日向雨
————死んでるくせに、生きた人間みたいなこと言うな!!
珠雨の言葉が脳内から離れない。
私が、死んでる?———いや、そんなはずはない。私は生きてる。
呼吸はできてるし、ちゃんと地面に足はついてるもん。
……呼吸できてる?
「……ちゃん!」
胸が苦しい。あれ、呼吸ってどうするんだっけ?
地面がぐにゃりと歪む感覚がした。耳なりがする。
どうやって立ってたっけ?息ができない。死んじゃう?もう死んでるの?
「美雲ちゃん!!」
雨彦さんの声にハッとして、私は崩れ落ちて、地面にへたりこむ。
無意識のうちに呼吸を止めていたのか、一気に酸素が流れ込んできた。
「美雲ちゃん!大丈夫?」
私は、返事もできず、荒い呼吸を繰り返していた。
雨彦さんが背中を優しく撫でてくれる。
そのおかげか、しばらくすると、落ち着いてきた。
「……あ、ありがとう……ございます……」
絞り出すようにお礼を言う。
いつの間にか、そばにあめたろうがいて、私に寄り添ってくれていた。
「美雲ちゃん、立てる?椅子、座れる?」
私は頷いて、雨彦さんに支えられながら、椅子に腰掛ける。
「ありがとうございます……落ち着いてきました……」
「よかった……ごめんね、珠雨が……」
私は首を振って、「大丈夫です」と言った。
「珠雨にも、何かあると思うんです。なんていうか、珠雨は理不尽に人を傷つけるような人じゃないし……」
あの時の珠雨は、なんとなく、苦しそうだった。
怒らせちゃったな……。
私もあの時は頭に血が登って、珠雨の気持ち、ちゃんと考えようとしなかった。
———どうせ後から見なきゃいけない現実を見せて何が悪い!
現実を見せるのも優しさなのかな。
珠雨にとっては、優しさなのかもしれない。
人はみんな、同じ優しさを受け取って生きてるわけじゃないし、同じ優しさを持ってるわけじゃない。
柔らかい言葉で包み込む優しさ、厳しい現実を突きつける優しさ。
時には、優しさが人を傷つけてしまうかもしれない。
でも、みんなそれぞれ、自分なりの優しさを持っていて、それぞれ違う優しさを求めている。
正解かなんて、行動しない限り誰にもわからないのだから、怯えず行動するしかない。
少なくとも私は、押しつけの優しさだったとしても行動してきた。
「……美雲ちゃんは、大人だね。珠雨と大違いだ」
私は雨彦さんの言葉に少し笑ってしまった。
「珠雨は大人じゃないんですか?」
「まだまだ私にとっては子供さ。珠雨がどんなに大人になろうと私にとっては、ずっと可愛い孫だけどね」
雨彦さんは優しく目を細めた。
「素敵ですね」
「ああ、珠雨は私の大事な孫だ。素直じゃないけど、人に優しいんだよ」
「はい。優しいです」
そんな会話で少し空気が和んだ頃、私は一つ深呼吸をした。
そして、覚悟を決めて雨彦さんに体ごとまっすぐ向き直って、
「……雨彦さん。私は死んでますか?生きてますか?」
私は震える拳を握りしめる。
雨彦さんは、目を見開く。言ってもいいのか迷ってるようだ。
でも、私の表情を見て、雨彦さんはゆっくり口を開いた。
「現実を見せるけど、大丈夫かい?」
「はい。もう、わかりきってることなので」
雨彦さんは私の言葉に頷いた。
「美雲ちゃんは、もう死んでるんだ。もう、この世の人じゃない」
わかりきっていたことだ。
なのに、やっぱり短時間では到底受け取りきれなかった。
一瞬で頭が真っ白になった。
手が震える。視界が滲んでしまった。
雨彦さんはそんな私を見て、心配そうにする。
「だ、大丈夫かい?ごめん……でも、事実なんだ」
雨彦さんは、何も悪くないのに、謝らせてしまった。
私は、乱暴に涙を拭う。
「大丈夫です……!すみません……」
でも、涙は止まらない。
「あの……もっと詳しく教えてくれませんか?」
雨彦さんを促す。もっと知らなければ、前に進めない。
雨彦さんは躊躇いがちに口を開いた。
「……まず、ここ、“雨宿り“は、死んだ生き物しか入れない。生きている人には、見えないんだ。
まあ、つまり、私も珠雨もすでに死んでいることになるんだが……」
私は呆気に取られた。
この人も、死者なのか……?
こんなに生き生きしているのに。
「未練が残って、死にきれなかった死者が集まる場所なんだ、ここは。
未練から解放された者から、綺麗に消えていく、静子さんのようにね」
静子さんの名前が出てきて、私は目を見張る。
「未練から……解放されたから……?」
「そう言うこと。静子さんの未練は、親友にプレゼントを渡しそびれたことかな。
小さなことに思えるけど、静子さんにとっては大きなことだったんだね」
「そうだったんですか……」
静子さんは、未練から解放されて、死に切れたと言うことか……。
私はふと、疑問が頭に浮かぶ。
「雨彦さんや珠雨も、未練があるんですか?」
「もちろんあるよ。美雲ちゃんにもあるんじゃない?未練」
「私は……」
未練なんてあるのかな。思い当たる節がない。
優しさを無視されたこと?でもそれは、今更どうにもできないし、特に思い詰めてもない。
「……特に、ないと思いますけど…」
雨彦さんは優しい表情を崩さずに、
「無自覚に未練が残ってしまってる場合もあるんだ。美雲ちゃんは、そのタイプだね」
「み、未練わからない場合は、ど、どうしたら……」
私は不安になった。消えてしまうのは嫌だけど、死者のまま現世を彷徨うなんて、もっと嫌だ。
無意識に、大学で道に迷っていた女の子のことを思い出していた。
「大丈夫ですよ。ゆっくりでいいんです。必ず、わかりますから」
雨彦さんが言うと、何の根拠もないのに、なぜかそんな気がしてくる。
これは、雨彦さんがこの不思議な喫茶店の店長だからだろうか。
「それなら、いいんですけど……」
雨彦さんや珠雨の未練は何だろう?
聞いてもいいのか迷っていると、雨宿りのドアが開いた。
「……珠雨」
私はうまく反応できなくて目を逸らしてしまう。
すると、珠雨はまっすぐ私のところに向かってきた。
私はびっくりして、思わず目の前に来た珠雨を見上げる。
すると、珠雨は勢いよく頭を下げてきた。
「ごめん!さっきは……その…言いすぎた……」
頭の後ろを掻きながら、バツが悪いといったように目をそらされた。
私はしばらくポカンとして、安心したからか、ふっ口元が緩んだ。
「……こっちこそ、ごめん。自分の考えばっかで、珠雨の気持ち、考えてなくて……」
「いやいや、俺も言い方悪かったし……」
「ううん、私も……」
しばらくお互い謝りあっていたが、何だかおかしくなってきて、同時に吹き出した。
「俺たち、日本人かよ」
「日本人だよ」
またクスクス笑う。
しばらく笑い合ったあと、珠雨がふと真面目な顔になる。
「……俺、奏くんのこと考えたんだ」
私もつられて、真面目な表情になった。
雨彦さんも興味深そうにこちらを見ている。
「手紙だ。手紙を奏くんに書いてもらって、それを親の目の前に置く」
私はハッとした。
「そ、そうか!物だけなら、生きてる人にも見えるから!」
珠雨は「そういうこと」と、ニカっと笑う。
その今まで見たことないはずの明るい笑顔に、なぜか懐かしさを感じた。
「奏くんにも言わないと、だね」
「いや、奏くんにはもう言った」
雨彦さんの問いに、珠雨は間髪いれずに答えた。
「言ったの?」
「おう。明日、それ持って雨宿りに来いって言っておいた」
「じゃあ、このことはまた明日、考えようか。今日はもう遅いし、店も閉めるね」
私も珠雨も頷いた。
明日、奏くんを救ってあげられるように、私も頑張ろう。
「こんにちは……!」
昼頃、奏くんが雨宿りにやってきた。
「いらっしゃいませ」
雨彦さんは奏くんを窓際の席に案内する。
隣の机を拭いていた珠雨がこちらに近づいてきて、
「手紙、持ってきたか?」
「はい!持ってきました!」
珠雨は満足そうに頷いて、
「じゃ、早速行くか!」
珠雨が拳を上げると、私も奏くんもつられて、拳を掲げた。
「おー!!」
私と奏くん、珠雨の三人で奏くんの家まで歩く。
その間、奏くんはどこか緊張してる様子だった。
しばらく歩くと、新築のマンションが見えてきた。
「あのマンションの五階です」
「すごい綺麗なとこだね」
私が感心して呟くと、「まあ、新しいとこなんで……」と、奏くんは照れたように笑う。
エレベーターを使って、五階まで登る。
一階でエレベーターに乗る際に、サラリーマンとすれ違った。三人がエレベーターの目の前にいるのに、見向きもせずに降りて行った。
やっぱり、見えてないみたいだ。
腰より少し高い外壁が伸びる長い廊下を歩く。外が見えて、解放的だ。
きっと、晴れの日なら、もっといい景色なんだろうな。雨なのが残念だ。
「ここです」
足を止めたのは、一番端っこの部屋だった。
端っこには、小さいウサギの置物が置かれている。
ネームプレートには、『篠崎』と書かれている。奏くんの苗字だろう。
「よし、じゃあ俺たちは、ちょっと離れて見とくから、直接渡せよ」
「え、で、でも……」
「なんだ、今更ビビってんの?」
珠雨の挑発に奏くんは眉を寄せた。
「び、ビビってねーし!」
奏くんは扉に向き直る。
珠雨はその様子を見て、少し離れる。
「何ぼーっとしてんの。あんたも早くこっち」
珠雨に言われて、慌てて、私も離れる。
離れなくても、どうせ見えてないのだから変わらない気がするけど……と思ったが、言わないでおいた。
奏くんがインターホンを押す。そして、手紙をそっと地面に置いた。
私は固唾を飲んで見守った。どうか、うまくいきますように。
しばらくして、扉が開いた。
「はーい……って、誰もいないじゃない!いたずらかしら?」
キリッとした感じの茶髪のセミロングの女性が出てきた。きっとこの人が奏くんのお母さんなんだろう。
「母さん……」
奏くんがお母さんを呼ぶ。でも、女性は奏くんをチラリとも見ずに、家へ戻ろうとした。
私は焦って、思わず近づこうとしたが、珠雨に止められた。
珠雨を見上げると、「心配するな」と言って、じっと奏くんたちの方を見ている。
私も渋々珠雨の横に留まった。
「あら?何かしら、これ……」
ドアを閉めようとしたときに引っ掛かりでもしたのか、奏くんのお母さんは奏くんが書いた手紙を拾い上げた。
封筒に書いてある文字をみて、奏くんのお母さんの目が開かれる。
奏くんは、そんな自分のお母さんの様子を見て、「母さん、母さん!」と何度も呼んでいる。
奏くんのお母さんは便箋を開けて中を見た時、弾かれたように顔を上げた。
「……奏?」
少し震える声。
「母さん!」
奏くんも泣きそうになっている。
お母さんは、信じられないものを見おるように、でも確かに瞳に奏くんを映していた。
「奏なの?奏!!」
お母さんは、奏くんを抱きしめた。でも、お互いが触れ合うことはなかった。
「母さん!ごめん!!俺、俺……!酷いこと言ったまま、謝れずに、いなくなって、悲しい思いさせて、ごめんなさい……!!」
「ううん……私の方こそ、ごめんね……奏のこと、ちゃんと見ずに……」
お母さんは、奏くんの前にへたり込んで、泣いている。きっと、はたから見たら、一人で泣いている変な人だ。
でも、きっとそんなことどうでもいい、この瞬間だけは、二人の世界にしてあげたい。
「……奏、戻ってきて……ごめん…すぐに見つけにいけばよかったのに……」
奏くんは、お母さんを見て、黙っている。ここからは、その表情が見えない。
「お願い……なんで、死んだりしたの…?高いところは危ないって昔からあんなに言ってたじゃない!!」
「……ごめん、ごめん……母さん、俺……」
私は息を呑んだ。
奏くんの体から、静子さんの時と同じ、無数のキラキラした星屑のようなものが出てきた。
「行かないで……奏!奏!!」
奏くんの足元に、雫が落ちた。
奏くんはお母さんに抱きつくようにしゃがんだ。
そして、奏くんは跡形もなく、スーッと消えていった。
私は、静子さんの時と同様に、ただ見守ることしかできなかった。




