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「実はひとつ、仕事を頼みたいのですが……」
どうやら、仕事の依頼みたいだ。何となくだけど、方士としての依頼のような気がする。
子供の俺がいると話し辛いこともあるだろうと思い、俺は先に部屋に戻っていることにした。
「姉さん。俺、部屋に戻ってるよ」
「ええ、わかったわ」
俺は依頼人の男性に軽く頭を下げると、階段を上がり自室に引き返した。
「ふー……食った食った」
靴を脱ぎ捨て、ベッドの上にごろんと横になる。
最近、野宿が多かったから、まともな食事を摂るのは久しぶりだった。
もちろん、ベッドの上で寝ることもだ。
「姉さん、どのぐらい吹っ掛けるのかな」
その筋では名が知れている姉さんは、旅先で仕事の依頼を受けることが多々ある。依頼の内容は多岐に渡る。
姉さんは格好だけではなく、れっきとした神職としての巫女なので、地鎮祭の御祓いやら病気平癒の祈祷やら託宣やらといった、巫女としての依頼もあれば、お貴族様の身辺警護や妖怪退治、敵対する貴族の雇った方士に掛けられた呪いの解呪といった、方士としての依頼まで様々だ。
傾向的に見て、方士としての仕事のほうがどぎつい荒事が絡むダーティーな内容である事が多い。
依頼料(初穂料と言うべきか?)がどのぐらいになるかは、依頼の難易度ではなく、完全に姉さんの主観で決めらる。
少し前に、こんなことがあった。
ある山間の寒村を、偶然訪れた時のことだ。他の村は豊作にもかかわらず、なぜかその村だけは作物が不作で、蓄えが尽きかけていた。猟師が山に入っても獲物はまったく獲れない。このままでは冬を越せず、大量の餓死者を出す羽目になると、村の人達は戦々恐々としていた。
姉さんは、すぐさま山の神が機嫌を損ねていることを看破し、荒れ果てていた山の神社で、山の神にお伺いを立てる巫女神楽を奉納した。
姉さんの予想通り、不作の原因は、山の神の怒りだった。
今まで散々恵みを与えてやったにも関わらず、社を荒れ放題になるまで放置し、信仰心を失った村人の態度に腹を立てていたのだ。
姉さんが山の神と交渉し、村長ら村の主だった連中に、その場で社の再建と、毎年忘れず供物を捧げ、遺漏無く奉る事を確約させた。
すると瞬く間のうちに、空籾だった稲穂はたちまち実を結び、痩せ細っていた作物類も、瑞々しく息を吹き返した。
その様がコンピュータグラフィックスのモーフィングみたいで、中々シュールな光景だったのを覚えている。
村の人々は大層感激して、村中から掻き集めた金を謝礼として支払おうとしたが、姉さんは一銭も受け取らなかった。
また、別の国を訪れた時は、その国の貴族から失せ物探しなんていう、くだらない依頼を受けた事があった。その時は、ものの数分で無くしたものを探し当て、あっさりと依頼を完遂したのだが、その時に請求した金額は、一般人が半年は遊んで暮らせるほどの大金だった。
「金は持っている奴から搾り取る」
それが姉さんの信条なのだ。実に真っ当な考えだと思う。財務省の能無しどもに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
今度の依頼がどんな内容かは知らないけど、そこそこ裕福そうに見える人だったし、それなりの額を吹っ掛けるんじゃないかと思う。
姉さんが仕事をしている間、俺がどうしているかというと、それは依頼の内容にもよる。
神楽舞とか祈祷とか巫女としての依頼なら、舞台や祭壇の設置の手伝いをするけど、荒事が絡む事が多い方士としての依頼の場合は、足手纏いでしかないので、宿で大人しくしているしかない。
「ただいま」
寝転がっていろいろ考えていたら、姉さんが帰ってきたので、俺はベッドから起き上がり、おかえりと姉さんを迎えた。
なんだか、妙に疲れた顔をしているけど、どうしたんだろう。
「早かったね。どんな依頼だったの?」
「……詳細は別の場所でと言われ、詳しい内容は教えてもらえんかった」
「そうなんだ。じゃあ、俺が席を外す必要も無かったね」
「まあ、そうだな」
苦笑しつつ、姉さんは俺の隣りに腰を下ろし、水引(髪留)を解いた。首の後ろで束ねていた長い黒髪がぱっと広がり、陽光を浴びてきらめく様子は、思わず見惚れてしまうほど幻想的な美しさだった。
「内容云々以前に断るつもりだったんだが、話だけでもとしつこく粘られてしまってなぁ」
苦笑混じりに姉さんは吐き出した。
元々この国を訪れた目的は、俺に応用式の伊呂波を教えるためだ。そのため、姉さんは依頼を始めから断るつもりでいたようだ。いちいち依頼なんか受けていたら、俺の教育に支障が出るからだ。
しかし、依頼主のおっさんがどうしてもと引かず、根負けした姉さんが、依頼内容だけ聞いてみて、受けるかどうかはその後で判断するということで、ようやく納得してくれたらしい。
それにしても、粘った割には、詳しい内容を話せないとか、けっこう馬鹿にしているんじゃないだろうか。
「それにあの男、どうにも胡散臭くていけない」
解いた髪に手櫛を入れながら、姉さんは僅かに眉根を寄せた。そんな仕草でさえ、見目麗しく見えてしまうんだから、美人は得だ。
確かに、依頼の内容を詳しく話せないとか、ちょっと怪しい。そこそこ小金は持っていそうだったけど。
どちらにしろ、長年歩き巫女として旅を続けてきた姉さんの人を見る目は、俺なんかとは比べ物にならないくらい正確だ。
姉さんがそう思うのなら、きっとそうなんだろう。
「明日、その別の場所とやらに案内してくれるらしい。朝に迎えに来るそうだ」
「ふーん……」
それは確かに怪しいな。ほいほい付いて行っても大丈夫なんだろうか。
実はやばい依頼で、話を聞くだけ聞いて断ろうとしたら、口封じに……なんて可能性も十分考えられる。
となると、もし仮に依頼を受けて成功させたとしても、やっぱり最後は口封じにってことだってありうる。
「気をつけてね、姉さん」
俺が言うと、姉さんは安心させるように、心配ないと笑った。
「シンタロー。私が留守の間、お前に宿題を出しておこう」
姉さんは立ち上がると、自分の荷物から数枚の紙の束を取り出し俺に手渡した。
それが術式であることはすぐにわかった。
「私がお前の学習用に構築した幾つかの応用式だ。追跡して、解読してみなさい」
「はい。姉さん」
俺が元気良く返事をすると、姉さんは満足そうに頷いた。
「自分で応用式を書けるようになるためには、既存の様々な術式を丁寧に追跡して、いつどこで、何をトリガーに、どんな処理を行っているか、正確に把握することが重要だ」
食い入るように術式を見詰めながら、殆ど上の空で俺は頷いた。早速とばかりに、術式の追跡を始めてみる。
「こらこら、シンタロー。今やらなくてもいい。疲れているだろうし、今日はゆっくり休みなさい」
「でも、早く自分の術式を書けるようになりたい」
そうすれば俺も、少しは姉さんの役に立てるかもしれない。お荷物でしかない今の状況から脱却して、多少なりとも姉さんの負担を軽減したい。
何より、自分だけのオリジナル方術作成というのが、封印したはずの中二病魂をいたく刺激するのだ。
「意気込みは結構なことだが、根をつめても仕方が無いぞ?」
「じゃ、じゃあ。1個だけ!」
俺がせがむと、姉さんは仕方がないなと言いたげな苦笑を浮かべつつ許可してくれた。
「それじゃ、最初のページの応用式を解いてみなさい。公式のアレンジだからそれほど難しくは無いはずだ」
「はい、姉さん」
姉さんがすぐ傍で見守る中、俺は嬉々として、最初のページの術式の追跡に取り掛かった。
通常、方士が自分の構築した応用式を他人に見せるなんてことはまず無い。それがたとえ、公式のアレンジ程度だったとしてもだ。理由は簡単で、そんな事をすれば、他の方士に模倣されてしまうからだ。それだけならまだしも、敵対する方士に術式を解析され、クセなんかを見抜かれでもしたら、圧倒的に不利になってしまう。それが例え弟子だったとしても、自分の術式をおいそれと見せるなんてことは、普通はやらない。
それを考えると、俺の学習環境は結構恵まれていると言って良い。こと方術に関しては、姉さんは一切の出し惜しみをせず、まるで自分の知識の全てを俺に教え込もうとしているようにすら思えるからだ。
「終わったよ」
「ほう、早いな」
姉さんは、若干驚いたようだったが、それほど難しい術式ではなかったように思う。教育用ということもあって、姉さんがそういうふうに作ってくれたというのもあるだろうが、術式自体も非常に読みやすかった。
「では、シンタロー。この術式は、どんな方術なのか説明してみなさい」
「はい」
やっていることはそれほど難しいことではなかった。『水速』というコップ1杯程度の水を出現させる公式と、『速日』というささやかな風を起こす公式がある。この二つを組み合わせてそれぞれの威力を適切に調節し、噴水のように水を噴き上げたり、空中に複雑な水の文様を次々に描いたりする、見た目重視のお遊びみたいな術式だった。
「正解だ」
俺が追跡結果を伝えると、姉さんは「良く出来ました」とばかりに嬉しそうな笑みを浮かべ、俺の頭を撫でてくれた。少しこそばゆいけど、姉さんに褒めてもらえるのは純粋に嬉しい。
調子に乗った俺は、さっそく2ページ目の術式の追跡に取り掛かろうとした。
「こら。ひとつだけという約束だっただろう?」
しかし、姉さんにストップを掛けられてしまった。
「それに、もうこんな時間だ」
言われて始めて、部屋が薄暗いことに気付いた。窓の外から差し込む日の光も長く傾いており、夕暮れ時が近いことを現していた。
集中していたせいで気がつかなかったけど、結構な時間が経っていたようだ。
「……ん、分ったよ」
俺は渋々、術式が書かれた紙の束を文机の上に置いた。
「シンタロー。何も焦る必要は無い。ゆっくりで良いんだ」
姉さんは、諭すように言いながら、俺の肩を抱き寄せた。柔らかな身体の感触が心地よい。
そうだ。今なら聞けるかもしれない。
「姉さん」
「どうした?」
「姉さんは、どうして俺の面倒を見てくれるの?」
優しい眼差しで見下ろす姉さんの顔を真っ直ぐに見上げ、俺は尋ねた。
始めの頃は、同族である俺が奴隷に身を落としているのを見るのが忍びないという、仲間意識からのものだと思っていた。
だけど、最近になって、どうもそれとは違うような気がしてならないのだ。
なぜなら、姉さんはロゥイという種族に誇りを持ってはいるけれど、それはかつての先祖の偉業を誇りに思っているのであって、現状に甘んじて滅びようとしている同族の事は毛嫌いしているからだ。
そんな人が、同族だから気の毒だからという安っぽい感傷で、足手纏いでしかない俺のような子供に心を砕いてくれる理由がどうしても分らないのだ。
「なんだ、そんなことか」
姉さんの吐息が、俺の頬を心地良くくすぐった。
「それはな、シンタロー。お前は私の種馬だからだ」
「種馬……?」
一瞬呆けてしまったが、すぐにその言葉の意味を理解できた。
ロゥイは、親が後天的に身に着けた特性が、子供に遺伝する稀有な種族だ。
姉さんは種族の再興を目的としている。
俺を一人前の優秀な男に育て上げて、俺との間に子供を作るつもりなんだろう。
「だから、お前は何も気にすることは無い」
そう言って姉さんは、愛おしそうに俺の頭を撫でてくれた。
「私の言うとおりにしていれば、何も問題は無いんだ。いいね?
「はい、姉さん」
後になって冷静に考えてみれば、とんでもないことを言われていると思ったが、不思議と反抗心は湧き上がってこなかった。
むしろそれどころか、姉さんのために、一刻も早く優秀な種馬にならなければという、奇妙な使命感に奮い立ったくらいだ。
これは、姉さんが俺に継続的に掛け続けていた精神操作系の方術によるものだったのだが、それが分るのはまだまだずっと先のことだった。
「だったら、姉さん。ゆっくりしている暇なんて無いじゃないか」
この時の俺は、とにかく姉さんを満足させたいという気持ちで一杯だった。
早速とばかりに俺は、さっき文机の上に置いた術式の束に手を伸ばそうとしたが、やんわりと姉さんに止められた。
「シンタロー。私の為に早く一人前になりたいというお前の心意気は嬉しい。だが、今日のところは休みなさい。根を詰めても良い事は無いぞ」
優しく諭されるようにそう言われて、しぶしぶ伸ばしていた手を引っ込めた。
ちょっと名残惜しいけど、確かに疲れているし、今日のところは姉さんの言うとおりにしよう。
時間はたっぷりあるんだしと自分を納得させた。
結局その日は、部屋で大人しく過ごし、夕飯と入浴を済ませた後は、すぐに床に就いたのだった。
一秒でも早く、姉さんの優秀な種馬になろうという決意と共に。