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会津遊一 ホラー短編集

最後の日本人

作者: 会津遊一

 私は逃げていた。

 社会から身を隠し、ずっと息を殺して何十年も生きてきた。

 時には下水管の中で生活し、時には茂みの中で団子虫のように丸まり、時には藻が浮かんでいる汚水の中に身を潜ませていた。

 もう汚れや苦しみを気にする感覚はとっくに薄れている。そんな事よりも、私はどうしてもヤツらに捕まりたくなかったのだ。ヤツらに捕まるということがどういう事か嫌になるぐらい知っていたからだ。

 

  ※


「居たぞ! こっちだ!」

 くそ。

 奴等の叫び声とLED懐中電灯の突き刺すような明かりに気が付いた私は、茂みの中で顔面を曇らせていた。

 一人っきりの逃亡者は一度でも見付かったら終わり、この狭い島国ではもう姿をくらますことは出来ない。後は大勢の人間が番犬を引き連れ、虱潰しに探し回ってくるだけだ。

 ババババ。

 上空にローターが回る爆音が轟いた。

 しかも、サーモグラフィーが搭載されたヘリコプターまでやってこられたら、何処に隠れても無駄というものだろう。最新の赤外線センサによる温度分解能は、誤差0.02度。例え川の中に隠れたとしても、水温の違いや物体の姿は殆ど映し出されてしまう。土を掘り返して潜り込んだとしても、土中と表面の温度は違うので、隠れてから数時間は経過していないと発見されてしまうのだ。

 空気の層さえ撮影できるのだから、完璧な対策が施せる人間でもない限り、一度見付かってしまえば逃げるのは不可能に近い。

「あ、逃げだぞ!」

「追え、追え!」

 しかし、無謀だとは分かりつつも私は走り出していた。

 もう捕まるという事は百も承知だったが、茂みから飛び出し、餌を求める猿のように野山を駆け出さずにはいられなかった。

 この世に残された最後の日本人として、私はヤツらに捕まるわけにはいかなかった。ほんの少しの間だけでも、日本人として生き残らなければならない。例え一秒という時間だったとしても、日本人の血族はこの世の中に存在しなければならないのだ。

 が。

 気持ちだけでは、どうしようもなかった。

「おい、こんな所に居たぞ」

 私が青臭い腐木の隙間に潜り込んで20分後に発見され、そしてヤツらに囚人のように取り囲まれたまま連行されたのであった。


 ※


「さあ、就任に供えてこの原稿を読みたまえ」

 黒服の連中に連行された私は、とある建物に連れてこられていた。すると、まず裸にされられ、ここ数十年の溜まっていた垢やら汚れを美しい女性達の柔らかな手によって洗い落とされたのだ。首や脇、下部などを王家御用達の石鹸で念入りに揉まれたり、伸び放題だった髭や髪を整えられてた。それからヤツらは私を30万はするオーダースーツに着替えさせ、往年の人間にありがちな黒いオールバックという髪型になった。

 私の目に映った鏡の姿は、まるで貴族のような風貌になっていた。

 やがて全ての準備が整ったのか、最後に私は1人の男が居る会議室に通されたのだった。

「……原稿を読むのは嫌です」

 男に書類を差し出されたが、確認せずに私は首を横に振っていた。それが何なのか、見なくても私は知っているからだ。

「読む、読まないは君の勝手だが、断っても無駄だぞ。どんなに嫌がっても最終的には薬剤を投与して君に原稿を読ませるからな」

「……知ってます」

「ならば目を通しておくことだ。それが、最後の日本人である君の義務だろ」

「……でも」

「全く、諦めの悪い男だな。捕まった時点で君の選択肢は、私達に従うという事しか無くなった。それが嫌だったら、逃げている間に自殺でもすれば良かったのだ」

 そう口にする男の視線は厳しく、絶対に逃がしはしないという意志が現れていた。きっとこの男は私が舌をかみ切ったとしても、この場、この瞬間で死ぬことは決して許さないだろう。いや、既に最新の医療機器と一流の医師を待機させているに違いない。

 それに気が付いた時、私は心の何処かで抱いていた、まだ助かる望みはあるかも知れない、という淡い希望は粉々に打ち砕かれたのだった。

 やがて私は諦めにも似た絶望から項垂れた。

「……何でこんな事に。どうして、お前等はこんな事をするんだ」

「私達がしているのは正しい事だよ」

「こんなのが正しいものか」

「正しいな。君達がミスをするのが問題なのだよ。ミスをしたならば、私達はそれを弾圧しなければならない」

「……もう、どうにでもしてくれ。殺してくれても構わない」

「ふふふ、どうやら、やっと決心が付いたようだな。だが、そんな態度では此方が困る。もう少し、しゃんとして貰わないと」

「え」

「出来ないのなら、仕方ない。おい、この男に薬物を投与しろ」

 呆然と驚いている私を余所に男が合図を出すと、会議室の中に大量の男達が入り込んできたのである。そして、反射的に逃げようとした私を強引に取り押さえたのだった。

「おい、どういう事だ! 私はおまえ等に従うと言っているんだぞ」

「君も私の言葉を聞いていなかったのか? そのふて腐れたような態度が困ると言っているのだよ。私達が求めているのは、品行方正、正義感と道徳心を重んじる日本人なのだから」

「ふ、ふざけるな! そんな日本人、この世の中に居るもんか」

「居るんだよ。時期に、君がそう変わる。変わらねば死ぬしかない。――やれ」

 男の号令により、取り押さえられていた私は注射を打ち込まれたのだ。それはあっと言う間に意識とプライドを根刮ぎ奪い取り、虚無感しか抱けない人形へと早変わりさせる。まるで頭蓋骨の中にお湯を流し込んだような放熱感が、私の薄皮に包まれた脳を支配していった。

 やがて膝から崩れそうになるも、腕や肩を黒服の男に掴まれていたので倒れずに済んだのだった。

「さあ、その男を会場に連れて行け。全く、原稿に目を通しておけば助かる可能性もあったというのに」

 複数の男に担がれていく私の背後から、そう男の痛烈なヤジが飛んでいたが、意識が朦朧としている私の耳には届いていなかった。

 そして目映い光りで覆い尽くされている場所まで連れてこられると、機械で強引に固定され、1人で壇上に立たされたのだった。

 私の前には透明なデスクがあり、そこにはあの原稿が置いてあった。その準備は、ここで読め、という事を意味しているのだろう。私の眼前に立ち尽くしている男達も、それを期待した目で見詰めているし、それは今まで嫌になるぐらいテレビで見てきた光景だった。

 雅かについに自分の番がやってくる事になろうとは。

 どうして、こんな事に。

 なぜ。

 そういう悲しみで私の瞳は滲み、どんなに堪えようとしても次々と涙が溢れていった。だが、それでも投与された薬の力で、私は泣きながら原稿を読まされたのだった。


 ※


 西暦20××年。

 日本人は潔癖なまでの正しさを求めていた。

 総理大臣に原稿の読み間違いや、漢字の書き間違えを許さないぐらい。モラルから外れる発言をネットで許さないぐらい。


 西暦21××年。

 一部の政治家による強行採決により、日本人は正しくない人間を罰するようになる。

 50年という時間を掛けて、道徳性を法律に盛り込んだ道徳法が作られる。


 西暦22××年。

 道徳法により初の死刑者が出る。


 西暦23××年。

 道徳法の適用率が、全犯罪の25%を超える。


 西暦24××年。

 道徳法による死刑が増加し、反対グループによる過激な犯罪が増加。


 西暦25××年。

 内乱勃発。


 西暦26××年。

 道徳法の適用率が85パーセントを超える。

 犯罪による死者2億人を超える。


 西暦27××年。

 最後の日本人が内閣総理大臣に就任するも、就任演説の原稿を読み間違い、道徳法の適用により死刑となる。


 同年。

 日本人、絶滅。


 同年。

 日本国、滅亡。


 

 

 これは未来のお話という事で一つ。

 オチを分かり易くしてみました。変更してすみません。

 

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 最初の印象としてはSFっぽいのかなーと思っていたのですが、読後感は見事にホラーでしたね。 現実の世の中で、善に対抗するのは別の価値観を有する善です。善と悪の抗争など、実際にはないに等しいでし…
[良い点] まずタイトルの破壊慮半端ないです。僕はこのタイトルを見て入ってきたような物。それにストーリーも落ちまでしっかり構成されてて、とても面白いです。 [気になる点] 失礼ととられましたらすみませ…
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