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俺達を乗せた馬車を含む一団の旅程はほぼ順調で、2、3日は特に何事も起きず平穏に過ぎ去っていった。天気が崩れるということも無く、馬車の揺れさえ除けば、旅は快適と言っても良かった。
駅馬車は、目的地に到着するまでの間、いくつかの中継地点を通る。中継地点は小さな村だったり、馬を休ませるのに適した、少し開けた場所だったりと様々だ。
いま俺達がいる場所は、街道を行きかう駅馬車や旅人が定期的に利用している宿営地だ。誰でも自由に利用できる場所であるため、ちょっとした広場みたいになっていて、キャンプ場なんかにあるような簡易的な竈なんかも設えてある。近くには湖もあり、野営用に水を調達したり馬に水をやったりするのにも持って来いの場所だ。
既に日が落ちてしまったこともあり、今日はここで野営をすることになっていた。
乗客達は馬車を降りて、思い思いに寛いだり、持参した携帯食料を口にしながら乗客同士で談笑したりしている。出発した当初は、俺も含めて結構緊張している人が多かったが、懸念されていた野盗の襲撃も無く、今ではすっかりリラックスした雰囲気になっていた。
今回が初仕事らしい歳若い護衛の傭兵達(といっても、当然俺よりは年長だが)の間にも楽観的な空気が漂いつつあり、護衛の仕事が終了した後に、街でありつけるだろう酒と女の話に花を咲かせている。
隊商の商人達の中には、ここぞとばかりに、露天を広げて商売を始めたり、金を持ってそうな人に商談らしきものを持ちかけている商魂逞しい者もいた。
御者や馬丁は、そんな人々を横目に見ながら、のんびりと馬の世話をしている。
そんな人々から少し離れた場所で、俺と姉さんも手頃な石を椅子にして雑談を交わしているところだった。
なんとなく、周囲の視線を集めているような気がするのは、姉さんが巫女だからだ。
歩き巫女の存在自体は知っていても、普段はあまり目にすることはないし、何よりも格好が目立つ。
加えて、現在地に到着して早々、姉さんが土地神への祝詞を奏上していたというのもあるだろう。
こちらの世界では、神職者が旅先で土地神に祝詞を奏上するのは良く目にする光景ではあるが、それでも巫女が単独でやっているとなると結構珍しい。
「ねえ、あなた。あの巫女さんにお願いしてみたらどうかしら?」
「大丈夫なのか? 歩き巫女だぞ……?」
のんびりと寛いでいると、そんな男女のやり取りが耳に届いた。
何気なしにそちらに目を向けてみると、会話の主は20代前半ぐらいに見える若い人間の男女二人組だった。会話などから察すると、どうやら夫婦のようだ。その二人は、俺達と同じ馬車に乗っていた乗客だ。女性のほうは、お腹が大きく、一目で妊娠していることが分かる。そんな女性を気遣うようにして、夫と思われる男性が彼女の肩を軽く抱いて話しかけていた。
「さっきだって、神様にお祈りしていたじゃない。きっと、ちゃんとした巫女さんよ」
「そうだろうか……」
二人はこちらを気にしながら、何やら相談しているようだった。
「姉さん。あの人達、何か用があるみたいだね」
「そのようだな」
離れた位置にいる二人の会話だったが、俺達ロゥイの耳は、狼のような形状の獣耳ということもあってか、人間に比べて鋭敏な聴覚を持っている。小声で話している彼らの会話は、俺と姉さんには筒抜けだった。
奥さんのほうは、俺達に、というか姉さんに何かを頼もうとしているようだけど、旦那さんのほうはそれを思い留めようとしているようだった。姉さんが歩き巫女であることを警戒しているらしい。
「大丈夫よ。あんな小さな子を連れているんだし」
奥さんはちらりと俺に目を向けた後、言った。
小さな子……これでも俺、12歳ぐらいなんだけどな。子供には違いないけどさ。
「はぁ……分ったよ」
ついに根負けしたのか、不承不承といった感じで旦那さんは頷き、夫妻は連れ立ってこちらに近づいてきた。
「あの、すいません」
「はい。何でしょうか?」
姉さんは立ち上がると、営業スマイルを浮かべて二人に微笑み返した。
この営業スマイルを、俺は勝手に巫女スマイルと呼んでいる。
「見ての通り、妻が身篭っておりまして、臨月が近いのです」
旦那さんのほうがそう切り出すと、奥さんのほうは、自身のお腹を労わるように擦った。
話を聞いてみると、落ち着いた環境で出産したいという奥さんのたっての願いで、奥さんの生まれ育った村に向かう所なのだという。
その考えは分らないでもないけれど、身重な身体で長旅というのはあまり宜しくないんじゃないかと思う。万が一ということだってありうるわけだし。
「良ければ、無事出産できるように、巫女さんに御祓いをしてもらいたいと思って……」
「そのような事でしたら、お安い御用ですわ」
姉さんが快諾すると、夫婦の表情に安堵の色が浮かんだ。が、すぐに若干不安げな面持ちに変わった。
歩き巫女の中には、売春婦紛いの行為で日銭を稼ぐ者のほかに、高額な初穂料を請求する詐欺紛いの行為で荒稼ぎする不届きな者がいる。
しかも中には、高額な初穂料を吹っかけた挙句、支払いを渋ると呪いを掛けるとか何とかふざけた脅しを掛ける始末の悪い連中もいる。
一般の人々にとって、神職や巫女はミステリアスな存在で、中には全員方術を使いこなすと思っている人も多く、その手の詐欺被害が後を絶たない。
高額な初穂料でも請求されやしないかと心配しているのだろう。
「初穂料は頂きません。ご安心ください」
二人の表情からそれを察したのか、姉さんは不安を払拭させるように微笑んで見せた。
無料という答えは予想外だったらしく、夫婦は驚いたように目を見開いた。
「えっ。良いんですか……?」
躊躇いがちに問いかける奥さんに、姉さんはしっかりと頷いた。
「こちらも旅の身空で、正式な祝詞を上げることが出来ませんから」
「あ、ありがとうございます」
夫婦はしきりに恐縮しながら、揃って何度も姉さんに頭を下げていた。
その間に俺は、荷物の中から分割した簡易祭壇を取り出して組み立てを始めた。土地神に祝詞を奏上するときなど、旅先で簡易的な神事を執り行う時に使用するものだ。パッと見た感じ、日本のご家庭にある神棚に酷似している。
「弟さん……ですか?」
「はい。仕事の手伝いをさせております」
準備を続ける俺の背に、夫妻と姉さんの会話が聞こえてきた。
「可愛らしい男の子ですね。いくつになるのでしょう?」
「今年で12になりますわ」
姉さんの紹介に、作業の手を休めて夫妻のほうへ振り返ると、俺は躾の行き届いた良い子といった装いでぺこりと頭を下げた。
姉さんが仕事などで顧客の対応をする時は、なるべく無言で、それでいて悪い印象を与えないよう、礼儀正しく一歩退いた位置で控えることにしている。大人の話に割り込まない良い子というのが、たいていの依頼人には好まれるからだ。
「いやあ、しっかりした子だなぁ」
「そうね。あんな子が欲しいわ」
お陰で、若い夫婦もすっかり警戒を解いてくれたみたいだった。
そんな二人の会話を背に、俺は準備を終えた。
「姉さん」
「ええ」
荷物の中から取り出した修祓に使う大麻を姉さんに手渡し、俺の仕事は終わりだ。あとは、邪魔にならない位置で、祭事が終わるのを待つことになる。
姉さんは、頭を垂れる夫婦の頭上で、何度か交互に大麻を振りかざし、よく通る澄んだ声で、謳うように祝詞を唱え始めた。
安産や子宝をご利益とする神様は数多いが、その中でも特に有名なのは、この前も少しだけ触れた酒匂毘売命だ。
酒造の女神として有名な酒匂毘売は、その原料となる作物の五穀豊穣を司る女神とされ、転じて子宝や安産の神としても信仰されている。
大酒飲みの女を酒匂と呼ぶことがあるが、そんな揶揄が生まれるのも、人々の間にその名が深く浸透している証左だ。
日本神話で言うと、宇迦之御魂神に相当するんだろうか。神使が狐というところも共通している。
祈祷自体は、通常神社などで行われるものに比べてかなり簡略化されたものだったため、5分程度で終了した。
「ありがとうございます。お陰で気が楽になりました」
「お安い御用です。元気な赤ちゃんをお産みください。旅の安全をお祈り申し上げます」
深々と頭を下げる夫婦に向かって、姉さんと俺は会釈を返した。
「それから、これを」
立ち去ろうとする夫婦を呼びとめ、姉さんは懐から取り出した神札《御札》を渡した。
「す、すいません。こんなものまで頂いて」
夫婦は恐縮したように何度も頭を下げ、元の場所に戻っていく。
終始笑みを湛えたまま、姉さんは若い夫婦の背中を見送った。
「あの~……」
姉さんの隣で夫婦を見送っていると、横合いから声が掛けられた。
声のほうに向き直ると、そこに立っていたのは初老の女性だった。
「よければ、私にも御祓いをしてもらえませんかねえ……?」