4話:訓練
聖竜騎士団の朝は早い。
いや、「早い」という言葉では生温い。
太陽が昇るより前に叩き起こされ、泥水を啜り、限界まで肉体を酷使する。それが新兵に課せられた「常識」だった。
「貴様らのようなゴミ虫は、人間になるまで泥を這いつくばっていればいい! 死にたくなければ足を動かせ!」
怒号を上げているのは、鬼教官ゲイル。
歴戦の古強者であり、新人いびりを趣味とするサディストだ。
彼の訓練メニューは「地獄」と呼ばれ、初日で半数が脱落し、一週間で八割が逃げ出すと言われている。
「ぐ、げぇっ……もう、無理……」
「ママ……助けて……」
周囲では、昨日僕を馬鹿にしていた貴族の息子たちが、次々と泡を吹いて倒れていく。
重さ30キロの鎧を着て、山道を全力疾走で10往復。
常人なら死ぬ。
だが。
(……遅い)
僕は先頭を走りながら、苛立ちを噛み殺していた。
こんなものか?
これが大陸最強の騎士団の訓練なのか?
僕の背中には、エマを失った喪失感が常に張り付いている。
心臓が焼けつくようなあの日の絶望に比べれば、筋肉が悲鳴を上げる程度の苦痛など、痒みにも感じない。
「おい、そこの貧民! 誰がペースを上げていいと言った!」
ゲイル教官が鞭を鳴らして僕の前に立ちはだかった。
僕が他の訓練生を周回遅れにし、涼しい顔で走っているのが気に食わないらしい。
「調子に乗るなよ、小僧。基礎体力が多少あるくらいで――」
「インストラクター」
僕は彼の言葉を遮った。
「次のメニューはなんですか?」
「あ?」
「ぬるいんです、これじゃ。準備運動にもならない」
演習場が凍りついた。
泡を吹いて倒れていた同期たちが、信じられないものを見る目で僕を見上げる。
ゲイルの額に青筋が浮かんだ。
「……ほう。言うようになったな、ゴミ虫が。なら、特別メニューだ」
彼は腰に提げていた木剣を投げ渡してきた。
自身も木剣を構え、殺気立った眼光を向ける。
「俺から一本でも取れたら、基礎訓練はすべて免除してやる。ただし、手足の一本や二本は置いていけよ?」
実戦形式の「しごき」。
本来なら、新人が手も足も出ずにボコボコにされ、心を折られるイベントだ。
「……そうですか。なら、手加減は不要ですね」
『固有スキル《復讐者》発動』
『対象の戦闘技能を解析中……完了』
ゲイルが踏み込んだ。
速い。
風切り音と共に繰り出された突きは、的確に僕の喉元を狙っていた。熟練の騎士だけが放てる必殺の一撃。
だが、僕の目には「止まって」見えた。
(軌道が見える。筋肉の動きが見える。……なんだ、魔族の動きに比べれば、止まっているようなものじゃないか)
僕は半歩だけ体をずらし、突きの軌道を避ける。
同時に、ゲイルの踏み込んだ足に自分の足を引っかけ、勢いを殺さずに手首をひねり上げた。
「なっ、ぐおっ!?」
ドスンッ!!
視界が回転し、気づけば鬼教官ゲイルは地面に転がっていた。
その首元には、僕の木剣が寸止めされている。
決着まで、わずか0.5秒。
「……え?」
誰かの間の抜けた声が響く。
ゲイル教官自身、何が起きたのか理解できていないようだった。
「基礎訓練、免除でいいんですよね?」
僕は冷淡に見下ろした。
勝利の
だって、こんな程度の相手を倒したところで、あの日の魔族には届かないのだから。
『クエスト達成:教官への勝利』
『報酬:訓練スキップ権限の獲得』
『獲得経験値:通常訓練3年分に相当』
「ば、馬鹿な……俺は、元Aランク冒険者だぞ……? それを、剣を持ったばかりの子供が……」
ゲイルは震える手で自分の首を触った。
僕を見る目から「侮り」が消え、「畏怖」に変わる。
「お前、何者だ……?」
「復讐者です」
僕は木剣を捨て、立ち尽くす同期たちを置いて宿舎へと戻った。
時間の無駄だ。
もっと強い奴と戦わないと、僕の渇きは癒やされない。
(足りない……もっと、圧倒的な暴力が……)
『レベルアップ:Lv.50 → Lv.55』
『現在のステータス:騎士団長の数値を一部凌駕しました』
背中で聞こえる同期たちのざわめきが、今の僕には心地よいBGMでしかなかった。




