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「はい、順番に並んでくださいね~」
俺は列の最後尾に向かって、声を大にして叫んだ。いま姉さんの前には、御祓いを希望する人達で長蛇の列が出来ていた。
始めに声を掛けてきたのは、若い夫婦への御払いの一部始終を見ていた、信心深そうな初老の女性だった。旅の安全を祈願したいという老婦人の申し出を、姉さんは快く引き受け、御祓いをしてあげた。もちろん、無料で。
すると、それを遠くから眺めていた他の客達まで、自分にも御祓いをして欲しいと次々に願い出て来て、あっという間に姉さんの前には、御祓いを希望する人達の列が出来上がってしまったのだ。
その中には、俺達と同じような馬車の乗客や隊商の商人だけではなく、護衛の傭兵の姿まであった。
信心深さや験担ぎからというよりも、綺麗な巫女さんとお近づきになりたいなんて、邪な考えを抱いている男も結構多く、神札を受け取るときに、何気なく姉さんの手に触れようとする不届きな輩もいた。
そんな下心満載な連中も含め結構な人数だったんだけれど、姉さんは苦にもせず、一人一人に短くとも丁寧な修祓を行っていった。
姉さんが旅先でこの手の頼みごとをされるのは珍しいことではなく、申し出を受けて断ることも殆ど無い。もちろん、金銭の類を要求することも受け取ることも無い。
「一目で貧乏人と分る連中から、金品を巻き上げても仕方が無いだろう」
少し前に、手間賃ぐらいは貰ったらどうかと聞いたとき、姉さんは僅かに俺から目を逸らしながらそう嘯いた。面倒なら断れば良いのだから、それが照れ隠しであることは明らかだった。
金を持っている相手からは容赦なく巻き上げているので、金銭に不自由していないというのもあるが、姉さんは基本的には一般人の味方だ。
もっとも、本人にそういうつもりは全く無いので、持ち出されるとあまり良い顔をしない。
それに、わざわざ「基本的に」なんて前置きしたのは、この前の移民連中のような、弱者を装ったり自分の行いの悪さのせいで立場が悪くなったような連中に対しては非常に辛辣で、罵倒の限りを尽くした挙句、踏み躙ることに何の躊躇も見せないからだ。
「随分と盛況だなぁ、おい」
残すところあと数人となり、ようやく希望者の列に終わりが見え始めてきた頃、俺の背に呆れとも感心ともつかない声が掛けられた。
振り返ると、そこには、苦笑を浮かべ軽く手を上げているヘイムダルの姿があった。
「御祓い希望なら、ちゃんと並んでね」
どうせ、こいつも姉さん目当てなんだろうと思っていた俺の口調は、かなりぞんざいで素っ気無いものだった。
「験担ぎなんざ、俺の趣味じゃねえ」
ヘイムダルは軽く肩を竦めた後、若干苦々しい表情で列のほうに目を向けた。
視線の先には、姉さんに御祓いをしてもらい、相好を崩している若い傭兵達の姿があった。
「まったく、だらしなく鼻の下を伸ばしやがって……」
ヘイムダルはそんな若い傭兵達について、プロとしての自覚が足りないとか、そんな愚痴をこぼし始めた。
それを言ったら、仕事の前日に姉さんに潰されて二日酔いだったこの人自身はどうなるんだろうか。まあ、だらしなく鼻の下を伸ばしてけしからんという点については、俺も完全に同意見だ。
それよりも、御祓い希望で無いのなら、いったい何の用だろう。
まさか、わざわざ愚痴をこぼしに来たわけじゃないだろうし。
「もうそろそろ、野盗共の襲撃があるだろうから、忠告をしに来ただけだ」
天気の話しでもするような何気ない口調で、そんな物騒なことをさらりと口にした。
「今こうしている間にも、そこらの暗がりから、野盗共が襲い掛かる隙を狙っているかもしれないぞぅ?」
単純に脅かしているだけだとは思うが、辺りは既に日が落ちており、焚き火の明かりが届かない範囲は墨汁をぶちまけたような真っ暗闇だ。何となくうそ寒くなった俺は、軽く身震いをした。
「……ヘイムダルさん。弟を脅かすのは止めていただけませんか」
背後からの声に振り返ると、若干非難がましい表情の姉さんが立っていた。
ようやく、希望者全員への祈祷が終了したようだ。
「お疲れ様、姉さん」
俺は姉さんの元に駆け寄ると、祈祷に使用した祭壇の後片付けを始めた。
「ああ、悪ィ悪ィ」
眉根を寄せている姉さんに向かって、ヘイムダルは謝罪するように軽く手を振って見せた。
「心配しなくても大丈夫よ、シンタロー」
姉さんは表情を緩めると、穏やかな笑みを浮かべながら、腰を折って片づけをしている俺の顔を覗きこんだ。
「たとえ何があっても、ヘイムダルさんが身を挺して命がけで護ってくれるはずよ」
からかうような笑みを浮かべ、姉さんはヘイムダルを意味ありげに見やった。
「そのための護衛ですもの。そうでございましょう?」
「……あんたらに護衛が必要だとは思えんのだがなぁ」
「まあ。それは聞き捨てなりませんわ」
憮然とした表情でヘイムダルが溜息混じりに零すと、姉さんはわざとらしく目を見開き、大袈裟に驚いて見せた。
「それは私達が亜人だからですか? 酷い話ですね。ヘイトではないのですか? 謝罪と賠償を要求しなければなりませんね」
「どこぞの国の移民みたいなこと言うなよ、ったく」
どこぞの国の移民とは、もちろん俺達が数日前に滞在していた国のことだ。
旅人のネタにされるくらい、政権交代前のあの国の移民の評判は最悪だったらしい。
「冗談はともかくとしてだ。そろそろ襲撃があってもおかしくはないってのは、脅しでも出任せでもない」
ヘイムダルは、さっきまでのおどけていた表情から一転して、真面目な顔つきになった。
「何か根拠があってのことなのですか?」
姉さんが軽く首をかしげながら、問いかける。ヘイムダルは、そうだとばかりに頷いた。
「今のこの状況を、どう思う?」
「特に問題も無く、順調に進んでいるように思えますが……?」
人差し指を軽く顎にあてながら、姉さんは答えた。
「そうだな。順調すぎるぐらいに順調だ。じゃあ、出発した直後はどうだった?」
「んー、みんな緊張してたかなぁ」
重ねて問いかけるヘイムダルに、今度は俺が答えた。
俺もそうだけど、野盗や妖怪がいつ襲ってくるかもしれないってことで、みんな結構ビクついていたように思う。
ああ、なんとなく、ヘイムダルの言いたいことが分ってきたぞ。
「今が正に、襲撃の好機だと、そう仰るのですね?」
姉さんも俺と同じ結論に達したみたいだ。
今の状況は、緊張が解れているといえば聞こえは良いが、明らかに楽観的過ぎる雰囲気が漂っている。
旅が始まった直後は、みんなそれなりに警戒していたけれど、日を重ねるうちにそれも薄れてきてしまう。人間の緊張感なんて、そうそう持続するもんじゃないし、だいいち緊張しっぱなしじゃ身がもたない。
そこを狙って、野盗が襲撃してくるってことなんだろう。
「今はまだ、街からも近い。だが、もう数日経過するころには、街からもそこそこの距離が出てくる。そうなれば、しめたものだ」
街から離れれば、それだけ勘付かれる確率が低くなる。仮に気付かれて自警団なり軍隊なりが派遣されたとしても、略奪してトンズラする時間は十分にあるってことなんだろう。
「ご忠告ありがとうございます。せめて、弟と自分の身だけは護るつもりです」
「ああ、そうしてくれ」
ぞんざいな口調で答えながら、ヘイムダルは苦々しい表情で若い傭兵達を見やった。
「あのとおり、護衛は使い物にならないだろうからな」
ヘイムダルの話を聞いた後だからだろうか、無警戒に同僚と談笑している彼らの姿は、非常に頼りないもののように見えた。
「この話は、他の乗客の方々にもお話ししたのですか?」
「いいや。いたずらに不安を煽るだけだからな。あんたらにだけだ」
「雇い主や同僚にはそれとなく忠告したんだが、話半分で真面目に聞いちゃいなかったな」
そんな危機管理で、大丈夫なんだろうか。
「俺の話はそれだけだ。まあ、気に留めておいてくれ」
ヘイムダルはそう言い残すと、俺達に背を向けて行ってしまった。
「本当かな、姉さん」
「あの男は、傭兵としてそれなりに経験を積んでいるのだろうから、あながち当てずっぽうというわけでも無いのだろう。プロ意識も高そうだしな」
まあ、他の傭兵に比べれば、そうなんだろう。でもさ。
「仕事に前日に、飲み比べをやって二日酔いになる程度だよ?」
そう疑問を呈すると、姉さんは軽く噴き出した。
「言うようになったな、お前も」
「保護者の影響かなぁ」
冗談めかしてそう言うと、髪の毛をくしゃくしゃにされてしまった。