9-B-3
「ああ……だから、やめてくださいと申し上げたのに……」
男の間抜け面が中々見ものだったせいで、私の今際の台詞は、若干嘲笑を含んだものになっていた。
男が驚くのも、考えてみれば当然だ。
衣服を引き裂こうとしたとたん、巫女装束どころか私の身体自体が、紙切れのように破れてしまったのだから。
衣服を引き裂いて何をしたかったのかは知らないが、今頃連中は、その場に残された破れた人型の紙切れを前に、呆然としていることだろう。
当初からこうなることは分っていたし、そうでなくとも、シンタローを一人宿に残すのは心許ない。
マルコフが宿に迎えに来た時、自分の姿を模した式神を同行させ、私は宿に残って式神を操っていたのだ。
宿の片隅に人払いの結界を張り、そこに居たまま、式神を通してマルコフや移民達とやり取りをしていたわけだ。
式符が損壊してしまったため、慌てふためく彼らの様子を見物できないのが、少しばかり残念ではあるが。
(さて。どうしたものか)
徐々に慌しさを増してくる朝の食堂の様子を眺めつつ、私は考えた。
人払いの結界のおかげで、誰も私の存在には気付いていない。視界には入っているのだが認識できず、無意識のうちに結界の張られている場所を避けてしまうためだ。
そのため、殆どの席が埋まっているにも関わらず、私の付いているテーブルの周辺だけが、取り残された離島のように空白地帯になっていた。
まさか、国家転覆の片棒を担がされるとは思ってもいなかったが、いちおう官憲には通報したほうが良いだろう。
流れ者の戯言と一蹴されるて終わる可能性もあるだろうが、それはそれで別に構わない。不逞を企む犯罪者を通報するという、善良な一般人として最低限の義務は果たしたことになる。それをどうするかは、先方の判断だ。
いずれにせよ、これ以上の厄介ごとに巻き込まれる前に、この国からは退散したほうが良いだろう。
シンタローは落胆するかもしれないが、応用式を教えるのはまたの機会になりそうだ。
平和な国だと信じて連れて来てしまったのは私の判断だったので、そこが少し心苦しい。
「……まさか、式神だったとは。いったい、いつの間に入れ替わったのですかな?」
聞き覚えのあるその声に、私は顔を上げた。
そこにいたのは、マルコフだった。その顔には、最初に出会ったときのような、柔らかな笑みを湛えている。
「それは、むしろこちらの台詞ですわ。あなたこそ、いつ入れ替わったのです?」
尋ねるが、マルコフは質問には答えず、おどけるたように肩を竦め、私の前の席に腰を下ろした。
こんな短時間であの小屋から移動できるわけが無い。あの場所に居たのは、マルコフ本人ではなく、彼の姿を模した式神だったのだろう。
私と同じように、式神を通して先程のやり取りを行っていたのだ。
しかも、私の張った人払いの結界の中に易々と進入してのけるなど、並の方士ではこうはいかない。
「あの哀れな方々はどうなさったのです?」
「ああ、彼らですか」
マルコフは鼻を鳴らしてせせら嗤った。
移民の為に熱弁を奮っていた先程までとはまったく違う酷薄な表情に、私は内心で首を傾げた。
「あの連中なら、「たまたま」あの近辺を巡回していた衛士に、「偶然」集会を開いて国家反逆罪を企図していたところを発見され、逮捕されましたよ」
「……それはそれは、お可哀想に」
「何匹か逃亡を許しましたが、捕らえた連中に口を割らせればすぐに捕獲出来るでしょう」
この男、移民を利用して侵略を企てていた隣国の間諜かと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「あなたは、この国の政府の人間だったのですね」
私が尋ねると、マルコフは、一見すると人畜無害そうな笑みを浮かべながら深々と頷いた。
「以前から移民が不穏な動きを見せていることは承知しておりました。その移民を利用して、隣国が干渉しようとしていることも」
マルコフが言うには、その隣国とやらとは、この国と等距離に位置する鉱山の所有権で揉めているらしく、かなり以前から小競り合いを繰り返しているらしい。
件の移民の多くも、殆どがその国の貧困層の者達がであることが分っている。
移民を利用して、あわよくば内部からこの国を乗っ取ろうと企んでいるのだろう。
移民擁護派の議員の中にも、隣国の息の掛かった者が大勢いたらしく、過大なまでの移民保護はそういった連中の仕業だったらしい。
「そうすると、前代表も国賊の類だったというわけですか」
私が以前訪れた数年前に代表だったのは、福祉関係に注力し慈愛の聖母とまで言われた女性代表だったのだが、親移民政策を次々と実行し、現政権のクーデター後に捕らえられて処刑された人物だ。
「前代表? ああ、慈愛の聖母殿ですか。あれはただの善人ですよ」
マルコフは口許を歪め、嘲笑混じりに吐き捨てた。
「慈善事業関係では評価できる政策もありましたが、可哀想などという理由で、無作為に移民を保護し国民を苦しめた低脳です」
こき下ろすマルコフの表情には、侮蔑だけではない、はっきりとした憎悪が見て取れた。
「善人は善人らしく、孤児院でも経営していれば良かったのです。そうすれば、適当に人々に感謝され、相応の人生を送ることが出来たでしょうに」
マルコフの言葉はある意味では正しい。
物事には、何事も優先順位があるが、政治や軍事に関してはそれが顕著だ。
時には、国民と国益のためには小事を切り捨てる選択をしなければならない。
さらには、より大きな国益のために国内の少数意見を切り捨てる必要だってある。
そこに、個人的な感傷や同情など入る余地は無い。それが国民の負託を受けた政治家の使命だからだ。
人道的な意味で、移民を支援するというのは分らない話ではないが、自国民以上に手厚く保護するなど本末転倒だ。
前代表は、その善人ぶりを隣国に利用され、付け込まれることになり、結果的に国を滅ぼしかけた売国奴に成り下がってしまったわけだ。
彼女の無策が、国民と移民の間に、取り返しの付かない軋轢を作ってしまったわけであり、すべての元凶ともいえる。
もちろん、善人である本人にそんなつもりは無かったのだろうが。
「あなたは、隣国の人間を装って移民に近づき、連中を一網打尽にすべく、内偵を続けていたということですか」
「ええ、そのとおりです」
私の質問にマルコフは頷いた。
大方、言葉巧みに移民達を口車に乗せて、逮捕の口実を得るべく、現政権の幹部達の暗殺などという大それた話を教唆したのだろう。
つまり私は、そのダシに使われたというわけだ。あまり愉快な話ではない。
「大した役者でございますね」
「恐縮ですな」
皮肉めいた私の賞賛にマルコフはまったく悪びれる事は無く、それどころか誇らしげに胸を張りながら髭を扱いた。
「いやはや、それにしても痛快でしたな」
楽しげに目を細め、マルコフは笑いをかみ殺すようにして言った。
「私が常々思っていることの殆どを言ってくださいました。彼らの怒りでどす黒く染まった顔は実に見物でしたぞ」
「左様でございますか」
別に、この男を喜ばせようと思ってのことではない。
ただ単に、連中の自分本位すぎる言い草が気に入らなかっただけだ。
彼らは、自分自身を哀れだなどと臆面も無く抜かしていた。
彼らが哀れだというのであれば、シンタローはどうなるのだ。
あの子は自分の出自さえ知らず、物心付いた頃から、まともな食べ物すら与えられず、言葉すら話すこともできず、尊厳のかけらもない奴隷生活を強いられてきた。最近は鳴りを潜めたとはいえ、一時期は心を病んで、自分は別世界の人間だなどという、深刻な妄想に囚われてさえいたのだ。
真に哀れというのは、あの子が置かれていたような境遇のことを言うのだ。
まあ、私も少し余計なことをしゃべりすぎたようには思う。
「ところで、あの無様な方々はどうなるのですか?」
少し気になったので、捕らえられた後の彼らがどうなるのか聞いてみた。
国家反逆罪ということであれば、おそらく極刑になるのだろうか。
「あの連中ですか。着の身着のままで国外退去となります。殺すのは簡単ですが、後始末が面倒ですからな」
天気の話でもするようなのんびりとした口調で、マルコフは言ってのけた。
それはある意味、極刑よりも性質が悪い。
着の身着のままで国外に放り出されて、生きていくのは難しい。
危険な魔物や夜盗共の餌食になるのが関の山だ。あるいは、彼ら自身が盗賊に身を落とすかだ。
着の身着のままで追い出されては、それも難しいかもしれないが。
「移民共は、助けてもらうのが当然という考えに凝り固まっている低脳なので、今回のように手を差し伸べるフリをすれば、大して疑いもせずに引っ掛かてくれます」
そう聞いて、先程までの移民達とのやりとりを思い返す。
確かに彼らの主張は、最初から最後まで一貫して他力本願で、助けてもらうのが当然という考え方だった。
いままで特権を享受していたことも、政権が交代して弾圧される立場になったことも、全ては自分達が行動した結果からではない。
そんな安っぽい連中だからこそ、鼻先に適当な餌をぶら下げれば、すぐに食いついてくるのだろう。
「今回の件も含め、様々な対策を講じたことにより、国内に居座っている移民は順調に数を減らしていますが、まだまだ駆除は完了していません」
駆除か。まるで害虫呼ばわりだ。もっとも、先程の彼らの態度を見れば、そう評したくなるのも分らないでは無い。
マルコフは、私と移民達とのやり取りが余程気に入ったらしく、聞いてもいないのに私に語ってくれた。
はじめのうちは、移民が自主的に国を出て行くよう、移民特権を廃止し、移民料金など移民にとって不利益な政策を施行したのだが、それでも一向に出て行く気配がみれらない。
そればかりか、下水道や廃屋などに住み着き、強盗や暴行など犯罪行為に手を染める有様だったらしい。
彼らからしてみれば、いまさら他にいく当ても無いのだから、そうせざるを得なかったのだろう。
「どうでしょう、ヒムカ殿。よければ、正式に我が国の依頼を受けて頂きたいのですが」
「……移民狩りに協力しろと?」
絶やすことなく笑みを浮かべながら、マルコフはゆっくりと首肯した。
「お断り致します」
「そうですか。それは残念ですな」
私の返答は想定内だったのだろう。マルコフは、あっさりと引き下がった。
「ヒムカ殿のような方士がいてくれれば、駆除作業も捗ると考えたのですが」
「それこそ、仕事を欲している野良方士をお探しください」
彼らの多くは仕事の選り好みをしないし、依頼の内容について深く考えたりもしない。
何より、多少の危ない橋を渡る事だって厭わない。
そういう依頼にはうってつけだろう。
第一に、こういう陰湿なやり口は、私の趣味ではない。
「言いたい事はわかります」
私の表情から読み取ったのか、マルコフは笑みを消して若干真剣な表情になった。
「やり口が汚いことも理解しています。しかし、全ては国民と国益のためです。政治家は、自国民に対してだけ誠実であれば、それで良いのです」
「マルコフさん。あなたと政治学について議論するつもりはありません」
彼のスタンスは理解した。だが、だからといって、加担するつもりは無い。
この国の行く末も移民達の末路も、私やシンタローにとっては、どうでも良い事だ。
「私達は明日にでも、この国を立つつもりです」
「ほう?」
マルコフは意外そうに眉を動かした。
「差し支えなければ、理由を聞いても?」
「厄介ごとに巻き込まれたくない。ただそれだけですわ」
既に移民に関わってしまった上に、政府関係者にまで目をつけられては、面倒なことこの上ない。
私だけならともかく、シンタローに危害が及ぶ可能性だけは、何としても避けなければ。
マルコフとの会話を続けながら、見るともなしに食堂の様子を伺ってみると、早朝のピークの時間は過ぎたようで、客の姿もまばらになっていた。
とあるテーブルの一角で、柄の悪い連中が朝から酒盛りをしてクダを巻いているのが少し気になった。
店主や他の客もあからさまに迷惑そうにしているが、その連中は気がついていないようだった。
「それにしても、イイ女だったな。あの獣人の歩き巫女!」
獣人の歩き巫女というのは、おそらく私のことだろう。
男達は、しまりのない野卑た笑い声を上げながら、私についての勝手な妄想話を繰り広げていた。
歩き巫女というだけで、そういう目で見られることは多々あるが、私が娼婦であり、今までに寝た男の数だとか、好みの体位だとか、聞くに堪えない内容のオンパレードだった。
「獣人だろ。獣だから、やっぱ後ろからガンガンやられるのが好きなんじゃねえか?」
「いやいや、意外とまっとうなのが好きかもしれんぜ?」
苦笑しつつ肩を竦める私とは対照的に、マルコフは怒りに肩を震わせていた。
「まったく、嘆かわしい。我が国の国民が、働きもせずに朝から酒を飲み、不当に他者を侮辱するなどは。それもこれも、移民に国内を荒らされ、国民の心が荒んでいるせいですな」
それを移民問題と結びつけるのは、さすがにどうかと思う。殆ど言い掛かりでしかない。この手の輩はどこにでも居るものだ。
騒々しくくだらない猥談に花を咲かせていた男達が、示し合わせたようにいっせいに押し黙った。
男達の視線の先には、眠そうに目を擦りながら階段を下りてくるシンタローの姿があった。
「娼婦の弟クンがお目覚めみたいだぜ」
「いいご身分だな。今頃ご起床かよ」
男の一人が小声で小馬鹿にしたように言うと、他の者達が押し殺したようなくぐもった笑い声を上げた。
いいご身分なのは、朝から酒盛りなどしている貴様らだろうが。
幸い、シンタローには聞こえていなかったようで、男達の事は一瞥した程度で大して気にも留めず、朝食を摂るためにカウンターに向かっていった。