には上から3番目というかなり高い地位ということになる。

 通常なら宮司格や大社格を持つ大きな神社で、巫女頭をやるようなやんごとない位だ。

 おっさんが驚愕するのは無理のない話で、本来なら歩き巫女をやったりはしない。


「お気が済みましたでしょうか」

「ちっ……」


 優雅に微笑みかける姉さんに忌々しげな舌打ちを一つ残し、おっさんは取り巻きを引き連れて自分の馬車に引き返していった。

 周りで見ていた他の人々の反応は様々だったが、「偉そうな金持ちを追い払った巫女さん」といった感じで、おおむね姉さんに好意的なものだった。

 ただひとり、ヘイムダルだけは、期待外れだとでも言いたげな、つまらなそうな顔をしていた。いったい、何を期待していたんだか。


「馬車に戻りましょう、シンタロー」

「はーい」


 そんな茶番があったものの、それ以外で特別変わったことはなく、姉さんと俺は、自分達の馬車へと戻った。

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