出会いの雨
「いらっしゃいませ」
中に入ると、少し低めの優しい声と同時に、優しそうな雰囲気を纏った、黒髪のおじいさんが私に近づいてきた。
私は軽く会釈する。
「どうぞこちらへ」
私はおじいさんに案内されて、窓際の席についた。
メニューを渡されたので、中を見てみる。
「当店のおすすめはこちらの“雨ふりサイダー“になっております」
おじいさんはにこやかに教えてくれた。
「あ、じゃあそれで」
「かしこまりました」
おじいさんは会釈して、キッチンの方に行った。
紳士な人だなあ……。
私は店内をぐるっと見渡してみる。
暖かい木造の造りで、ところどころに花や植物が置かれていて、まるで外とは別世界みたいだ。
机と椅子の数は少なめで、カウンターに二席、私が座っている窓際の二人がけの席と、その斜め向かいにある同じく二人がけの席しかない。
木の造りのおかげなのか、店長の雰囲気のおかげなのか、なんとなく落ち着く。
そんなことをぼんやり考えていると、目の前にコースターに乗ったグラスが置かれた。
その中には、美しい濃いめの青色をしたサイダーが注がれていた。
上に乗っている生クリームと、中で弾ける炭酸が雨みたいだった。
私がサイダーに釘付けになっていると、
「雨ふりサイダーは、雨をイメージして作りました」
「すごい……綺麗ですね……」
私はストローでサイダーを一口飲んでみる。
すると、シュワっと弾ける炭酸と不思議な甘味が口の中に広がった。
「美味しい!」
思わず、もう一口飲んでいた。
こんな美味しい喫茶店があったなんて、今まで知らなかった。
こんなお店があるなら、早く見つければよかった。
「お口にあったならよかったです」
「こんなとこがあるなんて知りませんでした……いつからできたんですか?」
おじいさんは一瞬目を伏せて、「あ、そうだ」とまた元の表情に戻り、誤魔化すように話を変えた。
話したくない話題なのだろうか。
おじいさんが少し困ってるように見えたので、いつもの癖で「どうしましたか?」と訊こうとしたが、おじいさんが先に口を開いたのでそれきりになった。
「申し遅れました。私、当店の店長の雨谷 雨彦と申します。どうぞよろしくお願いします」
雨彦さんが丁寧な自己紹介をしてくれたので、私は思わず姿勢を正す。
「雨谷さん……よろしくお願いします!……あ、私、白川美雲です!」
私の自己紹介は雨谷さんとは真逆の慌ただしい感じになってしまった。
でも雨谷さんは、そんなことは気にしてないらしく、微笑んでくれた。
「美雲ちゃんですね。いい名前ですね。あ、私のことは“雨彦さん“とか“店長“と呼んでくれても大丈夫ですよ。
苗字ですと、孫とごっちゃになるので……」
「じゃあ、雨彦さんで……お孫さんいるんですね!」
雨彦さんは頷いて、にこやかに続ける。
「はい。ここの喫茶店を手伝ってくれているんです」
私が「そうなんですか」と相槌をうったとき、喫茶店のドアが開いた。
「お疲れ様でーす」
「あ、噂をすれば……」
入ってきたのは、黒髪の同い年くらいの男性だった。
「お疲れ、珠雨」
珠雨と呼ばれた男性は歩いてきて、私たちの近くに来ると、初めて気づいたように私を見た。
そして、座っている私を上から見下ろして、少し眉を顰めた。
背は平均よりやや低めではあるが、近くで見下ろされると、威圧感があってちょっと怖い。
私はいたたまれなくなり、ぎこちなく会釈する。
「店長、この子だれ?」
「ああ、今日のお客さん。美雲ちゃんだよ」
「白川美雲です!あの、この喫茶店、めっちゃいいですね!
私、ずっとこの近くに住んでるんですけど、今日初めてこんなお店があることに気づいて……」
私は素直に思ったことを口にしたが、珠雨さんはまた眉を顰めた。
「なあ、あんたさ、この店がどんな店か知ってるか?」
私は首を傾げる。
「この店はな……」
珠雨さんが何か言おうとしたとき、「わんわん!」と犬の鳴き声がした。
同時に、キッチンの奥の方から、茶色のフサフサな毛を纏った大きい犬が飛び出してきた。
そして、珠雨さんに飛びついた。
「うお!?」
珠雨さんは突然のことで受け身がとれず、バランスを崩して、床に倒れ込んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
私は慌てて助けようと腰を浮かした。
犬は珠雨さんの上で珠雨さんの顔を舐めたり、体を擦り付けたりしている。
「や、やめろ……くすぐったい!」
珠雨さんはそう言いつつも、特に嫌そうではないので、私は固まって、その様子を眺めていた。
その光景を見ていた雨彦さんがクスッと笑う。
「うちで飼ってる、ゴールデンレトリバーのあめたろうです。珠雨にすっごく懐いてて、毎日こうなんです」
さっきまでの険しい表情とは違う、少し和らいだ表情で、あめたろうと戯れる珠雨さん。
それが少し幼く見えて、そのギャップがなんだかおかしくてクスッと笑った。
珠雨さんはあめたろうを優しく横におろして、立ち上がると、照れ隠しのように咳払いを一つした。
私も椅子に座り直す。
「で、この店のことだが……」
私はごくりと唾を飲み込む。その時、雨彦さんが割って入ってきた。
「珠雨、その話はまた後で私から伝えておくよ。
それより……あめたろうにご飯をあげてくれないかい?」
珠雨さんは何か言いたそうにしたが、雨彦さんの圧に負けて引き下がる。
私も、雨彦さんには逆らえない何かを感じた。
「……わかったよ……行くぞ、あめたろう」
珠雨さんは私を一瞥して、あめたろうを抱きかかえると、奥へと入っていった。
「すみません、少し騒がしくしてしまって……」
「いえ!全然!……それより、あの、さっき珠雨さんが言おうとしてたことって……?」
雨彦さんがさっきから不自然に止めたりしていたので聞いていいのかわからなかったが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「ああ、このお店は、他のお店と違って、少し変わってまして……」
「変わってる?」
雨彦さんは少し間を空けてから、ゆっくり話し始めた。
「はい……実はここ、喫茶店だけじゃなくて、悩みとか苦悩を抱えている人がよく来店されて、お悩み相談……みたいなこともしているんです」
「お悩み相談……」
雨彦さんは頷いて、それから「まあ……」と苦笑いを浮かべる。
「私も珠雨も、誰かの悩みを聞くことはできるんですが。、二人とも不器用なもので……。
いいアドバイスとか、解決するとか、できないんですよね……まあ、珠雨が言いたかったことはこのことだと思います。
ちゃんと説明したかったので、私からさせていただきました」
私は「なるほど」と相槌を打つ。
「あの、悩みを相談しにきてくれる方、別に解決して欲しいとか最もなアドバイスが欲しいとかはないんじゃないですか?」
雨彦さんは少し目を見開いて、私を見る。予想外の返答だったのだろうか。
「誰かに悩みを打ち明けるだけで、スッキリすることもあるんです!なくしものとかは……また違うのかもしれないけど……でも、誰かに聞いてほしいだけとか、どこかに吐き出したいだけとか、そういう人たちも結構たくさんいると思います!
だから、雨彦さんと珠雨さんのおかげで、救われてる人もきっといますよ!」
昔、悩みを相談された時、正論で返したら、「そういうんじゃない!」とキレられたことがある。
正論で返して何が悪いのか、その時の私にはわからなかった。
でも、今ならわかる。
あの子は、正論とか、根本的な解決とかじゃなくて、ただ誰かに自分の苦悩を吐き出して、共感が欲しかったのだ。
雨彦さんは、感嘆の声を上げる。
「……すごいですね……美雲ちゃん。考え方が素敵です。
そんなこと考えたこともありませんでした」
雨彦さんが褒めてくれたので、少し照れる。
「いえ、そんな……」
「そうだ!よければ美雲ちゃんも、ここで働きませんか?」
雨彦さんからの突然の提案に、今度は私が驚いた。
「え……?わ、私がですか?」
「はい。あ、いやでしたら、断ってくれても……」
雨彦さんが最後まで言い終わる前に、私は片手をあげて、立ち上がる。
「やります!私でよければ、ここで働かせてください!」
家にいても暇だし、遊びに行く友達もいなければ、他にバイトもしていないので、バイトをさせてもらえることは、金銭的な面でもありがたかった。
何より、ここが居心地がいいことが大きかった。
「ありがとうございます!
じゃあ、これからよろしくね」
私が精一杯頑張ろうと意気込んだ時、喫茶店の扉が開いた。
「あ、美雲ちゃんの初めてのお客さんだよ」
「はい!いらっしゃいませ!ようこそ雨宿りへ……って、え!?」
お客さんのそばまで行くと、私もお客さんも同時にびっくりした。
その女性の手には、私の傘が握られていた。




