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10

 外に出た俺は、宿の建物脇の裏路地を覗き込んだ。

 俺達が宿泊している部屋は、宿の表通りではなく、裏路地に面している。女の子が石を投げていたのは、そこからだったはずだ。

 ……いた。

 大人一人がようやくすれ違えるぐらいの広さのそこから、部屋の窓に石をぶつけた女の子がこちらを伺っていた。

 間違いない。ここに宿を取る直前、店からリンゴを盗んだとかで、小突き回されていたところを、姉さんが助けた子だ。

 俺と視線が合うと、女の子はさっと身を翻し路地の奥に姿を消した。


「ちょ、ちょっと待って!」


 俺は慌てて女の子の後を追いかけた。

 迷路のように入り組んだ辻を何度か曲がった先の袋小路のような場所で、少女は俺を待っていた。

 乱立する建物の合間に出来たそこは、ちょっとした広場のようにも見えた。

 片隅には不法投棄されたと思われるゴミが堆積していて、ちょっと嫌な匂いが漂っている。

 女の子はというと、煉瓦造りの壁を背にして、上目遣いにじっと俺のほうを見つめていた。

 改めて見てみると、歳は俺より少し下、10歳になるかならないかといったところだろう。

 顔立ちは整っているけど、全体的に痩せぎすで、薄汚れたみすぼらしい格好をしている。

 そして何より、俺を見るその子の目が、友好的とは程遠い険を含んだものであることが気になった。

 そのため、つい勢いで追って来てはみたものの、いざ声を掛けるとなると、少し躊躇してしまった。


「チッ、お前だけか。あの女は?」


 その子の口から出た言葉に俺は驚いた。

 口調もそうだったけど、いきなり舌打ちされたことに、根が小心者の俺はビクッとなった。

 あの女、というのは、もしかして姉さんの事を言ってるのか……?


「まあいい。早く食い物をよこせ」


 少しの間お見合いを続けた後、女の子はぽつりと呟いた。


「え?」


 何かの聞き間違いだと思った俺は、思わず呆けたように聞き返してしまった。

 すると女の子は、苛立ったような口調で、俺が想像もしていなかったことを言ってきた。


「食い物を寄越せって言ってるんだよ!」


 今度ははっきりと聞こえた。食べ物が欲しい? いや、寄越せだって?

 盗みを働かなければならないほどに、困窮していたというのはわかる。だけど。


「早くしろよ。お前らのせいでリンゴを食えなかったんだからな」


 立ち竦む俺の鼻先に、女の子はさっさとしろとばかりに掌を突き出して来た。

 反射的に一歩下がってしまう。


「え、あ、いや……」


 あまりにも斜め上過ぎる要求に、俺は頭の中が真っ白になってしまった。

 助けてもらった礼でも言われるかと思ったら、まさか突然食べ物を要求されるとは、完全に想像の外だった。

 もしかして、それだけの為に、俺達を尾行でもして、宿の場所を突き止めたのだろうか。


「い、今は、持ってないよ……」


 女の子の然も当然とばかりの要求に気圧された俺は、しどろもどろになりながらそう言い返すのがやっとだった。


「じゃあ、持って来い! 無ければ金を寄越せ!」


 部屋に戻れば、携帯食料ぐらいはある。宿の店主に頼めば、有料だけど何か作ってもらうことも出来るだろう。だけど、なんで赤の他人に意味も無くくれてやらなければならないのか。

 だいたい、盗みを働いてボコられていたところを助けてやったのに――助けたのは姉さんだけど――この恩知らずも甚だしい態度はなんなんだ。挙句の果てに、無ければ金を寄越せ?

 最初こそ、勢いに圧倒されて呆気に取られてしまったが、冷静になってくるにつれて、ふつふつと怒りが湧き上がって来た。

 さっきの宿屋の一件もあり、フラストレーションが溜まっていた俺は、非常識極まりない要求を突きつける少女に対して、悪口雑言を浴びせてやろうと口を開きかけた。

 その時、女の子の表情が変わった。視線が俺の背後の空間を凝視している。

 振り返ると、そこには姉さんの姿があった。苦笑とも微笑ともつかない微妙な笑みを浮かべてそこに佇んでいた。


「こんなところに居たのね、シンタロー」


 姉さんの若干咎めるような、それでいて優しげな声に、噴出しそうになっていた俺の怒りが急速に萎んでいった。


「あまり出歩いては駄目だと言ったでしょう?」


 俺の前にいる女の子のことなど、まるで気にも留めず、姉さんは俺の頭に優しく手を置いた。

 そのやわらかく暖かい感触に、俺の中に渦巻いていた怒りは完全に霧散してしまった。


「さあ、帰りましょう」

「う、うん……」


 少し気になったものの、姉さんに手を引かれるままに、俺は女の子に背を向けた。


「おい! 待てよ!」


 無視される形になった女の子が、俺達の背後に怒鳴り声を浴びせてきた。


「お前達のせいで、あたしは食いっぱぐれたんだぞ! 責任を取れよ!」

「私達のせい、ですか?」


 姉さんは、ゆっくりと女の子に向き直った。まるで、いま始めてその存在に気付いたでも言いたげな表情だった。


「そうだ! 謝罪しろ! 賠償しろ! 食い物か金を持って来い! 誠意を見せろ!」


 ほんの一瞬だけ、姉さんの目から一切の感情が消えうせた。そこらへんに転がる石ころでも見るような目つきに、俺の背筋が凍りついた。

 その表情は、俺を奴隷市場から助けてくれた時、俺を手篭めにしようとしていた豚の股間を粉砕したときのものに酷似していた。

 だけど、そんな剣呑な表情は、すぐに浮かんだいつもの営業用の笑顔に瞬時に掻き消えた。


「申し訳ありませんが、私達には他者に施しを与えるほどの余裕はございません」


 表面上は心の底から申し訳なさそうに、姉さんは女の子に向かって頭を下げた。

 姉さんは、相手が誰であろうと、表向き慇懃な態度を崩さない。

 たとえ、それが無礼千万な子供であってもだ。


「ふっざけんな! お前らのせいで、リンゴが食えなかったんだぞ! 賠償すんのが当たり前だろ!」


 こいつ! まだ言うのか!

 いったい、どこをどうすれば、そんな結論に達するんだ。

 脳味噌が糞にでもなっているのか。

 一時は収まった怒りが再燃しそうになったが、姉さんに手を引かれて不発に終わってしまった。

 少女の罵声を背に浴びながら、俺は姉さんに連れられてその場を後にした。


「シンタロー。腹を立ててはいかんぞ。あの子は犠牲者なのだからな」


 俺の手を引きながら、姉さんは耳元に囁きかけてきた。

 さっきの場所からは相変わらず、俺達に対する尽きることの無い罵声が響き渡っていた。

 その戯言の中に差別だとか人権侵害だとかいう単語が混じっていたが、理解して使っているわけでは無いのだろう。


「犠牲者って、どういうことさ」


 憤懣やる方のない俺は、少し苛ついた口調で姉さんに尋ねた。

 姉さんは、まあ落ち着けと言いたげに微笑んだ後、今朝の出来事をかいつまんで話してくれた。

 それで、マルコフという依頼人のおっさんの正体や、この国での移民の実情を、ある程度理解することが出来た。

 政権交代が行われるまでの間、移民には常識では考えられないような、国民を凌ぐ特権を与えられていて、元々この国に住んでいた国民から憎悪されていたことも。


「あの子は、特権で好き勝手やっていた親を見て育ったんだろう」


 だから、ああなってしまったってことなのか。

 助けてもらった礼を言うどころか、お前達のせいだから食い物をよこせ、などと「要求」してきたのだ。言い掛かり以外の何ものでもない。

 援助してもらうのが当然、自分の要求が通るのは当たり前、という考えだったんだろう。

 いったい、どういう教育をされれば、あんな恥知らずな行為が出来るんだろうか。

 もしかしたら、多少の盗みを働いても咎められない特権でもあったのかもしれない。

 女の子の態度は、そうとしか考えられないものだった。

 その子を小突いていた男達の一人が、移民には関わるなと言っていたけど、ようやくその意味が理解できた。


「政権が交代するまでなら、差別だなんだと喚けばどうにかなったのだろうがなあ」


 姉さんは溜息混じりに呟いた。

 既に女の子の姿は見えなくなっていたが、聞くに堪えない彼女の罵声だけは、未だに狭い路地裏にこだましていた。





 薄暗い路地裏を抜け、俺はホッと一息ついた。

 一息ついたついでに、俺は姉さんに尋ねた。


「そういえば、姉さん。よく俺の居場所が分ったね」

「ずっと見ていたからな」


 え? 見ていた……?

 姉さんの顔をまじまじと見返すと、口の端にからかうような笑みを浮かべ、俺の顔を見つめ返した。


「お前を一人、宿に残して行くのは心配だったからな」


 厄介ごとに巻き込まれるのは目に見えていたし、俺をひとり残しておくわけにもいかない。

 そう考えた姉さんは、マルコフのおっさんには自分の姿を模した式神を同行させて、姉さん自身は結界を張って宿の食堂に残っていたらしく、移民やマルコフとのやり取りは全て式神を通していたと言った。

 姉さんの種明かしに、俺の頭から音を立てて血の気が引いていった。

 姉さんがずっとあの場に居たということは、つまり。

 そこまで考えが至ったところで、俺の頭に拳骨が落ちた。


「この大馬鹿者め! いったい、何をしているんだ、お前は!?」

「ご、ご、ごめんなさい……!」


 拳骨を落とされた頭頂部を押さえ、俺は呻くように姉さんに謝った。


「まったく、くだらん挑発に乗りおってからに」

「で、でも……」


 確かに食堂で暴れたのは悪いと思う。だけど、あいつらは、姉さんを侮辱したんだ。

 歩き巫女だっていうだけで、娼婦呼ばわりしやがったんだ。そんなの、許せるわけ無いじゃないか!

 俺がそう弁解すると、姉さんは幾分表情を和らげ、殴った箇所を労わる様に、俺の頭を撫でた。


「お前が私の為に怒ってくれたことは嬉しいよ。だがな、偏った価値観というものは、誰しも持っているものだし、それらをいちいち気にしていてはキリが無いし意味も無い」

「それは、そうかもしれないけど……」

「人の集まる場所というものは、多かれ少なかれそういうことがあるものだ」


 姉さんは諭すように続ける。


「まして今回のように、まったく関係の無い食堂の店主や他の客にも迷惑を掛けてしまうなど、言語道断だ」

「う……」


 それを指摘されると、何も言い返せなかった。

 とにかくあいつらの鼻を明かしてやろうと、それしか頭に無かった。


「シンタロー。方士というものは、軽々しく自分の感情を表に出してはならない。挑発に乗った時点で敗北だと理解しろ」

「はい……」

「それに、だ。お前が喧嘩を売った相手が、もしお前より優れた方士だったら、どうするつもりだったのだ?」

「え、いや。それは無いでしょ」


 身なりも態度もだらしない、見るからに素行の悪い駄目な大人にしか見えなかったし。

 あんな連中が、方士だったりするなんてありえないよ。


「外見だけで判断したのか? 私を歩き巫女だから娼婦だと言い張ったそいつらと、いったいどこが違うんだ?」

「そ、それは……」


 俺は反論できず、姉さんの視線を避けるように俯いた。羞恥で頬が熱くなる。

 姉さんからあの連中と同じと言われたこともショックだけれど、その指摘が間違っていないことに気付いたからだ。


「……まあ、十分反省しているようだし、お説教はこのぐらいにしようか」

「ご、ごめんなさい……」


 優しい口調でそう言ってくれたけど、俺は姉さんの顔をまともに見ることが出来なかった。


「私も一緒に店主に謝ってやるから、こんなことはもう無しだぞ?」

「はい、姉さん……」


 俯いたままで頷く俺の頭を、姉さんはいたわるように撫でた。さっきの拳骨の痛みが引いていくような気がした。


「お前は私の大事な種馬だ。いずれ一人前になった暁には、私を孕ませなくてはならない大切な身体だ。頼むから、あまり無茶なことをしないでおくれよ?」


 俺は無言で頷いた。

 そうだ。俺は姉さんの種馬なんだ。もしも、俺の身に何か起きたら、姉さんの計画は頓挫してしまう。そんなことは絶対あってはならない。

 今まで以上に、自分の行動を掣肘しなければと、俺は改めて自分自身に言い聞かせた。

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