1-3『白夢担当・イリス』①
翌朝。
ユムは、まだ赤く腫れた拳を見つめながら、研修棟へと足を運んでいた。
「“怒りに応える”って……変な言い回しだけど、なんか分かる気がする」
昨日の戦闘で夢獣とぶつかり、拳で“伝えた”。
拳だけで殴り合ったのに、たしかにそこに“対話”があった気がした。
「今日は白夢か……」
その日訪れた訓練棟の空気は、昨日とは明らかに違っていた。
前回の赤夢研修では、怒りの塊のような夢獣に挑んだ。今度は“癒し”が主軸の夢色らしい。けれど、それがどう戦闘や解放に繋がるのか、正直ピンときていなかった。
訓練場の中央に立つ人物が、ユムに声をかけた。
「あなたが、新人さん?」
振り向いたその人は、白衣のような上着をひらりと揺らしていた。柔らかい色の髪、優しい笑み。そして、穏やかな声。
「私はイリス。第七解放課、白夢担当です」
「あ、はい。ユム・オルフェウムです。今日、研修で……」
言いかけたユムに、イリスはそっと人差し指を立てた。
「大丈夫。自己紹介は、ゆっくりでいいの。焦らないで」
その一言に、不思議と肩の力が抜ける。
(雰囲気が、赤夢のノイゼンさんとは真逆すぎる……)
「白夢は“癒し”や“祈り”の感情から生まれることが多いわ。だけど、それだけじゃない。“癒されたい”っていう、心の声そのものなの」
イリスは、夢結晶生成装置の前に立つと、そっと操作を始めた。淡い光が魔法陣から浮かび上がり、そこに現れたのは――
「……鳥?」
いや、ただの鳥ではない。白い羽毛の合間に、青と金の光が揺らめく。形も曖昧で、時折、風のように消えかける。
「これは、癒しを求めすぎた心が形になったもの。“白夢獣”の一種ね」
鳥は空中に浮かびながら、警戒心をあらわにユムたちを見ている。何かを怯えているようでもある。
「攻撃してくる感じじゃなさそうだけど……どうすれば?」
ユムの問いに、イリスはゆっくりと頷いた。
「これからあなたには、夢獣との“対話”に挑戦してもらうわ。けど――その前に、お手本を見せてあげる」
彼女は一歩、夢獣の前に進み出る。両手を見せて、武装していないことをアピールしながら、言葉を紡いだ。
「……こんにちは。あなた、とても疲れてるのね」
夢獣は翼を広げ、警戒の声を漏らす。
けれどイリスは怯えず、穏やかに続ける。
「怖がらなくていい。あなたの悲しみも、不安も、全部……ここに届いてる」
その声は、まるで春先の風のようだった。
ユムの夢査眼が自然と発動し、夢獣の体に宿る“ひずみ”が浮かび上がる。胸のあたり――まるで、締めつけられるような白と灰の渦。
イリスの瞳も、それを見ている。
「ずっと、待ってたんだね。誰かが気づいてくれるのを」
そう囁いた瞬間、鳥の姿がわずかに揺れた。警戒は消えずとも、明らかに何かが緩んだ。
イリスは、胸元に輝く白夢結晶にそっと手をかざすと、静かにその力を放つ。
「《慈封・光纏》」
白い光が花弁のように舞い、夢獣の周囲を包んでいく。
「これは攻撃じゃない。あなたの想いを、そっと包むための光よ」
鳥の瞳が細められ――その瞬間、風のように羽を広げ、淡い光となって空へ溶けていった。
夢獣は、攻撃されることも、攻撃することもなく。
まるで、納得したように消えていった。
「……今のが、“対話による解放”です」
ユムは言葉を失っていた。
「戦わなくても、消えるんですね……」
「夢って、必ずしも“砕く”ものじゃないの。正しく応えれば、自分から離れていくこともある。特に白夢は……ね」
イリスが見せたあの距離感――強引でも、突き放すのでもない。寄り添い、受け止め、想いを“感じる”ということ。
(俺には、できるんだろうか)
そんな迷いを読み取ったのか、イリスはそっと微笑んだ。
「焦らなくていい。夢と向き合うのは、自分と向き合うことでもあるから」
ユムは頷く。そして――
「やってみます。次は、俺の番ですね?」
「ええ。少し癖のある子だけど、大丈夫。あなたなら、きっと大丈夫よ」
生成装置が再び稼働する。
光が渦を巻き、今度は雪のような粒子をまとった獣型の夢獣が現れた。白く冷たい瞳が、ユムを静かに見据えている。
戦うのではなく、“届かせる”。
それが今日のミッションだ。
ユムは静かに、夢獣の前に立った。