9-B-2
「お友達……ですか」
現れた連中の顔ぶれをざっと見渡してみる。
誰も彼も、自分だけが世の中でもっとも不幸だとでも言いたげな顔つきをしている。それでいて、どこか他人を見下すような鼻持ちならない、嫌な目つきをしている。やぶ睨みというのだろうか。ねめつけるようにこちらを見ているのだが、両目の視線がどことなく合っていない。
「この方々は、移民なのですか?」
「そうだ!」
マルコフが口を開く前に、一人の男が吼えるように叫んだ。
どこか病んでいるのではないかと思えるほどに痩せぎすの男だった。
「俺達は、不当な差別に苦しんでいるんだ! なあ、あんたは弱者の味方なんだろう!? 俺達を助けてくれ!」
男が叫ぶと、周囲からも次々に同調する声が上がりはじめた。
しきりに助けてくれだとか何とか、声の限りに叫び訴えてくる。
かなり異様な光景だ。
「みんな、静かに」
マルコフが制するように両手を上げると、すぐに連中は大人しくなった。
このマルコフという男は、いったいどういう立場の人間なのだろう。
小奇麗な格好をしているし、立ち居振る舞いや言動から見て、彼は移民では無いように見えるのだが。
「ヒムカ殿。こんな所で立ち話も何です。落ち着いてお話できる場所にご案内しましょう」
「分りました」
私は素直に頷き、先に立って歩くマルコフの後に続いた。その後ろからは、移民達が金魚の糞よろしくぞろぞろと付いて来る。
貧民窟と思しき裏路地を進んでいくと、やがて私達の行く手に、小さな煉瓦造りの小屋が見えてきた。経年劣化のためか、煉瓦が白茶けて変色している。どうやら、そこが目的地のようだ。
「さあ、どうぞ」
マルコフに促されるままに、私は小屋に入った。
周囲を高い建物に囲まれた路地裏にあるせいか、窓から差し込む光量が少なく、室内は薄暗い。おまけに、しばらく使っていなかったのか、黴臭い臭いが充満していた。
調度品の類に至っては、簡素なテーブルと、向かい合うように配置された、小さな二つの椅子があるのみだった。
「どうぞ、おかけになってください」
先に着席したマルコフが、私に座るよう勧めた。頷き、促されるままに、マルコフの向かいの椅子に腰を下ろした。
ぞろぞろと付いて来た移民達は、テーブル越しに向かい合う私達を取り囲むように、壁際に立ち並んでいる。
入りきれなかった者は、小屋の外に居るようだ。
万が一、私が逃亡しようとしたときに、阻止する役目も負っているのだろう。
「それでは、依頼についてのお話を致しましょうか」
テーブルの上で手を組み、その上に顎を乗せると、マルコフはおもむろに口を開いた。
「手短にお願いします。弟が待っているので」
終始にこやかな笑みを浮かべていたマルコフの頬が、ほんの僅かだが引き攣り、取り囲んでいる移民達が息を呑む音が聞こえたが、私は気付かないふりをした。
「では、端的に申し上げましょう。この国の現政権の中枢を担う幹部達を暗殺していただきたいのです」
「それは、また……」
どうせまともな依頼ではないと思ってはいたが、これは少し洒落になっていない。
「私にテロルの片棒を担げと仰るのですか?」
「テロルではありません。これは正義の鉄槌なのです」
マルコフは迷い無く断言した。口調こそ物静かではあるが、はっきりとした意思を感じさせる力強い口調だった。
「そうだ! 俺たち弱者を不当に差別する連中に対する裁きだ!」
「差別主義者どもに罰を!」
マルコフは、同調する移民連中に対して満足げな笑みを向けた後、私に向き直った。
「彼らがクーデターなどを起こし、親移民政策を次々と打ち出していた前代表を処刑した事が、そもそもの始まりなのです。この政権の成り立ち自体が不当なものなのです。それを打倒しようとする我々は、紛う事なき正義です」
何を持って不当とするかは見方にもよるが、民主的な手段ではないと言っているのであれば、確かにそうなのだろう。
だからといって、暗殺が正当化される理由にはならないが。
「政権を掌握した軍部の暴走は、常軌を逸していました。移民の生活保護や永住権の廃止、移民採用企業に対する補助金の打ち切り、納税免除の廃止、法外な移民料金の設定、通称名の禁止など、挙げればきりがありません」
政権が交代して以降、移民の特権が悉く廃止されたということに深い憤りを感じていると、マルコフは語った。
「人間の行為の中で、もっとも恥ずべき行いとは、差別に他なりません」
特権が廃止されたばかりか、現在では迫害される立場にまで追いやられてしまった。それを許し難い理不尽な差別だとマルコフは熱弁を振るい、その話の節々で、移民達が「そうだ!」とか「とんでもない!」などと、合いの手のように賛同の声を上げている。
「ところで、通称名とは何ですか?」
マルコフの挙げた様々な移民特権の中に、ひとつだけ聞きなれないものがあった。
通称の名前とは、いったいどういうものなのだろうか。
「名前を何度でも変えたり、複数名乗ったり出来る権利だよ。俺達は弱者だからな」
移民の一人が、さも当然といった口調で、私の疑問に答えてくれた。
彼が言うには、通称名とは渾名や芸名のようなものではなく、本名をいくつも好きなだけ名乗ることが出来る権利らしい。「本当の名前」がいくつもあるという時点でおかしな話だ。
しかも、正式な名前という扱いなので、社会的な証明や資格の取得も出来てしまうらしい。
「弱者だと、名前が複数必要なのですか?」
「移民だという理由で、差別されるのを防ぐためさ。それに、名前がいくつもあれば便利だし、いざというときに安全だろう?」
つまるところ通称名と言うのは、この国の人間に成りすます為の偽名を合法的に名乗る権利ということなのだ。
名前をいくらでも自由に変えることが出来るのであれば、偽造や詐欺などもやりたい放題だ。
いかにも、犯罪の温床になりそうな制度だ。廃止されて当然だろう。
「さて、ヒムカ殿」
マルコフが話を戻すように言った。
「方士の使う方術の中には、遠隔地の人間を呪い殺すものもあるでしょう?」
呪殺という系統に分類される方術には、確かにそういったものもある。威力や形式にもよるが、下準備に厄介な手間がかかるものが多い。その手間というのが、大量の毒虫を密閉した壷の中に閉じ込めて、殺し合いをさせ、最後に生き残ったものを呪詛の道具として使ったりなど、非常に悪趣味で、胸糞の悪くなるようなものが殆どだ。
「確かに、ありますが」
肯定するように頷くと、周囲の移民達の間から歓声が上がった。マルコフも口角を吊り上げ、満足そうな笑みを浮かべている。
「その術を使って、奴らを皆殺しにしろ!」
「そうだ! あいつらを一人残らず殺すんだ!」
「俺達をこんな目に遭わせた連中を生かしておくわけには行かない!」
移民達の口から、にわかに物騒な声が上がり始めた。
ひとしきり、その興奮が収まるのを見計らってから、私はゆっくりと口を開いた。
「もし、暗殺が成功したとして。以前と同じような生活が戻ってくるとは、とうてい思えないのですが?」
「それは心配には及びません。この国の移民の窮状を憂慮した隣国が、移民達の支援を申し出ているからです」
自信たっぷりなマルコフの言葉に、私は眉を顰めた。そんな私に構わず、彼はは熱弁をふるう。
「幹部達が死に、軍の統制が取れなくなったところで、隣国が解放軍として乗り込み、移民達を開放する手筈になっているのですよ」
その発言でようやく合点がいった。
この男は、移民問題を理由にこの国への軍事介入を目論む、他国の間諜なのだ。
暗殺が成功するかどうかはおそらく関係はなく、移民をたきつけて騒動を起こすのが目的なのだろう。
「そうだ! そして、俺達移民を差別した連中に思い知らせてやるんだ!」
「そうよ! 今度こそ、真の自由と権利を勝ち取るのよ!」
事情を知らないであろう、移民連中は大いに盛り上がっているようだったが、反比例するように私の気分は冷めていった。
どこまでも、他力本願で都合のいい連中だ。
その隣国とやらの思惑を、この移民達は理解出来ていないのだろうか。
余所者の私でさえ、容易に想像できるというのに。
「……いくつか、お伺いしたいことがあります」
私はマルコフを見、視界に入る移民達の顔を順に見つめながら口を開いた。
「何故、この国の軍部はクーデターなどを起こしたのでしょう? 何故、国民の多くは、非合法な手段に訴えたはずの軍部を支持しているのでしょう?」
移民達は虚をつかれたように、お互いの顔を見合わせた。
その呆けたような表情から、私の言葉を理解しかねているように見えた。
「あなた方移民が、この国の国民から心底憎悪されているからでないのですか?」
「な、何だと!? なぜ俺達が、憎まれなきゃならないんだ!」
声を上げたのは、先ほどの病的なほどにまで痩せていた男だった。
他の連中も口々に、そうだそうだと喚き立てている。
私は雑音を無視し彼の目を見つめ、馬鹿にモノを言い聞かせるように、ゆっくりと口を開いた。
「今のこの有様が、それを如実に物語っているとは思えませんか?」
「な、何を言ってる! この国の人間が俺達の生活を保護するのは当然だろう! 我々は、住むところの無い哀れな流浪の民だったんだぞ!」
「そうよそうよ! 困っている人を助けるのは当然じゃない!」
一人の移民が口火を切ると、堰を切ったようにそうだそうだの大合唱が始まった。
口々に哀れっぽく、自分達の窮状を訴えてくるさまにはかなり辟易した。
「それはあなた方の理屈です。この国の人々に、赤の他人を助けてやらなければならない義務はありませんでしょう?」
助けてやるのは、あくまで助けるほうの善意と都合でしかない。
助けてもらうのが当然と考える思考が、そもそも間違っているのだ。
それに加え、助けて貰っておきながら、彼らからそれに感謝している素振りはまったく感じ取れない。
なにより、自分自身を「哀れ」と称するなどとは。本気で言っているのだとすれば、正気ではない。
「何にせよ、あなた方は一度はこの国に住むことが赦されたはずです。それなのに、なぜ今になって弾圧される羽目になったのか。そこを真剣に考えたことはおありですか?」
別にこの国に対して何の義理も無いし、弁護するつもりも無いが、この連中の虫の良すぎる主張がいちいち気に障り、少し言わずには居られなかった。
「話を聞いていると、政権が交代するまでの間、随分とあなた達移民は優遇されていたようですが?」
先ほど、マルコフの挙げた移民特権は、そのどれ一つをとっても、常軌を逸している。
居候に過ぎないはずの移民達が、国民以上の破格の待遇を享受していたのだ。
裏を返せば、国民が特権を享受する移民に差別されていたことになる。これでは、憎悪の対象にならないはずがない。
「それの何がいけないのよ! 私達は、制度を利用していただけよ!」
「そ、そうだ! 我々を優遇するような、そんな制度を作ったこの国が悪いんだ!」
私の指摘に対する、移民達のあまりにも斜め上すぎる返答に、面食らってしまった。
こいつらは、きちんと自分の脳で考えてから発言しているのだろうか。
「であるならば。制度が変わった今、それに諾々と従えば宜しいのではないのですか?」
私としては、こう言わざるを得ない。
「ふざけるな! 制度なんて関係ない!」
「そうよそうよ! これは感情の問題よ! 差別は許されないわ!」
……またもや、斜め上に突き抜ける反応だった。
これは、だめだ。こいつらとは会話が成立しない。
私の沈黙を肯定と受け取ったのか、中年の女性が更に金切り声を上げた。
「私達は何もしていないのよ! いつもどおりに生活していただけよ! どうしてこんな目に遭わなければならないの!?」
「何もなさらなかったのですか。流浪の民であるあなた方を迎え入れ、様々な特権を与えてくれたこの国と国民に対して、あなた方は何もしなかったのですね? 特権を貪るだけ貪りつくしておいて」
先ほどまで、戸惑い気味だった移民達の視線に、強烈な敵意が混ざり始めた。しかし、私は言葉を止めない。
「権利を主張するのは結構。ですが、それならば相応の義務と責任を果たさねばなりません。国家に限らず、共同体とはそういうものです」
義務を一切果たそうともせず、そのくせ権利ばかりを主張するなど、乞食や物乞いと大して変わらない。
いや。乞食や物乞いのほうが、恵んでくれた相手に這いつくばって感謝するだけまだましだ。
「あなた達は、受け入れてもらったことを伏して感謝し、この国の文化と風習を理解し尊重し、国民と同等の義務と責任を果たし、溶け込む努力を絶えず行うべきだったのです。そうすれば、こんな事にはならなかったはずです」
この認識の齟齬が、彼ら移民とこの国の人々との間に、決定的なものをもたらしたのだ。
犬猫でさえ、長く飼えば恩義を感じるものだが、彼らにはそれすら無かったのだ。
「可哀想な」自分達があらゆる面で優遇されるのは当然で、それがどれだけ異常なことなのかまったく理解できていなかったのだ。
もちろん、移民だけではなく移民を優遇してきたその当時の政権にも問題はある。
大量に流れ込んできた移民は、彼らにとって魅力的な票田だったのだろう。
移民を優遇する政策を打ち出せば、それだけ移民からの支持が集まり、次回の選挙でも当選する可能性がぐっと高くなる。
おそらくは、そんな思惑があって、移民を優遇してきたのだろう。元々この国に住んでいる人々を蔑ろにした上で。
だが、それもついに限界を迎えてしまった。考えられる限り、最悪の形で。
その上、他国にまでつけこまれる隙まで作る羽目になってしまったのだ。
「あなた方のこの有様は、まさに自業自得と呼ぶに相応しいですわ。私には、それ以外の言葉が見つかりませんわ」
「な、なんだと!!」
「根無し草の流れ者風情に何が分るって言うのよ!」
「何が弱者の味方だ! この売女! 薄汚い差別主義者め!」
私の挑発的な言葉に、移民達は色めき立ち、顔を真っ赤にして、今にも掴みかからんばかりの勢いで、いっせいに捲くし立てた。
ふふ。根無し草の流れ者「風情」だとか「売女」だとか、実に差別的な物言いじゃあないか。
自分達のする差別は綺麗な差別、ということなのだろうか。まあ、いい。
これ以上、私がこの場にいる必要性はない。
「お約束どおり、お話はお伺いしましたので、失礼させていただきます」
じっと押し黙っているマルコフに告げると、私は席を立った。
「……ヒムカ殿。依頼を受けてはいただけないということですかな」
「話を聞くだけ、という約束だったはずです。約束は果たしました」
私は笑みを浮かべすげなく告げると、マルコフに背を向けた。
「退いてくださいませんか?」
闘犬のような顔付きで取り囲む移民達に対し、小首を傾げながら微笑みかけるが、誰も私に道を空けようとしない。
まあ、当然か。随分とコケにしてしまったし、彼らの勝手な思い込みとはいえ、「弱者の味方」という私への期待を、根底から裏切ってしまったのだ。心情的にこのまま黙って帰す気にはならないのだろう。
私は敢えて、彼らの沸点を刺激するように言った。
「その……本当に困ります。帰してくださいませんか?」
背後で、マルコフが席を立つ音が聞こえた。
「ヒムカ殿。ここまで話を聞かれた以上、ただで帰すわけには参りません」
随分と勝手な言い草だ。
まあ、こうなるだろうなとは、はじめから予測していたことではあるが。
「いかに、あなたが優秀な方士だとしても、これだけの人数を一度に相手にするには、少々骨が折れるのでは無いですかな」
その言葉に、移民達が野卑た笑みを浮かべた。
おやおや。か弱い女一人を相手に、力づくで言う事を聞かせようというのだろうか。
「ずいぶんと乱暴な「弱者様」でございますね」
「女ぁ!」
揶揄するように肩を竦めてみせると、憤慨した移民の一人が、私に掴み掛ってきた。
狭い小屋の中では上手く避ける事も出来ず、私は男に手首を掴まれた。
「痛っ……」
顔をしかめる私の様子が、男の加虐心を煽ったのか、今度は胸倉に手を伸ばしてきた。
散々馬鹿にされた腹いせというのもあるのだろう。
静止する者は誰もおらず、下種のような笑みを浮かべ見物している。
「やめて! やめてください……!!」
私の必死の懇願にも関わらず、男は力いっぱい千早を引き裂いてしまった。
「な、なに……?」
びりりと、紙切れが破れるような音がして、男の顔が驚愕に染まった。
「ああ……だから、やめてくださいと申し上げたのに……」
私の目に最後に映ったのは、口を開け放っている男の間抜け面だった。