静子さんの雨
「まさか、こんな偶然ってあるんですね……!」
窓際の席で傘のラテアートが施されたカフェオレを一口飲んだ女性は嬉しそうに笑う。
傘を返してもらった時、女性は「あの時は本当にありがとうございます!」と言ってくれた。
「本当に偶然ですよね!」
「お知り合いですか?」
それまでずっと口を閉じていた雨彦さんが口を開いた。
「はい!まあ、今日会ったばかりなんですけど……」
女性はクスクス笑って、
「あの、名前…聞いてもいいですか?あ、私は、中島静子です!」
「白川美雲です!それでこちらが……」
「店長の雨彦さんですよね?」
「え、知ってるんですか?」
びっくりして尋ねると、雨彦さんは優しく笑う。
「静子さんはここの常連さんなんです。」
静子さんも照れたように笑う。
「ここの雰囲気が好きで、落ち着くので……」
「わかります!私もここ居心地良くて……」
「つい先ほど、美雲ちゃんを雇ったんですよ」
静子さんは目を瞬かせて、それから嬉しそうに笑う。
「そうなんですか!すごいです!私、もっと通う頻度増えちゃいそう……」
静子さんは本当にここが大好きらしい。
「それで……静子さん、あのこと…まだ悩んでますか?」
雨彦さんは優しく、少し真剣な表情で聞いた。
すると、静子さんは笑顔だったのが一気に暗い表情になる。
「……はい。さすが、雨彦さんは鋭いですね」
雨彦さんは「そんなことありません」と謙遜する。
私は二人の様子が一気に変わって、一瞬戸惑う。
でも、気になったので尋ねてみた。
「何か、あったんですか?」
雨彦さんは私を見て、手を一つ叩いた。
「そうだ!美雲ちゃん、静子さんの悩み聞いてあげてくれませんか?」
私も静子さんも同時に「え?」と声をあげた。
「美雲ちゃん、人助けが得意って言ってたし、それについさっき私も、少し美雲ちゃんに助けられたので。」
「いや、私は……」
改めて言われると、少し照れくさい。
「だから、お願いしてもいいですか?」
久しぶりに誰かに頼み事をされて、嬉しいのは事実だ。
それに、人助けは私の得意分野だ。
「はい!がんばります!」
店長は料理の仕込みがあると言って奥へ入っていった。
小さなお店だけど、料理の種類はたくさんあったので、二人で回すのは大変だろうな。
ここで働くことにしたのは正解だったな。
「あの、ありがとうございます!美雲さんには、助けてもらってばかりで……」
「いえ!まだ何もしてないですし……それに私、人助け好きなので!」
そう笑いかけると静子さんも笑ってくれた。
「……あの、それでお悩みっていうのは……?」
静子さんは一呼吸置いてから、口を開いた。
「……親友に誕生日プレゼントを渡したくて」
もっと難しいことを言われると緊張していた私は、少し拍子抜けした。
病気の母に何かしてあげたいとか、喧嘩したまま疎遠になった友達にちゃんと謝りたいとか、そういうのがくると思っていた。
「誕生日……プレゼントですか…何か渡せない理由とかあるんですか?」
絶対何か理由があると思って、恐る恐る聞いてみた。
「はい……。親友は来月、シンガポールに行ってしまうんですけど、私…誕生日の日にプレゼント、渡しそびれちゃって……」
なんで渡しそびれたのか聞こうとしたが、直前でやめた。なんとなく今は、黙って聞いておこうと思った。
「それで後日、プレゼントを渡そうと、親友に会いに行ったんです、私。でも……」
女性の手が震えているのを私は見逃さなかった。
「無視されました。まるで、見えてないみたいに」
私はその言葉を聞いて、衝撃を受けた。
無視?親友なのに?
私は親友と呼べるような子はできたことはないが、自分が大切にしている人に無視されるのはすごく辛いだろう。
ただの他人に無視されるだけでも、辛いのに。
無意識に、大学で女の子に無視されたことを思い出していた。
無視されてショックなのにそのことを受け入れたくなくて、「きっと聞こえなかったんだ」「気づかなかっただけかも」と何度も言い訳を重ねながら不安になるのに、また無視されるのが怖くて話しかけられない。
「……無視された原因に心あたりはありますか?」
「全く………誕生日前日まで、普通に連絡も取っていました」
「……その連絡の中で何か言った……とか?」
「それはないです。断言できます」
そう言いながら、静子さんはスマホを操作して、私に画面を見せる。
そこにはトーク画面が表示されていて、明日何時に家に行くか、明日楽しみだねという会話しかなかった。
会話の中から、傷つけるようなことや、怒らせるようなことも見当たらなかった。
最後のおやすみスタンプも静子さんで終わっている。
「確かに……これだけじゃあ、無視する理由がないですね……」
……だとしたら、何が原因なのだろう。
「そうなんです……」
しばらく二人で考え込んだ。
でも、いつまで経っても答えは出なかった。私は、考えても埒があかないと思って、立ち上がる。
「もう一度、渡しに会いに行ってみましょう!」
静子さんは驚いたように目を見開いて、すぐに不安な色を落とした。
「で、でも……また無視されたら……?」
……静子さんの不安な気持ちはわかる。昔の私ならわからないかもしれないけど、今なら痛いほどわかる。
私もいつしかどうせ無視されると諦めていたのだ。
それでも、なんとかしたくて、私は安心させるためにできるだけの笑顔を向けた。
「大丈夫です!やってみなきゃ、何も始まらないです!」
静子さんは少し迷っていたが、ちらりと私をみて、渋々頷いて立ち上がってくれた。
「美雲さんがいうなら……」
私は、雨彦さんに「ちょっと行ってきます!」と言って、静子さんの手を引いて、静子さんの親友の元に向かった。
外はまだ雨が降っていた。雨に濡れたアスファルトの道を、私たちは並んで進む。
「すみません……また傘貸してもらっちゃって……」
「いえ、大丈夫です!ところで、その、親友さんの家はどこにあるんですか?」
「えーと、ここを少し歩くと、コンビニが見えると思うんですけど、その裏です!」
私は頭の中でその場所を想像する。確かにコンビニの裏には住宅街があった気がする。
コンビニまでつくと、ふと静子さんの足が止まった。
「香奈……!」
私は無意識に静子さんの目線の先に目を向ける。しっかりしてそうなメガネをかけた女性がコンビニ袋を手に下げて、コンビニから出てきた。
あの人が静子さんの親友……香奈さんというらしい。
静子さんは香奈さんに近づこうと少し歩いて足を止めた。私も後ろから追いかけるように近づくが少し離れたところで、同じように足を止めた。
「香奈……」
静子さんがぼそっと呟くように声を発した。
香奈さんは、傘を差すと静子さんとすれ違って歩いて行った。
雨は、強まるばかりだ。
「はい、どうぞ」
私は静子さんにアイスラテを手渡すと、静子さんの隣に腰掛ける。
目の前で雨が降り頻るのを見つめながら私は自分ように買ってきた水を一口飲む。
なんとなく、水の気分だった。
「ありがとうございます……」
静子さんはアイスラテを両手で包んだまま、俯いた。
私たちはあの後、喫茶店に帰る元気もなくて、小さな公園に来て、雨をぎりしのげている、少し古い東屋の中にあるベンチに座っている。
「……あんな感じでした。前の時も……」
しばらく沈黙が続いていたが、静子さんがゆっくり沈黙を破った。
「……見えてないみたい、ですね」
静子さんは黙って頷く。
また、沈黙が落ちた。
香奈さんは無視した訳でも、静子さんの声に応えられなかった訳でもなく、ただ静子さんのことが見えてなくて、そこに静子さんがいることに気が付かなかったように見えた。静子さんのことをちらりとも見なかった。
私たちは、お互い何も言わなかった。
静子さんは落ち込んで俯いてるだけで、私は何て言葉をかけたらいいのかわからなかった。
困ってる人が近くにいるのに、どう助けていいかわからないのが、どうにももどかしかった。
それから少しして、静子さんがようやく口を開いた。
「すみません……せっかく協力してくれてるのに、こんな調子で……」
「いえ、全然……あの、辛いですよね……」
薄っぺらい言葉しか出てこない。
「まあ……でも、美雲さんがいてくれてよかったです。一人だったら、きっとどうにかなってたかも……」
静子さんは力無く笑う。
「そう、ですか……特に、何もしてないですが……」
「何もしてなくてもいいんですよ。無理に助けらるよりも何も言わずにそっと隣にいてくれた方が、安心します」
静子さんはそう言って、立ち上がる。
「今日はありがとうございました。今日は、もう帰りますね」
静子さんが傘を差して、東屋を出ようとしたところで、私は慌てて立ち上がる。
「静子さん!」
静子さんはゆっくりと振り返る。私は一呼吸おいて、大きな声で言う。
「また明日も、雨宿りに来てください!静子さんは一人じゃないです!」
多分、私は静子さんを、学生時代の自分と無意識に重ねていたのかもしれない。
だから、昔私が欲しくてたまらなかった言葉を静子さんに渡した。
伝わったか確信はなかったが、静子さんの表情をみて、伝わった、正解を言えたとホッとした。
「はい……!また、明日……!」




