#6|水の泡
とある日、バイトを始めてからある程度経った頃。
メイド服に着替えて『MAD*IN』の店内に向かうと、聖と芦戸さんがカウンターで何やら話し込んでいた。
「お疲れ様です。何かあったんですか?」
声を掛けると、二人は僕の方を振り返り、「お疲れ」と手を挙げる。
「今日さ、学生六名で十一時から予約入っているんだよねー」
「え?! 六人!?」
聖の言葉に驚愕してしまった。メイドカフェにそんな大人数で来るか、普通。しかも学生って悪ノリか。
「里玖ちゃんさ、そろそろ仕事慣れてきたし、誰か一緒に予約のお客さん対応してみない?」
そう提案したのは、研修でお世話になった女性メイドの篠原さんだった。丁度着替え終わって来たみたいだ。
「何か違うんですか?」
「うちの店は、人数多いと二人体制で対応するんだよ。息を合わせた共同作業が必要になることもあるし、そういうことも学んでみたらどうかな?」
「へえ」
篠原さんの説明を聞いた瞬間、聖は「あ!」と声を上げる。
「里玖ちゃん、尋乃と一緒にやってみるか?」
「え!?」
聖は名案だ、という風に指を鳴らしながら僕を指差してきた。そんな自慢げにされても、僕はあんなにキラキラとした芦戸さんの隣に立つなんて大丈夫なのだろうかと不安になる。正直、気が引ける。
「僕は大丈夫ですよー」
顔を曇らせる僕とは対照的に、芦戸さんはニコニコと要求を受け入れている。こうなったら、僕なんかが断るなんて出来るもんか。
「じゃあ、やります……」
「よーし! じゃあよろしくねー」
渋々受け入れた僕の肩を叩いて、聖はどこかに消えて行った。
結局こうやって、金髪野郎の手の平の上で転がされるんのだろうと思うと、僕は憂鬱のあまりため息をついていた。
十一時近くなった頃、僕と芦戸さんは入口近くで予約客を待っている。
「里玖ちゃんって、学校の子とかにメイドのことバレてる?」
「あー、一番バレたくない人たちにバレまくってます」
桃色の髪を揺らしながら顔を覗き込む芦戸さんに、僕は苦笑いしながら答える。
「え、それって大丈夫? いじめられたりしないの?」
すごく心配してくれるんだな。天使先輩の優しさが身に染みる。
「各々秘密にしてくれてるみたいです。優しいんだか、何を企んでいるんだかって感じなんですけど」
「……へえ」
そう呟いた芦戸さんの表情は、少し悲しいのか羨ましいのか、何を考えているのか良く分からなかった。
「ねえ、里玖ちゃん。そろそろ来るよ」
「は、はい!」
仕事モードに切り替わった先輩につられて、僕も入口の前に並んで待つ。
ドアがカランと音を立てて、ずらずらと足音と男女の話声が聞こえた。
「おかえりなさいませ、ご主人様、お嬢様!」
二人で声を揃えてお辞儀をした顔を上げると、男女が三対三の六人客がいた。
こんな場所で合コンかよ、と心の中で悪態をついたのも束の間。
「うおー! 本当にメイドが居る!」
その中にはクラスの男女数名の他に、まさか『陽キャ集団』最後の一人、襟足まで伸びた髪をピンで端を留めた羽瀬悠季が来ていたのだ。こいつは学級長をしていながら、コミュ力お化けかつ会話の節々からノンデリを感じる奴だ。今回はクラスメイトも居るし、過去一面倒くさいぞ。
「こちらは、『MAD*IN』のご主人様、お嬢様証明書になります。来て下さる回数によってカードの色もグレードアップしていきます」
「一番上が、こちらのゴールドになります! 皆さんもゴールカードを目指してみて下さいね!」
芦戸さん、カードの見本見せながら最強ウインクも出来るなんて凄いな。僕なんか、まだまだ説明するだけで必死なのに。
それにしても、すっごい羽瀬に見られる。なんかデジャヴな気がするけど。
「あの、最後にいいですか?」
羽瀬が僕達を呼び止める。多分これ、気付かれたんだろうけど何とか誤魔化すしかないか。
「ねえ、来宮の妹が居るって紫苑が言ってたけど、来宮本人だよね?」
「え!?」
芦戸さん、驚かないで。
「いや、人違いかと」
僕はあえて目を合わせながら、無表情で答える。芦戸さん、分かりやすくハラハラしないで。
「悠季。多分来宮ではないぞ」
「いや、合ってるよ」
連れの言葉もぶった切って、羽瀬は僕の方を指差す。
「——だって、名前に『りく』って書いてあるし」
「……げ」
そうだ、盲点だった。こんなのバレたくないって言う以前の問題じゃないな。偽名でも使えば良かったのに、僕は何をしていたんだ。
一気に絶望が襲いかかり、顔が真っ青になる。
「え!? 来宮の妹じゃないの!?」
「だってよく見て。本人だよ」
確信を得たクラスメイト達は、ジロジロと僕を見てくる。
「あ、本当だ! やばいんですけどー」
「俺、チェキ撮って貰おうかなあ」
「意外と似合ってんなー」
もうこうなってしまった以上、一気にクラス中に広まることは間違いない。羽瀬は人間関係も広いし、どうせクラスメイト達も黙るつもりはないだろう。
あーあ、秘密にしてたの何だったんだろう……。僕は、その場で頭を垂れていた。
次の日、教室に入った瞬間、一斉に視線を向けられる。
「来宮、おっはよー」
「なあ、メイドってどんな感じなん?」
僕のバイトがクラス中に広まったせいであろう。面白がってるからなのか気になるだけなのか、クラスメイト達が僕に絡んで来た。
悪ノリなのか陰の人間には分からないため、僕は真面目に答えると「おもしれえ奴だな」と言われ、その日以降頻繁に声を掛けられるようになった。何が面白いのか、全く理解はできないが。
勿論、最初はウザくて鬱陶しくて心底どこかへ行ってくれと思っていた。しかし、数日経つとクラスメイトは普通に親切にしてくれることもあれば、興味本位でバイトのことを聞いてくる奴しか居ないため、もはや特に何も感じない。簡単に言い換えると、絡みを振り切ることを諦めたのだ。
それよりも、僕とクラスメイトの絡みを見ている、羽瀬悠季を除く『陽キャ集団』の表情が、少し曇っていることの方が気になっていた。
面白かったら、評価やコメントなどよろしくお願いします。