1-2『赤夢担当・ノイゼン』
夢務省《第七解放課》への配属、そして奇妙な同僚・サリアとの出会いから一夜明けた。
ユム・オルフェウムは、寮のベッドの上でぼんやりと天井を見つめていた。
「……ほんとに、現実なんだよな」
サリアの案内によって第七課の施設を見て回り、夢に関する基礎知識も頭に叩き込まれた。
けれど、それ以上に印象的だったのは――あの部署の「空気」だ。
普通じゃない。
だけど、悪くない。
(この世界の“裏側”を歩いてる感じがする)
制服に袖を通すと、胸に縫い込まれた「七」の刺繍が少しだけ誇らしかった。
その日、研修棟のロビーにはすでにサリアがいた。
「おっはよー! 昨日はよく眠れた〜?」
「まあ、なんとか。あの紙吹雪の夢とかは見なかった」
「えー、残念! あれ、たまに見るとラッキー夢なんだよ?」
サリアはぴょこぴょこ歩きながらユムを講義室まで導く。軽口を叩きながらも、目の奥には常に何かを観察しているような鋭さがある。
(……この子、やっぱり只者じゃない)
そんな確信めいた違和感を抱えながら、ユムは今日も夢務省の中枢へと足を踏み入れた。
午前中の座学は、夢色の種類と性質に関する応用理論だった。
「赤夢は“衝動”の結晶。強い怒り、欲望、あるいは破壊衝動に起因することが多いです」
淡々と語る教官の背後で、サリアが手を挙げてヒラヒラと紙を振っている。
「ちなみにー、赤夢の夢獣は暴走率が高いから、うっかり飲み込まれると“バグリ”って暴走状態になっちゃうよ! 新人くん、気をつけてね☆」
「バグリ……?」
「暴走夢症候群。人が夢と一体化しかける現象だ。発症者は夢と現実の境界が曖昧になり、感情に支配される」
そう補足したのは、白衣姿の先輩職員。視線だけをこちらに投げると、すぐに講義へ戻った。
(夢って、思ってた以上に危ういもんなんだな……)
午後の実技研修。講義室から訓練棟へ移ると、すでに赤夢担当が待っていた。
「おーっす! ようこそ感情爆発ランドへ!」
立っていたのは、筋肉とエネルギーの塊のような男だった。声だけで地鳴りがしそうな勢いだ。
「今日の担当、ノイゼンだ。第七課、赤夢担当。“衝動”を愛し、“拳”で語る男!」
ポーズを決めながら白い歯を見せるその姿に、ユムは思わず口を開けた。
「……濃いな」
「おう、新人。気に入った。早速実技といこうぜ。動いて覚える、それが赤夢流!」
彼は笑うと、訓練場の中央に設置された夢結晶生成装置を操作した。
赤い閃光が走り、床の魔法陣から炎の気配を帯びた“夢獣”が出現する。
「こいつは、誰かの怒りが結晶化しかけて変質した“夢の残骸”だ。ぶっ潰せ。感情で向き合え」
いきなりすぎる、と言おうとしたその時には、すでに夢獣が動き出していた。
赤い夢獣が地を蹴って駆ける。熱を含んだ咆哮が空間を震わせ、研修用の訓練場に、荒ぶる気配が充満した。
「くるぞ、ユム!」
ノイゼンの叫びに、ユムは身構える。構え方もまだおぼつかない。だが、体が警鐘を鳴らしていた。
(これは本物だ。――殺気を帯びてる)
夢獣は四足で地を這う獣型。赤黒い炎が皮膚を走り、目には理性がない。怒りと渇望、それだけを芯に動いていた。
「武装出せ! 夢査眼使え! お前の“目”で見ろ!」
ノイゼンの声に、ユムの視界にノイズが走る。
ぐわん、と世界が揺れ――夢査眼が自動的に発動する。
赤いフレームが視界を包み、夢獣の各部に“感情のひずみ”がハイライトされるように浮かび上がる。
「感情の歪み……そこが弱点?」
「そうだ! 夢は想いでできてる。怒りも痛みも、全部“カタチ”になってる!」
獣の右前脚――そこに深く赤黒く染まる箇所が見える。
ユムは即座に距離を詰め、拳を構えた。
だが――その瞬間、夢獣は真横に跳ねた。
炎をまとった尻尾が旋回し、横殴りにユムを打ち据える。
「っぐ……!」
壁に叩きつけられ、喉から声が漏れる。
「攻め急ぐな! 赤夢に殺されるぞ!」
ノイゼンの声が飛ぶ。だが、ユムの視界には、赤い霧のようなものがかかっていた。痛みと熱、それが混じって――自分の中の“怒り”を刺激してくる。
「くそ……こんなもんに……」
拳が熱を帯び始める。装備は自動で出現し、腕を覆う。
赤夢適合――ユムの体に、“衝動を通す管”のような回路が流れ込む感覚。
「いいぞ、感じろ。怒りを、痛みを、正面から掴め。だが――溺れるな!」
ノイゼンの言葉と同時に、彼が自ら前に出る。夢獣とユムの間に割って入り、真正面から殴り合いを始めた。
「“うおりゃぁぁぁあ!”」
赤い拳が円を描き、夢獣の顎を跳ね上げる。
ノイゼンは回転しながらさらに一撃、炎の鎖のような軌道を描いて胴を叩きつけた。
「見て覚えろ! 力任せじゃ夢は砕けねえ! “怒りの起点”を読め!」
その言葉に、ユムの夢査眼が再び明滅する。
夢獣の肩から背中にかけて、赤い“裂け目”が浮かび上がる。
(あれは……怒りが集まってる)
深呼吸。
熱に飲まれそうな意識を、ぐっと踏みとどめる。
(これは俺の怒りじゃない。けど――ちゃんと向き合う)
ユムは走った。
夢獣の側面をすり抜け、ノイゼンの拳でぐらついた巨体の背へ回り込む。
見えた。裂け目の奥、核心。
叫びたいのに叫べない――そんな感情の塊が震えていた。
「ここだ!!」
全力で拳を叩き込む。
一度、二度、三度。
そして――四撃目で、音が変わった。
「“衝鳴”……!」
拳と核が共鳴し、内部から音を弾くように砕ける。
夢獣は叫びもせず、ふっと光の粒となって霧散した。
静寂が戻った訓練場。ユムは膝をつき、拳を見つめていた。
「……殴るんじゃなくて、“響かせた”みたいだった」
「その通りだ」
ノイゼンがゆっくりと近づいてくる。
「夢ってのはな、人間の“言えなかった感情”だ。暴力に見えても、その奥には……たいてい“何かを伝えたい”って願いがある」
「伝えたい……」
「だから、お前が“怒りの核”を読んで、拳でそこに応えた。そいつは、お前にだけ伝わったんだ」
ノイゼンは夢結晶の残骸を拾い、ユムに見せた。
それは、赤黒い中にほんの一筋だけ、白い線が走っていた。
「怒りの中に、哀しみがあった。伝わったんだよ。お前の拳で」
ユムは黙って頷いた。
(夢と、ただ戦うだけじゃない。これが……“解放”の入り口なんだ)
夕暮れ。訓練棟からの帰り道、サリアが壁に寄りかかっていた。
「初めての赤夢、お疲れさま」
「疲れた。でも、なんか――ちゃんと“伝わった”気がした。脳筋なのか理論はなのかは不明だったけど。」
「きゃは、いい感じに熱くなってきたね? ユムくん、だんだん“こっち側”に慣れてきた」
笑いながら、彼女は紫の夢結晶を指先で転がす。
「じゃ、明日は白夢担当のお姉さまに癒されに行こっか。君のその“すり傷だらけの魂”、包帯ぐるぐるにしてもらえるよ」
「……なんかそれはそれで怖いな」
そんな会話をしながら、二人は廊下を歩き出した。
夢の正体はまだ、見えないまま。
でも、少しずつ“触れられる”気がしてきた。