まっちぽんぷ
――勇者。
それはたゆまぬ努力により培った力を万民のために使い、戦う勇士。
それは天からの加護を授かり、常人とは比べ物にならない力を得た勇士。
それは常人では太刀打ちできない存在に打ち勝つ力を携えた者。
或いは、偉業をなした者を人々は感謝と畏敬の念を込めて勇者と呼び、称えた。
勇者と呼ばれていたヤルミルは、とある辺境の街の外れて、尋常ならざる魔物と対峙していた。
その魔物は蜘蛛の魔物だった。
蜘蛛の胴体に女性の上半身が生えている、異様な風貌の魔物だ。
通常、森などの巣を張りやすい場所に生息している魔物で、人里におりてくるのは稀であった。
しかも、このアラクネは随分と年を経ているようで、人語も解している。
――ひどく厄介な相手だった。
「俺は勇者ヤルミル! 悪しき魔物め! 攫った人を返せ!
今なら命乞いを聞いてやってもいいんだぞ?!」
「ほ、ほ、ほ。脆弱なニンゲン風情が吠えよるわ。ひとりで来たのは褒めてやろう。
だが、返す訳にはいかぬなあ。アレにはまだ使い途があるゆえ、な?」
――ガキィン!
一瞬で間合いを詰めたヤルミルの剣はアラクネの爪に容易に防がれた。
首を狙われたというのに、アラクネは焦った様子もなく、余裕たっぷりに笑う。
「ほ、ほ、ほ。威勢の良いこと。どこまでその勢いが続くか見ものじゃなあ!」
そうして、戦いの火蓋が切って落とされた。
アラクネがねぐらにした洞穴に剣戟が響く。
ヤルミルの攻撃はそのどれもが致命になり得る鋭さと重さをもってアラクネのあらゆる箇所を狙っていた。
しかし、アラクネはヤルミルの繰り出す剣を巧みにいなし、かわしていく。
余裕をもってヤルミルの攻撃をかわしながらも、アラクネは訝しんでもいた。
どこか、手を抜かれているような違和感。
だがそれはアラクネも同じことだった。
本気を見せるのは相手の底が知れてから。
しかし、こちらの力量を探っているにしても、様子がおかしい。
一手一手は鋭い。防がねば一閃ごとにアラクネの腕や首が飛んでいるだろう。だが、一撃ごとに大きく後退し、次の一手までの間がひと呼吸分、わずかに長いように感じられる。
アラクネの反撃を警戒しているのかもしれない。が、まるで時間を稼いでいるような――、まさか。
アラクネはすぐさま己が張り巡らせた糸に意識を集中する。
洞窟のあちらこちらに巡らせた糸はアラクネの手足も同然で、微細な空気の振動を感じ、その場にいなくとも針の落ちた音がわかるほどだった。
アラクネはもちろん、攫ったニンゲンを己の糸で緊縛しておいたし、ニンゲンを貼り付けた部屋にだって糸を巡らせておいた。
ヤルミルとの戦いに気を取られて、監視がおろそかになっていたが、はっきりと分かった。
攫ったニンゲンとは別のニンゲンが洞窟に侵入している――!
してやられたことを理解し、身体に走る衝撃にアラクネの動きがわずかに鈍る。
ヤルミルはその隙を見逃さずにアラクネの両腕を落とすべく剣を振るった。
しかし、それはアラクネの腕に防がれた。
落とそうとした腕ではなく、新しく現れた腕にだ。
アラクネは蜘蛛の胴体に四対の蜘蛛の足に、人間の上半身が生えている。人間の上半身には人間の腕が一対。それが普通の、ヤルミルが今まで見てきたアラクネの姿だ。
だが、いまや目の前のアラクネには通常通りの蜘蛛の足が四対に、人間の腕が増えた二対を合わせて三対になっていた。
明らかな異常。
そして剣は腕一本に掴まれているだけだというのに、小揺るぎもしない。
(こいつ、こんな力を隠していたのか……!)
アラクネはすぐさま懐の短剣を引き抜き、アラクネの首元に刺そうとした。
が、これも当然のごとく防がれた。それどころか短剣も剣も取り上げられ、腕の自由も封じられる。
数において不利なうえ、もちろん腕はぴくりとも動かせない。
にたりと笑ったアラクネの赤い口元から、こぼれるように嬉声が聞こえた。
「ふ、ふ、ふ……。来よったか……いいのう……。滾るのう……」
ヤルミルは作戦の失敗を悟った。
ヤルミルが囮になってアラクネを引きつけている間に、助力を申し出てきた少年が人質を助け出す算段だったのだ。
まさか、壁を隔てていてなお、人の気配を感知できるほどの技能を持った魔物だとは思いもしなかった。
完全にヤルミルの采配ミスだった。
ヤルミルは歯を食いしばる。
予想以上の強敵、目論見は露見した。
だが、諦めるわけにはいかない。諦められるはずがない。
自分なら魔物を倒せると大見得を切った。
攫われた娘を助けるための手伝いをさせてほしい、と訴えてきた少年の熱意に負けたとはいえ、巻き込んだのはヤルミル自身だ。
命と引き換えにしてでも、あの二人を街に返す。
だが、少しも動かせぬ自身の腕に弱気がよぎる。
本当にできるのか?
どうあがいてもアラクネに自分の勝つ姿が想像できなかった。
「……くっ! だが俺は負けない――!」
「すまん、ちょっと黙ってて」
「は?」
決意の、自身を奮い立たせるための咆哮は、アラクネにバッサリと切って捨てたれた。
ヤルミルにしてみれば困惑するしかない。
混乱するヤルミルにアラクネはさらに重ねる。
「今すごくいいとこころだから。黙ってて。頼む」
「は??? おまえは何を言っているんだ?
今は真剣勝負の真っ最中だろうが、オイ。こっちが生きるか死ぬかの瀬戸際にどこ見てんだ」
「いやほんとまじでいいところだからまじ」
早口でまくしたてられ、アラクネがヤルミルの耳裏に糸をくっつけてきた。
どんな攻撃だ?! とヤルミルは身構えたが、痛みは何もない。
「なんだこれ、何か聞こえる……?!」
「骨伝導じゃ、静かにしろってば」
「コツデンドー?」
アラクネが乱雑な仕草でヤルミルの口を塞いでくる。
仕方なく、ヤルミルは聞こえてくる音に集中した。
『怪我はないだな、ミラダ!』
『だ、大丈夫……。ヴィート、ここは危険よ、はやく逃げて……』
『魔物は勇者様が引きつけてくれてる。今のうちに逃げよう。勇者様に短剣をいただいたんだ、こんな糸すぐに切って――くそっ、固いなこの糸……! ぜんぜん切れねえ……!』
「いやあ、それほどでも……」
と、アラクネが照れる。それから指をちょちょい、と動かした。
耳に繊維質のものが千切れる音がする。おそらく、遠隔で糸を切ったのだろう。
『――切れた! さあ逃げるぞ、ミラダ』
『ヴィート……、だめよ、あの魔物、すごく強そうだった……。攫った私がいないって知れたら
今度は村に何するか……ヴィートだけでも逃げ……』
『おまえを置いて逃げられるわけないだろ!』
少年の怒号とともに、激しい衣擦れの音が聞こえた。
おそらくヴィートがミラダを抱きしめた音だろう。そうに違いない。そうであってくれ。
アラクネとヤルミルは顔を見合わせた。
ヤルミルの顔は鏡を見るまでもなくニヤけているのが分かる。目の前のアラクネと同じように。
ニタァ~、とした笑顔のまま。アラクネははずんだ声を出しながらヤルミルの背中を叩く。少し痛かった。
だが、そうしたい気持ちがヤルミルにはよく分かっていた。
「ね、ね、ね! いいところじゃったじゃろ、わたしの眼に狂いはなかった。
街で一目見て感じんじゃ、あの子らの間に漂う甘酸っぱい空気をな……!」
ヤルミルは力強く同意した。
「分かる。慧眼だ。声だけでも分かるぜ。映像がありありと浮かんでくるようだ。これは極上の味だぜ……。
いつも一緒にいた幼馴染……いつしか変わっていく距離、気持ち、周囲の視線……近すぎるが故に素直に口に出せない想い……」
「そう、そうなんじゃ、良いものじゃろ……。あなたわかっとるのう。
そなたも“こちら側”じゃな?」
「ああ……。そういうおまえもな」
ガシィッ!
ヤルミルとアラクネは固く握手を交わした。
もう、二人の間に言葉はいらなかった。
***
「勇者様、貴方様のおかげで娘の命が助かりました。なんとお礼を申し上げればいいか……!」
感涙にむせぶ父親の惜しみのない謝意に勇者は軽く首を振る。
「力あるものとして、勇者として当然のことをしたまでです。けっきょく、魔物には逃げられてしまいましたし……」
「そんな、娘の命があっただけでも……!」
「おお、謙虚な……!」
「なんて高潔なの、さすがだわ……!」
ますます盛り上がる人々をヤルミルは宥めた。
「私など、せいぜい魔物の足止めをした程度。
彼の勇気にはは足元に及びません」
ヤルミルは人々の前でヴィートを褒めちぎった。心からの賛辞だった。
「どのような危険が潜むかも分からぬ魔物の巣にミラダ殿の救出にその身一つで向かったのですから。
彼が素早くミラダ殿を救出してくれたからこそ、私も魔物と全力で戦えたのです。勇気ある彼の助力を受けてなお、魔物を取り逃した私など恥ずかしくてとても武勇を誇れません。
勇敢な彼の功績をこそ、称えられるべきしょう」
「いえ! 勇者様が短剣を始めとして、いろいろなアイテムを持たせてくれたおかげです!」
ヤルミルの隣でヴィートが恐縮したふうに頭をかいた。
「いやいや。一般人を丸腰で魔物の巣に突入させるわけにはいかないし、君の熱意があればこそだから」
それから、とヤルミルはヴィートに耳打ちした。
「余ったものは魔物を退けた記念にとでも思ってもらっておいて。
所帯を持つとなればそれなりに必要だろう?」
「……!!」
思いがけぬ言葉にヴィートは熱の集まる頬のままヤルミルの顔をまじまじと見るが、ヤルミルはただ静かに微笑んでいるだけだった。
「おお、勇者様にそこまで言っていただけるとは!」
「やるなあ、ヴィート!」
「おまえはやるやつだと思ってぜ!」
集まった友人や周囲の人々に肩や背中を叩かれ、ヴィートが痛いと悲鳴を上げるのにそう時間はかからなかった。
一躍注目の集まったヴィートにミラダが駆け寄り、そして抱きついた。
周囲から囃し立てる声や拍手、口笛がこれでもかと飛ぶ。
「お父さん、わたし、ヴィートと結婚する! いいでしょ!」
「えっ?!」
「ヴィートと一緒に幸せになります、お義父さん!」
「えっ?! えっ?!」
「ミラダが無事に帰ってこれたお祝いもあるし、ちょうどいいわ。今日式をあげちゃいましょ、あなた」
「えっ?! おまえ、いきなりなにを……えっ?! 挙げちゃうの? 今日?」
これから宴と結婚式が開かれることになった。
近所の家々から食事や酒が持ち寄られ、人々は楽器を持ち出し、奏で歌い出す。
困惑しきりだった父親も最後には浴びるように酒を呑んで、赤ら顔に満面の笑顔で宴会の輪に加わっていた。
宴の賑やかさで満ちる街にはもはや魔物におびえていた影はない。
みな一様に笑顔で、食べて、呑んで、踊って、歌って、明るく浮かれている。
その中心では急ごしらえの婚礼衣装に身を包んだヴィートとミラダが並んで座っていた。
指先が触れるだけで頬を染め合うような、初々しい二人の様子を周囲はあたたかく見守った。
「いやあ、めでたい。
魔物はいなくなったし、ヴィートとミラダの結婚が決まるし、お祝いごとはいくつあってもいいもんだなあ」
「まったくだ、これも勇者様のおかげだ」
「勇者様万歳!」
「ばんざーい!」
幸せの渦中にいるヴィートとミラダは辺りを見回した。周囲には二人の無事と結婚を祝う人々の笑顔で溢れている。
「ねえ、ヴィート。勇者様はどこかしら。
ヴィートと結婚できたのはあの人のおかげだもの、改めてご挨拶したいわ」
「そうだな、ミラダ。……あれ? さっきまでそこにいらしたとおもったんだけど……」
二人が勇者の不在に気付いたころ、当の勇者は夜の街道を抜けた先の、街からはるか離れた山中で焚き火を囲んでいた。
アラクネと共に。
「カーッ! 酒が進む! 純真な二人のゴールを見られてッ! 俺は感動しているッ!」
「まったくじゃッ! 祝い酒ェ! 呑まずにおられるかッ!」
「「二人の前途を祈ってェ~~! カンパーイッ!!」」
街の人間からお礼に! と勇者が受け取ったワイン樽の中身をするすると減らしながら、一人と一頭はその夜、何度も乾杯をした。
「ふ、ふ、ふ。あの二人がうまくいって本当によかったのう」
「ああ、まったくだ。
なあ、よければなんだが……。俺と一緒に来ないか?」
「おまえと……? ……して、その心は?」
「頼む、今回のようにまだ見ぬおしかぷの障害になってくれ!」
「いいぞ!」
「即答! さすが! いよっ、アラクネの姉御!」
そうして、勇者はアラクネと旅立った。わりと己の私利私欲のために。
のちに、魔物に攫われた者を必ず助け出す勇者がいたと言い伝えられるようになった。
助け出された者は必ず意中の者と幸せになったとも言われ、その勇者は縁結び勇者とも呼ばれ、多くの民草から親しまれたという。
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